自衛隊イラク派兵違憲訴訟の会・熊本
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資料 2007.11.26
あゆみ第11回口頭弁論参照


最終準備書面



平成1 7 年( ワ) 第3 6 7 号外
自衛隊イラク派遣差止等請求事件
原告 藤岡崇信外74名
被告 国
       
               

原告ら最終準備書面

2007年11月26日
                                                                                                 
熊本地方裁判所
  第2民事部合議A係御中
 

               原告ら訴訟代理人    
                        弁護士  加 藤 修    
   外   





目  次

頁数
第1章 はじめに                      ・・・・・・・1
   第1  人権擁護機関としての司法権の役割 ・・・・・・・1
   第2  司法権と戦争について ・・・・・・・3
   第3  小括   ・・・・・・・9

第2章 平和的生存権は具体的権利である

・・・・・・10
   第1  平和的生存権の内容 ・・・・・・10
   第2  平和的生存権の侵害 ・・・・・・11
   第3  時代は平和的生存権を必要としている ・・・・・・12
   第4  自衛隊のイラク派兵と原告らの平和的生存権 ・・・・・・19

第3章 具体的権利侵害の存在

・・・・・・21
   第1  原告らの具体的利益 ・・・・・・21
   第2  侵害の具体的危険性 ・・・・・・24
   第3  原告らの被侵害利益の重要性 ・・・・・・29

第4章 差し止め請求

・・・・・・30

第5章 違憲確認

・・・・・・36

第6章自衛隊のイラク派遣の違憲・違法性  ※(第6章目次へ)

・・・・・・39
   第1  イラク戦争の実態と日本の関与 ・・・・・・39
   第2  イラク派兵行為が憲法9条に違反すること ・・・・・121
   第3  自衛隊イラク派兵はイラク特措法違反である。 ・・・・・129
   第4  イラク戦争と国際法違反 ・・・・・143
   第5  政府は安全配慮義務(イラク特措法第9条)に違反している

・・・・・148

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第1章 はじめに


第1  人権擁護機関としての司法権の役割


1 司法権の任務

司法権は、本来、国家機関のひとつであるが、そこには他の国家機関にはない特質がある。現行憲法が「憲法と法律に従う」ことを司法権に要求しているように、国民の人権を守るために国家機関を拘束するという憲法と、その憲法に従った法律に従うことを命じられている国家機関としての裁判所は、憲法に従い「国民の人権を守ることをその任務」とせざるをえないのである。

そして、国民の信頼を得てその権力行使の正当性を勝ち取るために、司法には憲法と法律にしたがい、論理的に国民を説得する崇高な任務が課せられている。


2 違憲立法審査権により立憲主義を守る役割

このような近代国家における司法の本質を体現して日本国憲法は、人権を守るために、司法権に対し、違憲立法審査権によって他の国家機関の違憲行為を統制する権限を与えている。まさに立憲主義の要ともいうべき役割を与えられているのが司法権である。

本件は、戦後初めて日本が戦争状態にある戦場に武力組織である「自衛隊」を戦争の一方当事者として派遣したことが、違憲であるかどうかを問う事件である。

もちろん、我が国の違憲立法審査権が付随的違憲審査制であり、抽象的違憲審査制を採用していないために、我が政府のなした「自衛隊派遣行為」が国家機関に対する禁止規定たる憲法9条に違反するかどうかを国民が直接問うことはできない。


3 本件訴えの本質

原告らが本件で訴えているのは、自らの主観的な権利である「平和的生存権」ないし「平和を求める良心」等の主観的権利が国の違憲行為によって侵害されたということである。その主観的権利侵害を前提に、国家による賠償と及び自らの主観的権利侵害の差し止めを求めて提訴したものである。


4 裁判所に期待するもの

このような訴訟の提起を受けた裁判所としては、国民が「裁判を受ける権利」の行使を申し出た以上、それが適法なものであれば適法な手続きに基づき訴訟を進行させ、中立公正な国家機関として憲法と法律、良心のみに基づいて判決を出すことを義務づけられる。

裁判が国民の信頼を勝ち得るためには、国民の訴えに対し、憲法と法律を論理的に当該事案に当てはめて結論を導き出し、その結論について正面から説明することが最低限、なければならない。また、裁判は結論だけではなく、その過程において当事者の納得を得ることを目的ともしている。

原告らはその上で次の通り主張するものである。

第一に、原告らが主張する権利・利益が精神的苦痛と評価でき、それが主観的に深刻(精神的苦痛である以上、評価は主観的なものでしかありえない)であれば、それは、不法行為法上、法的保護に値する利益と評価すべきである。
 
第二に、被告は、原告らの精神的苦痛が法的保護に値しない理由として、間接民主制の下で必然的に生じる少数者の不満等だから受忍すべきだとするが、これは明らかに誤っている。
 
確かに間接民主制の下で必然的に少数者が発生することはその通りである。そして、その際、通常は政府の政策判断に異論があろうとそれは議会制民主制の過程によって正されるべきものであることは論を待たない。
 
しかし、その論理が成り立つのは、当該法律が人権擁護規範である憲法に適合している限りにおいてである。憲法に違反する法律により、法的に保護に値する精神的苦痛が発生した場合に一切の違憲審査が許されないと解するのは、違憲立法審査権をもうけた日本国憲法の趣旨を没却させるものであり、違憲立法審査権を通じて憲法保障をはかろうとした日本国憲法の趣旨を理解すべきである。
 
本件訴訟は、我が国が戦後、最低限堅持してきた海外に武装した軍隊を派遣しない、という原則を破り、重武装の自衛隊をイラクへ派遣した、という歴史的な事態についての違憲、違法を問う訴訟である。それは平和主義だけでなく、我が国の今後の人権と司法の信頼性に関わる重大な事件である。
 
そこで、以下は司法権と戦争の問題についてさらに詳細に原告らの主張するものである。

         

  第2  司法権と戦争について


1 はじめに

被告が自衛隊をイラクに派遣したのは、イラク特措法を口実にしているが、その目的は次に述べるわが国の憲法の関係条文を改正し、わが国を「戦争の出来る国にする」にある。現在イラクは内戦状態にあり、イラクへの自衛隊の派遣は憲法9条に反することはもちろん、イラク特措法にも反することがますます明らかになったものである。
 
ところで、日本国憲法は、憲法前文、9条だけでなく、18条、76条などを通じ、戦争放棄を厳格に規定している。特に、自衛隊が事実上軍隊として海外で戦争をするには、軍法会議などが必要であることは論を待たない。日本国憲法76条が、司法権が最高裁判所に属することを明らかにしたのは、戦前の経験から、戦争を防ぐために設けた規定でもあると言わざるを得ない。
 
いま、政府が自衛隊をあくまでもイラクに派兵し続けるのは、わが国を「戦争を出来る国」にする目的のためであり、それ自体が憲法、イラク特措法に反して、違憲・違法といわざるを得ないものである。


