2007.11.26
第11回口頭弁論参照
平成1 7 年( ワ) 第3 6 7 号外 自衛隊イラク派遣差止等請求事件 原告 藤岡崇信外74名 被告 国 |
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原告ら最終準備書面 |
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2007年11月26日 |
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熊本地方裁判所 第2民事部合議A係御中 |
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原告ら訴訟代理人 弁護士 加 藤 修 外 |
目 次 |
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頁数 | |||
第1章 はじめに | ・・・・・・・1 | ||
第1 人権擁護機関としての司法権の役割 | ・・・・・・・1 | ||
第2 司法権と戦争について | ・・・・・・・3 | ||
第3 小括 | ・・・・・・・9 | ||
第2章 平和的生存権は具体的権利である |
・・・・・・10 |
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第1 平和的生存権の内容 | ・・・・・・10 | ||
第2 平和的生存権の侵害 | ・・・・・・11 | ||
第3 時代は平和的生存権を必要としている | ・・・・・・12 | ||
第4 自衛隊のイラク派兵と原告らの平和的生存権 | ・・・・・・19 | ||
第3章 具体的権利侵害の存在 |
・・・・・・21 |
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第1 原告らの具体的利益 | ・・・・・・21 | ||
第2 侵害の具体的危険性 | ・・・・・・24 | ||
第3 原告らの被侵害利益の重要性 | ・・・・・・29 | ||
第4章 差し止め請求 |
・・・・・・30 |
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第5章 違憲確認 |
・・・・・・36 |
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第6章自衛隊のイラク派遣の違憲・違法性 ※(第6章目次へ) |
・・・・・・39 |
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第1 イラク戦争の実態と日本の関与 | ・・・・・・39 | ||
第2 イラク派兵行為が憲法9条に違反すること | ・・・・・121 | ||
第3 自衛隊イラク派兵はイラク特措法違反である。 | ・・・・・129 | ||
第4 イラク戦争と国際法違反 | ・・・・・143 | ||
第5 政府は安全配慮義務(イラク特措法第9条)に違反している |
・・・・・148 |
第6章自衛隊のイラク派遣の違憲・違法性第1 イラク戦争の実態と日本の関与
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[1] 1990(平成2)年8月2日、イラク軍がクウェートに侵攻した。 [2] 同年11月29日国連安保理で対イラク武力行使容認決議がなされ(決議678)、1991(平成3)年1月17日から多国籍軍による武力行使がなされた(湾岸戦争)。ここではアメリカによってイラク全土に500〜800トンの劣化ウラン弾と大量のクラスター爆弾が投下された。戦後も劣化ウラン弾はその放射能汚染により、クラスター爆弾は放置された子爆弾により、多数のイラク国民を死に至らしめている。 [3] 同年4月3日、国連安保理で対イラク停戦決議(決議687)がなされ、同月9日、国連イラク・クウェート監視団(UNIKOM)設立が決議された(決議689)。 [4] 米軍は、更に1993(平成5)年6月26日ブッシュ元大統領の暗殺未遂事件の報復として、1996(平成8)年9月3日イラク軍の北イラク・クルド地域侵攻の報復として、2度にわたってイラクを巡航ミサイルで攻撃した。 [5] 1998(平成10)年11月5日、安保理はイラクによる査察拒否に対し、安保理決議に対する重大な違反であるとして、UNSCOM(国連イラク特別委員会)及びIAEA(国際原子力機関)との協力の即時、無条件再開をイラクに要求する決議1205を採択したが、同年12月17日、米英軍はイラク攻撃を行った(砂漠の狐作戦)。 [6] 1999(平成11)年12月17日、国連安保理は、国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)の設置、査察を決議し(決議1284)、UNMOVICは2000(平成12)年8月30日、イラクで作業を開始しうる状況になったと報告したが、2001(平成13)年2月16日、米英軍はバグダッド近郊を爆撃した。 [7] 同年9月11日米国で同時多発テロが発生した。米英軍はテロリストを匿っているとして同年10月7日アフガニスタンを攻撃し、同年12月22日にはアフガニスタン暫定行政機構が発足した。 [8] 2002(平成14)年1月29日、ブッシュ米国大統領は一般教書演説において北朝鮮、イラン及びイラクを「悪の枢軸」と名指しする発言をした。 [9] 同年10月1日、イラクの大量破壊兵器査察再開に向けた国連とイラクの実務協議で、イラク側は大統領関連8施設を除くすべての施設の即時、無条件、無制限査察を受け入れることで合意したが、さらに国連安保理公式協議では、査察の全面受け入れを迫る決議1441を全会一致で採択した。イラクの受諾により同年11月27日査察が再開され、同年12月7日イラク政府が大量破壊兵器に関する申告書を提出、2003(平成15)年1月9日、イラクの申告書に関する報告がなされたが、査察官からは迅速なアクセスを得ることができていると報告された。 [10] しかしながら2002(平成14)年10月11日、米国議会はイラクに対する武力行使容認決議を可決し、ブッシュ大統領は、2003(平成15)年1月28日の一般教書演説で、安保理でパウエル国務長官がイラクの大量破壊兵器をめぐる証拠隠しやテロ組織アルカイダなどとの関係を証明する機密情報を提示すると明言し、新たな安保理決議抜きでも武力行使に踏み切る考えを示した。同年2月5日、米国パウエル国務長官が演説でイラク機密情報を開示したが、決定的な証拠は明らかにされず、仏、独、露等の国々は査察を継続すべきとの立場をとった。 [11] 米国はさらにイギリス、スペインとともに同年2月24日、国連安保理非公式会合で対イラク武力行使を容認する新決議案を提示した。しかしそれに反対する仏・独・露の3国はイラクに対する武力行使の正当性を否定し、国連による査察を継続すべきとする立場を鮮明にし、他の多くの国々も武力行使を支持せず修正決議案可決の見込みもなかったため、同年3月17日、米英両国はイラクに関する安保理修正決議案の採択を断念した。 [12] そして同日ブッシュ米国大統領は、フセイン大統領とその息子の48時間以内の国外退去がなされなければ武力紛争は避けられないとの最後通告を行い、同月20日、米英両軍は、安保理決議のないままイラク侵攻を開始した。イラクが国際社会の平和と安全に与えている脅威を取り除くための最後の手段だとして、仏、独、露などの反対、世界的に広がった反対世論を押し切ってなされたものであった。米英は、イラクの「脅威」の内容について、2001(平成13)年9月11日のアメリカ同時多発テロを実行した国際テロ組織に援助を与えていること、生物化学兵器などの大量破壊兵器を開発・保有していることなどを挙げた。 [13] 小泉総理大臣は、即時に米英の攻撃の支持を表明したが、記者会見等を開くことはなかった。 [14] 米英軍は表面的には順調に侵攻を進め、2003(平成15)年4月9日には首都バグダッドが事実上陥落し、同年5月1日、ブッシュ米国大統領は戦争終結宣言を行った。 [15] 同月22日、イラクの復旧・復興等に関する安保理決議1483が採択され、同年6月1日には連合国暫定施政当局(CPA)が発足、同年7月22日には統治評議会が発足した。 [16] 米軍はなおも武力行使を進め、同年7月22日にはフセイン元大統領の長男ウダイ氏及び次男クサイ氏を攻撃により殺害し、同年12月13日にはフセイン元大統領を拘束した。 [17] 2004(平成16)年6月28日、イラク暫定政権に主権が移譲された。 [18] 米英らが根拠とした大量破壊兵器については、現在に至るまで発見されていない。同年1月28日、イラクの大量破壊兵器に関する米調査団の団長を辞任したデービッド・ケイ氏が米上院軍事委員会の公聴会で証言し、大量破壊兵器の有無について「私を含めほぼ全員が間違っていた」と述べ、イラクが大量破壊兵器を保有していると信じ込んだのは米政府の情報収集の誤りだったと指摘し、同年7月9日の米上院情報特別委員会はCIAが「イラクの大量破壊兵器の脅威」を誇張したと批判する報告書を発表した。同年9月13日には、米国パウエル国務長官が議会証言でイラクでの大量破壊兵器発見を断念する考えを示し、さらに同年10月1日、記者会見で「我々は今、彼が備蓄を持っていなかったことを知った」と述べた。 |
2 「戦闘終結宣言」以降のイラク情勢 |
ア 2003(平成15)年5月〜7月
1) 2003(平成15)年5月1日、ブッシュ米国大統領は、戦争終結宣言を行い、「イラクでの主要な戦闘は終結した。イラクでの戦闘で米国と同盟国は勝利した。そして今、我々同盟はイラクの治安確保と再建に取り組んでいる。」と述べた。 |
3 イラク移行政府発足後2005年4月28日のイラク移行政府発足後も、以下のとおり、イラク全土、そしてサマーワで、武装組織と米軍との戦闘や、テロ行為が無数に起こっているのである。 |
4月27日 イラク国民議会の女性議員ラミア・アベドハドリがバグダッド北東部の自宅で、武装グループと見られる何者かに暗殺された。 28日 イラク移行政府発足 29日 バグダッド及びバグダッド近郊で、イラク治安部隊や警察署を狙い、計9台の自動車爆弾によるテロが相次ぎ、24人が死亡、約90人が負傷した。 29日〜5月1日 イラク各地で反米武装勢力による攻撃が相次ぎ、3日間で少なくとも74人が死亡した。30日にはバグダッドで5件、北部モスルで6件の自動車爆弾攻撃があり、イラク人少なくとも17人と米兵1人が死亡し、1日には、バグダッド付近で武装勢力の銃撃により警官5人が射殺された。 5月2日 バグダッドで、治安部隊の車列や商店街の一般人を狙った自動車爆弾テロが3件連続して起こり、少なくとも8人が死亡した。 3日 イラク中部ラマディで戦闘が発生し14人が死亡した。 4日 イラク北部クルド人自治区で、警官の募集窓口に集まっていた志願者を狙った自爆テロが発生し、60人以上が死亡した。 6日 バグダッド南方スウェイラの市場で自動車爆弾を使った自爆テロがあり、少なくとも14人が死亡(ロイターは22人と報道)、43人が負傷した。また、北部ティクリートの軍検問所付近でも警官を狙ったと見られる自爆攻撃があり、少なくとも8人が死亡、7人が負傷した。さらに、同日、バグダッド郊外のゴミ廃棄場で、イラク人と見られる射殺体が12体が見つかった。 7日 バグダッド中心部で自動車爆弾によるテロがあり、少なくともイラク人13人と外国人4人の計17人が死亡、30人以上が負傷した。また、同日、中東の衛星テレビ放送アルジャジーラは、イラクでオーストラリア人男性ダグラス・ウッドを拉致した武装勢力が、72時間以内にオーストラリア軍をイラクから撤退させるよう要求するビデオを放映した。 8日 同日までに、イラク戦争開始以来の米軍死者が1600人を超えた。 9日 イラク駐留米軍が、イラク西部アンバル州で武装勢力に対する大規模な掃討作戦を実施、24時間で75人を殺害した。また、同日、バグダッド南部で自動車テロが発生し、3人が死亡、9人が負傷した。 なお、この日、イラク西部ヒートで、日本人斎藤昭彦を拉致したと、イラクの武装勢力「アンサール・スンナ軍」が犯行声明を出した。斎藤は、前年12月より警備会社ハート・セキュリティー社に籍を置き、イラクで米国の車列警護等の業務についていたところ、同勢力の襲撃に遭い、銃撃を受け、瀕死の状態で連れ去られたものであった。 10日 イラク中西部アンバル州のラジャ・ナワフ知事が、4人のボディガードとともに武装勢力に拉致された。 11日 バグダッド、ティクリート等で連続爆弾テロがあり、少なくとも71人が死亡した。 また、同日、イラク西部で武装勢力掃討作戦に参加していた米海兵隊員が地雷に触れ、2人が死亡、14人が負傷した。 12日 バグダッド東部で自動車爆弾テロがあり少なくとも12人が死亡、56人が負傷した。 13日 イラク各地で爆弾テロが起き7人が死亡。前年11月よりクルド人自治区を除いたイラク全土に出されている非常事態宣言が30日間延長された。 14日 バグダッドで自動車爆弾テロ、5人が死亡。 また、米軍はイラク中西部アンバル州で7日から14日にかけ大規模な掃討作戦を実施、武装勢力125人以上を殺害した。 15日 バグダッド東北部でシーア派と見られる13人の射殺体が見つかったほか、15日から翌16日にかけ、約50体のイラク人の惨殺体が見つかった。 また、アンサール・スンナ軍が、インターネット上で、斎藤昭彦らを襲撃したときの映像を公表した。 17日 バグダッドでシーア派の聖職者が車で移動中に射殺されたほか、同日までに、スンニ派聖職者2人の遺体も発見された。 24日 イラク北部タルアファルで連続爆弾テロが起き20人が死亡、20人が負傷したのを含め、バグダッド等イラク各地でテロが起き、少なくとも49人が死亡した。 25日 イラク中部ハディーサでの掃討作戦で、米軍が武装勢力少なくとも10人を殺害した。 29日 イラク治安部隊4万人以上と米軍約1万人が、バグダッドで武装勢力の大規模掃討作戦を開始した。 30日 イラク中部の2箇所で自爆テロが起き、27人が死亡、100人以上が負傷した。 6月1日 バグダッド郊外の検問所で自爆テロがあり、民間人15人が負傷した。 2日 イラク北部と中部で計5件のテロが起き、ディヤラ州評議会副議長を含む少なくとも34人が死亡、数十人が負傷した。 3日 同日付の米紙ワシントン・ポストは、過去1年半の間でイラク民間人1万2000人がテロや戦闘行為により死亡したと報じた。 11日 バグダッド所在のイラク内務省特殊部隊本部内で自爆テロが起き、少なくとも3人が死亡したほか、バグダッド市内のスロバキア大使館付近でも自爆テロが起き、数人が負傷した。その他、同日には各地で武装勢力の攻撃があり、10人以上が死亡した。 13日 イラク西部で米軍が大規模な掃討作戦を実施し、武装勢力40人以上を殺害した。 15日 イラク中部バクバ近郊のイラク軍基地で自爆テロがあり、少なくとも26人が死亡、26人が負傷した。また、バグダッド東部でもイラク警察の車列に対して自爆テロが起き少なくとも10人が死亡するなど、各地で武装勢力の攻撃が相次いだ。 18日 イラク西部カイムにおける米軍の掃討作戦で、17日未明から18日にかけ、武装勢力50人以上が殺害された。 このほか、同日、バグダッドで自動車爆弾テロが起き2人が死亡するなど、各地で武装勢力の攻撃が相次いだ。 20日 イラク北部のクルド人自治州と首都バグダッドで、警察署などを狙った自爆攻撃やロケット砲を使った攻撃が相次ぎ、合わせて少なくとも24人が死亡、120人以上が負傷した。また、中部ファルージャ近郊では米軍が武装勢力15人を殺害した。 23日 サマーワの陸上自衛隊宿営地近くで、走行中の陸上自衛隊車両4両の車列から約1.5ないし2メートルの至近距離に埋められていた爆発物2個のうち1つが爆発し、うち1両のフロントガラスにヒビが入った。 26日 イラク北部モスルで警察署等を狙った3件の自爆テロがおきたほか、バグダッド等でも自爆テロが相次ぎ、計47人が死亡した。 27日 バグダッド近郊で米軍ヘリが墜落し、米兵2人が死亡した。また、同日までに、サマーワで陸上自衛隊が修復した道路に立てられた看板の日の丸が黒く塗りつぶされているのが見つかった。 28日 サマーワで失業者のデモ隊と警察官が衝突、投石するデモ隊に警察官が発砲するなどし、12人が負傷した。この際、爆弾を身につけた男が拘束された。後に重傷者のうち2人が死亡した。 30日 サマーワ中心部のムサンナ州評議会庁舎付近で複数回の砲撃が起きた。 7月4日 バグダッド近郊で米軍とイラク軍による掃討作戦が行なわれ、武装勢力の少なくとも100人が拘束された。また、バグダッドで自動車爆弾テロが起き2人が死亡したほか、北部モスルでは州知事やクルド民主党幹部4人が射殺された。 7日 「イラク聖戦アルカイダ組織」を名乗る武装勢力が、イラクで拉致したエジプトのシェリフ次期大使を殺害したとウェブサイト上で発表した。 10日 バグダッド等各地で爆弾テロが相次ぎ、計33人が死亡した。 13日 バグダッドで13日、子供らに菓子を与えていた米兵を狙った自動車爆弾テロがあり、子供10人以上を含む27人が死亡し、20人以上が負傷したほか、バグダッドの別の場所でも爆弾テロにより1人が死亡、1人が負傷した。 15日 バグダッド市内各地で7件の自爆テロが相次ぎ、20人以上が死亡したほか、ヨルダン国境近くでも米兵2人が死亡した。 16日 イラク南部アマラで路上に仕掛けられた爆弾が英軍車両の近くで爆発し、英兵3人が死亡、2人が負傷した。 17日 イラク中部ムサイブで燃料輸送車を狙った自爆テロが起き、98人が死亡、約100人が負傷したほか、バグダッドでも4件の爆弾テロが相次ぎ、19人が死亡した。 19日 イラク各地で武装勢力による襲撃事件が相次ぎ、少なくとも37人が死亡した。 22日 バグダッドや中部サマラなどで武装勢力の攻撃が相次ぎ、16人が死亡した。 24日 サマーワで日本友好協会のアンマル・ヒデル前会長が経営する商店が爆破された。 29日 サマーワで、日本政府が経済支援している職業訓練の作業所が、2発の爆弾で爆破された。また、北部ラビアでは、イラク軍の採用施設で自爆テロが起き52人が死亡した。 30日 イラク南部バスラで英総領事館の車列の近くで爆弾が爆発し、2人が死亡した。同日、バグダッド中心部の警察検問所でも自爆テロが起き少なくとも7人が死亡したほか、バグダッド市内の2箇所に仕掛けられた爆弾が相次いで爆発し米兵5人が死亡した。 31日 バグダッド南方で自動車爆弾が爆発し7人が死亡、12人が負傷した。 8月1日 バグダッド南西部で、銃殺されたり首を切り落とされた20人の遺体が見つかった。また、バグダッド東部では、内務省幹部の車が武装勢力に襲われ、幹部1人が死亡、警備担当者2人が負 傷した。 3日 イラク西部ハディーサ近郊で米軍車両が爆弾攻撃を受け米兵ら15人が死亡したほか、南部バスラでは米国人フリージャーナリストが射殺体で見つかった。 4日 サマーワ近郊で市街地に電力を供給する送電塔近くに爆弾が仕掛けられているのが発見された。また同日深夜、サマーワ中心部の商店で小規模の爆発が起きた。 7日 サマーワで大規模デモが起き一部が暴徒化して警官隊と衝突、1人死亡。また、サマーワの州政府庁舎近くでロケット弾による爆発も起きた。 8日 サマーワで、地元テレビ局と地元紙に対し、陸上自衛隊の活動を報道しないよう警告し、従わねば社員を殺害する旨の脅迫状が送りつけられていたことが明らかになった。また、サマーワでパトロール中の警官が武装勢力の銃撃を受け1人が死亡した。 10日 サマーワで地元ムサンナ州評議会のアブドラ・シェヌン議員宅に銃撃があり市民2人が負傷した。 