2 憲法と戦争禁止条項

(1) 憲法前文

日本国憲法の前文の一段目は、まず、日本国民は「われらとわれらの子孫のために、諸国民との協調による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の参加が起こることのないようにすることを決意し、・・・この憲法を確定する」と宣言している。
 
そして、第二段目は、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と宣言する。
 
さらに、第三段目は、「いづれの国家も、自国のみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国との対等関係に立とうとする各国の責務であると信じる」と宣言する。
 
要するに、日本国憲法は、第一段目で、平和主義の確立が憲法制定の動機であり、平和主義と国民主権主義が不可分の関係にあることを宣言した上で、第二段目で、諸国民の公正と信義に信頼して平和主義を実現する立場、その中心となるものが平和的生存権であることを確認し、第三段目で、世界に対して平和主義の重要性を訴えている。
 
私たちは、前文で掲げられている平和的生存権が全世界の国民がこれを有することを確認するが、日本国憲法はなによりも日本国民自身がこの平和的生存権を有することを確認している。
 
すなわち、憲法は、平和的生存権を前文で、あるいは憲法13条を通じて具体的権利として認めているものである。

(2)憲法9条(永久平和主義)

1)憲法9条1項

憲法9条1項は、[1]国権の発動たる戦争、[2]武力による威嚇、および[3]武力の行使の3つを「放棄」の対象にあげている。したがって、この条項で、国際法上の戦争はもとより、戦争に至らない実質上の戦争行為や武力行使をほのめかして相手国を威嚇する行為の全てが、広く禁止しているものである。
 
憲法前文は、「諸国民との協調」「諸国民の公正と信義に信頼」することを前提にしているのであり、「国際紛争を解決する手段として」として上記[1]・[2]・[3]の国家の行為いずれも放棄しているものである。
 したがって、イラクにおいて、日本政府が自らは武力を行使しなくても、米英軍の武力行使に共同して行動したのであれば、本規定に反することは明らかである。米軍のなかで食事を提供する輜重部隊が直接戦闘に参加しないからといって、米軍として組織的に戦争行為に加担していないということはありえないからである。

2)憲法9条2項

[1] 9条2項前段は、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と規定する。この規定により、日本国が戦力を持つことは禁じられることになる。
 
「なお、戦力の不保持の主体は日本国であるから、日本国民が個人として外国軍隊に参加することは問題とならない。もっとも、日本政府が外国軍隊のために義勇兵の募集を行ったり、戦争に参加する個人に対して旅券を発給することは、憲法の平和主義に反する行為として違憲の疑いがある」(「憲法第3版」弘文堂 伊藤正己176頁)。
 
したがって、日本政府が、米英軍とともにイラクで武力を行使することに協力することも、この規定に反するものである。

[2] 憲法9条2項後段は「国の交戦権は、これを認めない」と規定する。憲法9条は、1項が戦争をすべて禁止し、2項後段ではそのことを前提に従来交戦国として国際法上認められていた諸権利を一切放棄したものである。
 
したがって、憲法9条1項、2項前段に反するかどうかは別にして、自衛隊が、イラクにおいて交戦権を行使することは当然できないものである。

(3)自衛隊と憲法

[1] 2002年度の主要5か国の国防費は次のとおりである(平成16年度防衛白書99頁;記載順序は入れ替えている)。

       国防費(百万$) 一人当り($) 対GDP比率(%) 
     米  国  331,951     1,161       3.2
     英  国   41,521      698       2.6
     日  本   33,832      265       0.995
     フランス   31,255      525        1.9
     ドイツ     24,606      300       1.1

上記からも明らかなように、自衛隊はドイツ・フランスを超える国防費によって維持されており、自衛隊をどのように呼ぶかは別にして、その実態が国際的に評価して軍隊であることは明らかである。

[2] 憲法9条と政府見解

政府見解は、「もとより、わが国が独立国である以上、この規定(憲法9条)は、主権国家としての固有の自衛権を否定するものではない」(平成16年防衛白書78頁最後の2行)しかし、この立場に立っても、問題は、自衛権を行使するためにとられる防衛の手段内容にある。政府見解は「わが国が憲法上保持しえる自衛力は、自衛のための必要最小限度のものでなければならない」として、自衛隊の有する防衛力はこれに当たらないとする。
 
しかし、このような見解は、憲法を強引に解釈して事実上「改憲」をしている解釈に過ぎない。もっとも、政府も現時点では、次のAないしDの見解にたっている(平成16年度防衛白書78ないし80頁)。

A 自衛権発動の要件

   @ わが国対する急迫不正の侵害があること
   A この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと
   B 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと

B 自衛権を行使できる地理的限界

武力行使の目的を持って武装した部隊を他国の領土、領海、領空に派遣するいわゆる海外派兵は、一般に自衛のための必要最小限度を超えるものであり、憲法上許されない。

C 集団的自衛権

わが国は、主権国家である以上、当然に集団的自衛権を有しているが、これを行使して、わが国が直接攻撃されていないにもかかわらず他国に加えられた武力攻撃を実力で阻止することは、憲法9条の下で許容される実力の行使の範囲を超えるものであり、許されない。

D 交戦権

憲法9条2項の交戦権は、交戦国が国際法上有する諸々の権利の総称であって、相手国兵力の殺傷と破壊、相手国の領土の占領などの権能を含む。
 
一方、自衛権の行使に当たっては、わが国を防衛するために必要最小限度の実力を行使することは当然のこととして認められており、例えば、わが国が自衛権の行使として相手国兵力の殺傷と破壊を行う場合、外見上は同じ殺傷と破壊であっても、それは交戦権の行使とは別の観念のものである。
 
ただし、相手国の領土の占領などは必要最小限度を超えるものと考えられるので、認められない。

(4) アメリカのイラク侵略との関係

以上述べたように、憲法の立場からすれば当然として、仮に政府の見解にたっても、わが国が、アメリカのようにアフガニスタンやイラクに行っている武力行使を行うことは憲法上絶対に許されることではない。ましておや、内戦状態のイラクに自衛隊を派遣することは、内戦においてはイラクにおける正統な政府が存在しないことを意味するのであるから、イラク特措法自体にも違反するものであることは明々白々である。
 
そして、アメリカの武力攻撃に共同していると看做される行為も当然憲法違反である。わが国がイラクから撤退しないのはアメリカが撤退しないとしているからに過ぎず、そのことからも自衛隊が米軍と共同行動していることは明らかであり、まさに自衛隊のイラク派遣は外国であるイラクにおいて集団的自衛権を行使しているものであり、憲法9条に反することはあまりにも明らかである。


3 憲法18条(人身の自由)

憲法18条は、前段で「何人も、いかなる奴隷的拘束を受けない」とし、後段で「又、犯罪による処罰の場合を除いて、その意に反する苦役には服させられない」と規定しうる。
 
そこで、明治憲法下において定められた国家総動員法による国民徴用制度は憲法18条に反するし、徴兵制は、憲法9条のもとで設けることができないが、人権保障との関係では、兵役の義務が意に反する苦役にあたり、憲法18条に反する(「憲法第3版」弘文堂 伊藤正己著332頁)。
 
もっとも、わが国を「戦争を出来る国」にすることを徹底するには、徴兵制をしくことが必要である。これは将来の射程距離としては有りうるが、後に述べるように現時点での憲法改正の課題となっているわけではない。


4 憲法76条(司法権)

憲法76条第1項は、「すべて司法権は、最高裁判所および法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する」とし、同第2項で「特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行うことができない」と規定する。
 
特別裁判所とは、特殊な人または事件について裁判をする裁判所であって、一般的な司法権を行う通常裁判所の系列の外に置かれるものをいう。明治憲法60条は、「特別裁判所ノ管轄ニ属スベキモノハ別ニ法律ヲ以て之ヲ定ム」と定め、特別裁判所を認めていた。行政裁判所や軍法会議はその代表例である。
 
憲法が特別裁判所の設置を禁じている趣旨は、「司法権は司法裁判所に統一的に所属するという原則を徹底させるとともに、全ての国民に裁判の平等を保障することにある」(「日本国憲法概説」全訂第5版 学陽社 佐藤功著467頁)。これは、憲法14条が法の下の平等を定めているところからも位置づけることができる。
 
憲法82条1項は、「裁判の対審及び判決は、公開法定でこれを行う」とし、第2項で「裁判所が、裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合には、対審はこれを公開しないで行うことができる」と定めている。

しかし、憲法82条2項但書は、[1]政治犯罪、[2]出版に関する犯罪、および[3]憲法第三章で保障する国民の権利が問題となっている事件については絶対的に公開されることとしている。
 
そして、憲法76条3項は「全て裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律のみに拘束される」と規定する。
 
国民は平等にこうした裁判を受ける権利を有するものである。例えば、自衛隊のイラク派遣、イラク駐留に関し、自衛隊が自衛隊員に対して行った人権侵害などについては、当然わが国の裁判所がこれを裁判することになる。さらに、刑法第3条は国民の国外犯を規定し、建造物放火・その未遂、現住建造物等浸害、文書偽造等、強制猥褻及び強姦と重婚・その未遂、殺人・その未遂、傷害・傷害致死、堕胎、保護責任者遺棄等、逮捕及び監禁等、誘拐、名誉毀損、窃盗及び不動産侵奪と強盗・その未遂、詐欺及び恐喝等・その未遂を列挙する。 したがって、自衛隊および自衛隊員がイラクにおいてイラク人などに対して上記に列記する犯罪を犯せば、当然わが国の裁判所で裁かれることとなる。そして、その前提として、検察官が当然これを捜査し、起訴する権限を持つものである。
 
憲法が平和主義を掲げている現実的な意味は、まさにこうしたところに存するのである。


  第3 小括

以上から明らかなように、日本国憲法下の司法は、少なくとも国民に対する憲法違反の人権侵害があれば、例えその程度が小さくても堂々と正面から憲法判断を下すのが、日本国憲法の求めるところである。

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第2章 平和的生存権は具体的権利である

  
  第1 平和的生存権の内容


1 平和的生存権は「戦争をせず武力による威嚇をせず、武力行使をせず、そして戦力を保有しない日本に生存する権利」である。(小林武証言21項)
 
また原告らの主張する「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」という定義にも小林教授は賛成している。(小林武証言21項)


2 日本国憲法前文は「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と定めている。


3 日本国憲法第9条は、次のとおり定めている。 


「第9条

[1] 日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇、又は武力の行使は国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

[2] 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。 国の交戦権は、これを認めない。」



4 さらに日本国憲法前文は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し・・・この憲法を確定する。」と決意を述べている。

憲法前文及び9条によって明らかとなる「平和」の具体的内容のもとで生活する権利が、平和的生存権である。



 即ち第2次世界大戦の甚大な惨禍の反省から生まれた日本国憲法は、世界に先がけて、戦争を放棄し、武力行使、武力による威嚇を永久に放棄したのである。


 この憲法の持つ意義の最大のものはここにあり、誇り高く「平和憲法」と呼ばれる意味もここにある。


  第2 平和的生存権の侵害


1 小林教授は平和的生存権の侵害について次のように述べている。

「9条違反の公権力行使がなされたとき、国民一般の平和的生存権は侵害されたことになる。」(小林武証言22項)
 
現代の我が国の状況、即ち原告らが置かれている状況からいって

「結論として平和的生存権が侵害されています。イラクへの自衛隊派遣ということに絞って考えてみても、9条とは正面から相容れないと思います。それにとどまらず「専守防衛」の目的で創られた自衛隊が何ゆえに海外、しかもこの場合は戦場である外国へ武装して派遣されることが可能となるのか、憲法9条違反、自衛隊法違反、イラク特措法違反という誠に法治主義の体系からは説明し難い国家行為が今日なお続けられています」(小林武証言23項)


2 本年6月に明らかになった自衛隊の情報保全隊の行動について小林教授は

「自衛隊法の中にこういった情報活動をする根拠はありません。このような違法行為による権利侵害は、具体的にはプライバシーを侵害されますし、また表現の自由、政治的活動に対する大きな制約となります。また私たちが軍事ということに怯えることなく穏やかに生活するということを基本的内容としていますし、平和的生存権を侵害していることになります」と述べている。


 またイラク戦争への自衛隊の派遣行為について、小林証人は、

「停戦が成り立ってから中立的な立場でごく限定された武器を持って海外に出かけるPKO、これと比べて大きく異なっており ます。違憲性が深まっております。また、同じく自衛隊が海外へ出かけるにしても、海にとどまっていて、そして海から後方支援を行なうという、そういうこと、その段階、つまり湾岸戦争時期のものともまた違います。違憲性が深まっております。今回は直接戦場になっている陸地へ、他国へ武装した自衛隊が、しかも5000という程度の規模で派遣されていることの大きな違憲性、これがまずこれまでとは違った今回の問題の持っている違憲性だと思います。そして具体的には長期に及んでおりまして、2003年の3月から長期に及んでおりまして、イラク駐留がですね、日本の参加はその少し後でありますけども、そういう状況というのはやはりこれまで日本の憲法の下で私たちが経験したことがない戦争への参加というふうにいえるのではないかと、違憲性の度合は格段に深いというふうに思います」と述べている(小林武証言52項)。


  第3 時代は平和的生存権を必要としている


1 新防衛計画大綱

(1)国民保護法にもとづく基本指針が検討されていた2004年12月、政府は「新防衛計画大綱」を閣議決定した。「大綱」の閣議決定が12月10日、基本指針要旨の発表が12月14日であるから、「大綱」と基本指針は同じ時期に同じ政府の中で検討されていたことになる。「冷戦型の対機甲戦、対潜戦、対航空侵攻を重視した整備構想を転換」し、大規模テロ・大量破壊兵器の拡散などの「新たな脅威」に対応できる、「即応性、機動性、柔軟性及び多目的性を備え、軍事技術の動向を踏まえた高度の技術力と情報能力に支えられた、多機能で弾力的な実効性のある」防衛力への再編を目指し、海外での活動を本務とするというのが「大綱」の骨格である。「大綱」の前提になっているのは、この国への武力侵攻の可能性がなくなったという冷厳たる事実なのである。