11日 サマーワで、憲法承認国民投票の準備を進める選挙管理委員会事務所に男4人が訪れ、イラク人警官やイラク軍への警備依頼をやめなければ同事務所を爆弾攻撃すると脅迫した。 15日 北部モスルで米軍部隊が銃撃を受け米兵1人が死亡した。 17日 バグダッド中心部で車3台による連続爆弾テロが起き、少なくとも46人が死亡、76人が負傷した。また、北部キルクークではイラク軍車両が武装勢力の攻撃を受け6人が死亡した。 18日 イラク中部サマラで爆弾攻撃により米兵4人が死亡した。 24日 イラク中部ナジャフでイスラム教シーア派の内紛と見られる衝突があり少なくとも4人が死亡したほか、25日未明にかけ、サマーワなど南部数か所で衝突が続いた。 25日 バグダッド南方で男性36人の射殺体が見つかったほか、バグダッド北方では飲食店に武装集団が押し入り民間人6人が死亡した。また、北部キルクーク近郊では、移行政府のタラバニ大統領の所有する車が襲われ護衛2人が死亡した。 26日 サマーワで反米指導者サドル師の支持者ら約2000人が大規模デモを行なった。 29日 米軍がバグダッドでロイターテレビのイラク人職員を射殺した。 31日 バグダッド北部でイスラム教シーア派の聖地カドミア・モスクに向かっていた多数の巡礼者が、「テロリストが自爆しようとしている」との叫び声でパニックに陥り、965人が死亡、475人が負傷した。 9月3日 イラク北部キルクークとバイジとの間で、石油パイプラインが爆破され、日量150万バレルの輸出が停止する事態となった。 7日 南部バスラで米国の民間警備業者の車列付近に仕掛けられた爆弾が爆発し4人が死亡した。 8日 南部バスラで爆弾テロが続発し、16人が死亡、20人が負傷した。 10日 イラク北部タルアファルで米軍とイラク軍が大規模な掃討作戦を実施し、10日までに武装勢力141人を殺害した。 14日 バグダッド北部で自動車爆弾テロが起き114人が死亡、156人が負傷した。この事件を含めバグダッド市内及び近郊でテロや攻撃が10件相次ぎ、合計で153人が死亡した。 15日 バグダッドで警察を狙った車爆弾による自爆攻撃と路上に仕掛けられた爆弾による攻撃が相次ぎ、警察官31人が死亡、多数が負傷した。また、この他にも、南部イスカンダリヤで武装勢力が公務員宅を銃撃し5人が死亡するなど、同日から16日にかけ、爆弾や銃撃で少なくとも16人が死亡した。 17日 サマーワでパトロール中の英軍部隊が武装勢力に銃撃され、英兵1人が負傷した。また、バグダッド東部郊外で自動車爆弾テロが起き、少なくとも30人が死亡、38人が負傷した。 19日 イラク南部バスラで英兵2人とイラク警官との間で銃撃戦が生じてイラク人2人が死亡する事件が起き、英兵2人が刑務所に連行された後、英軍部隊が複数の戦車で刑務所に突入し、イラク当局の拘置下にあった英軍兵士2名を奪還した。 24日 サマーワで治安維持にあたっている英軍・オーストラリア軍がいずれも来年5月にサマーワから撤退する意向を日本政府に打診していることが明らかになった。 25日 バグダッドで警察の車列に対し自動車爆弾テロが起き警官13人が死亡したほか、シーア派反米指導者サドル師の民兵組織と米軍との間で交戦があり10人が死亡、中部ヒッラーの市場では自爆テロが起き5人が死亡、36人が負傷した。さらに、同日夜にはサマーワ中心部の州庁舎近くに迫撃弾が撃ち込まれ、その直後、付近の警察施設を数人の武装集団が襲撃し、警官と銃撃戦となった。 27日 中部バクバで自爆テロが起き、12人が死亡、31人が負傷した。 28日 北部タルアファルでイラク軍採用希望者の列で女性が自爆テロを起こし、少なくとも7人が死亡、38人が負傷したほか、中部ナジャフのサドル師の警護員宅で爆発が起き、2人が死亡、5人が負傷した。また、サマーワで、旧フセイン政権時代の支配政党旧バース党の党員宅が爆破された。 30日 中部バラドの繁華街で自爆テロが3件発生し、子供と女性多数を含む少なくとも85人が死亡、100人以上が負傷した。また、中部ラマディでは爆弾攻撃で米兵5人が死亡した。 10月1日 イラク移行政府のジャビル内相の兄弟であるジャバル氏が、バグダッド市内を車で走行中に武装勢力拉致された。 10月5日 イラク中部ヒッラーで爆弾テロが起き、少なくとも25人が死亡、80人が負傷した。(98) 10日 英国のリード国防相が、イラク駐留英軍を500人削減し、サマワ撤退の可能性についても触れる内容の議会報告を行なった。(100) 11日 イラク北部タルアファルの商店街で自動車爆弾テロがあり少なくとも33人が死亡するなど各地でテロが続発し、少なくとも43人が死亡、106人が負傷した。(101) 12日 イラク北部の新兵採用施設でテロが起き、少なくとも31人が死亡、35人が負傷した。また、サマワ郊外でオーストラリア軍部隊の軽装甲車3台が銃撃を受けた。(102, 103) 14日 サマワの陸上自衛隊宿営地付近で爆発音がしたとの情報が警察に寄せられた。(105) 15日 新憲法案の是非を問う国民投票が開始されたが、前日からイラク全土で投票所への攻撃や選管職員の拉致など妨害が相次いだ。また、中西部ラマディでは武装勢力が駐留米軍を路上爆弾で攻撃し、米兵5人が死亡した。(106) 16日 サマワでイラク軍警察の車両2台が武装勢力に機関銃で攻撃され銃撃戦となった。また、サマワ郊外で警察官一人が銃撃を受け死亡した。(106) 17日 米軍がイラク中西部ラマディ付近で空爆を行ない、武装勢力約70人を殺害した。(107) 19日 英紙ガーディアンの記者がバグダッド近郊で誘拐され行方不明になった。(108) 20日 旧フセイン政権幹部の戦争犯罪を裁く特別法廷にフセイン元大統領らと共に起訴されたバンダル元革命裁判所所長の弁護士がバグダッド市内で武装勢力により拉致され、射殺体で見つかった。(109, 110) 21日 サマワで反米指導者サドル師派の代表が「サマワ駐在の陸上自衛隊に自爆攻撃を仕掛ける」旨警告した。また、中部ファルージャ近郊で米軍車両が爆弾攻撃を受け米兵2名が死亡した。(111, 113) 22日 陸上自衛隊第八師団を主力とする部隊が、治安が過去最悪の状況となっているとされるイラク・サマワへ派遣された。(112) 24日 バグダッド中心部の、外国人が多数宿泊しているホテルが武装勢力による、ロケット弾2発と自動車爆弾3台による攻撃を受け、少なくとも17人が死亡した。(114, 115, 116) 25日 イラク戦争開戦後の米兵死者が2000人に達した。また、負傷者は1万5000人に達し、うち7100人以上は軍務復帰が困難な状態となった。(117, 119) 27日 バグダッド近郊でシーア派の反米指導者サドル師の民兵組織とスンニ派武装勢力及び警察との間で銃撃戦があり25人が死亡した。(120) 29日 バグダッド北東部で車爆弾が爆発し、少なくとも12人が死亡、20人が負傷した。また同日、AP通信は、2004年1月以降、武装勢力の攻撃で死傷したイラク人が2万6000人に上ると報じた。(121, 122) 31日 イラク南部バスラの繁華街で車爆弾テロがあり、20人以上が死亡、約40人が負傷した。(123) 11月7日 サマワの陸上自衛隊宿営地に砲撃があるなどサマワで陸自や警察等への攻撃が3件続き、警官とタクシー運転手が負傷した。(126) 10日 バグダッド中心部で自爆テロが起き、36人が死亡し多数が負傷した。また、北部ティクリートでもイラク軍の募集に集まっていた人々を狙って車爆弾が爆発、10人が死亡した。(127) 11日 バグダッドのオマーン大使館が銃撃され2名が死亡、2名が負傷した。(128) 15日 サマワの英軍司令官が、2006年春にも英軍及び豪軍がサマワより撤退するとの見通しを示した。(129) 18日 イラク中部ハナキンのモスクで自爆テロが起き少なくとも65人が死亡、75人が負傷した。(131) 19日 中部ハディーサで武装勢力が米軍・イラク軍と交戦し米兵1人と武装勢力8人が死亡、一般市民も15人が死亡した。また、北部バイジ付近でも米軍部隊が2箇所で攻撃を受け、米兵5人が死亡、5人が負傷したほか、中部バクバ近郊でも葬列に自動車爆弾が突っ込み自爆して50人が死亡した。バグダッドの市場でも車爆弾テロが起き少なくとも13人が死亡、21人が負傷した。北部モスルではパトロール中の米兵2人が小火器による攻撃を受け死亡した。(132、134、136) 20日 イラク中部で、日本のイラク復興支援に関する機材の輸送を終え走行していたトラックの車列で爆弾が爆発し、車一両が破損してイラク人警備員1人が死亡した。(135) 21日 バグダッド西方ハバニヤ付近で米軍車両が爆弾攻撃を受け米兵1人が死亡した。(136) 22日 北部キルクークで警官を狙った自爆攻撃があり、少なくとも21人が死亡、24人が負傷した。(136) 24日 バグダッド南方マハムディヤで自爆攻撃があり、32人が死亡、38人が負傷した。(137) 12月3日 イラク中部オダイムで武装勢力の攻撃によりイラク兵11人が死亡、少なくとも2人が負傷した。(138) 4日 サマワ近郊で陸上自衛隊の車列にデモ隊が投石し、車両が破損するという被害が生じた。(138) 6日 バグダッド東部の警察学校で男2人が自爆し、警官ら38人が死亡、76人が負傷した。(139) 8日 バグダッド中心部で満員のバス内で自爆テロが起き30人が死亡、20人が負傷した。(140) 12日 サマワの陸上自衛隊宿営地付近で、陸上自衛隊に対する砲撃と思われる爆発音が聞こえた。(141) 13日 2004年4月に起こった日本人人質事件で解放交渉の仲介役を申出た人物で、15日投票のイラク総選挙に立候補していたドレイミ氏が銃殺された。(142) 15日 イラク連邦議会選挙が行なわれた15日、イラク各地で投票所等を狙った攻撃が起き3人が死亡した。(143) 17日 17日夜から18日にかけ、バグダッドなどで武装勢力による、警察官や政党幹部の親族を狙った襲撃事件が相次ぎ、少なくとも17人が死亡した。(144) 21日 陸上自衛隊が駐留するサマワ市内で英軍の車列が手榴弾による攻撃を受けた。(145) 12月23日 同日付の英紙タイムズは、英軍が、サマワを州都とするムサンナ州等2州で日常パトロールを中止する当撤退に向けて活動態勢を変更したと報じた(146) 27日 米軍がイラク北部の村を爆撃し、イラク人10人を殺害した(147) 30日 サマワで反米指導者サドル師派の礼拝があり、「占領軍」に対し、同派事務所に近寄るなと警告した(148) |
2006年 |
1月1日〜2日 バグダッドで3時間のうちに計13台の自動車爆弾攻撃があるなど、イラク各地で武装勢力による攻撃が相次ぎ、計27人が死亡した(149) 3日 ジャーナリストの権利を守るために活動する非営利団体「ジャーナリスト保護委員会」は、同日、2005年の1年間で、イラク戦争で死亡したジャーナリストは22人、2003年の開戦からの累計では60人に達し、過去四半世紀の紛争で最もジャーナリストの死亡者の多い戦争となったと発表した(150) 4日 イラク中部バクバ近郊で自爆テロがあり、36人が死亡、40人が負傷した。また、同日、バグダッドでも2件の自動車爆弾で計11人が死亡し、バグダッド北方でも燃料輸送車の車列が襲撃され車両20台が破壊された(151) 5日 イラク各地で自爆テロが続発し、合計110人以上が死亡、100人以上が負傷した 7日 同日深夜、イラク北部で米軍ヘリが墜落し、乗員12人全員が死亡した。また、中西部では、7日及び8日の2日間で武装勢力の攻撃によって米兵計8名が死亡した(153) 16日 バグダッド北方で米軍ヘリが墜落し、乗員二名の安否が不明となった。ロイター通信は、この件につき、武装勢力のロケット弾で撃墜されたとの目撃情報もあると報じた(155) 19日 バグダッド中心部で爆弾テロが相次いで起こり、少なくとも計25人が死亡、36人が負傷した。また、同日、イラク警察は、17日にバグダッド北方で24人が武装勢力に殺害された可能性があるという情報を明らかにした(156) 21日 サマワで英軍とイラク警察が武装勢力と銃撃戦となり、市民1名が死亡した(157) 30日 同日、政府筋が、サマワ駐留陸自が3月中旬から撤退を開始する方針であると明らかにした( 159) 2月2日 バグダッドの市場などで2台の車爆弾が爆発、少なくとも10人が死亡、50人以上が負傷した。同日、バグダッド南方で米軍兵士3人が路上爆弾攻撃で死亡するなど、1日で米軍兵士5名が死亡した。また、同日、バグダッド東部で米軍ヘリが銃撃を受けたのに対抗してロケット弾を発射し、20歳のイラク人女性が死亡した(160) 5日 同日付の英紙は、英政府筋の話として、サマワ駐留英軍が5月に撤退完了と報じた(161) 9日 同日、クウェートのテレビが、イラクで拉致された米国人記者の映像を放映した(162) 20日 サマワの陸自宿営地から数キロ離れた地点で爆発音がした(163) 21日 バグダッド南部で車爆弾により市民ら少なくとも22人が死亡、30人が負傷した(164) 22日 中部サマラでイスラム教シーア派の聖地「アスカリ聖廟」が爆破され崩壊した。その後、イラク各地で大規模デモやスンニ派モスクへの襲撃が連発した(165) 23日 前日のシーア派聖廟爆破事件以後、イラク各地で宗派間の争いが多発し、同日までに130人以上が死亡した(166)。このように治安が悪化していることを受けて、23日夜、バグダッド及び近郊3州において24日午後4時まで昼夜問わず外出を禁止する旨の外出禁止令が発令された(168)。 また、同日、サマワの陸自宿営地近くで迫撃砲弾やTNT火薬が「イスラム軍」と記された箱に入っているのが発見されたほか、サマワ中心部の州政府庁舎付近にロケット弾が打ち込まれた(167) 26日 同日朝、サマワのムサンナ州政府庁舎近くにロケット弾が撃ち込まれた(169)。同日、バグダッド南部の人口密集地区で迫撃弾少なくとも11発が撃ち込まれ15人が死亡するなど、各地で銃撃等が連発し、イラク人及び米兵の計29人が死亡した(170) 27日 バグダッドのスンニ派モスク近くで爆弾二個が爆発し、4人が死亡、15人が負傷した(171)。また、同日、米紙ワシントンポスト(電子版)は、22日にイラク中部サマラで発生したシーア派聖廟爆破事件以降の衝突や拉致による死者は1300人以上に上ると報じた(172) 28日 バグダッド北部のシーア派モスクと聖廟で車爆弾による爆発が相次ぎ、24人が死亡、65人が負傷するなど、イラク各地でテロが頻発し、一日で少なくとも68人が死亡した(173、174) 3月1日 バグダッドで少なくとも23人が死亡する車爆弾テロが発生するなど、各地でテロが相次ぎ、少なくとも29人が死亡した(175) 2日 同日、イラク警察幹部は、内務省が拘束した男が、2004年10月にイラクで日本人の幸田証生さんが拉致殺害された事件の実行犯であり、陸自撤退拒否が殺害動機であると自供したと明らかにした(176) 6日 イラク中部バクバで車爆弾により6人が死亡20人が負傷するなど各地でテロや攻撃が相次ぎ、合計14人が死亡した(178)。また、同日夜、サマワ所在の、日本友好協会の元会長の兄弟宅に手投げ弾が投げ込まれた(179) 8日 7日から8日にかけて、バグダッド周辺で、24人の絞殺体及び射殺体が発見された。また、8日、バグダッド及びその近郊で爆弾テロにより計4人が死亡した。さらに、同日、バグダッド東部で武装勢力が警備会社に押し入り、従業員約50人を人質にした(181) 10日 イラク中部ファルージャで自爆テロが発生し11人が死亡したほか、サマラでも2件の車爆弾テロで3名が死亡した(183) 12日 バグダッド北東部サドルシティーの市場2カ所で車爆弾6台による同時テロが発生し46人が死亡、200人以上が負傷した。バグダッドでは同日、この他にも複数のテロがあり少なくとも10人が死亡した(184) 15日 13日から15日にかけて、バグダッドなどで、殺害・遺棄された少なくとも85体の遺体が発見された(185)。また、同日、イラク中部バラド近郊で、米軍が過激はに対する摘発作戦を実行した際、民家にいた子供5人を含む一家11人を殺害したと報じられた(186) 16日 米軍が中部サマラ近郊で大規模作戦を行ない、17日までに武装勢力約50人を拘束した(187、190)。また、バグダッドでは15日から16日にかけて、殺害・遺棄された27体の遺体が発見された(187) 23日 バグダッド中心部の警察施設に車爆弾攻撃があり少なくとも25人が死亡、35人以上が負傷するなど、イラク各地で車爆弾等によるテロや攻撃が相次ぎ、少なくとも56人が死亡した(192) 26日 中部ナジャフでイスラム教シーア派の反米指導者サドル師宅付近に迫撃砲が撃ち込まれ、付近の護衛と子供の2人が負傷した。また、同日、南部バスラの学校前で爆弾が爆発し13歳の少年が死亡したほか、同日までに首を切断された多数の遺体が発見されるなど、新たに53人が死亡した(193) 29日 サマワ中心部の州政府庁舎近くにロケット弾2発が撃ち込まれた(194) 4月6日 中部ナジャフでシーア派聖廟付近での車爆弾攻撃で13人が死亡した(196) 7日 バグダッド北部のシーア派モスクで連続自爆テロがあり、69人が死亡、130人が負傷した(196) 4月12日 中部バクバ近郊のシーア派モスク近くで、車爆弾が爆発し、少なくとも26人が死亡、70人が負傷した(200) 13日 13日から14日にかけ爆弾テロ・拉致・殺人事件などが相次ぎ、両日で50人以上が死亡した(202) 16日 バグダッドなどで爆弾の爆発が2件あり、少なくとも計13人が死亡したほか、イラク各地で16日、爆弾の爆発やバスなどの襲撃が相次ぎ、少なくとも25人が死亡した(204、205) 22日 同日、バグダッド南方の2か所で仕掛け爆弾が爆発し、米兵5人が死亡、また、殺害、遺棄された遺体の発見も相次ぎ、首都などで拷問を受けて殺された12遺体が見つかった、一方、中部ラマディでは、同日、米軍とイラク軍が武装勢力4人を殺害、中部ムクダディヤでは連続爆弾テロで2人が死亡、首都では警官と市民が射殺された(211) 23日 バグダッド北西の道路に仕掛けられた爆弾で米兵3人が死亡した。同日、首都中心部で迫撃弾かロケット弾によると見られる爆発が11件あり、7人が死亡、8人が負傷した。また、首都の2か所で計8遺体がみつかった(211) 26日 武装勢力「アンサール・スンナ軍」を名乗るグループは、同日、米軍と関係のある会社で働いていたとして、アラブ系男性3名を殺害した映像をウェブサイト上で公開した(213) 27日 イラク副大統領の妹がバグダッド南西部で銃撃され、殺害されたほか、同日、サマワ南東約100キロの南部ナシリヤのイタリア軍基地近くで爆弾が爆発し、イタリア兵3人とルーマニア兵1人が死亡した。また、イラク中部バクバでは、武装勢力が警察やイラク軍施設を襲撃してイラク軍との間で戦闘となり、30人が死亡した(214, 215) 5月2日〜3日 ファルージャの警察署で自爆テロが起き15人が死亡、30人が負傷するなど、2日から3日にかけてのイラク国内でのテロ等の死者が52人に達した(221) 6日 イラク南部バスラ中心部で英軍ヘリが墜落して英兵5人が死亡した(222、226) 7日 バグダッドとシーア派聖地カルバラで相次いで車爆弾が爆発し計30人が死亡した。カルバラでは同日午前にも車爆弾で21人が死亡、バグダッドのスンニ派地区でも車爆弾でイラク兵8人死亡、首都北部でも同様の爆発でイラク兵1名死亡、負傷者は上記3件で70人を超えた。また、首都では6日から7日にかけて、拷問の末に銃殺されるなどした42遺体が見つかった。