(2)この「外征」への転換はひとり防衛庁の構想というにとどまらず、米日両軍の一体化・統合軍化をいっそう推し進める在日米軍の再編成に対応したものであり、それは全世界規模で進められる米軍の再編成(トランスフォーメーション)の一環として推進されている。その転換が生み出す「いつでもどこにでも出撃していける自衛隊」への法的担保の要求が、第9条を焦点にした日本国憲法の明文改憲の動きとして浮上していることも周知のところである。米日両政府も改憲勢力も、「どこかの国の武力侵攻」などまったく考えていないのである。


2 武力攻撃事態法

(1)2003年6月6日成立した武力攻撃事態法は、有事法制全体の基本法ともいうべき法律である。
 この法律は、有事法制発動の要件として「武力攻撃事態」と「武力攻撃予測事態」の2つを定めた。
 この「予測事態」の代表的なものが周辺事態である。周辺有事で米軍が武力行使している時に、後方地域支援をしている自衛隊が攻撃を受けた場合や、外国にある日本大使館、公使館が攻撃を受けた場合にも有事体制がとられることになり、いわゆる「戦時」になるのである。

(2)武力攻撃事態法は、日本がどこかの国に攻められた場合に発動する法律だったはずなのに、日本に対する攻撃とはいえない場合でも発動しうることになり、専守防衛のための有事法制のはずが、攻撃型の有事法制ではないかということになる。
 
しかし政府は、「有事法制は、自衛のため法制」であり、憲法に違反しないと言い張っている。憲法9条2項が戦力の不保持、交戦権の禁止を明白に定めていても、政府は、攻撃型の有事法制を合憲と言い張るのである。


3 国民保護法

(1)2004年6月14日に有事法制関連7法案と3条約承認案件が成立した。武力攻撃事態に対処するために国内法の整備の性格をもつ法律である。
 国民保護法は、有事でない平時から発動され、啓発活動や避難訓練を通じて国民に有事を想定して行動することを要求するものである。
 
国民保護法では、武力攻撃事態として4類型、[1]着上陸侵攻、[2]ゲリラや特殊部隊による攻撃、[3]弾道ミサイル攻撃、[4]航空攻撃の4類型、緊急対処事態として[1]危険性ある施設(原発)などの攻撃、[2]多人数が集合する施設、大量輸送機関などに対する攻撃、[3]多人数を殺傷する物質(サリンなど)の攻撃、[4]破壊の手段として交通機関を用いた攻撃の4類型で想定されている。

(2)国民保護法では、すべての都道府県・市町村が国民保護計画(国民の保護に関する計画)を作成することになっている。戦争(=武力攻撃事態)や大規模テロ等(=緊急対処事態)が起こったとき、地方自治体が機敏に対応でき、地域ぐるみで対応できるようにしなければならない・・・・・これがすべての自治体に「計画」が要求される理由である。

2006年3月末までに都道府県国民保護計画を作成し、2007年3月末までに市町村国民保護計画を作成するのが政府のタイムテーブルである。

(3)我が国への武力侵攻などあり得ないし、万が一発生した場合には国民保護計画など何の役にも立たない。突発的に発生するテロや原発攻撃には有事法制や国民保護法は有効に活用できない・・・・これまで述べた有事法制・国民保護法の構造的欠陥は、実は有事法制を生み出そうとし、運用しようと考えている側にとっても自明のことがらのはずである。これらは、有事法制・国民保護法が登場した当初からはらんでいた虚構であり、有事法制が地域社会に浸透しようとする国民保護計画の段階になって虚構性がいっそう明らかになったにすぎないのである。
 
ではなぜ、これほど虚構を重ねた国民保護計画がこの国を覆うとしているか。有事法制・国民保護法が社会を変容させるというただひとつの実像があるからである。
 
都道府県の計画が策定され、区市町村の計画が完成して、地域社会を国民保護計画のネットワークが覆うとき、地域社会と自治体は武力攻撃事態法を頂点とする有事法制体制に組み込まれることになる。米日両軍の共同作戦を前提にし、自衛隊のみならず米軍に対しても兵站提供の責務を自治体や業者・住民に負担させる有事法制は、米日両軍の作戦行動や兵站支援への「国民的協力」を要求せざるを得ない。有事法制のもとで国民を作戦や兵站への協力に駆り立て、作戦・兵站を支える後方を構築するシステムが国民保護法・国民保護計画なのである。

(4)国民保護計画のネットワークが完成すれば、随所で「有事に備えた避難訓練」だの「対テロ演習」だのが行われるようになるであろう。「敵」のいない災害対策訓練と違って、「仮想敵」や「テロリストと同調者」の存在を前提とする「有事演習」は、「訓練非協力者=テロ同調者」、「不審な外国人=スパイもどきの輩」との烙印を生み出していくだろう。それは地域コミュニティが「敵」と「味方」に区分けされた相互監視社会に変容していくことを意味している。


4 集団的自衛権研究

(1)政府の「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(座長・柳井俊二前駐米大使)が5月以来すすめてきた集団的自衛権の行使についての議論が8月30日の第5回の会合で一巡した。
 
懇談会の議論は、安部首相が諮問した四つの類型すべてについて、現行憲法のもとでも可能とする方向に導くものとなっている。
 
米艦を自衛隊が防衛するのは「解釈を変えて行使するのが望ましい」(第2回)。アメリカ本国に向かう弾道ミサイルを自衛隊が撃ち落さないのは「日米同盟の根幹が揺らぐ問題」(第3回)。他国の部隊を守るため武器を使って「駆けつけ警護」も「可能」(第4回)。武力行使と一体化した活動が憲法違反という「一体化論」は「国際的に通用しない」(第5回)など―。
 
これらの問題はどれも、「日本防衛」と無関係の武力行使である。憲法が禁止した集団的自衛権の行使にあたるため、従来、政府が否定してきたものばかりである。

(2)日本領土が外国から侵略されてもいないのに、インド洋やイラクなどの戦場に出動し、米軍が交戦している相手に自衛隊が武力で攻撃するということは、日本がアメリカの交戦国に対して、友好協力関係を犠牲にして、自ら開戦に突入することを意味する。
 
戦争を放棄している日本が、「日本防衛」とまったく関係のない国際紛争の解決のために武力を行使するのは憲法9条1項にも反することは明白である。政府がやろうとしているのは、戦争放棄という憲法の中核的な部分を骨抜きにすることにほかならない。戦争の道を再びすすむのではないかと国民が懸念をつよめている。
 
集団的自衛権の行使が憲法違反だということは、憲法が施行されてから60年間の国会議論で政府が繰り返してきた憲法の確定解釈である。日米軍事同盟強化論者や憲法改悪論者ばかりを集めて憲法解釈を覆すのは、憲法に対する事実上の“クーデター”であり、絶対に許せることではない。
 
憲法という成文法をその時々の政権が自由に解釈して変更することほど危険なことはない。憲法は、前文で「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」と述べているように、政府をしばっている。戦争放棄、交戦権否認、戦力不保持を明記した9条はそのためのものである。
 
憲法を最高の規範にしなければならない政府が勝手に憲法の意味を解釈するのは、憲法の存立意義を否定し、法治主義を根底から突き崩すことである。国家権力は憲法に拘束されるという立憲主義を踏みにじる安倍首相(当時)の態度は国際社会でも通用しない。
 
戦前、天皇制政府と軍部は国民の意思など無視して侵略戦争を強行し、二千万人ものアジアの人々と三百万以上の日本国民に犠牲を強いた。過ちを繰りかえさせない歯止めは国民の意思にかかっている。


5 自衛隊による国民監視

(1)平成19年6月6日日本共産党の志位和夫委員長が国会内で記者会見し、自衛隊の「情報保全隊」による大規模な国民監視活動を詳細に記録した内部文書を独自に入手したとしてその内容を公表した。
 
志位委員長は「自衛隊の部隊が日常的に国民の動向を監視し、その情報を系統的に収集しているのは動かしがたい事実であり、違法、違憲の行為である」と述べ、政府に対し活動の全容を明らかにし、直ちに監視活動を中止するよう求めた。

(2)内部文書の記載の内容は、自衛隊イラク派兵反対の運動など、個人や団体による幅広い運動の情報である。いずれの文書も、多数の個人を実名で記載。デモや集会の写真を掲載した文書もある。
 
一つ目の文書は、陸自東北方面情報保全隊が作成した「情報資料について(通知)」と題する文書(5部)。東北方面情報保全隊が収集した情報を、週間単位で一覧表としてとりまとめ、分析をくわえている。
 
二つ目は、陸自情報保全隊本部が作成した「イラク自衛隊派遣に対する国内勢力の反対動向」と題する文書(6部)である。全国の情報保全隊が収集した、自衛隊のイラク派兵に反対する運動を記録している。41都道府県、289の団体・個人が「市街地等における反対動向」として記録されている。
 
「情報資料について」は、自衛隊イラク派兵反対運動に限らず、医療費負担増、年金改悪、消費税増税に反対する運動や「国民春闘」といった運動まで詳細に記録している。

 「イラク自衛隊派遣に対する国内勢力の反対動向」からは情報保全隊が自衛隊イラク派兵に反対する運動を監視するために、特別の体制をとっていたことがうかがえる。
 
志位委員長が紹介した、自衛隊関係者の証言によると「(陸自情報保全隊は)国民的に高まったイラク派兵反対運動の調査を中心的な任務とし、ほかの情報よりも優先して本部に報告する体制をとっていた」という。
 
志位委員長は情報保全隊による国民監視の一例として、イラク・サマーワでのジャーナリストの取材活動や日本におけるマスコミの動向、映画監督の山田洋次さんなど著名人の発言、地方議会の動向、国会議員の発言、宗教者の平和活動、イスラム団体の動向についての記述をあげ、「民主主義を覆す重大な問題」と強調した。
 
そのうえで、自衛隊による国民監視は憲法21条が保障する集会、結社及び言論、出版などの表現の自由を根底から脅かす行為であり、個人名の記載や集会参加者の写真撮影は憲法13条が保障するプライバシーの権利の侵害だと指摘。こうした活動は「日本国憲法を蹂躙(じゅうりん)した違憲の活動であるとともに、自衛隊法にも根拠をもたない違法な活動」だと批判した。
 
軍隊である自衛隊による国民監視は、「戦前・戦中に、憲兵組織が弾圧機関となった暗黒の歴史を今日に復活させようとする許しがたい行為」と主張。「闇の部隊の活動を隠ぺい・継続することは許されない。国会で追及していくと述べた。

(3)熊本日日新聞6月7日付(甲第79号証の6)で軍事評論家の前田哲男氏は、
 
「情報保全隊という『軍』の情報機関に類する組織が、反自衛隊活動に対する情報収集をしたのは、言論や表現の自由を抑圧する監視活動と呼ばざるを得ない。特定個別の事件が発生した際に、機密情報保護のための捜査を認める自衛隊法の規定を超えている。有事の協力を義務付けた国民保護法成立などが時代背景としてあり、自衛隊がデモや抗議活動を監視したのは有事法制が作り出した組織としての自然な欲求と言えなくもない」

と印象を述べている。

  第4 自衛隊のイラク派兵と原告らの平和的生存権


1 問題は以上第3に述べた諸点には限られない。米軍再編が日本各地で問題となっている。沖縄で新基地をつくる問題、岩国に艦戴機を持ち込む問題、従わない自治体には交付金を交付しないなどアメとムチのやり方で自治体に屈服を迫っている。税金の使い方の問題でも、米軍再編のために3兆円の税金を注ぎ込む。
 
アフガンやイラクで罪のない住民を殺害している米軍の出撃基地の強化は、原告らにとって決して他人事ではない。



2 また、テロ特措法延長をめぐる問題が起こった。

平成19年11月2日午前0時、テロ特措法が期限切れとなり、インド洋で米軍艦船などに給油活動をしてきた海上自衛隊の艦隊を撤収することとなった。
 
平成19年7月29日に行われた参議院議員選挙は、自民党が改選議席を27減らし、公明党が4人の現職議員を落選させるなど自公政権に極めて厳しい審判が下された。この結果、参議院での与野党の勢力比が逆転し、民主党がテロ特措法の延長に反対を表明したため、行き詰った安倍首相(当時)は退陣した。
 
政府は10月17日新テロ特措法案を国会に提出した。また一方で11月2日福田首相は民主党小沢一郎代表と会談し、連合政権を提案し、自衛隊海外派遣の恒久法を作る話が浮上してきた。
 
何が何でも米軍への給油活動を継続させたいという政府の野望がなりふりかまわぬ行動に駆り立てている。


3 さらには、防衛省への昇格と海外派兵の本来任務化がある。

平成19年1月9日防衛省が正式に発足した。
 
インド洋とイラクへ派兵された自衛隊員はこれまでに延べ約2万人にのぼり、その関連経費として総額約1400億円もの国民の税金が注ぎ込まれている。これは、自衛隊の主な海外活動への派遣隊員数全体の約71%、経費では約75%にあたる。これらの海外活動は、昨年12月に国会で成立した「防衛省」法で自衛隊の本来任務(主要任務)になった。
 
イラクとインド洋での活動は、米軍の戦争に対する海外での軍事支援である。自衛隊の本来任務とされたのは、実態としては“海外での米軍戦争支援”にほかならない。憲法9条のもとで建前とされてきた「専守防衛」の自衛隊から、本格的な「海外派兵型」軍隊への大転換である。
 