さらに、同日、首都北部のモスクの地下で爆発があり、武装勢力と見られる1人が死亡、2人が負傷した(222、223) 8日 イラクで爆弾事件や殺害されたと見られる遺体の発見が相次ぎ、少なくとも34人の死亡が確認された(226) 9日 イラク北部タルアファルの市場で、トラックを使った自爆テロがあり、買い物客ら少なくとも17人が死亡、35人が負傷した。また、このほかにもイラク各地で計17人の遺体が見つかったほか、銃撃爆弾で計7人の死亡が確認された(227) 12日 サマワで、警備会社の警備員が運転する陸自契約車両が、道路脇の爆発物の爆破で破損した(228) 13日 同日未明、サマワで、ロケット弾や自動小銃等で武装した武装グループが警察の建物や検問所、パトカーなどを一斉に襲撃、応戦した警察と銃撃戦となり、流れ弾で子供1人が負傷した(229) 14日 13日から14日にかけ、イラク各地で少なくとも13件のテロがあり、少なくとも41人が死亡した。また、14日、バグダッド南西で米軍ヘリが武装勢力に撃墜され米兵2人が死亡したほか、首都と中西部アンバル州で米兵4人が殺害された(230, 231) 18日 イラク各地で爆弾テロや襲撃が相次ぎ、少なくとも23人が死亡したほか、中部バクバでは、スンニ派聖廟が爆破された(232) 20日 バグダッド北東部サドルシティーで爆弾テロがあり19人が死亡、58人が負傷した。また、西部カイムでも同日、警察署内で自爆テロがあり、警官5人が死亡、10人が負傷した(234) 24日 サマワのあるムサンナ州で電力省事務所職員が誘拐された(236) 29日 バグダッド中心部で車爆弾が爆発し、米軍に同行していた米テレビ局スタッフ2人が死亡、1人が重体となったほか、米兵1人と米軍に雇われたイラク人1人も死亡、米兵6人が負傷した。また、この他にも、イラク各地で爆弾テロなどが相次ぎ、計37人が殺害された(240, 241) 30日 イラク各地で、市場での爆弾テロなどが相次ぎ、計54人が死亡した(242) 31日 サマワ中心部で移動中の陸自・豪軍の車列近くで爆発があり、豪軍車両1台が破損した。また、中部サマラで、車で病院に向かっていた女性2人が米軍の発砲で殺害された(245, 246) 6月3日 バグダッドでロシア人外交官らが武装集団に襲撃され、1人が殺害され、4人が拉致された(250) 4日 バグダッド北方で武装勢力がバスに乗っていた民間人24人を射殺した。また、同日、バスラのスンニ派組織は、治安当局がモスク内で非武装の12人を殺害したと発表した。サマワ中心部では、市民デモが暴徒化し、17人が負傷した(251, 252) 5日 バグダッド中心部で、武装集団が複数の旅行代理店などを一斉に襲撃し従業員ら約50人を拉致し逃走した。また、各地でバスなどを狙った銃撃事件などが相次ぎ、26人が死亡したほか、バグダッド南部では武装集団が通学バスを停車させて銃撃し、学生ら11人が死亡、西部ラマディでは迫撃弾が民家を直撃し、5人が死亡した(253) 6日 首都北方バクバ近郊で9人の遺体(頭部)が見つかったほか、全土で少なくとも計30人の死亡が確認された(254) 13日 車爆弾テロや自爆テロが相次ぎ、警官ら少なくとも16人が死亡した(262) 16日 バグダッドで、イスラム教シーア派のモスクで礼拝中に自爆テロがあり、少なくとも10人が死亡、25人が負傷したほか、首都で、迫撃砲が民家を直撃、3人が死亡した(264)。また、イラク中部で米兵2人が武装勢力に拉致され、19日に遺体で発見された(268, 272) 18日 サマワの英豪軍宿営地近くに迫撃弾1発が着弾した。また、首都周辺では、パン屋から10人が武装勢力に拉致されたほか、迫撃弾攻撃で4人が死亡、また、女性を含む17人の射殺体も見つかった(267、268) 19日 バグダッドで、イラク軍が車爆弾で狙われ5人が死亡、9人が負傷したほか、中部カルバラや北部モスルなどでも警官やイラク兵ら計5人が射殺された(269) 20日 イラク各地で市場などを狙った爆弾テロが相次ぎ、少なくとも計20人が死亡した(272) 21日 イラクのフセイン元大統領の弁護士が殺害された(276) 23日 イラク中部タージで、労働者少なくとも80人が武装勢力に拉致された(277) 25日 サマワ中心部で、25日、州評議会元議長宅に爆弾が投げ込まれた(282) 26日 武装勢力に拉致されたロシア大使館員4人が殺害されたとの声明がだされ、一部の殺害場面のビデオ映像も公開された。また、中部バクバ近郊等で2件の爆弾テロがあり計25人が死亡した。この他に各地で武装勢力の攻撃があり32人が死亡し、合計57人が死亡した(282, 283) 29日 サマワで、陸自の無人ヘリが墜落した(285) 7月1日 バグダッド北東部サドルシティーで、車爆弾によるテロがあり、少なくとも71人が死亡、125人が負傷した(286) 2日 サマワの英豪宿営地で大きな爆発音があり、警察当局者は、ロケット弾少なくとも3発の着弾の可能性があると発表した(289) 7月3日 サマワの中心部のスンニ派モスクと地元ムサンナ州評議会議員の自宅で相次いで爆発があった(290) 7月4日 サマワを州都とするムサンナ州のハッサン知事が、相次ぐデモの暴徒化を誘発した責任をとって辞任を発表した。また、同日、バグダッド東部で電力副大臣を含む20人が武装勢力に拉致された(291) 7月7日 サマワの英豪軍宿営地付近で迫撃砲弾3発が着弾し爆発した(293) 7月9日 バグダッド西部の住宅地で、シーア派武装勢力がスンニ派住民を銃撃し、女性や子供を含む42人を殺害した。この数時間後には、首都北東部のシーア派モスク付近で2台の車爆弾が爆発し19名が死亡した(294) 7月12日 深夜、サマワで迫撃砲1発と見られる爆発音が起き、陸自宿営地近くでも爆発音が聞こえた(296) 7月16日 北部キルクーク近郊でシーア派モスク近くで自爆テロがありシーア派住民ら26人が死亡した(300) 7月17日 バグダッド南方にあるマハムディヤの市場で車爆弾や銃撃によるテロがあり50人以上が死亡した(300) 7月18日 イラク中部クーファでシーア派の労働者らをねらった自爆テロがあり、59人が死亡、130人以上が負傷した(301) 7月23日 バグダッド北東部のシーア派地区サドルシティーの市場で車爆弾テロがあり、買い物客ら40人が死亡、80人以上が負傷した。また、同日、北部キルクークでも車爆弾テロがあり、20人が死亡した(302) 7月27日 バグダッド中心部で複数の迫撃弾と自動車爆弾によるテロが起き、少なくとも31人が死亡、150人以上が負傷した。また、首都西部のスンニ派モスクでは武装集団が車の中から発砲し警備担当者4人が死亡した(304) 7月31日 バグダッドで武装集団がイラク人26人を拉致したほか、全土で少なくとも30人が殺害された(306)。また、同日、航空自衛隊は、陸自撤退後の任務拡大で、C130輸送機を治安が不安定なバグダッドに初めて乗り入れさせ、多国籍軍兵士らを輸送した(305) 8月1日 イラク北部バイジ近郊で、イラク軍兵士らの乗ったバスが路上爆弾で爆破され24人が死亡、バグダッドでも車爆弾で14人が死亡するなど各地で攻撃やテロが相次ぎ、各地で少なくとも合計70人が死亡した(307, 308)。また、同日、中部ナジャフ州知事は、スンニ派地域で45人の住民が拉致されたと述べた(308) 8月2日 バグダッド西部シーア派地区のサッカー場で、爆弾2発が爆発し、選手や観客計11人が死亡した。同日、別のシーア派地域では迫撃弾2発が着弾し、15歳以下の3人が死亡した。この他、同日、イラク全土で、米兵2人を含む42人が死亡した(309) 8月3日 同日、中東などを担当する米中央軍の司令官は、上院公聴会で、イラクの宗派対立の悪化により内戦のおそれがあると証言した(310) 8月8日 バグダッド中心部で道路に仕掛けられた計5発の爆弾が爆発し少なくとも20人が死亡、50人以上が負傷した(314) 8月10日 イラク中部ナジャフのシーア派聖地、イマーム・アリ廟の入口付近で自爆テロがあり少なくとも35人が死亡、90人以上が負傷した。また同日バグダッド南部の食堂で爆弾が爆発し6人が死亡、4人が負傷した(315) 8月13日 同日夜、バグダッド南部でシーア派地区を狙ったロケット弾と車爆弾などによる連続テロがあり、アパートが崩壊するなどして少なくとも47人が死亡、140人以上が負傷した(316) 8月20日 バグダッド北部の複数の場所でシーア派巡礼者が銃撃され少なくとも20人以上が死亡、パニック状態に陥った人々が転倒するなどして300人以上が負傷した(317) 8月26日 首都バグダッド各地で、拷問の跡が残る計20人の銃殺体が発見された(318) 8月27日 バグダッド中心部で小型バスに仕掛けられた爆弾が爆発し9人が死亡するなど、首都で2件の爆弾テロがあり、合計16人が死亡した。バグダッド北方でも武装勢力が市場で銃を乱射し少なくとも16人が死亡、25人が負傷した。北部キルクークと南部バスラでも爆弾テロが相次ぎ16人が死亡、29人が負傷した。ロイター通信の集計では同日の死者は約60人に達した(318, 319) 8月28日 イラク中部で油送管が爆発し、少なくとも34人が死亡40人以上が負傷した(320) 8月29日 バグダッドで拷問の跡がある計24遺体が発見された(320) 8月30日 バグダッド中心部の市場で爆発があり24人が死亡、35人が負傷するなど各地でテロが相次ぎ、全土で少なくとも52人が死亡した。またサマワでは同日、失業者のデモが暴徒化し州政府庁舎に投石するなどして多数が負傷した(321) 8月31日 バグダッドのシーア派地区にロケット弾が打ち込まれるなどして67人が死亡、負傷者は300人に達した(322、323) 9月1日 米国防総省は、1日までに、イラクが内戦の危機にある旨の報告書を議会に提出した(324) 9月2日 イラク中部にあるシーア派聖地へ巡礼に向かっていたパキスタン人ら14人が武装勢力に殺害された(325) 9月3日 バグダッド西部で、サッカー選手がイラク軍の制服を着たグループに拉致された(326) 9月4日 バグダッド市内数カ所で、両手足を縛られた拷問の跡がある計33遺体が発見された。また、南部バスラ近郊では同日、英軍部隊が爆弾攻撃を受け英兵2人が死亡、1人が負傷した。3日から4日にかけては、中西部アンバル州と首都北方で米兵4人が爆弾などで死亡した。中部クートでも頭と胸を打ち抜かれた2人の遺体が発見された(327) 9月8日 2004年9月にサマワ中心部に建設され同年10月に爆破された日本との友好記念碑に、8日までにシーア派反米指導者サドル師の肖像の大看板が掲げられた(328) 9月13日 13日には首都で警察官などを狙った爆弾テロが相次ぎ少なくとも32人が死亡した。中部ファルージャでは米軍と武装勢力の交戦に通行人が巻き込まれ2人が死亡した。また、12日から13日にかけて、バグダッド近郊で拷問後殺害されたと見られる計65体の遺体が見つかった(329) 9月15日 14日から15日にかけて、バグダッド各地で拷問後殺害されたとみられる計49遺体が見つかった(330) 9月17日 北部キルクークでトラックに積んだ爆弾によるテロなどで少なくとも23人が死亡、60人以上が負傷した(331) 9月18日 イラク北部の市場で爆弾テロが起こるなど全土でテロが相次ぎ合計の死者数は少なくとも54人に達した。同日、国連のアナン事務総長は国連本部で演説し、「イラクは全面的内戦に突入し瓦解する危機にある」と警告した(332) 9月19日 中部ラマディで19日までにイラク人記者1名が殺害された。ニューヨークに本部を置く非営利団体によると、2003年3月のイラク戦争開戦後にイラクで死亡した記者は80人に達した(333) 9月20日 中部サマラで自爆テロがあり少なくとも10人が死亡し、30人以上が負傷、バグダッド南方の警察施設でも、同日、爆弾テロが起き7人が死亡した。これらを含め前日からイラク各地でのテロで合計60人以上が死亡した(335) 9月23日 バグダッドのシーア派地区サドルシティーで爆弾テロがあり少なくとも33人が死亡、40人が負傷した(336) 9月24日 武装勢力「イラク・イスラム戦士評議会」は24日までに、イラク中部で拉致し殺害した米兵2人の遺体に火を放つ映像をウェブサイト上で公開した(337) 9月28日 フセイン元大統領を裁くイラク高等法廷の裁判長の親族がバグダッドで殺害された(339) 10月2日 バグダッド北西部で米兵8人が爆弾などによる攻撃で死亡した(340) 10月3日 イラク全土で民間人ら30人以上が自爆テロ等で死亡した(340)。また、3日、サマワで警察の内紛が起き警察署や検問所が襲撃された。さらに、同日、イラクのイスラム教スンニ派武装勢力アンサール・スンナ軍が、シーア派反米指導者サドル師のいとこを殺害したと発表した(341) 10月4日 サマワで4日夜、武装集団が民家を襲撃し、女児ら4人を殺害した(343) 10月5日 米国のライス国務長官がバグダッドを予告無く訪問し、マリ記首相らと治安情勢について会談した。米報道官によれば、バグダッド空港周辺に砲撃があり、長官らを乗せた輸送機の到着が約35分遅れた(342) 10月13日 13日夜、バグダッド南部のテレビ局職員が走行中の車から銃撃されて死亡するなど、13日から14日午前にかけ、各地で相次いだ襲撃等により計20人以上が死亡した。まら、同日、バグダッド北方では、首を切断された約20人の遺体が相次いで見つかった (346) 10月16日 バグダッド北方でシーア派の葬儀会場で、宗派対立によると見られる2台の車爆弾が爆発し、15人が死亡、数十人が負傷した。中部ラティフィヤでは同日早朝、軍の制服を着た集団が民家を襲撃、シーア派の家族8人を射殺した。また首都西部ではフセイン元大統領の公判の主任検察官の兄弟が射殺された(348)。また、同日付の米CNNの報道によると、イラク駐留多国籍軍の死者が16日で3000人に達したと報じた(349) 10月17日 バグダッドなどでの武装勢力による攻撃で17日だけで米兵9人が死亡した(350) 10月19日 北部モスルの警察署近くで燃料を積んだタンクローリーを使った自爆テロがあり、市民ら少なくとも11人が死亡した。また、同市内の別の警察署を狙った迫撃弾攻撃でも計9人が死亡、北部キルクークでも爆弾テロがあり8人が死亡した(351) 10月20日 南部アマラでイスラム教シーア派反米指導者サドル師派の民兵が警察署などを襲撃、市街地を一時占拠した。その際の戦闘で民兵や警官ら少なくとも15人が死亡、警察署3箇所が倒壊した(352) 10月21日 中西部アンバル州で21日米軍と武装勢力が戦闘になり米兵3人が死亡、同月の米兵死者は78人となった。また、中部マハムディヤの市場では同日、多数の迫撃弾等による攻撃があり、少なくとも18人が死亡、70人が負傷した(354) 10月22日 イラク中部バクバ付近で警察の新規採用者を乗せたバスを武装集団が襲撃し、少なくとも 15人が死亡し25人が負傷したほか、全土でテロが続き、同日中に殺害された遺体で発見されたイラク人は44人に達した。また、イラク駐留米軍は同日、中西部アンバル州での戦闘などで米兵5人が死亡し、同月の米兵死者が83人に達したと発表した(355) 10月23日 バグダッド中心部で米兵1人が行方不明になり、米軍は拉致されたとみて捜索を開始した(356) 10月24日 中西部アンバル州での戦闘で海兵隊員2名が死亡し、同月の米兵死者は89人となった。また、同日、南部アマラでは警官2人が殺害された(356) 10月25日 中西部アンバル州で起きた戦闘により米兵5人が死亡した(359) 10月26日 バクバ近郊で武装集団が警察の車列を襲撃、警官8人が死亡したほか、少なくとも警官50人が行方不明となった。また、バクバ近郊の別の場所で警察特殊部隊の拠点が攻撃され、6人が死亡、10人が負傷した(359) 10月29日 イラク南部バスラで警官らを乗せたバスが襲われ17人が殺害されたほかテロ等が続発し、同日の死者は33人に上り、その他24人が遺体で見つかった(360)。また、中西部アンバル州での作戦中に負傷した米兵1人が29日に死亡し、駐留米軍の10月の死者は100人に達した(361) 10月31日 バグダッド北方で小型バスが武装集団に襲撃され、40人以上が行方不明となった。また、同日、バグダッドで結婚式の会場を狙った自爆テロがあり、子供4人を含む10人が死亡した(363) 11月5日 同日、バグダッドのイラク高等法廷で、人道に対する罪で起訴されていたフセイン元大統領に対し死刑判決が言い渡された(364-367)。イラク政府はフセイン元大統領の判決公判に対する妨害テロ対策として首都に外出禁止令を敷いた。同日、首都2箇所で迫撃弾攻撃があり計5人が死亡した(368)。フセイン元大統領に死刑判決が言い渡された後中部バクバで元大統領派と治安部隊が衝突し2人が死亡6人が負傷した。また、4日から5日にかけ中西部アンバル州で米兵3人が死亡した(369) 11月6日 イラク北部で米軍ヘリが墜落し2名が死亡した(369) 11月9日 バグダッドで爆弾テロが2件あり計16人が死亡したほか、各地でテロが相次ぎ同日だけで38人が死亡した。バグダッドの遺体安置所責任者はAP通信に対し、連日60人前後の遺体が運び込まれ、うち多数は身元が判明しないまま埋葬されていると語った(370)。また、同日、イラクのシャンマリ保健相は、2003年3月のイラク戦争開始後に死亡したイラク人が少なくとも15万人に上ると述べた(371) 11月11日 11日夜、首都南方の幹線道路でスンニ派武装組織がシーア派住民のマイクロバスを襲撃し10人を殺害、約50人を拉致した(372) 11月12日 バグダッドで警察の新規採用施設を狙った自爆テロがあり少なくとも35人が死亡50人が負傷した(372) 11月13日 13日夜までの24時間にバグダッドで46の遺体が発見された。また、同日、バグダッド東部の幹線道路に仕掛けられた爆弾で米兵2人が死亡するなどイラクで米兵4人が死亡した(374) 11月14日 バグダッドで武装集団が高等教育省の建物を襲撃し、幹部や研究員ら100〜150人が拉致された。また、中部ラマディでは13日夜から14日にかけての戦闘で少なくとも30人が死亡、バグダッド中心部では車爆弾の爆発で10人が死亡25人が負傷した(375) 11月15日 首都中心部のガソリンスタンドで車爆弾が爆発し9人が死亡33人が負傷した(376) 11月19日 イラク中部ヒッラーで自爆テロが起き22人が死亡44人が負傷するなど、イラク全土で同日に続発したテロで計約50人が死亡した(378) 11月23日 バグダッドでシーア派地区を狙った3件の連続爆弾テロがあり200人以上が死亡し、250人以上が負傷した。この後、同事件に対するシーア派の報復によりスンニ派住民が30人以上殺害された(380-382) 11月24日 中部ディヤラ州でシーア派住民の住宅が武装勢力に襲われ計21人が殺害されるなど、同日のイラク全土での宗派対立による死者数は87人に達した(383) 11月26日 ヨルダンのアブドラ国王は米ABCテレビの番組で、2007年にもイラク、レバノン、パレスチナの3地域が内戦に陥る可能性が高いと語った(385) 11月27日 米NBCテレビのニュース司会者は、治安悪化が加速するイラクの現状を「内戦」と表現した(390) 11月28日 イラン訪問中のイラクのタラバニ大統領は、イランの最高指導者ハメネイ師に対し、イラクの治安状況は政府の手に負えないところに来ていると述べた(389)。また、イラク副大統領は、イラクの治安状況につき、内戦に発展する可能性があると語り、イラク指導部の認識が「ほぼ内戦状態」との認識で一致していることが示された(393)。同日、ニューヨークタイムズ等の米主要紙がイラクの現状を「内戦」と位置づけていることが明らかとなった(391)。同日、中部ラマディで、米軍と武装勢力とが交戦し、イラク人男性1人と女性5人の遺体が発見された(393) 12月2日 バグダッド中心部のシーア派地区に近い商店街でで3件の連続爆弾テロが起こり51人が死亡、約90人が負傷した(395) 12月3日 同日付のアラブ紙は、陸自・英軍撤収後のサマワが民兵組織と治安部隊との衝突でゴーストタウン化したと報じた(396)。同日、中西部アンバル州で米軍ヘリが湖に緊急着水し米兵1人が死亡3人が行方不明になった他、2日から3日にかけイラクで米兵計9人が死亡した。また、3日、バグダッド各地で拷問の後がある計約50人の遺体が見つかった(397) 12月5日 バグダッド南部で3台の車爆弾が立て続けに爆発、16人が死亡、25人が負傷したほか、バグダッドでシーア派の宗教関係者が乗ったバスが武装集団の襲撃を受け15人が殺害された(398) 12月12日 朝、バグダッド中心部で同時爆弾テロが発生し、少なくとも71人が死亡、約150人が負傷した(401)。また米軍は12日、イラクで米兵5人が死亡したと発表した(403) 12月14日 バグダッド中心部で武装集団が商店主ら数十人を一斉に拉致した。また、首都西部のスンニ派地区では同日、シーア派の副大統領の車列が武装集団に襲撃された(404) 12月16日 バグダッド各地で16日、男性53人の銃殺体が発見された。また同日、首都南方の住宅地に3発の迫撃弾が着弾し4歳の女の子が死亡したほか同じ地区で路上の爆弾が爆発し1人が死亡した。さらに首都北方バクバでは民間人ら5人が武装勢力の銃撃で死亡、バクバ近郊では警察官1人が武装勢力の銃撃で死亡した(407) 12月17日 バグダッドで、武装集団がイラク赤新月社の事務所を襲撃、20〜30人が拉致された(406) 12月18日 同日のAP通信によると、米国防総省が治安悪化が極めて深刻化しているイラクで、同年8月中旬から11月までの米軍・イラク治安部隊・民間人に対する攻撃がイラク政府の主権回復後最悪レベルになったとする報告書を米議会に提出した(408) 12月24日 サマワ近郊でシーア派民兵組織マハディ軍と警察部隊が銃撃戦を展開、警官3人が死亡した。サマワでは22日から警察とマハディ軍とが衝突し断続的に銃声などが聞こえている(411) 12月25日 イラク駐留英軍は25日、南部バスラの警察署の被拘束者が数日中に所携されるとの情報を得て処刑阻止のため同署を急襲し拘束中の76人全員を別施設に移し同署を破壊した。バグダッドでは複数の自爆テロで12人が死亡35人が負傷した。中部ラマディの警察検問所付近でも自爆テロがあり、警察官3人が死亡、3人が負傷した(412) 12月26日 26日、フセイン元大統領の死刑が確定した(413)。バグダッド西部で3台の自動車爆弾による連続テロが起き、少なくとも25人が死亡55人が負傷した。また首都東部近郊で道路に仕掛けられた爆弾により警察官4人が死亡12人が負傷した。北部キルクークでも同様の爆弾攻撃で民間人3人が死亡6人が負傷した(415)。また、AP通信は26日、独自集計の結果として、2003年3月のイラク戦争開戦以来のイラクでの米兵死者数が2978人となり9.11同時多発テロの犠牲者数を超えたと報じた(414) 12月28日 イラク駐留米軍は28日、米兵2名が死亡し、イラクでの12月の米兵死者数が100人に達したと発表した(417) 12月30日 死刑判決が確定してからわずか4日でフセイン元大統領の死刑が執行された(418-420)。フセイン大統領の死刑執行後、イスラム教シーア派の聖地の一つである中部クーファの市場で爆弾テロがあり、31人が死亡し少なくとも58人が負傷した。バグダッドでも車爆弾テロで15人が死亡した。いずれも死刑執行の数時間後に起きた。また、30日までに中西部アンバル州の戦闘などで海兵隊員ら計5人の米兵が死亡し、122月の米兵死者は108人になった(421) |
2007年 |
1月5日 バグダッド在住のAP通信スタッフが射殺体で発見された(423) 1月6日 イラク軍は6日夜、バグダッドでスンニ派武装勢力の拠点を急襲、銃撃戦で武装勢力30人を殺害し8人を拘束した。また7日、バグダッド中心部への迫撃弾攻撃により民間人4人が死亡するなど全土で14人が死亡、6日にも同市内で拷問の跡が残る27人の遺体が見つかるなど宗派対立によると見られる殺戮が続いた。またイラク軍はスンニ派武装勢力の拠点を急襲、30人を殺害した(424) 1月8日 8日のワシントンポストは、イラクの内戦状態の激化により、2006年下半期のイラク市民や警察官の死者が1万7310人になり、上半期の5640人に比べて3倍以上に増えたと報じた(425) 1月9日 バグダッド北方バラド近郊の空港で輸送機が墜落、トルコの建設会社から派遣された労働者約30人が死亡した。また、バグダッド中心部スンニ派地域での掃討作戦で駐留米軍の支援を受けたイラク軍が武装勢力約50人を殺害、21人を拘束した(426) 1月10日 中西部アンバル州で巡礼帰りのシーア派教徒が乗ったバス列に向けて武装勢力が銃撃、少なくとも11人が死亡14人が負傷した(427)。また、同日夜、ブッシュ大統領は、テレビ演説で、イラクに2万2000人の兵力を増派し、同年11月までにイラク全土の治安権限をイラク側に委譲することを目標とすることなどを含めた新政策を発表した(428) 1月16日 バグダッド中心部のオートバイ市場と首都東部の大学近くで車爆弾によるテロが相次ぎ、124人が死亡、180人以上が負傷した。(430、431、433) 1月17日 バグダッドで5件の自動車爆弾テロが起きたほか銃撃事件も発生し、合計19人が死亡、50人以上が負傷した。また、イラクのマリキ首相は、民兵組織マハディ軍のメンバー400人を拘束したと述べた。(434) 1月20日 バグダッド北東部で米軍ヘリコプラーが墜落し搭乗していた12人が死亡するなど、同日の米兵の死者が19人にのぼり、一日の死者数としては増派後最悪となった。(435) 1月22日 バグダッド中心部の市場でほぼ同時に2台の自動車爆弾が爆発するテロがあり、少なくとも78人が死亡、150人以上が負傷し、ブッシュ大統領がイラク新政策を発表して以来、一カ所のテロとしては最悪の犠牲者数になった。イラク中部ディヤラ州の州都バクバのサンジャリ市長が、イスラム教スンニ派とみられれる武装勢力に事務所から拉致され、事務所も爆破された。(437、438) 1月25日 25日夕、バグダッド中心部体地区の市場や首都の道路脇などで爆発が相次ぎ、28人が死亡した。(443) 1月26日 バクダッドの動物市場で爆発があり15人が死亡、55人が負傷した。北部モスル郊外のイスラム教シーア派のモスクでも自爆テロがあり、7人が死亡、17人以上が負傷した。(444) 1月28日 ナジャフ近郊で、イラク軍と駐留米軍の合同部隊が武装勢力と激しい戦闘を展開し、ロイター通信は、イラク治安当局らが武装勢力側の約250人を殺害したと述べたと報じた。米軍ヘリ1機も墜落し、米兵2人が死亡した。同戦闘については、29日、イラク国防省報道官が、武装勢力の戦闘員200人を殺害し、120人を拘束したと発表した。(446、448) 1月30日 イスラム教シーア派最大の宗教行事アシュラが最高潮に達したイラク各地のシーア派モスク付近でシーア派住民を狙ったとみられるテロが相次ぎ、合計40人以上が死亡した。(449) 2月1日 1日、ロイター通信は、イラク国内のテロなどで犠牲になった一月の民間人死者が1971人に達したと報じた。昨年12月の1930人を上回り過去最悪。この日も、バグダッドなどで自爆テロや住宅地を狙った迫撃弾攻撃が相次ぎ、少なくとも15人の死亡が新たに確認された。また、イラク中部ヒッラーの市場で、少なくとも2件の自爆テロがほぼ同時に起き、付近にいた買い物客ら61人が死亡、約150人が負傷した。イラク国内では、同日、路上などに放置された30人の遺体も新たに見つかった。(450、452) 2月2日 バグダッド北方のタジ近郊で、米軍ヘリコプターが墜落、搭乗していた2人が死亡した。同日、米政府は、CIAなど16の情報機関がイラク情勢についてまとめた機密報告書の要約を公表した。同報告書は、現状を「内戦」と表現することが的確だと初めて認定した。(453, 454) 2月3日 バグダッドの中心部の市場で、トラックを使った自爆テロがあり、135人が死亡、負傷者は300人を超えた。(455、456) 2月5日 バグダッドで、爆弾テロなどで少なくとも29人が死亡した。(458) 2月7日 首都バグダッドの北西で米軍の輸送用ヘリが墜落、乗っていた7人全員が死亡した。米国のヘリの墜落は過去3週間で5機目。(464) 2月8日 8日、米軍とイラク治安部隊は、イラク保険省を捜索し、イスラム教シーア派反米指導者サドル師派のハキム・ザミリ次官を拘束した。同日、首都南方のシーア派地区にある野菜市場で自動車爆弾が爆発し17人が死亡、27人が負傷した。また、首都東部でも自動車爆弾で6人が死亡した。(466) 2月9日 米誤爆でクルド人民兵8人が死亡、6人が負傷した。(467) 2月11日 11日朝、イラク北部ティクリートの南東ダウルにある警察署でトラックを使った自爆テロがあり、警官ら少なくとも30人が死亡、50人が負傷した。(469) 2月12日 バグダッドで自動車爆弾などによるテロがあり、少なくとも90人が死亡、190人以上が負傷した。(470) 2月13日 バグダッド西部でトラックを使った自爆テロがあり、18人が死亡、40人が負傷した。(473) 2月18日 バグダッド東部で爆弾を積んだ車2台によるテロがあり、少なくとも55人が死亡、128人が死亡したほか、首都北東部のシーア派地区サドルシティーでも車爆弾が爆発し、少なくとも1人が死亡した。(477) 2月19日 バグダッド北方の米軍拠点に車爆弾などによる攻撃があり、米兵2人が死亡、17人が負傷した。また、同日、首都や中部ラマディなどでも車爆弾などによるテロや攻撃が相次ぎ、パトロール中の警官など26人が死亡した。(478) 2月20日 首都北方で塩素ガスを積んだトラックが爆発し少なくとも5人が死亡、140人が負傷した。(486) 2月21日 バグダッドで爆弾を積んだ車によるテロが2件続き、少なくとも11人が死亡した。南西部では、給油所に並んだ車の列近くで、自動車爆弾が爆発し、6人が死亡、14人が負傷した。南部では、野菜市場近くで車を使ったテロがあり5人が犠牲となった。首都北方では、路上に仕掛けられた爆弾が爆発、塩素系の薬剤を積んだトラックが被害を受け、2人が死亡、流出した薬剤の影響で住民ら150人が負うなどの症状を示し、病院で治療を受けた。さらに、中部ナジャフでも警察の検問所で自動車を使った自爆テロがあり、13人が死亡、40人以上が負傷した。(479, 484) 2月24日 首都西方スンニ派モスク近くの市場で燃料タンク車を使った爆弾テロがあり、女性や子供を含む52人が死亡、110人が負傷した。(488) 2月25日 バグダッドのシーア派地区にあるムスタンシリヤ大学で自爆テロがあり、学生ら40人が死亡、35人が負傷したほか、首都中心部の商業地区でも車爆弾テロがあり少なくとも1人が死亡した。また、AP通信によると、25日には首都のシーア派地区にも2発のロケット弾が撃ち込まれ、少なくとも10人が死亡した。(488) 2月26日 バグダッドにある公共事業省近くで自動車爆弾が爆発し、少なくとも10人が死亡、18人が負傷した。当時同省で会合に出席していたアブドルマハディ副大統領が軽傷を負い、病院に運ばれた。AP通信によると、爆発物はアブドルマハディ副大統領のいた場所からわずか2メートルの場所に仕掛けられていた。(490, 492) 2月27日 イラク中西部ラマディの遊び場で爆弾テロが発生し、子供12人と女性6人が死亡、30人が負傷した。ただし、イラク駐留米軍報道官はこれを否定した。(493、494) 3月5日 バグダッド中心部で自動車爆弾による自爆テロがあり、少なくとも26人が死亡、54人が負傷した。同日、バクダッド南部では、シーア派聖地カルバラに向かう巡礼者を武装集団が銃撃し、5人が死亡した。バグダッド西部では4日、銃撃を受けて死亡した20人の遺体が見つかった。一部の遺体には拷問を受けた痕跡があった。(495) 3月6日 イラク中部ヒッラーでシーア派巡礼者を標的にした自爆テロがあり、115人が死亡した。同日、バクダッド北方サラハディン州と東方ディヤラ州で作戦行動中の米兵が攻撃を受け、計9人が死亡した。イラク戦争開戦以来の米兵死者数は、3170人以上に上った。(496、497) 3月11日 バグダッドでシーア派巡礼者を乗せたトラックを狙った自爆テロがあり、少なくとも32人が死亡、20人以上が負傷した。このほかにも各地でテロが相次ぎ、同日計58人が死亡した。(502) 3月14日 イラク北部キルクーク近郊の市場で、自爆テロがあり少なくとも8人が死亡、25人が負傷した。バグダッド西部ではイラク軍の検問所に車を使った自爆攻撃があり、市民2人が死亡、4人が負傷した。(505) また、同日、 米国防総省は、イラクの治安情勢に関する報告書を公表し、民間人などに対する攻撃回数や犠牲者が2003年以来最悪レベルとなり、宗派対立や難民発生などは「内戦」に相当すると指摘した。(506) 3月16日 イラク中部ファルージャ郊外などで塩素ガスを積んだトラックによる自爆テロが3件発生し、警官2人が死亡、子供を含む市民計350人と米兵6人が負傷した。(509) 3月19日 イラク北部キルクークの数カ所で車爆弾などによる同時テロが発生。少なくとも12人が死亡、30人以上が負傷した。また、バグダッド中心のシーア派モスクでも、爆弾テロがあり、少なくとも8人が死亡、32人が負傷した。(513) 3月20日 バグダッド各地で、銃殺されるなどした32人の遺体が見つかった。(515) また、前年3月からの1年間で、テロなどにより死亡した民間のイラク人は26540人に達し、イラク戦争開戦以来最悪だったと報じられた。(512) 3月21日 イラク中西部ハディーサでイラク警察の車3台が12-14歳のイラク人少年の自転車を追い越そうとした際、少年が背負っていたリュックサックが爆発。少年は即死した。(525) 3月22日 藩基文国連事務総長とマリキ首相が共同記者会見を行っている最中、会場の首相府近くにロケット弾が着弾した。(516) 3月23日 自宅敷地内のモスクで金曜礼拝に参加していたイラクのゾバイ副首相が自爆テロ攻撃を受け、腹部や肩を負傷した。 イラク北部タルアファルの2カ所の市場で自動車爆弾が同時に爆発するテロがあり、少なくとも63人が死亡、約150人が負傷した。ほかにも各地でテロが相次ぎ、25人が死亡した。(517, 519) 3月28日 同日朝までに、武装集団がイラク北部タルアファルのスンニ派地区を襲撃し、50人以上が殺害された。(520) 3月29日 夕方、バグダッド北部の市場で犯人が自爆し、買い物をしていた女性や子供ら76人が死亡した。バグダッド北方のディヤラ州ハリスでは自動車を使った自爆テロが3件相次ぎ53人が死亡、103人が負傷した。(523) 4月2日 ロイター通信は、3月に宗派間の暴力やテロで死亡したイラクの民間人は2月より200人余り増え、1861人に上ったと報じた。(527) 4月5日 イラク南部バスラ西部で、道路に仕掛けられた爆弾で英兵4人とクウェート人の通訳1人が死亡した。同日、バグダッドで攻撃を受けた米兵3人が死亡した。また、バグダッド南方では、米軍のヘリコプターが武装勢力の銃撃を受け墜落し、乗員9人のうち4人が負傷した。(529) 4月7日 イラク中部ディヤラ州で米軍車両近くで爆発があり、米兵4人が死亡した。(532) 4月8日 イラク中部マハムディヤで、車爆弾が爆発し、付近の作業所などにいた少なくとも17人が死亡、20人以上が負傷した。(532) 4月12日 バグダッドにあるイラク連邦議会内の食堂で爆発があり、議員1人が死亡、議員やジャーナリストを含む約30人が負傷した。首都中心部の警備が厳重な米軍管理区域(グリーンゾーン)内に自爆犯が入り込んだのは極めて異例。(534、535、536)同日、イラク北部モスルで地元ラジオ局の女性ニュースキャスターが夫とともに遺体で見つかった。バグダッドでは爆弾により橋が破壊され、少なくとも10人が死亡した。また、バグダッド南部の米軍基地が攻撃を受け、米兵2人とイラク通訳2人が死亡した。(537、538) 4月13日 バグダッド南部で米兵1人が道路に仕掛けられた爆弾で死亡した。(538) 4月14日 シーア派聖地カルバラのバスターミナルで車爆弾テロがあり、33人が死亡、168人が負傷した。同日、バグダッド中心部のチグリス川に架かる橋でも車爆弾による自爆テロがあり、少なくとも10人が死亡、15人が負傷した。中部ファルージャでも路上爆弾攻撃を受けた米兵2人が死亡した。(538、541) 4月15日 バグダッド南部のシーア派地区にある市場で2台の車爆弾がほぼ同時に爆発するテロがあり、少なくとも18人が死亡、50人が負傷した。同日、バグダッド北西部など2カ所でバスの中での自爆テロなどで少なくとも計19人が死亡、26人が負傷した。(539) 4月16日 バグダッドとイラク中西部アンバル州での戦闘などで米兵計5人が死亡した。(541) 4月18日 グダッド中心部のシーア派地区にある商店街で停車中の車が爆発し、140人が死亡するなど、バグダッドで爆弾テロが続発し、合計約200人が死亡、100人以上が負傷した。(542, 543) 4月23日 バグダッドで警備が厳重な米軍管理区域(グリーンゾーン)近くのレストランで自爆テロがあり、少なくとも7人が死亡した。同日、イラン大使館近くで自動車爆弾が爆発、市民1人が死亡した。ディヤラ州の首都バグバの警察署で自動車爆弾が爆発、少なくとも10人が死亡した。北部モスル近郊のクルド民主党事務所前で車爆弾テロがあり、少なくとも10人が死亡した。ディヤラ州では駐留米軍のパトロール基地に対する自動車による自爆攻撃もあり、米兵9人が死亡、住民1人を含む21人が負傷した。(546, 547) 4月24日 イラク中部ラマディ郊外の警察の検問所で自爆犯がトラックを爆発させ、市民や警察ら少なくとも25人が死亡、44人が負傷した。同日、バクバ近郊のシーア派、スンニ派が混在する農村でも従を持ちイラク軍兵士を装った男ら約70人が5軒の民家を襲撃し、6人を射殺、15人を負傷させた。(550) 4月28日 イラク中部カルバラでシーア派の聖地イマーム・フセイン廟近くの商店街を狙ったとみられる自動車爆弾テロがあり、68人が死亡、180人が負傷した。(551) 4月30日 バグダッド北方ディヤラ州ハリスでシーア派の葬儀の参列者を狙ったとみられる自爆テロがあり、20人以上が死亡、35人以上が負傷した。(552) 5月6日 バグダッド西部の食料品市場近くで自動車爆弾を使ったテロがあり、35人が死亡、80人以上が負傷した。同日、イラクではテロが相次ぎ、全土で少なくともイラク人95人が殺害されたり、遺体でみつかった。(556) 5月7日 イラク中部ラマディ近郊で自動車爆弾を使った自爆テロが2件あり、女性や子供を含む計20人が死亡、40人以上が負傷した。(557) 5月9日 イラク北部キルクーク近郊で武装した男らが、車にのったイラク人ジャーナリスト3人と運転手の計4人を引きずり出し射殺した。同日、駐留米軍のヘリコプターが武装勢力を標的に空爆し2人を殺害したが、子供2人を含む市民5人が巻き添えで死亡した。また、クルド人自治区の中心都市アルビルでトラックによる自爆テロがあり、19人が死亡、80人が負傷した。(558, 559) 5月11日 バグダッドと近郊で橋を狙った爆弾テロ相次ぎ、計26人が死亡し60人以上が負傷した。10日、バグダッドと北部モスルでは銃で撃たれるなどした26人の遺体が見つかった。また、首都や近郊で攻撃を受けた駐留米軍兵士4人が死亡した。