自民・公明の与党と民主党は“海外での米軍戦争支援”を可能にするため「防衛省」法が国会で採決された際、「装備品や人員の配置等について適切な整備を行うこと」を求めた付帯決議を可決した。
 
注ぎこまれる国民の税金は、インド洋とイラクへの派兵関連で費やした1400億円ではすまない規模になることは確実である。
 
すでに自衛隊は予算でも装備でも世界で有数の軍隊である。防衛庁発足時に比べ、軍事費は約36倍に膨れ上がり、2007年度予算では4兆8016億円に達した。


4 本件においては、以上に述べた情勢の中で、自衛隊のイラク派兵に関して原告らの平和的生存権が侵害されたことを問題とするものである。 
 
戦争はある日突然始まるものではない。歴史の中で様々な戦争準備が行われ、そして戦争を迎えるのである。
 
原告らは、今の日本の国の状況を深刻に憂慮している。日本がアメリカの世界戦略と自衛隊のために巨大軍事費を使い、日本の社会を変容させていることに対し危機感を抱いているのである。

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第3章 具体的権利侵害の存在


  第1 原告らの具体的利益


1 被告は、原告ら自身の主観的利益に直接かかわらない事柄に関し、国民としての一般的な資格・地位をもって上記請求をしているののであり、本件を民事訴訟として維持するため、一見、具体的な争訟事件として維持するために、一見具体的な争訟事件のごとき形式をとっているにすぎないと主張している。


2 しかし、原告らの受けている具体的権利侵害は、単なる悪感情というようなものではなく具体的にその権利が侵害されているというべきである。 いか、本法廷での各原告らの供述からは以下のような権利侵害の状況が明らかになってきている。
 
たとえば原告藤岡祟信(以下「藤岡」という)は浄土真宗本願寺は住職であるが、藤岡は子どもの頃に、第二次世界大戦があり、空襲や機銃掃射を受けたという体験を有しており、その経験の上に、宗教家となり次第に真の宗教とは何であるか、仏教の教えを伝える僧侶の使命とは何であるかを問いただすようになり平和運動を積極的に行うようになったのである。
 
藤岡は自衛隊のイラク派遣が日本が戦争に巻き込まれる危険性を強く感じており、戦争ともなれば国が宗教を利用して戦争を賛美させ、死亡した人を英霊として顕彰させるようなことになりかねず、そのような国に押しつけられるような布教をしたくないという思いから裁判にたったのであり、自衛隊がイラクに派遣されることで、藤岡の宗教的人格権は深く傷つけられたのである。
 
また原告本田香織は日本基督教会、直方教会の牧師であるが、2004年10月31日イラク共和国で殺害された香田証生の関係で証言したが、香田証生が自己責任を問われ、バッシングされている状況を見て、戦争が人権を無にしていくことを感じ、日本がまさに戦争をしている、侵略戦争の加担者となっていることに宗教家として深い悲しみを受けているのである。
 
教育者であった原告上村文男は、自分自身の軍隊経験はないものの、軍国教育を受け軍国少年となっていて、空襲を受けても怖いという気持ちと同時に敵を討つという気持ちがあった。しかし、戦後軍国主義教育を行っていた教育者が一変したということに、ものすごいショックを受けたのである。その後、教育者となって、平和の問題を真剣に考えるようになり、自己の教え子や家族が戦争に巻き込まれる危険性のなることに深い悲しみを抱いているのである。
 
また同じく教育者であった*****は、戦前師範学校で軍国主義の教育を受けていたが、昭和23年に教員になってから組合活動や同和教育などを通じ、様々な人権問題に関与するようになった。そのように平和問題や人権活動を行ってきた同人の孫が自衛隊に入隊して、何時イラクに派遣されるのではないかと心配でならないという。
 
さらに原告山本あやは、戦前小学校で教員をしており、戦前軍国主義教育を実践し、直接間接に教えた子どもたちを戦場に送り出していった反省を持つものである。その為に戦後は、戦場に子どもを送らないという誓いを志を同じくする教師と誓い合い、平和教育を実践してきたのである。そのような山本にとって国民が戦場に行くようになる戦争の危険性を持つ自衛隊のイラク派遣は決して許すことのできない行為であり、山本は自衛隊がイラクに派遣されたことに深い悲しみと憤りを感じているのである。
 
原告吉本悦子は、終戦後のどさくさの中で日本に引き揚げて来たのであるが、既に国民を守るべき軍隊は先に引き揚げて、一般国民は置き去りにされる状態になった経験を有しているのである。戦争により、青春を奪われた吉本悦子は、そのような戦争を憎み、平和を守ろうと考えているのであり、自衛隊のイラク派遣は戦争へ通じるものとして、非常な恐怖感を抱いているのである。
 
また平和運動をしている原告田中信幸は父親が軍隊の経験をしており、父親との葛藤がある中で、何故にあのような侵略戦争が起こったかを考え、自由な言論がなかったことが戦争になった原因であると考えるようになったのである。言論の自由が守ることが平和的生存権を守ることになるが、情報保全隊問題やビラ撒きに対する弾圧などを通じ、言論の自由が侵害されていることから平和的生存権が危険にさらされていると感じているのである。
 
また原告荒木正信も労働運動にとって平和であることが、その前提であることを認識し、戦争を許さない熊本県民連絡会に加入していたが、自衛隊の情報保全隊のターゲットになっている人物であり、その怖さを感じているのである。自衛隊がイラクに派遣されていることが、自由な表現活動を侵害することになることを痛感しているのである。
 
原告楳本光男は熊本県労連事務局長をしているのと同時にPTA会長をしていた経験を持つものである。PTAも労働運動もともに戦争とは反対の立場にある組織であり、平和の上に成り立っている活動であることを述べて、イラクへの自衛隊派遣は労働組合運動もPTA活動も行えなくなる戦争への危険性を有していることを痛感し、その危惧を抱いているのである。
 
原告*****は小学生の子どもを持つ母親であり、高校の図書館に司書として勤務している。その勤務先の高校の生徒が自衛隊に入隊してしていて、自分が知っている子どもたちがイラクに派遣されたのではないかと心配している。**は子どもたちが戦争の危機にあうようなことが絶対にならないようにして欲しいと切実に訴える。母親として当然の切実な訴えである。 
 
原告中山清隆は、兄が長崎における被爆体験を有しているものであり、戦争が人の命、家屋敷を奪い、人の心まで奪う絶対に許されない行為であると感じ、イラクで起こっていることに心を痛めているのである。自衛隊がそのイラク戦争に荷担していることに対して深く心を痛めているのである。


3 まとめ

以上のような例は、原告らの受けた精神的苦痛のごく一例である。原告らすべてが、自衛隊のイラク派遣で、平和的生存権を中心にした人権侵害をうけ精神的な苦痛を受けている。
その損害は、原告によっては1万円にとどまるものではないが、すべての原告に共通する損害として1万円を請求するのである。