(561) 5月12日 バグダッドの南方マハムディヤ近郊でパトロール中の米兵7人とイラク人通訳1人の計8人が武装勢力の攻撃を受け、5人が死亡、3人が行方不明となっており、拉致された可能性がある。(562) 5月13日 イラク北部マハムールで、クルド自治政府のバルザニ議長率いるクルド民主党の事務所などが入った施設を狙った自爆テロがあり、50人が死亡、70人が負傷した。同日、バグダッドの市場近くでも自動車爆弾が爆発し、少なくとも17人が死亡、46人が負傷した。(563) 5月15日 イラク中部ディヤラ州のシーア派地区の市場で塩素ガスを積んだトラックが爆発し、45人が死亡、60人が負傷した。(569) 5月17日 駐留米軍のバグダッド南部でパトロール中の部隊が道路脇に仕掛けられた爆弾による攻撃を受け、米兵3人が死亡、1人が負傷した。2003年3月のイラク戦争開始以来、米兵の死者数は3400人を超えた。同日午後、バグダッドでは米ABCテレビのイラク人ジャーナリスト2人が乗った車が武装勢力の攻撃を受け、2人とも死亡した。(571) 5月19日 バグダッドでは19日から20日にかけ、爆弾を積んだ車によるテロが相次ぎ、少なくとも市民5人が死亡した。また、バグダッド西部では19日、路上に仕掛けた爆弾による攻撃で米兵ら7人が死亡した。(572) 5月20日 ラマディ北部でも警察の検問所付近で自爆犯が塩素ガスを積んだタンク車を爆発させ警官2人が死亡した。(572) 5月22日 イラク各地で起きた爆弾攻撃などで米兵9人が死亡した。(573) 5月23日 イラン国境に近いマンダリで爆発物を体に巻き付けた男が喫茶店に入り込んで自爆し、少なくとも20人が死亡、30人が負傷した。(573) 5月24日 ファルージャで武装勢力に射殺された男性の葬列を狙った爆弾テロがあり、少なくとも27人が死亡、30人以上が負傷した。同日、バグダッド北部のシーア派地区では、武装勢力が偽の検問所を設置して小型バスを停止させ、乗客11人を殺害、さらに犠牲者の遺体に爆弾を仕掛け、警察の現場到着後に起爆し、さらに2人が死亡した。(574) 5月28日 バグダッド中心部で自動車テロがあり24人が死亡、68人が負傷した。また、バグダッドの別の場所でも自動車爆弾テロがあり2人が死亡、9人が負傷した。さらに中部ディヤラ州で米軍ヘリが砲撃されるなどの攻撃を受け、米兵10人が死亡した。(579、580) 5月31日 中部ファルージャの警察施設で自爆テロがあり、25人が死亡、50人以上が負傷した。同日、バグダッド南西部でも武装グループが警官らを襲撃し警官1人が死亡、3人が負傷した。(581) 6月1日 ファルージャで米軍砲撃の巻添えで子供3人が死亡した。また首都バグダッド南西部の市場に迫撃弾4発が着弾、12人が死亡、40人が負傷した。バグダッド南郊でも迫撃弾で2人が死亡、4人が負傷した。(582) 6月3日 イラク駐留米軍は、3日、同月1日からの3日間で爆弾攻撃等により米兵合計14人が死亡したと発表した。(583) 6月4日 イラク過激派「イラク・イスラム国」は、4日、バグダッド南方で5月12日に拉致した米兵3人を全員殺害したと公表した。(584) 6月5日 5日深夜、ナジャフ郊外でシーア派聖職者が射殺されたほか、バグダッド北方のバイジで警察幹部が射殺された。(585) 6月6日 バグダッドで連続爆弾テロが起き少なくとも7人が死亡、25人が負傷した。(585) 6月8日 イラク各地で爆弾テロなどが相次ぎ、少なくとも計45人が死亡した。(586) 6月13日 13日午前、中部サマラでイスラム教シーア派聖地「アスカリ聖廟」が前年2月に続き再び爆破され崩壊した。政府は報復が懸念されるバグダッドに13日午後から無期限の外出禁止令を出した。(587) 6月14日 イラクで2月から5月の民間人犠牲者の数が一日平均100人を超え、2004年以来最悪の水準に達していることが判明した(588)。また、同日、前年5月に武装勢力に拉致されたテコンドーイラク代表チーム選手団43人の遺体が発見された。(589) 6月18日 イラク南部アマラなどでイスラム教シーア派民兵組織と駐留英軍・イラク警察との間で激しい戦闘があり、計44人が死亡、多数が負傷した。(590) 6月19日 午後、バグダッド中心部のシーア派モスク近くでトラックを使った車爆弾テロがあり、少なくとも78人が死亡、218人が負傷した。また、駐留米軍は19日未明、中部バクバ周辺でアルカイダ系のスンニ派外国人武装勢力を大将に1万人規模の兵力による軍事作戦を開始し、22人を殺害したと発表した。(592) 6月20日 内務省当局者は、20日、バグダッドのシーア派モスクで19日起きた爆弾テロの死者は87人、負傷者は214人となったと述べた。AP通信によると、バグダッド南部で、同日、2つのスンニ派モスクが爆破された。報復と見られる。一方、バグダッド東部に隣接するディヤラ州のバクバで19日未明から1万人規模の兵力を投入した米軍は20日も作戦を継続し、アルカイダ系組織の戦闘員30人以上を殺害した。米兵も1人死亡した。(594) 6月25日 バグダッドや北部バイジなどでホテルなどを標的にした自爆テロや攻撃が相次ぎ、計41人が死亡、129人が負傷した。(596) 6月28日 バグダッドで自動車爆弾などによるテロが相次ぎ、少なくとも34人が死亡した。バグダッド南東部のチグリス川土手では、首を切断された20歳から40歳までの男性20人の遺体が発見された。南部バスラでは道路に仕掛けられた爆弾で英兵3人が死亡、1人が負傷した。(597) 6月30日 中部ムクダディヤの警察施設外で自爆テロがあり少なくとも23人が死亡、17人が負傷した。また、イラク駐留米軍は30日、サドルシティーを急襲し、武装勢力26人を殺害、17人を拘束した。(599) 7月4日 イラクのバグダッドテレビは4日、同テレビの記者2人が6月に拉致・殺害されたことを明らかにした。また、4日、バグダッド北方のバイジで警察官を標的にしたと見られる自爆テロがあり7人が死亡、18人が負傷した。(600) 7月6日 中部ディヤラ州のシーア派クルド人の村で自爆テロがあり、22人が死亡した。また、駐留米軍によると、5日から6日にかけ、路上爆弾などで新たに米兵9人が死亡した。(601) 7月7日 イラク北部トゥズフルマト近郊の村にある市場で爆弾を積んだトラックによる自爆テロがあり、住民ら150人が死亡、250人が負傷し、5名が行方不明となった。また、バグダッドでイラク軍兵士を狙った自爆テロがあり、兵士ら6人が死亡した。(601, 603) 7月8日 バグダッド南方の道路でイラク軍のトラックに対し別のトラックを使った自爆テロがあり23人が死亡27人が負傷した。バグダッド中心部でも同日、車爆弾テロが相次ぎ、計8人が死亡、12人が負傷した。(603) 7月13日 イラク駐留米軍は13日、シーア派民兵と連携している疑いでイラク警察の中堅幹部を拘束する作戦中に戦闘となり、警官6人と民兵7人を殺害したと発表した。また、米軍は13日、バグダッド東部でシーア派民兵と銃撃戦になり、民兵9人とロイター通信のジャーナリストら2人が死亡したと発表した。(606) 7月16日 北部キルクークで16日、車を使った爆弾テロが3箇所で相次ぎ、少なくとも計86人が死亡、186人が負傷した。また、バグダッド北東部では16日、道路脇の仕掛け爆弾が爆発しイラク軍兵士5人が死亡した。(608) 7月25日 バグダッドでサッカーの祝勝中に車爆弾テロが2件発生し、少なくとも50人が死亡、130人以上が負傷した。(610) 7月26日 バグダッド中心部の市場で、爆弾を積んだトラックが爆発し、同時にロケット弾も撃ち込まれ、少なくとも28人が死亡し、95人が負傷した。また、同日、北部キルクークで車爆弾が爆発し、7人が死亡、40人以上が負傷した。中部ヒッラーでも道路脇の仕掛け爆弾で5人が死亡した。さらに、同日、米兵7人が中部ディヤラ州での作戦中に死亡した。(611) 7月31日 バグダッド東部で米軍部隊が仕掛け爆弾攻撃などを受け米兵4人が死亡、6人が負傷した。(612) 8月1日 バグダッドで車爆弾テロが3件相次いで発生し、計77人が死亡、110人以上が負傷した。(612) 8月6日 北部タルアファルのシーア派地区住宅密集地域でトラックを使った自爆テロがあり、少なくとも33人が死亡(うち16人は女性で他に子供も多く含まれていた)、50人以上が負傷した。また、バグダッドのシーア派地区で6日、路上爆弾が爆発、民間人9人が死亡、8人が負傷した。(613) 8月10日 北部キルクークの市場で自動車爆弾が爆発し11人が死亡、45人が負傷した。負傷者の多くは重体。また、バグダッド南方約20kmで米軍ヘリが墜落、米兵2人が負傷した。(614) 8月14日 イラク北部のカハタニヤで14日夜、燃料タンク車数台を使った同時自爆テロがあり、約500人が死亡、300人以上が負傷し、少なくとも30軒の家屋が破壊されたた。(616、617、618、620、622) 8月20日 陸自が駐留したサマワを州都とするムサンナ州のハッサン州知事が路上の仕掛け爆弾で暗殺された。運転手1人も死亡、護衛ら4人が負傷した。(621) 8月22日 イラク北部バイジの警察署で、タンクローリーを使った自爆テロがあり少なくとも27人が死亡、65人が負傷した。一方、北部で同日米軍ヘリが墜落し、米兵14人が死亡した。(622) 8月23日 中部ディヤラ州でスンニ派勢力間での戦闘が起き35人が死亡した。(625) 8月28日 シーア派聖地カルバラで巡礼者と警官隊との衝突が生じ、28日夜までに死者が計52人、負傷者は206人に上った。カルバラでの衝突後、バグダッドでもシーア派・スンニ派双方の民兵組織が衝突し5人が死亡、イスラム最高評議会の事務所が焼き討ちされた。(627) 9月2日 AP通信の集計によると、イラクで8月に死亡した民間人の数は7月の1760人を上回って1809人となり、米軍増派以降二番目に多い数字となった。(629) 9月8日 国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」は8日までに、イラク戦争開戦以来のメディア関係者の死者が200人になったと発表した。(631) 9月15日 バグダッド南西部の検問所近くで自爆テロがあり8人が死亡、15人が負傷した。(633) 9月16日 バグダッドで民間警備会社ブラックウォーター社が銃を乱射しイラク市民ら11人が死亡13人が負傷した事件が発生したことで、イラクで反発が拡がっており、イラクで軍事分野の民間異存が進んでいることも浮き彫りとなった。(634) 9月20日 米政府は20日までに、イラク難民の受入れ強化方針を決めた。ロイター通信によるとイラクでは米軍侵攻以降難民や国内避難民が400万人以上発生し、うち200万人がイラク国内で避難し、約220万人が隣国のシリアやヨルダンに逃れたとしている。(635) 10月9日 北部バイジで自動車爆弾が2箇所で爆発し、少なくとも計22人が死亡した。また、バグダッド中心部で9日、オーストラリア系民間警備会社の警備員が発砲し、イラク人女性2人が死亡した。(640、642) 10月13日 中部サマラで自爆テロがあり17人が死亡、27人が負傷した。(645) 10月14日 バグダッド北方の広場ではシーア派の聖廟に向かう途中の見にバスが路上爆弾の爆発に遭い10人が死亡、18人が負傷した。同日、中部イスカンダリヤで治安部隊と武装集団の衝突に巻き込まれた民間人4人が死亡したほか、中部ヒッラーでも民間人1人が射殺された。また、バグダッド近郊で取材活動をしていたワシントンポスト紙のイラク人記者が射殺された。(645、646) 10月21日 バグダッドのシーア派地区サドルシティーで米軍が空爆を行ない、乳児や女性を含む13人が死亡、69人が負傷した。(647) 10月23日 トルコ軍の戦闘機と地上部隊が21日から23日にかけ、イラク北部のクルド労働者党の拠点を攻撃し、34人を殺害した。(650) 10月24日 バグダッド北方のサマラ付近で、米軍ヘリが誤爆し、女性6人と子供3人を含む16人が死亡した。(649) 10月29日 バグダッド北方のバクバで29日、警察施設前で自爆テロが起き、警官30人が死亡、女性や子供を含む20人が負傷した。負傷者のうち7人は重体。(651) (末尾の括弧内の数字は、対応する甲3号証(新聞記事)の枝番号である) |
以上のとおり、イラク国内においてはアルカイダ系組織によるテロのみならず、シーア派とスンニ派の対立による攻撃や、あるいはシーア派民兵と米軍との戦闘も頻発し、トルコ軍も独立に向けて動き出したイラク国内のクルド人自治区に対して国境を越えて攻撃を行うようになるなど、不安定の度が増した。 テロ攻撃の方法も大規模化・巧妙化し、塩素ガスを積んだ車両を爆発させるなど、新戦術による被害も拡大した。 2007年8月14日にはイラク北部のカハタニヤで、燃料タンク車数台を使った同時自爆テロがあり、約500人が死亡、300人以上が負傷しするという、単独のテロとしては最大の被害を出すテロ攻撃も発生した。 このような状況下で、米軍は大幅増派を余儀なくされ、アメリカ政府も2007年2月以降、イラクの治安状況を「内戦」と認定するに至った(454、506) すなわち、イラクの治安状況は全土において「内戦」状態にあるのであり、イラク特措法に基づく航空自衛隊の派遣要件を満たしていないことはもはや明らかなのである。 |
第2 イラク派兵行為が憲法9条に違反すること
憲法9条1項は「国際紛争を解決する手段として」は「武力の行使」を絶対的に禁止することを規定する。 |
「輸送の対象物に制約があるわけではございませんが、武力の行使と一体化するような輸送協力は行い得ない、こういう考えを持っておりまして、現に戦闘が行われているような場所への武器弾薬の輸送は行い得ないのが当然」(傍点(※下線)部代理人注、1990年10月25日衆議院PKO特別委員会中山太郎外相答弁) |
ということである。 そして、今回の自衛隊イラク派遣についても日本政府はこの一体化論を採用し、自衛隊はイラクで他国の武力行使と一体化しないから海外派遣として憲法上許容されるとの解釈を試みている。 しかし、少なくとも上記のような事実関係に照らす限り、イラクでの自衛隊の活動が他国の武力行使と一体化しないと評価することなど有り得ない。 2 事実関係を直視すべきこと自衛隊がイラクへ派遣されているだけではなく、在日米軍再編を通じて米軍横田基地(東京都)に航空自衛隊司令部機能が移設する、米ワシントン州の米陸軍第一軍団司令部機能がキャンプ座間(神奈川県)への移設するなど自衛隊が米軍に吸収され一体化する事態が進行する中、防衛庁を防衛省とする法案が国会に提出されたり、自衛隊の海外派遣を恒久化し治安維持任務や警備任務を担当できるとする法案が与党内で具体的に検討されている状況にある。自衛隊イラク派遣は、それと同時に進められている自衛隊の軍隊化・アメリカ軍との一体化とも無関係ではあり得ない。そこで、今一度、派兵された自衛隊の活動実態を掲げる。 (1)陸上自衛隊の活動実態 |
ア 陸上自衛隊の装備は戦闘に備えたものであること陸上自衛隊は、イラク・サマワに800メートル四方の宿営地を築き、約550人の部隊が順次交代しながら駐留を継続していた。このこと自体がまさに「武力の行使」である。すなわち、陸上自衛隊がサマワに持参した装備は、弾よけのための装甲版が強化されて襲撃に備えるばかりでなく、機関銃や擲弾銃という武器を備え付けることが可能となっている。とくに96式装輪装甲車には擲弾銃備え付けることが可能であるところ、擲弾銃は小型迫撃砲に匹敵するだけの破壊力を有し(迫撃砲弾は自衛隊宿営地に砲弾が撃ち込まれた際にしばしば用いられてきた砲弾である)、目的地に擲弾銃を撃ち込んでおくことにより部隊の到着に先んじて目的地を面的に制圧することが可能となるという、極めて攻撃的な武器である。 このとおり、陸上自衛隊の装備は防御的なものにとどまらず、派遣先で自ら攻撃的な武力行使を行うことが可能な装備であった。 イ 陸上自衛隊がサマワに宿営地を設営していることの意味加えて重要なことは、それだけ攻撃的な装備を具えた自衛隊が多国籍軍の一員としてムサンナ州州都サマワという責任分担地域を受け持って駐留を続けていたという歴史的事実である。前提としてまず、自衛隊は、イラク暫定政府発足前には占領軍(CJTF7)の一員であり(2004.2.25参議院イラク特別委員会小泉親司質問)、イラク暫定政府発足に伴う国連安全保障理事会決議1546号に基づいて結成された多国籍軍(Multi National Force Iraq)には最初から一員として参加している。 占領軍及び多国籍軍への参加という形式面だけにとどまらず、実質的にも自衛隊は、アメリカ軍が自国を遠く離れたイラクで占領活動・戦闘行為を続けていることに組み込まれ、役割を担っている。 すなわち「陸上戦力の本質的役割の第一は、『人間の支配』であり、またその手段としての『陸地の支配』であ」り、「人間を支配するには、生活基盤を占領し、資源の使用を統制・支配して居住住民を権力下に入れなければならない。陸上戦力は、土地に張り付くこと(占領・確保)が可能な戦力であり、他の戦力では代わり得ない」(防衛大学校・防衛研究会編『軍事学入門』53頁)のであり、アメリカ軍がイラクの占領を続けるためには土地に張り付くことが不可欠である。自衛隊はサマワというイラク南部への交通の要所に駐留し、アメリカ軍の占領の穴を埋めている。たとえ直接武器を使用しないとしても、上述したような装備をもった実力部隊が駐留を続けていること自体が、アメリカ軍がイラクを占領し続けていることに不可欠な軍事行動なのである。 以上のとおり、陸上自衛隊の派遣・駐留自体が、武力行使と評価される実態を有している。被告は、2006年6月20日の安全保障会議において、陸上自衛隊の撤退を決定したが、この方針も、もともと陸上自衛隊が単なる人道復興支援のためでなく武力を備えた実力部隊としてイラクへ出動することに治安維持任務の意味があったことを自認しているものである。 ウ 陸上自衛隊が実施していた給水活動は軍事行動である陸上自衛隊は、サマワ市民に対する給水活動を2004年3月26日より開始し、2005年2月4日には終了した。これまで日本政府は、陸上自衛隊はサマワで「人道復興支援」を実施しており給水活動などの「人道復興支援」によりサマワの人びとの衛生状態が改善した等、盛んに喧伝してきた。しかしながら、サマワの人々に対する給水活動を行うのであれば、日本政府が2005年にODAにより浄水器を6基導入して、陸上自衛隊によるサマワ市民への給水活動を終えたように、最初から浄水器を導入すれば良かったはずである。この点、防衛庁は、平成17年版防衛白書第4章第1節4において「安全確保支援活動としてオランダ軍に約1、170トンの給水も行った」ことを明らかにしている。水は従軍する兵士の生命と健康を維持するために必要であるばかりではなく、軍隊が活動していくときに不可欠である。なぜなら、軍隊で利用される車両及び車両に装着される武器等の設備は、水冷式エンジンが通常だからである。そのため、陸上自衛隊が「安全確保支援活動」としてオランダ軍に給水したということは、オランダ軍が軍隊としてイラク市民に対する軍事行動をとること(オランダ軍はサマワ市民のデモ隊に発砲したことがある他、武装勢力から襲撃を受けるだけでなく武装勢力と4時間に及ぶ銃撃戦を展開するなど、戦闘行為を行ったこともある)を直接的に支援していたということに他ならないのである。 このように、陸上自衛隊はイラクで他国の軍事行動にとって不可欠の給水活動を行い、他国軍隊による武力行使と一体化していた。 エ 宿営地に対する攻撃とサマワの状況陸上自衛隊の派遣・駐留先であったサマワでは、陸上自衛隊に対する直接的な抵抗行動が生じているばかりではなく、サマワ市内でも民兵集団(サドル師派マフディ軍団)とイラク当局との武力衝突が生じるなど、いつ陸上自衛隊が戦闘行為に巻き込まれてもおかしくない状態が続いていた。陸上自衛隊がサマワに駐留してから少なくとも14回にわたり、陸上自衛隊宿営地に対する砲撃など陸上自衛隊をねらったと思われる襲撃があったのがその証左である。このうち2005年6月24日には道路脇で陸上自衛隊の車列が通過中に爆発があり、隊員輸送の高機動車1両のフロントガラスにひびが入り、ドアがゆがんだという襲撃であり、2006年5月31日には陸上自衛隊車列がオーストラリア軍車列とともに移動中、近くで爆発がありオーストラリア軍の車両1台が破損したという襲撃であった。 また、2004年8月にはイラク全土でサドル師派民兵マフディ軍団によるデモや占領軍に対する武力行使があったが、サマワもその例外ではなく、市内警察署の検問所・車両に対しての銃撃及びロケット弾攻撃や警察部隊との銃撃戦が行われた。2005年6月以降には、仕事や水・電気の供給の安定を求めて数百人規模のデモが頻繁に行われるようになったが、8月8日には市内一部地区を武装勢力が制圧する事態にまで至った。さらに2006年2月以降、イラク全土でサドル師派民兵マフディ軍団が復活し始めたがサマワもその例外ではなく、2月24日にはロケット弾がイラク軍・警察、イギリス軍合同オペレーションセンターに撃ち込まれた他、翌25日には同センターが襲撃されて銃撃戦となり、5月13日夜22時から14日朝5時まで夜間外出禁止令が出されるまでに至っている。 オ 小括このように、陸上自衛隊がイラクを撤退したとしても、イラクへ派遣されたことの意味、イラクでの活動実態については実態を踏まえた評価がなされなければならない。被告が実態を国民に対して正しく説明していない上、立法を司る国会においても議論がなされていない以上(政府が通常国会閉会中に陸上自衛隊撤退の方針を決定するのは、国会での議論を回避しようとする姿勢の表れである)、陸上自衛隊の活動実態を検証することは、三権の一翼を担う司法府・裁判所に与えられた役割である。この活動がアメリカ軍を始めとする多国籍軍の武力行使と一体の行動であることは明らかである。 |
(2)航空自衛隊の活動実態 |
ア アメリカ軍・多国籍軍の活動に完全に組み込まれ一体化した輸送活動現在、航空自衛隊は、クウェートのアリ・アル・サーレム空港に活動拠点を置き、C130輸送機3機体制で隊員約200人態勢で、主にイラク南部・ タリル空港及びバスラ空港へ物資を輸送している。物資等の区分は「我が国からの人道復興関連の物資」、「陸上自衛隊の人員・生活物資その他補給物資」、「関係各国・関係機関等の物資・人員」である。このうち「関係各国・関係機関等の人員」については人道支援のための人員を輸送しているわけではなく「多国籍軍の軍人、兵士等、それから国際機関の人員」である(下線部控訴人代理人、2005年3月14日参議院予算委員会大野防衛庁長官答弁)。武器を携行している米兵を輸送したことも航空自衛隊が認めている( 2004年 4月 8日津曲義光航空幕僚長記者会見 )。人数としては、航空自衛隊関係者によると2004年の1年間で約 5000人の人員を輸送したうち約1300人が陸上自衛隊員以外の他国軍隊関係者である。 さらに「関係各国・関係機関等の物資」には米軍から委託される搭載品が含まれている。委託品はラッピングされた状態で届き、隊員が自ら確かめることはできない。実際に、ある曹長が米軍から輸送を依頼された物品のリストに「部品」と書かれているのを発見した(結局、その「部品」はミサイルや武器などに用いるネジであった)ということがあったという。航空自衛隊は仮に認識がないとしても、前線にいる米軍の武力行使に不可欠な武器を輸送しているのである。 イ イラクにおける輸送活動の意味航空自衛隊が行っている輸送活動のうち、とくに問題となるのは、アメリカ軍ほか多国籍軍に対して行っている輸送活動である。この点、「現代戦の特色は、補給および輸送の所要が極めて膨大なこと」であるところ、「輸送とは、作戦上に必要な部隊及び補給品等を適時適所に移動させることで、輸送は後方支援活動の基礎となるだけでなく、部隊の移動すなわち作戦そのものを左右する」のであり、アメリカ軍がイラク全土で自由に活動するために航空自衛隊が果たしている物資輸送の役割は絶大である。今回のイラク戦争と同じく同じイラクでアメリカ軍が武力行使を行った湾岸戦争の際にも「アメリカ国防総省は、当初から砂漠という悪条件の中で、弾薬・燃料・食糧など必要物資の補給を以下に効率的に行うかが作戦成功の鍵を握ると見て」作戦上、軍事輸送を充実させていた。 航空自衛隊がC130輸送機を用いてアメリカ軍他に対してこれだけの物資輸送を続けているために、アメリカ軍は前線での戦闘行為を行うことが可能になっているのである。 ウ アメリカ軍に要請されて航空自衛隊が輸送活動を拡大することの意味航空自衛隊は、これまでアメリカ軍他に人員・物資を輸送してきただけではなく、今後その活動拠点が拡大することが予定されている。まず2005年12月に日本政府がイラク復興支援特別措置法基本計画を変更した際、イラク国内の拠点空港を従来の13箇所から全土の全ての空港24箇所に増やした。そして、アメリカ軍の求めにより陸上自衛隊が撤退した後も、航空自衛隊はイラク派遣を続け、バグダッド、バグダッド近郊のバラドに物資を輸送する、あるいはアメリカ中央軍前線司令部のあるカタールとクウェート基地との間でアメリカ軍等の物資を輸送することが検討されている状態である。アメリカ軍が陸上自衛隊の撤退には応じる一方で、航空自衛隊には物資輸送を継続させることだけではなく輸送拠点を拡大するよう求めているのは、それだけアメリカ軍の軍事行動について航空自衛隊の物資輸送が必要だからに他ならない。 エ 航空自衛隊の活動地域航空自衛隊はC130輸送機で物資輸送を続けているが、航空自衛隊が物資輸送を行っているイラクの空域は決して安全ではない。2005年1月31日には、イギリス陸軍のC130輸送機が墜落し、少なくとも空軍9人、陸軍1人が行方不明となったという。時期を同じくして中東のメディアでは、バグダッド空港を占領している米軍が制空権を失い始め今後航空機撃墜の可能性が増すと指摘する米軍専門報告書について報じられていた。また、航空自衛隊はこれまでにイラク南部タリル空港及びバスラ空港へ物資を輸送しているところ、南部バスラは駐留しているイギリス軍と現地民兵(サドル師派マフディ軍団)の武力衝突が生じるなどしている地域である。 オ 小括航空自衛隊の物資輸送の内実については、防衛庁に対する情報開示請求において、唯一最初の1回目だけが人道復興支援物資のみの輸送であったために輸送内容が明らかにされたが、その後の輸送内容は非開示とされている。この一事をもってしても、航空自衛隊がアメリカ軍はじめ多国籍軍の武力行使と密接に関わりのある輸送業務を行っていることが明らかであり、我が国の航空自衛隊がアメリカ軍を始めとする多国籍軍と一体となって行動していることは明らかである。 |
3 結論以上のような事実関係からすれば、すでに撤退した陸上自衛隊と現在の航空自衛隊とが、アメリカ軍を始めとする多国籍軍と一体となって行動をしていることは明らかであり、それは、まさに我が国の自衛隊が「武力の行使」を行っていることに他ならない。したがって、本件イラク派兵行為は、憲法第9条1項に違反するものである。 第3 自衛隊イラク派兵はイラク特措法違反である。
イラク特措法においては、自衛隊がイラクでの活動の実施主体となることを明記したうえ(法8条)、イラク派遣の目的を「イラク特別事態を受けて、国家の速やかな再建を図るためにイラクにおいて行われている国民生活の安定と向上、民主的な手段による統治組織の設立等に向けたイラクの国民による自主的な努力を支援し、及び促進しようとする国際社会の取組に関し、我が国が主体的勝つ積極的に寄与」し「我が国を含む国際社会の平和及び安全の確保に資する」と定める(法1条)。 |
ア イラク特措法は、平成15年8月1日に法律第137号として公布の日に施行された(同法附則第1条)。 イラク特措法施行令(平成15年制定。平成16年改正)第1条は、法第2条第3項第1号の政令で定める決議は、国際連合安全保障理事会決議(安保理決議)第1483号及び1511号とすると規定する。 但し、安保理決議1511号が採択されたのは、2003(平成15)年10月16日である。そこで、同決議はイラク派遣の当初の判断に関しては同法2条3項1号の根拠とはならない。そこで、以下は同決議1483号を検討する。 ちなみに、同決議1511号はイラクへの権限委譲、国連の役割の明確化等についても言及している。 イ 安保理決議1483号(2003年5月22日)は前文で「安全保障理事会は・・・国際連合憲章第7章(平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に対する行動)下に行動して」第1項、第2項、第3項において加盟国に対しイラクに対する支援を訴えている。そして、第8項は「事務総長に対し、イラク特別代表を任命するよう要請する」とした上で、同第9項は「国際的に承認された代表政府が、イラク国民により樹立され当局の責任を引き受けるまでの間、イラク国民が、当局の支援及び代表の協力を得て、自ら運営する移行行政機関としてのイラク暫定行政機構を形成することを支援する」と規定する。 上記のとおり、安保理決議1483号は、・・・イラク国民により樹立され当局の責任を引き受けるまでの間、イラク国民が「当局の支援及び代表の協力」を得て・・・とある。ここでは、「当局」と「代表」とあるが、国連としては「代表」すなわち「イラク特別代表」が当然安全保障理事会の決議を執行する上で必要不可欠の機関であり、人道復興支援が国連の要請に基づくものである以上、イラク特措法の同意とは少なくとも「イラク特別代表」の同意と解するのが当然の解釈である。 |
(3)平成16年6月28日以降は自ら運営する移行行政機関の同意が要件イラクにおいては2004年6月28日午前10時26分(現地時間)、それまで暫定的な施政を行ってきた連合暫定施政当局(CPA)から、イラク暫定政府に対し、統治権限の委譲が行われたとされている。安保理決議第1483号第9項は「国際的に承認された代表政府が、イラク国民により樹立され当局の責任を引き受けるまでの間、イラク国民が、当局の支援及び代表の協力を得て、自ら運営する移行行政機関としてのイラク暫定行政機構を形成することを支援する」と規定する。ここでいう「イラク暫定行政機構」とは自ら運営する行政機関であることが要件である。 しかしながら、米軍の指揮下にある多国籍軍の支配下にあるイラク暫定移行政府は、上記の「自ら運営する移行行政機関としてのイラク暫定行政機構」ではない。そこで、被告国がイラク特措法第2条第3項第1号の同意があるとするのであれば、現在のイラク暫定政府が国連安保理決議1483号にいう「イラク暫定行政機構」であることを主張・立証すべきである。 以上、少なくとも、国連がイラク暫定政府をイラク暫定行政機構とすることを前提に、わが国がイラクで「対応措置」を取るにはイラク特措法上はイラク暫定政府の同意が必要となる。仮に、イラク暫定政府の同意でよいとしても、後に述べるように政府の見解のどこにも、イラク暫定政府の同意を得るとか、得たとの記載はない。 (4)同意要件のまとめ以上、イラク特措法第2条第3項第1号の自衛隊のイラクにおける「対応措置」を取るための法律上の根拠は、安保理決議1483号によれば、[1]当初は安保理の要請とイラク特別代表の同意が、[2]次に自ら運営する移行行政機関としての暫定行政機構が、[3]最後に国際的に承認された代表政府の同意ということになる。しかしながら、その同意は以下に述べるようにいずれも存在しない。 4 自衛隊のイラク派遣につきイラク特措法第2条第3項1号の同意はない。(1)イラク特措法第2条第3項第1号の同意はない。自衛隊の海外派遣問題は、日本国憲法第9条で戦争の放棄が規定されている以上、法律の解釈は、厳格になされる必要がある。特に、外国への自衛隊の派遣は、その国の主権を無視すれば侵略行為であり、主権の存する外国政府の同意が法律上必要不可欠なのは当然である。イラクのように、その国に主権の存する政府が他国の戦争行為により崩壊し、これに変わる政府が樹立されていない場合、自衛隊の派遣が主権の存する政府を戦争行為により崩壊させた国家や国家連合の同意によることは出来ない。なんらの根拠もなしに、そのようなことを認めることは他国に対する戦争行為による侵略を認めることになるからである。そこで、少なくとも、イラク特措法第2条第3項第1号の規定からすると国連の認めた正当な機関の同意が必要となってくる。 次に、イラクが正当な代表政府に移行するまでの間は、暫定移行政府が同意をすることになるであろうが、その同意は自衛隊を派遣する日本政府に直接なされることは当然である。なぜならば、イラク特措法第2条第3項第1号は明確に「日本の自衛隊が対応措置を行うこと」についての関係機関の同意であり、日本政府が勝手に「同意」があったと看做しうるかどうかという問題ではないからである。 したがって、被告国が、イラクへの自衛隊派遣がイラク特措法により合法だと主張するのであれば、同法の要件を充足している事実を主張・立証する責任がある。 以下は、原告において、被告国がイラク特措法第2条第3項第1号の要件を充足していないことを主張するものであり、被告国においてこれを充足しているというのであれば、同意に関する具体的事実を主張し、これを裏付ける同法所定の関係機関の同意書面を提出する立証責任を負う。本件は、国際関係に関することであり、被告国が関係機関の同意があったと勝手に思い込むということでは、法律上の要件を欠くことになることは明白である。そこで、以下検討する。 (2)平成16年6月28日以前に「イラク特別代表」の同意は無い。平成15年8月2日から同16年6月28日までに、「イラク特別代表」の同意は無い。この点は、被告国も争いの無いところであろう。したがって、被告国は、今回の自衛隊派遣について、この点についての認否反論を証拠に基づいて具体的にすべきである。なお、被告国が、安保理決議1483号の「当局」の同意があったとするのであれば、少なくとも国連安全保障理事会において、国連においては安保理決議1483号の「当局」の同意を持って日本政府のいうイラク特措法第2条第3項第1号の同意に当たるとの具体的主張・立証をすべきである。その際、日本国憲法、国連憲章、安保理決議第1483号、イラク特措法との関係を論理的に明確に主張すべきである。 ところで、外務省のホームページにおいて「各国・地域情勢」の「中東」「イラク再編に向けた動き」において次のように述べ、「当局」とはCPAとしている。すなわち、 |
「 1 CPAによる施政(1) 2003年5月22日に採択された安保理決議1438(1 483の誤記;原告代理人)は、安保占領軍としての米英の特 別の権限を認識し、『当局』(米英の統合された司令部)は国際的に承認された代表政府がイラク国民により樹立され、『当局』の責務を引き継ぐまでの間、権限を行使するとした。同決議は『当局』に対し、安全で安定した状態での回復及びイラク国民が自らの政治的将来を自由に決定できる状態の創出に向けて努力することを含め、領土の実効的な施政を通じてイラク国民の福祉を増進することを要請した。(2) 現在、連合暫定施政当局(CPA:Coalition Provisional Authority)が同決議に言及されている『当局』を構成する機関として活動している。CPAのブレマー行政官は、イラク統治評議会の設立後すぐに、イラクの新憲法を起草するプロセスを開始する、新憲法が承認された時点でイラクの新政府がイラクの初めての民主的、自由且つ公正な選挙により選ばれることになると発言している。 2 政治プロセスの進展中略(3) 2003年11月15日、イラク統治評議会とCPAは、イ ラク人への統治権限の委譲を早期に行うことを目的にして、以 下の日程の政治プロセスに合意した。24日、統治評議会はこ れに関する書簡を安保理議長に提出した。 中略 2004年6月末まで 移行行政機構選出・承認(CPA解体、統治評議会任務終了) 2005年3月15日まで憲法会議選挙 (基本法で日程設定)恒久憲法の制定 」 |
以上からも明らかなように、被告国は「当局」すなわちCPAの同意があればイラク特措法第2条第3項第1号の同意があるかのような見解であるようである。いずれにせよ、被告国が「当局」すなわちCPAが同意をする機関というのであれば、その旨具体的に日本国憲法、国連憲章、安保理決議、イラク特措法との関係を前提に、主張・立証すべきである。ちなみに、原告は被告に対し、当局の同意がいつどのような形で行われたかも具体的に明らかにされたい、と釈明を求めたが、被告はこれに明確に答えない。 しかしながら、どうであろうと、イラク特措法第2条3項第1号の同意については安保理決議の関係で「イラク特別代表」しかいない。これは、CPAが米英軍の私的な機関という性格からしても明らかである。 ちなみに、米英軍が2003年3月20日にイラクを攻撃開始し、その直後の4月10日前後には、すでに米復興人道支援室(ORHA)が占領行政を開始した。ORHAは、米国防総省の支持の下で組織され、その代表者は元米軍司令官ジェイ・ガーナーであった。この組織は米国の占領軍そのものである。このORHAによる占領行政は、少なくともこの時点では国連安保理決議に基づかない違法なものである。 なお、ORHAは、2003年6月には連合暫定施政当局(CPA)に合併された。CPAは同年5月1日ころまでには存在している。米政府は米英軍がCPAを設立したというだけで、これだけでは国際法上の正当性は認められない。 (3)平成16年6月28日以降も自ら運営する移行政府機関の同意は無い。原告らは、現在の暫定移行政府がイラク特措法第2条第3項第1号の「同意」をすることが出来る要件を満たしていないと考えている。しかし、被告国の以下の見解でも、暫定移行政府は多国籍軍に対し同意をしたのであり、自衛隊を派遣している被告国に同意をしたことはない。しかも、政府は、自衛隊は多国籍軍の指揮下にはないといっているものであり、暫定移行政府が自衛隊のイラク派遣に同意したと擬制する根拠も全くないものである。すなわち、政府の「イラクの主権回復後の自衛隊の人道復興支援活動等について」(平成16年6月28日閣議了解)によると、次のとおりである。 |
「 イラクにおいては、平成16年6月28日に、完全な主権が回復されたことに伴い、『イラクの主権回復後の自衛隊の人道復興支援活動等について』(平成16年6月18日閣議了解)中『6月30日』とあるのは、『6月28日』と了解する。」 |
ところで、平成16年6月18日閣議了解は、次のとおりである。 |
「 平成16年6月8日、国際連合安全保障理事会において決議1546号が全会一致で採択された。この決議にあるとおり、イラクにおいては、同月30日をもって占領が終了し、完全な主権が回復されることになる。 (中略) 今般、イラク暫定政府が国際社会に対し、多国籍軍の駐留を含めた支援を要請していることを踏まえたこの決議が全会一致で採択されたことを受け、イラクの復興と安定が我が国自身の安全と反映にとっても重要であるとの認識に立ち、イラクへの主権回復後も、自衛隊が引き続きこのような活動を継続することとする。その際、この新たな決議において、これまで我が国の自衛隊が行ってきたような人道復興支援活動が多国籍軍の任務に含まれることが明らかになったこと等を踏まえ、政府として十分な検討を行った上で、自衛隊は多国籍軍の中で今後とも活動を継続する。6月30日以降、自衛隊は、多国籍軍の中で、統合された司令部の下にあって、同司令部との間で連絡調整を行う。しかしながら、同司令部の指揮下に入るわけではない。自衛隊は引き続き、我が国の主体的な判断の下に、我が国の指揮に従い、イラク人道復興支援特措法及びその基本計画に基づき、イラク暫定政府に歓迎される形で人道復興支援等を行うものであり、この点については、今般の安保理決議の提案国であり、多国籍軍及びその統合された司令部の主要な構成国である米、英両政府との間で了解に達している。以下 省略 」 |