  第2 侵害の具体的危険性


1 原告らの戦争に巻き込まれる危惧は抽象的なもので、具体的危険性はないのではないかという反論が考えられるので、この点について検討する。 


2 イラクに対するアメリカの攻撃に賛同する有志連合に対して、アメリカの侵攻に反対する人々の反撃は、その参加している国の人々に対するテロ行為として発生している。

(1)スペインでのテロ  

2004年3月11日の早朝、スペイン・マドリード市内のアトーチャ駅など3つの駅で大規模な爆発が起こった。駅の建物や列車が激しく損壊、通勤ラッシュの時間帯のため被害は拡大し、192人が死亡、2000人以上が負傷する大惨事となった。事件の当初は、スペインから分離独立を目指して紛争を続ける「バスク祖国と自由」(ETA)による犯行かと疑われた。しかしETAはすぐに関与を否定した。
 
犯行後、「アブ・ハフス・アル・マスリ隊」と称するアルカーイダ系のテロリストグループがロンドンのアラブ系有力紙に犯行声明を出した。「死の部隊が欧州の深部に浸透し、十字軍の柱の一つであるスペインを攻撃し痛打を与えることに成功した」「アスナールよ、米国はどこだ。だれがお前を我々から守ってくれるのか。英国、日本、イタリア、そのほかの協力者か?」などと、電子メールを使って送ってきた。
 
この事件はスペイン・アスナール政権がアメリカ合衆国への同調から、イラク戦争への参加を計画当初から決定しており、数百名の兵士をイラクに派遣していたことが背景にあると指摘されている。
 
事件の影響により、スペイン国内では派兵を決めたアスナール政権への批判が集中、撤兵を求める市民のデモが相次いだ。野党もあわせて政権を攻撃、折りしも総選挙の三日前に(狙ったものと思われる)起きた事件のため、選挙結果に直接の影響を与えた。選挙の結果を受けてアスナール政権は退陣、発足したスペイン社会労働党のホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ新政権は成立直後にイラクからの撤兵を決定し、2004年4月18日から5月までにすべて完了した。

(2)ロンドン同時爆破事件

2005年7月7日午前8時50分頃、イギリスの首都ロンドンにおいて地下鉄の3か所がほぼ同時に、その約1時間後にバスが爆破され、56人が死亡するテロ事件が発生した。
 
イギリス捜査当局はテロリストによるテロと発表した。発生当時は起爆装置を爆発させた時限式の爆発物によるテロと発表していたが、後日自爆テロと修正した。
 
この事件もアルカイーダの関与があると指摘されている。

3 国家からだけの攻撃ではない。

自衛隊がアメリカのイラク侵攻に協力していることに対して、国家として戦争が起こされる可能性は抽象的危険性でしかないということはいえるとしても、イラク侵攻に反対するアルカイーダ等のテロ組織の標的となることは、上記のスペイン、ロンドンでのテロ行為の存在からも明らかである。
 
これを単なる抽象的危険性というだけで、具体的危険性はないと切り捨てることはできない。
 
テロ行為等によって原告らの生命身体の安全、平和的生存権に対する危害が発生していることは、被告国の公式文書によっても認められている。

(1)「新防衛大綱」による危害の認定

防衛大綱は、閣議決定で定められる我が国の長期的(10年単位)規模での安全保障戦略の基本指針を示す重要文書であり、これまで1976(昭和51)年、1996(平成8)年に閣議決定されていた。イラクへの自衛隊派兵後の2004(平成16)年12月10日、「平成17年度以降に係る防衛計画の大綱」(以下、「新防衛大綱」という)が閣議決定された。
 
この新防衛大綱は、「我が国を取り巻く安全保障環境」について、従来の防衛大綱とは異なり、「今日の安全保障環境については、米国の9.11テロにみられるとおり、(略)国際テロ組織などの非国家主体が重大な脅威となっている」とし、「大量破壊兵器や弾道ミサイルの拡散の進展、国際テロ組織等の活動を含む新たな脅威や平和と安全に影響を与える多様な事態(以下、「新たな脅威や多様な事態」という)」が発生していると認定した。
 
これは、新防衛大綱が、我が国で生活している原告らに対しても、国際テロ組織等の活動によって「新たな脅威や多様な事態」=すなわち原告らの生命身体に対する侵害の危険が、現実に存在していることを認めたことを意味している。
 
しかも、新防衛大綱が認識している「新たな脅威や多様な事態」による被害内容は、夥しい死者・負傷者を発生させた「米国の9.11テロ」をも念頭においていると解される。つまり、自衛隊イラク派遣行為等により、日本も現在、「米国の9・11テロ」のような被害を受ける蓋然性が生じ、原告らをはじめとする国民の生命身体の安全に対する脅威は極めて深刻かつ甚大なものとなっているのである。

(2)「テロの未然防止に関する行動計画」による危害の認定

更に、新防衛大綱が閣議決定された同日、内閣に設置された内閣官房長官を本部長とする「国際組織犯罪等・国際テロ対策推進本部」も、「テロの未然防止に関する行動計画」(以下、「行動計画」という)を決定した。
 
行動計画には、新防衛大綱よりも詳細に、テロによる原告らをはじめとする国民の生命身体の安全に対する危害の存在が記載されている。 
 
すなわち

「2 海外における邦人へのテロの脅威
 
我が国及び邦人の活動は全世界に及んでおり、仕事や観光で海外を旅行する邦人は増え続けている。幸いにして、我が国においては、近年、大規模テロの発生をみていないが、テロが続発する限り、海外において邦人がテロに遭遇する危険は決して小さくない。
 
現に、アル・カーイダによる9.11米国同時多発テロでは、24名の邦人が死亡又は行方不明となり、平成14年(2002年)、ジェマア・イスラミアがインドネシア・バリ島で敢行したディスコ爆破テロ(死者202名)では、2名の邦人が亡くなっている。また、本年(2004年)5月には、サウジアラビアにおいて外国人居住施設が襲撃されるテロが発生し、同施設に居住する邦人がこの襲撃に巻き込まれたほか、10月にはイラクで邦人の誘拐殺害事案も発生した。
 米国の同盟国である我が国は、例えば、平成15年(2003年)10月及び平成16年(2004年)5月のオサマ・ビン・ラディンのものとされる声明や同年10月のアイマン・ザワヒリのものとされる声明において、テロの標的として名指しされている。我が国の国際社会における存在感が増し、世界に対する影響力が大きくなるにつれて、我が国の権益及び邦人がテロの対象とされる危険性は高まっており、在外公館や海外進出企業、海外在留邦人、邦人旅行者においては、テロに対する十分な警戒が必要となっている。」