イラク特措法の要件は厳格に解釈されるべきであり、少なくともわが国の行政府の主観的判断で解釈されるべきでないものである。 5 以上、自衛隊のイラク派遣は、イラク特措法第2条第3項第1号の要件を充足していない。自衛隊のイラク派兵はイラク特措法上違法である。 すなわち、イラク暫定政府は、その実体から見ても自ら運営する移行行政機関とは言えず、そのイラク暫定政府の同意すらないものである。被告国は、イラク暫定政府が多国籍軍にした治安維持の要請をもって、多国籍軍の指揮下にないとする自衛隊も人道復興支援活動をすると言明し、このことは米英両政府も了解していると居直っている。しかし、これはイラク暫定政府の同意ではなく、米英両政府の了解でしかなく、イラク特措法第2条第3項第1号の要件を満たしていないことは明らかである。 6 自衛隊のイラク派兵は、イラク特措法第2条3項戦闘地域への派遣、同法2条2項の武力の威嚇・行使に該当し違法である。 (1)日本国憲法を前提にしたイラク特措法の解釈日本国憲法の従来の政府解釈に従えば、日本政府がイラクに自衛隊を派 遣している行為は、憲法上許容される余地のない違憲行為である。しかしながら、日本政府は先に指摘したように憲法上許容される事柄の範囲を拡大させる解釈をとり、自衛隊イラク派遣が憲法上許容されるとするためにイラク特別措置法を制定した。政府解釈に基づいてイラク派遣が憲法上許容されるとするために、イラク特措法では自衛隊イラク派遣について次の2つの条件が設けられている。 |
[1] 対応措置の実施は、武力による威嚇又は武力の行使に当たるものであってはならない(法2条2項) [2] 対応措置については、我が国領域及び現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる次に掲げる地域において実施する(法2条3項) |
これは(自衛隊派遣事態が「武力行使」とならないかどうか)、(他国軍事行動との一体化ではないかどうか)、さらには(武力行使目的の海外出動か否か)という憲法上海外出動が許容されるための各条件をクリアするために政府が定めた要件である。日本国憲法の解釈としておよそ許されないような程度にまで憲法上の限界を緩やかに解釈した場合でも、自衛隊イラク派遣を憲法上許容されるとするためにはイラク特措法の上記各要件が遵守されなければならない。 問題は、自衛隊のイラク派遣においてこれら要件が遵守されているかどうかである。これら要件を定めれば日本国憲法上自衛隊のイラク派遣が問題なく許容されるというものではないが、これら要件さえ守られない中での派遣は到底許容されないことは明らかだからである。 |
(2) 自衛隊イラク派兵は、イラク特措法違反である |
ア 自衛隊が後方支援をしているアメリカ軍・多国籍軍の実態自衛隊のイラク派兵の項で述べたように陸上自衛隊、航空自衛隊及び海上自衛隊はいずれもアメリカ軍ほか多国籍軍に対して物資輸送・補給業務を行っている。そして、自衛隊が後方支援しているアメリカ軍・多国籍軍はイラクでまさに武力行使を行っている。そもそも、アメリカによるイラク戦争は名目上は大量破壊兵器の存在を理由としていたが当時イラクには大量破壊兵器は存在していなかったことが確かめられており、最初から「フセイン政権転覆」のため(ダウニング・ストリートメモ他)の侵略戦争であったは明らかである。 アメリカ軍はイラク戦争開始から現在に至るまで、バグダッド、ファルージャはじめイラク各都市に空爆を実施している。都市空爆は民家を含めて標的とする軍事行動であり、非戦闘員であるイラク市民(子ども、女性、高齢者を含む)にも被害を及ぼす、武力行使である。その他にも「掃討作戦」と称し、アメリカ軍はときにイラク治安部隊とともに都市を囲い込み、空爆を加え、病院を占拠し、橋や住居を破壊してきた(典型例が2004年11月のファルージャ掃討作戦である)。このような「掃討作戦」はイラク北部モスル、サマラ、タルアファル、東部バクバ、西部カイム、ヒート、ハディーサ、中部ラマディ、南部ナジャフなどイラク全土至る所で実行されてきた。 このような種種のアメリカ軍による軍事作戦の中で、アメリカ兵がイラク民間人を虐殺したり、住宅を理由なく家宅捜索している例については枚挙にいとまがなく、ついにアメリカ軍内でも西部ハディーサで数人の海兵隊員が3時間から5時間、銃による掃討を行い子どもなど非戦闘員を銃殺したことが捜査されるに至っている。 アメリカ軍はイラクで自由と民主主義、あるいは経済の復興と安定をもたらしているのではなく、人びとに死と絶望感を与える武力行使を行っている。 イ 自衛隊は後方支援を通じて他国の武力行使と一体化しているイラク特措法において設けられた「[1] 対応措置の実施は、武力による威嚇又武力の行使によるものであってはならない(法2条2項)」の要件については、政府の憲法解釈において「他国の武力行使と一体化する行為は許されない」という限界が設けられていることに則って解釈する必要がある。航空自衛隊は、少なくとも武装したアメリカ兵を輸送するほか、アメリカ軍に依頼されて武力行使に必要な物資を輸送していることは前記訂正で述べたとおりである。陸上自衛隊は少なくともオランダ軍に対し、その武力行使に不可欠な給水活動を行った。海上自衛隊もアメリカ軍はじめ各国軍隊が武力を行使するに不可欠な燃料補給等を実施していると考えられる。自衛隊から輸送・補給を受けたアメリカ軍はじめ多国籍軍はイラクで過去にも武力行使を行ってきたし、今もなお続けている。 そして、現代戦における補給・輸送業務の重要性を考えた場合、日本の自衛隊が実施している各補給・輸送業務は「他国の武力行使と一体化する」行為に他ならない。 したがって、イラク特措法2条2項の要件はすでに守られていない。 ウ 自衛隊派兵自体が武力行使であるすでに述べたようにイラク南部の交通の要所であるサマワに陸上自 衛隊が重装備で駐留を続けている。この駐留自体が、陸上自衛隊による武力行使に他ならず、その点においてもやはりイラク特措法2条2項の要件は既に守られていない。エ 自衛隊の活動領域は「非戦闘地域」ではないイラク特措法2条3項において設けられている要件([2] 対応措置については、我が国領域及び現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる次に掲げる地域において実施)もまた、遵守されていない。サマワでは、陸上自衛隊がサマワに駐留している間にサドル師派民兵(マフディ軍団)とイラク治安当局及び多国籍軍との間で戦闘行為が行われている。この点、2004年4月に内閣法制局が福田官房長官(当時)に対し「イラクで反米闘争を繰り返すイスラム・シーア派のサドル師派につき『国に準じる者』である」との見解を報告している。マフディ軍団とイラク治安当局及び多国籍軍との間の戦闘は日本政府の解釈に従ってもイラク特措法2条3項に定める「戦闘行為」に当たる。サマワは「現に戦闘行為が行われていない」地域ではない。 オ 結論自衛隊のイラク派遣は、最大限緩やかに解釈された憲法解釈に違反しないよう、イラク特措法が定めた2つの要件をいずれも満たさない状態で実行され、継続されている。よって、自衛隊イラク派遣は陸上自衛隊、航空自衛隊及び海上自衛隊のどの自衛隊派遣をとっても違憲・違法である。 |
第4 イラク戦争と国際法違反1 はじめに「法の支配」の概念は、法治国家、民主主義の根幹である。そして、政府の違法行為を止めるのは司法に与えられた尊い役割であり、義務である。イラク戦争への自衛隊の参加という行為が、国民の生活に大きな影響を及ぼしている。そして、政府の派兵行為というものをあらゆる角度から検討して正しい道を指し示す義務を司法は背負っているのである。 本稿は、イラク戦争を国際法の観点から検討するものであるが、長年にわたる歴史の中で国際法の分野が築いてきた価値を改めて考え直してイラク戦争をみていきたい。 2 国際法の到達点かつて「戦争」は、国際間の紛争を解決する手段として当然と考えられていた時代があった。二度にわたる世界大戦の悲惨な経験を経て、人類は戦争が違法なものであること、そして戦争を止めるために各国が共同して国際連合に結束し、紛争を平和的に解決することを原則としたのである。国連憲章は、現行の国際法の基本文書である。全ての条項は、諸国家の共同体である国連の全ての加盟国を拘束する基本的な条約上の義務を具体化しており、それは憲章の文言のみあらず、その精神にも従うことを要求している。 国連憲章1条1項は、国連の目的と原則を明らかにしている。即ち、 「国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること、並びに国際間の紛争の調整又は解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること」としている。1957年に日本国も国会の承認を受け、国際連合に加盟しているのであり、この国の国連憲章を遵守すべき義務があり、また国連憲章に違反する行為は国内法的にも違法となるのである。 3 ウィラマントリー国際司法裁判所元判事の見解C.G.ウィラマントリー国際司法裁判所元判事は、その著書「国際法から見たイラク戦争」で次のようにイラク戦争の国際法違反性を述べている。 「本章で扱うテーマは、国際法を強調するために執るいかなる行動といえども、それが国際法に適合するかたちでなされなければならないということである」 「第1の原則は、・・戦争の違法化と、武力行使を国連の監督下の行動に限定することである」「憲章51条によって規定されるように、国連加盟国に対する武力攻撃が実際に起きたという非常に限られた例外的ケースを除き、どんな国連加盟国でも一方的に武力に訴えてもよいなどということは憲章のどこにも書かれていない。そのような一方的な行動はまた、平和と安全の維持のために必要な措置を安保理がとるまでの間だけに、極めて厳格に限定されているのである。従って、・・国連憲章が、一方的武力行使を完全に違法化している・・それは文明の進歩の過程のなかで苦労して勝ち取ったものであり、それを維持することはすべての加盟国が守るべき絶対的義務なのである」 「第2に、・・唯一、武力攻撃が発生した「場合」だけ、自衛行動を発動する権利があり、またそれは、国際平和の維持に必要な措置を安保理がとるまでの間に限られているのである」「この規定によれば、先制的自衛における先制攻撃もまた、違法化されている」「先制攻撃は、国連憲章に絶対的に反する行為である」 「無視された第3の原則は、一方的行動の禁止原則である。如何なる国家も、自らの手中に法を独占し、他国に対して武力を行使することを許されない。それは国連の手続を経てのみ行うことができるのだ。こうした一方的行動は、・・国連の第1の目的を定めた国連憲章1条1項に違反する」 「第4の原則は、武力を発動する前に必ず、紛争を平和的に解決する可能性を追求し尽くすという絶対的義務である」「憲章33条は、実行すべき一連の紛争解決手続きを列挙する―つまり、交渉、審査、仲介、調停、仲裁裁判、司法的解決、地域的機構または地域的取り決めの利用その他の平和的手段である。これらの手段すべてが利用され尽くしたと言える者がいるだろうか?このうちのいくつかの手段は試みることさえもなされなかった」 「第5の原則は、核軍縮は義務的だということである。他国が違法行為を行うことを制止しようとする国は、自らもその法に従わなければならない」「国際法の何らかの原則に違反する国は、その国自身が反映している原則を他国には厳しく適用するように国際社会に求めることはできない」 「第6の原則は、統治者を退位させる権利は他国にはないということである」「誰が統治するかは、その国の人民が決めることである」 「第7の原則は、いわゆる「有志連合」と呼ばれるような国家の集合はそれ自体、国連憲章を侮辱するものである。それは「国際法と国連憲章を進んで無視する国々の連合」を意味するからである。 「第8の原則は、一貫性の原則である。国際法が何らかの信頼性を得ようとすれば、A国に適用される原則はB国にも適用されなければならない」 「破られた第9の原則は、侵略の非合法化の原則である。主権国家に対する侵略は、国連憲章の精神から追放されたものである」「イラクに対してなされたような国連憲章に反する一方的な武力行使は、どのカテゴリーに入るかという分類上の問題をまったく生じないものである。それは確実にかつ間違いなく侵略のカテゴリーに入るものである」 「蹂躙されたことが明らかな第10の原則は、文民と非戦闘員の保護の原則である」「国連は、平和の必要性を基本的人権として扱うべきことを繰り返し強調してきたことである。実際、平和に対する権利の侵害は、交戦国が犯したもう一つの国際法違反であるということができる」 「この議論を締めくくる前に、すべての国が国連憲章の下において平等であることが、国連機構と国際法の基本であることについても記しておくことが重要であろう」 |
4 米・英の国際法違反と日本侵攻開始後数週間もたたない2003年4月上旬に、ウィラマントリー元判事は、この侵攻が国際法に基づき完全に違法であったことをきっぱりと断言し、10以上にものぼる国際法の基本原則の違反を列挙した。これは侵攻直後の余波のさなかに、軍事行動の全面的な違法性に注目した最初の出版物の一つとなった。2004年9月25日、コフィ・アナン国連事務総長(当時)は、国連総会での演説において、イラク侵攻は国際法に基づき違法であると述べている。米・英の国際法違反の数々は、許されるべきではない行為である。また、日本についても同じことがいえるのである。 小泉純一郎首相(当時)は、開戦前後にわたり「大量破壊兵器を持っているイラク」(メールマガジン2003年3月13日)「問題の核心はイラクが自ら保有する大量破壊兵器、生物兵器、化学兵器を廃棄しようとしないこと(同年3月27日)などとイラクの大量破壊兵器保有を断言し、どの国よりも早くアメリカのイラク戦争を支持した。そして、自衛隊の派兵を行い、アメリカ軍の支援を行っている。日本政府の行為もまた国際法違反であるといわなければならない。 5 国際法違反行為の効果それでは、一体国際法違反行為に対しては如何なる処置がとられるべきであろうか。違反行為は、速やかに是正されなければならないという原則からいうと、違法行為の停止、中止が第一に求められると考えられる。米国・英国が武力行使を中止し、兵を撤兵し、占領を停止することである。また、この占領に「有志連合」として加わっている日本やその他の国々も撤兵しなければならないということである。「英国防省」がイラク人を対象に2005年8月に実施した秘密の世論調査で、82%が多国籍軍の駐留に「強く反対」していることが明らかとなった。(英紙サンデー・テレグラフ10月23日付) 調査によると、駐留多国籍軍部隊が治安の改善で責任を果たしていると考えているのは1%未満だった。67%が占領によって治安が悪化していると答えている。72%が多国籍軍を信頼していないとしている。 イラク全土で多発している米英軍を対象にした自爆攻撃には、イラク人の45%が正当化されると考えており、英軍が管轄する四州のひとつ、南部マイサン州においては65%にも達している。 6 国際条約における人権条項のイラク戦争による侵犯(1)世界人権宣言(1948年12月10日第3回国連総会採択)は、「加盟国自身の人民の間にも、また加盟国の管轄下にある地域の人民の間にもこれらの権利と自由との尊重を指導及び教育によって促進すること。並びにそれらの普遍的かつ効果的な承認と遵守とを国内的及び国際的な漸進的措置によって確保することに努力するように、全ての人民と全ての国が達成すべき共通の基準としてこの世界人権宣言を公布する」と述べている。そして、その人権宣言の中には、「すべて人は生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する」(第3条)とされている。そして第30条において、「この宣言の如何なる規定もいずれかの国、集団又は個人に対してこの宣言に揚げる権利及び自由の破壊を目的とする活動に従事し、又はそのような目的を有する行為を行う権利を認めるものと解釈してはならない」とされている。 (2)市民的及び政治的権利に関する国際規約(昭和54年8月4日 国際人権B規約)第6条は、「全ての人間は生命に対する固有の権利を有する。何人も恣意的にその生命を奪われない」とされている。 (3)児童の権利に関する条約(平成6年5月16日条約第2号)において、第6条で「締結国は、全ての児童が生命に対する固有の権利を有することを認める。締結国は児童の生存及び発達に可能な最大限の範囲において確保する」とされ、第9条で「締結国は児童がその父母の意思に反して、その父母から分離されないことを確保する」としている。さらに、第16条では、「如何なる児童も、その私生活、家族、住居若しくは通信に対して恣意的に若しくは不法に干渉され、又は名誉及び信用を不法に攻撃されない」とされている。 (4)しかし、イラク戦争の現実はどうであったか。戦争は、如何なる戦争もそうであるように、人々(市民)を殺戮し、また老人、女性、子どもらを殺戮した。以上に述べた国際的人権条項は無視されたのである。 イラクで起こったことは、これら人権条項の無視であった。国連加盟国であれば、これらの条項を厳格に守るべき義務があるのである。これらを全く無視した米国、英国そして日本もまたその「有志連合」の一員として、これら人権条項の侵犯者なのである。そしてこの被害に対しては、児童の権利に関する条約第39条では、「あらゆる形態の放置、搾取若しくは虐待、拷問若しくは他のあらゆる形態の残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取り扱い若しくは刑罰又は武力紛争による被害者である児童の身体的及び心理的な回復及び社会復帰を促進するための全ての適当な措置を取る」と定められている。 この被害の回復の措置は自衛隊の撤退をおいて外にないのである |
第5 政府は安全配慮義務(イラク特措法第9条)に違反している1 はじめに自衛隊をイラクに派遣するに際し、その自衛隊員の生命・身体の安全を確保することは当然必要なはずである。また、その安全の確保は、派兵期間のみのものであれば足るというものではなく、将来にわたっても確保されなければならない。(1)イラク特措法は、その第9条において「内閣総理大臣及び防衛庁長官は、対応措置の実施に当たっては、その円滑かつ効果的な推進に努めるとともに、イラク復興支援職員及び自衛隊の部隊等の安全の確保に配慮しなければならない。」と規定する。同規定は、自衛隊のイラク派兵が、あくまで日本国単独の発案によるものではなく、イラク戦争の当事者国家であるアメリカを始めとする多国籍軍と一体をなしての行動であり、かつ、その活動の場が日本国外である特殊性を考慮した上で、イラクに派遣された全ての我が国国民の生命・身体が、いわば常時危険にさらされることから、敢えて、内閣総理大臣及び防衛庁長官に対し、「イラク復興支援職員及び自衛隊の部隊」の他、全ての派遣職員について、安全を確保する義務を定めたものである。「等」という文言は、今回の派兵行為に携わる全ての日本国民を対象にするべきことを示すものである。そもそも、日本政府は、憲法13条により全ての日本国民に対し、その生命身体の安全を確保する義務を負っているものであるが、同条は、イラク特措法による自衛隊のイラク派兵が、あくまで日本国単独の発案によるものではなく、イラク戦争の当事者国家であるアメリカを始めとする多国籍軍と一体をなしての行動であり、かつ、その活動の場が日本国外であり、一般に派兵された職員の生命身体への危険性が高いという特殊性を考慮したため、敢えて、同条により確認的に、内閣総理大臣及び防衛庁長官に対し、安全配慮義務を規定したものである。 (2)同条による安全義務同条により、内閣総理大臣及び防衛庁長官は、イラク復興支援職員及び自衛隊の部隊のイラクでの活動に際し、それらの生命・身体につき、その作業時はもちろん、将来にわたっても安全な状況で作業を行わせなければならない義務を負う。したがって、内閣総理大臣及び防衛庁長官は、自衛隊員等の生命・身体に危険が及ぶ可能性のある地域に派遣してはならないことは当然であるが、イラク国内において、兵器等の使用により、その場に止まること自体が明らかに生命・身体に危険を及ぼす場合には、速やかに自衛隊員等をイラクから撤退させる義務を負うことになる。 2 イラクにおける武器使用(1)様々な危険な兵器の使用イラク戦争において、アメリカ及びイギリスをはじめとする軍隊は、クラスター爆弾、サーモバリック爆弾、バンカーバスターと呼ばれる地下壕破壊爆弾を始め、様々な危険な兵器を使用してきたが、その中でも、とりわけ、あまりの人体への影響の強さから、その危険性についての指摘が国内的にも国際的にも厳しく、人道的観点からも全世界的に問題視されてきたのが、いわゆる劣化ウラン弾である。(2)米英軍等による劣化ウラン弾の使用 |
ア 米軍による使用の発表2003年3月21日に始まったイラク攻撃において、米英軍は各地の戦闘にて劣化ウラン兵器を使用したが、このうち、米軍による劣化ウラン兵器使用の事実は、同年3月26日の記者会見にてブルックス准将が「劣化ウラン弾を使用した」と自ら認めたことで明らかである。米国防次官補佐官・保健担当のマイケル・キルパトリックは2004年3月6日にマサチューセッツ工科大の討論会で「陸軍は戦車、装甲車から24トン弱、空軍はA−10攻撃機から103トン弱の劣化ウラン弾を使った」と述べた。これらを合わると115トンの金属ウランに相当するものである。 イ その他による劣化ウラン弾使用の発表このほか、イギリス国防省も1.9トン分の劣化ウラン兵器の使用を認めている。オランダ国防大臣も、日本の陸上自衛隊が駐留するサマーワにおいて劣化ウラン弾が使用された事実を認めている。 |
3 サマーワにおいて劣化ウラン兵器が使用された事実日本の自衛隊が駐留しているのはイラク南部のサマーワである。劣化ウラン弾は、以下に述べるとおり、その駐留地であるサマーワにおいても使用されたことが明らかである。(1) オランダ軍がサマーワで劣化ウラン弾を発見した事実2003年12月27日、オランダ国防省は、「イラク南部のアル・ムサン州に駐留中のオランダ軍が12月10日に劣化ウラン弾の30ミリ砲弾を発見した」と発表した。国際社会問題レビュー(Review of International Social Questions)のスタッフのマーテン・「ヴァンデンバークによると、30ミリ砲弾は、イラクでは、アメリカ空軍のアパッチヘリコプターとA−10ジェット機「イボイノシシ」によってのみ用いられてきているものである。これら航空機は、「イラクの自由」作戦において、サマーワへの空襲に参加したことが知られている。従って、ヴァンデンバークは、「この地域で、同様の砲弾がもっと多く見出される可能性が極めて高い」と見なしている。(2)オランダ国内での情報操作・反発この時点でサマーワを含むムサンナ州に1100人の部隊を展開していたオランダでは、イラク派兵に当たり、劣化ウラン弾が兵士の健康に悪影響を及ぼすおそれがあるとして、議会で問題化した経緯がある。また、オランダの軍要員労働組合連合は、この出来事について懸念を表明している。「先週、国防省の担当者と話をしたが、彼等は今回の出来事について何も言及しなかった」と連合議長のクレイアンは語った。別の労働組合VBMのメンバーは、情報共有に関する国防省のこれまでの合意を挙げつつ、「こうしたことは、人々から隠してはならないことだ」と述べた。さらに別の労働組合AFMPのスポークスマンは、明らかに国防省は情報共有に関して、またもや「だんまり戦術」で逃げようとしている」と感想を述べた。 4 劣化ウラン弾について(1) 劣化ウラン弾とは劣化ウラン弾は、徹甲弾(armor-piercing round)として、分厚い戦車の表面を覆う鉄板を貫き穴を開けて激しく燃え上がり、内部の搭乗員と機能の破壊を目的とする砲弾である。通常の砲弾においては、内部に火薬(炸薬)が詰められ、標的に命中した際に砲弾内部の火薬が爆発することにより破壊を行う。 しかし、劣化ウラン弾は、内部に火薬は搭載されておらず、その材質である劣化ウランの重量が鉄鋼の2.4倍もあるため、鉄鋼弾と同じ重量であれば相対的に空気抵抗が少なくなり、同時に射程距離は長くなって、高速で標的に激突し、戦車等を覆う鉄板に鉄鋼弾の2倍以上の穴を開ける兵器である。 この劣化ウラン弾の材質であるウランは、空気中で熱せられれば激しく燃え、また粉末状になれば熱せられなくとも自然発火するという性質を持っているため、標的に命中する際の衝撃と発熱により激しく燃焼するのである。直撃を受けた人間は、その炎で焼かれ遺体は真っ黒に焼け焦げる。 つまり、劣化ウラン弾は、鉄鋼弾であると同時に焼夷弾(incendiary bomb or fire-bomb)としての性質をもつものである。 ウランが燃焼して微粉末になると、空気中など至る所に散布されてしまい、呼吸や水・食物の摂取を通じて、体内にも侵入することになるのである。 (2)劣化ウランの性質 |
ア 劣化ウランとはウラン鉱山から採掘した天然ウランには、核分裂を起こすウラン235が0.72%しか含まれておらず、そのほとんど(99.2746%)は核分裂を起こさないウラン238であり、残りの0.0054%がウラン234である。そのため、原子力発電所や核爆弾で使用できるようにするためには、核分裂を起こすウラン235の割合を増加させる作業である「濃縮」が必要になる。この濃縮過程で大量に生ずる残存物が劣化ウランであり、放射性廃棄物なのである。「劣化」という名称からは、害が少ない印象を受けるが、放射線量は天然ウランの60%に相当し、放射線の95%をα線として放出する。α線は透過力が弱く、空気中で数センチしか飛ばず、紙1枚でも遮断できる。したがって、直接人体に接しなければ影響は少ないのであるが、小さな粒子として体内に入ると極めて深刻な体内被曝を引き起こす。また放射線による毒性だけでなく、重金属毒性も併せ持つ極めて危険な物質である。そして、その半減期は45億年であり、永遠に放射線を出し続けると言える。 イ 劣化ウラン兵器の特性劣化ウランが最も大規模に利用されているのが軍事兵器であり、既に述べたように、主に貫通能力を高めるために砲弾に搭載される貫通体として、また防御力を高めるための戦車の装甲として利用されている。このウラニウム兵器には主に次の利点があるとされる。a 金属ウランは、銀白色の金属光沢のある物質で柔らかい性質を持っているが、その重量は1立方センチメートルあたり19グラムであり、鉄の密度の2.4倍もあるものであって、自然界に存在する元素中では最大である。 このように、劣化ウランは比重が大変大きく(鉛の1.7倍、鉄の2.5倍)、また硬いため、砲弾の弾芯に利用すると貫通力が増し、厚い鉄板やコンクリートに穴を開けるなど絶大な威力を発揮する。 b 砲弾中に爆薬がなくても着弾の衝撃で発火し、高温で燃えるため、敵の殺傷力が高い。 c 原料が放射性廃棄物なので、極めて安価である。 |
(3)劣化ウラン弾の危険性 |
ア 総論アメリカ陸軍環境制作局によれば、劣化ウラン弾が戦車に命中すれば、弾丸の材質をなす劣化ウランの約70パーセントがエアロゾール(直径数ミクロンのセラミック状のエアロゾール、空中を浮遊する酸化微粒子、1ミクロンは1/1000ミリ)に変化し、微粒子となるとされる。この微粒子となったウランを呼吸によって呼吸器内部に取り込んだり、水や食物と一緒に消化器内部に取り込んだりした場合に、人体に深刻な被害を及ぼす。ここでいう深刻な影響とは、劣化ウラン弾が炸裂した地域の周辺住民及びこれを使用した軍人の退役後、その軍人自身の配偶者及び子に、明らかな健康被害が生じるということである。 すなわち、ひとたび体内にウラン粒子を吸入すると、粒子はまず気管や肺組織に付着する。この粒子は、その殆どが不溶性であるため、血液に溶けにくく、長期間残留する。そして、残留した粒子が放つアルファ線は近傍の組織を被曝させ続ける。それにより細胞や遺伝子を変容させ、ガン、白血病、リンパ腫、先天性障害を引き起こす。そして徐々に血液、リンパ液へ吸収され、全身にわたる様々な疾病、障害を引き起こすのである。また、吸入以外にも経口摂取や傷口から血流に進入し体内に入り込む。 このような極めて恐るべき兵器を、米英軍はイラクに大量にばらまいた。戦争中のみならず、戦後も、その影響を人々は自らの体を蝕まれながら生きていかなくてはならない。米英軍は、劣化ウラン兵器が投下された瞬間にかけがえのない命を奪っただけでなく、生きている人間にも、さらなる永遠の苦しみを背負わせてしまったのである。 イ 湾岸戦争後の身体被害劣化ウラン弾が、初めて目に見える形で出てきたのは、いわゆる湾岸戦争であるが、その後、イラク住民やイラク兵士、米軍帰還兵やその配偶者や子に対する被害が生じていることは明らかとされている。1991年1月の湾岸戦争で、米軍は320トンの劣化ウラン兵器をイラクに投下した。 戦後イラクでは、戦前には見られなかった奇妙な現象が多発した。1家族に何人もガン患者が出たり、1人の患者が数種類のガンを発症するなど、急激な勢いでガン、白血病、再生不良性貧血および悪性腫瘍、免疫不全による感染症、大規模な発疹および帯状発疹性疼痛、エイズに似た症候群、肝臓と腎臓の機能障害による症候群、遺伝子欠陥による先天性形成異常(先天性障害)などが多発した。そして、特に胎児や抵抗力の弱い子どもたちに被害が生じた。湾岸戦争の戦場に近い南部の都市バスラでは、被害は極めて深刻であった。バスラ教育病院の医師によると、がんによる死亡者数は湾岸戦争前の1988年の34人から、2001年には603人と17倍に増加している。 具体的な被害の内容については、イラク住民、とくに若い女性や子供に、白血病、悪性リンパ腫、骨髄腫、肺ガン、甲状腺ガン、乳ガン、子宮ガン、腎臓ガン、肝臓ガン、脳腫瘍等の各種ガンが多発している。ガンだけではなく、免疫不全による感染症、腎臓や肝臓の疾病、呼吸器系疾病、関節炎、妊娠異常も多発している。 また、湾岸戦争退役兵のうち、イラクにおいて劣化ウランの粒子を吸入したりして体内に劣化ウランを残留して被曝した可能性のある元軍人の4割以上が、各種ガン、免疫不全、腎臓・肝臓の慢性疾患、気管支障害等の障害を訴えて退役軍人省に治療要求を行っている。 このような傾向は、イギリス軍の湾岸戦争帰還兵にも見られる。 |
5 劣化ウラン兵器が、イラク復興支援職員及び自衛隊の部隊に影響を及ぼすこと(1)劣化ウランと健康被害との因果関係この劣化ウランと各種ガン等の健康被害との因果関係については、現時点においても様々な議論があるものであり、確定的な結論は出ていない。しかし、そもそも、この劣化ウランと各種ガン等の健康被害の被害国における科学的・医学的な立証は非常に困難であると言わざるを得ない。 ここで問題とすべきは、イラク特措法第9条が内閣総理大臣と防衛庁長官に課した、イラク復興支援職員及び自衛隊の部隊がイラクで活動するに際し、それらの生命・身体につき、安全を確保すべき義務を十分に果たしているとはいえない状況が、サマワ及びこれを含んだイラク全土に存在しているという違法状態である。 将来、サマワから帰還したイラク復興支援職員及び自衛隊員に、イラク国民及び米英をはじめとする帰還兵に見られるような各種ガン等の健康被害が生じることは当然に予見されるところである。 (2)イラク特措法第9条との関係イラク特措法第9条が内閣総理大臣及び防衛庁長官に対して課す安全配慮義務は、このような被害が明るみに出た際に事後的に救済することを要求するものではなく、ましてや、その健康被害とイラクでの活動との因果関係を否定することでもなく、まさに、事前にそのような被害発生を食い止めるための予防の措置を取ることを要求しているものである。そうすると、少なくとも、湾岸戦争以来、全世界的にその被害が問題視されている劣化ウラン弾の脅威にさらされているサマワにおいて、漫然とイラク復興支援職員及び自衛隊の部隊を作業に従事させる行為は、それらの生命・身体に対する事前の予防措置を取るべきことを要求するイラク特措法第9条に違反するものというべきである。 (3)政府の劣化ウランについての認識劣化ウラン弾の問題については、従前より問題となっていたこともあり、政府も、関心を示してきたものであるが、国会においても、以下のようなやり取りがなされている。 |
「第153回国会 沖縄及び北方領土問題に関する特別委員会2001年11月21日・原口一博議員 私は、国連の経済制裁、軍事行動でなければ経済制裁は許されるんだというスタンスには立ちません。経済制裁がどれほど多くの人道的な、そして罪のない子供たち影響を与えるかということを、もうここらで精査するときに来ているというふうに思います。 こういう人道に対する兵器は、国連の人権委員会の小委員会の中で、1996年、しっかりと決議しているのです。劣化ウラン弾やクラスター爆弾、核爆弾といった人道上問題がある大量無差別殺戮兵器について、国連の人権小委員会は、人権、特に命への権利の享受に不可欠な条件としての国際の平和及び安全と題して決議を出しています。そこには、核兵器、化学兵器、ナパーム、そしてクラスター爆弾、生物兵器及び劣化ウラニウムを含有する兵器などというのが、しっかりと列記をされています。 これらの兵器の使用がもたらす悲惨な死、苦痛及び傷害、人間の生活及び健康、環境に与える長期的な影響、汚染され、遺棄された装備が生命に対する深刻な危険を明確に示しています。これは国連の決議です。 さて、どうでしょうか。私たち、沖縄には劣化ウラン弾がどれくらい置いているのか、それはわからない。しかし、米軍がこれを持ち込んでいることは確認されています。 ・・・外務大臣、こういう兵器に対しての基本的な認識をお伺い致します。 ・田中眞紀子外務大臣 今、原口議員がご指摘になっておられますのは、1996年の人権、特に生命に対する権利の享受のための必須条件としての国際平和と安全を指すというふうに思われます。同決議は、前文の中で、今、委員がおっしゃったように、大量の非差別破壊兵器の製造、使用等は国際的な人権及び人道法と両立しないということを述べている。そして、その上で、全ての国が劣化ウラン弾やクラスター爆弾等の製造及び拡散を制限することを要請しているということであります。 これはご不満かも知れませんが、この決議というものは、個人の資格で構成されている小委員会によって作成されたものであって、法的拘束力は有するものではないということもご案内であると思いますが、それを踏まえましても、そういう劣化ウラン弾の問題、それから、今、委員がおっしゃっていませんけれども、デージーカッターの問題もありますし、今回のテロに関連しましては、そういう兵器、それからクラスター爆弾も、あらゆる委員会で指摘をされております。」 「第155回国会 衆議院予算委員会2002年10月24日・海江田万里議員 イラクの攻撃の問題で、実は各議員の皆さん方に「チルドレン・オブ・ガルフウォー」という湾岸戦争の時の子供たちの写真集があるわけでございますが、この中で劣化ウランの問題ですね。これは、もう一つの別の核戦争だというような表現もございまして、私は、こういう問題を大変危惧しておりますので、日本ももっと、一部のNGOの方々はこういう支援活動をやっていますが、政府も、こういう劣化ウラン弾、間接的に被曝をしたり、あるいは直接的に被曝をした子供たちの救助のために何らかの形の救済の手を伸べることが必要ではないだろうかというふうに思うわけでございますが、総理、いかがでしょうか。 ・川口順子外務大臣 劣化ウランの問題につきましては、私どもも関心を持っておりまして、きちんとそのように対応をしていきたいと思っております。」 |
このように、政府は、2001年あるいは2002年の段階で、劣化ウラン弾が少なくとも、世界的に人道上、あるいは極めて危険性の高い兵器として認識されていたことを認めているものである。 |
(4)安全配慮義務違反 |
内閣総理大臣及び防衛庁長官は、このような政府の認識の中で、劣化ウラン弾等の危険性を無視する形で、イラク復興支援職員及び自衛隊の部隊等をイラク本土に派兵したものである。 劣化ウラン弾の危険性については、少なくとも2002年ころまでには、その危険性が極めて大きな兵器であることが判明している。 そうすると、その後において、内閣総理大臣及び防衛庁長官が、そのような危険性著しい兵器及びこれにより害された環境に、イラク復興支援職員及び自衛隊の部隊等を漫然と派遣し、また、そこから撤退するよう積極的な行為に出なかった不作為は、同法9条に違反する違法行為であるというべきである。 ある兵器の安全性に疑惑がある限り、これにより、イラク復興支援職員及び自衛隊の部隊等の生命・身体に対する危険が消え去ったものとは評価できない以上、相手方の生命・身体を害してはならない安全配慮義務を尽くしたものとは評価できないからである。 「要員候補の家族も不安を隠せない。幼児を抱える隊員の妻はうつむき、『何もしてやれないのが辛い。とにかく無事に帰ってきて欲しい』と、声を絞り出すのがやっとだった。」(熊本日々新聞平成17年10月4日) 原告らの思いは、まさに自衛隊員のご家族の思いでもある。 この安全配慮義務に違反する行為は、原告らの平和的生存権を侵害し、原告らに精神的苦痛を与える内容の行為と言うべきである。 |
以 上 |
第6章 自衛隊のイラク派遣の違憲・違法性
第1 イラク戦争の実態と日本の関与
1 イラク戦争の発生と終結・占領統治の経過
2「戦闘終結宣言」以降のイラク情勢
3 イラク移行政府発足後
第2 イラク派兵行為が憲法9条に違反すること
1 自衛隊イラク派兵は「武力の行使」(憲法9条1項)に該当し違憲である
2 事実関係を直視すべきこと
(1)陸上自衛隊の活動実態
(2)航空自衛隊の活動実態
3 結論
第3 自衛隊イラク派兵はイラク特措法違反である
1 自衛隊イラク派遣は本来違憲である。
2 イラク特別措置法の構造
3 イラク特措法の要件
(1)「施政を行う機関の同意」
(2)平成16年6月28日以前は「イラク特別代表」の同意が要件
(3)平成16年6月28日以降は自ら運営する移行行政機関の同意が要件
(4)同意要件のまとめ
4 自衛隊のイラク派遣につきイラク特措法第2条第3項1号の同意はない。
(1)イラク特措法第2条第3項第1号の同意はない
(2)平成16年6月28日以前に「イラク特別代表」の同意は無い。
(3)平成16年6月28日以降も自ら運営する移行政府機関の同意は無い。
5 以上
6 イラク特措法第2条3項戦闘地域への派遣、同法2条2項の武力の威嚇・行使に該当し違法
(1)日本国憲法を前提にしたイラク特措法の解釈
(2) 自衛隊イラク派兵は、イラク特措法違反である
第4 イラク戦争と国際法違反
1 はじめに
2 国際法の到達点
3 ウィラマントリー国際司法裁判所元判事の見解
4 米・英の国際法違反と日本
5 国際法違反行為の効果
6 国際条約における人権条項のイラク戦争による侵犯
第5 政府は安全配慮義務(イラク特措法第9条)に違反している
1 はじめに
2 イラクにおける武器使用
3 サマーワにおいて劣化ウラン兵器が使用された事実
4 劣化ウラン弾について
5 劣化ウラン兵器が、イラク復興支援職員及び自衛隊の部隊に影響を及ぼすこと