「3 我が国への直接のテロの脅威
 
我が国に地理的に近接し、政治・経済的にも密接な関係を持ち、我が国の権益が多い東南アジアにおいても、国際テロ組織によるテロが続発している。平成14年(2002年)10月には、前述のとおり、インドネシア・バリ島においてディスコ爆破テロが、同15年(2003年)8月には、インドネシア・ジャカルタにおいて米国系大型ホテルに対する自爆テロが発生しているが、これらのテロは、アル・カーイダと関係があるジェマア・イスラミアによるものである。平成16年(2004年)9月、ジャカルタの豪州大使館前で発生した爆弾テロも、同組織が関与したとする見方が強い。このように、大規模・無差別テロの脅威は、我が国の周辺地域にまで及んできている。
 
こうした状況において、我が国は、既に述べたように、アル・カーイダを始めとするイスラム過激派からテロの標的として名指しされており、今後、国内において、国際テロ組織によるテロが敢行される可能性は否定できない。また、我が国には、イスラム過激派がテロの対象としている米国権益等が多数存在することから、これを標的としたテロの発生も懸念される。
 
折しも、先般、ICPO(国際刑事警察機構)を通じて国際手配されていたアル・カーイダ関係者であるフランス人が、他人名義の偽造旅券を使用して我が国に不法に入国を繰り返していたことが判明し、さらに、別のイスラム過激派メンバーが、同人と同居する形で我が国に一時滞在していたことが明らかになるなど、国際テロリストが我が国に潜伏して活動していた実態が解明されてきている。東南アジアにまで及ぶアル・カーイダの国際的なネットワークを考えると、国際テロの動向に対していささかも警戒を怠ることは許されない。」


 すなわち、被告国の上記公式文書でも、我が国国内において国際テロ組織によるテロが敢行される可能性があり、米国関連施設を標的とするテロの発生も懸念されていると明記されているのである
 
さらに、被告国は、入管難民法を改正し、16歳以上の外国人を対象に、入国審査で指紋と顔写真の提供を義務付ける改正を行い、平成19年11月20日施行され、全国の27空港や126の港で一斉に運用が始まった。こうした「生体情報」採取システムは、アメリカ同時多発テロ後に導入した米国に次いで2番目であるが、日弁連や人権団体などから「情報の保存期間が不明で、犯罪捜査に際限なく利用される」と懸念の声が出ているにもかかわらず、政府はテロ対策のためと実施に踏み切った。これらは日本政府自身がテロ発生の具体的危険性を認識しているからに他ならない。


  第3 原告らの被侵害利益の重要性


1 原告らの生命・身体の安全、平和的生存権に対する危害

生命・身体の安全は人間にとって最も重要な利益として人格権の中核を構成しており、「生命・・に対する国民の権利については、・・立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」(日本国憲法第13条2文)とされている。
 
従って、被告国の最大の責務は、原告ら国民の生命身体の安全を確保することである。
 
しかし、前述した被告国による自衛隊のイラク派兵行為等という違憲・違法行為な侵害行為によって、原告らは、それ以前には存在しなかった、テロ行為等による原告ら自身の生命・身体の安全、平和的生存権に対する危害の発生という重大な法益侵害を受けている。


2 以上のように、本件で問題となっている被侵害利益は、原告らの生命身体の安全という極めて重要かつ具体的な権利である。 
 
かかる「生命身体の安全」の権利は、[1]「平和的生存権」の内容に包摂されるだけでなく、[2]それ自体独立の人格権を構成するものである。
 
従って、原告が本件損害賠償請求(国家賠償請求)の根拠としている上記[1]平和的生存権としての生命身体の安全、及び、[2]人格権としての生命身体の安全は、いずれも具体的な権利にほかならず(少なくとも人格権である生命身体が具体的権利である)、被告国の「権利の具体性がない」との主張こそ失当である。

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第4章 差し止め請求


原告らによる自衛隊の派兵差止請求が認められるべきことは以下に述べるとおりである。 


 原告らが請求している航空自衛隊の派遣差止請求に対し、被告は、答弁書及び請求の趣旨の変更に対する答弁において、不適法として却下されるべきと主張している。

そして、その理由として、平和的生存権は具体的権利性を欠くから、本件請求は「法律上の争訟」にあたらないとする。

しかしながら、原告らがこれまでの各準備書面にて主張を重ね、本準備書面においても別項で詳述したとおり、平和的生存権は明らかに裁判規範性まで備えた具体的権利であるから、まさしく本件請求は「法律上の争訟」に他ならず、被告の上記主張は失当である。

ただし、行政権の行使に対する民事上の差止請求を不適法とする最高裁判例(最高裁判所昭和56年12月16日判決、民集35巻10号1369頁)があるので、本請求が上記最高裁判例の射程を超えるものであり、適法として認められるべきであることを以下に主張する。


2 大阪空港控訴審判決の要点

上記最高裁判例の原判決となった大阪空港公害裁判控訴審判決(昭和50年11月27日大阪高裁判決・判時1025号)は、人格権に基づき、空港の設置管理者である国に対し航空機の離着陸の差止を認容した。

本件訴訟においても、同判決の理論に従えば、自衛隊の派遣差止が認められるべきである。


3 大阪空港訴訟最高裁判決に対する批判

上記2で述べた大阪空港高裁判決は最高裁判決によって覆されたが、4名の裁判官が反対意見を述べており、学界の批判も非常に強く、そのまま従うべき判決とは言えないことは明らかである。

(1)判決の概要

民事上の請求として一定の時間帯につき航空機の離着陸のためにする国営空港の供用の差止めを求める訴えは不適法であると判じた。

その理由は、要は、国営空港には国の航空行政権が及ぶため、民事訴訟の対象にならないというものである。

(2)反対意見

しかしながら、同最高裁判決には、裁判官団藤重光、同環昌一、同中村治朗、同木下忠良の反対意見が付されているので、以下に各反対意見の要点を紹介する。

ア 裁判官団藤重光の反対意見

行政事件訴訟法は、違法な公権力の行使によって権利・自由の制約を受けたときは、公権力の行使が当然無効と解される場合を除いて、抗告訴訟によってのみ公権力行使の適否を争うべきものとしている。
けだし、公権力の行使による私人の権利・自由の制約は法律に基づくことを要するという法治行政の原理を前提として、このような公権力の行使が法律の定める要件に適合するかどうかについては行政庁の判断に一応の妥当力(公定力)を与え、権利・自由を制約された者は原則として抗告訴訟の一種としての取消訴訟によって事後的にのみ公権力行使の適法性を争うことができるものとし、また、公権力発動の裁量をも行政庁の判断に委ねる結果として、いわゆる義務づけ訴訟は抗告訴訟の一種としても許すべきでないとするのである。かように、公権力の行使により制約された権利・自由の救済方法が右のように制限を受けるのは、実定法が公権力の行使を行政主体の優越的な意思の発動として承認している場合に限られるのであるから、営造物管理主体と第三者との関係におけるように行政主体の優越的な地位がみとめられない場合には、両者間の紛争は、それが私法上の関係であるか公法上の関係であるかによって一般民事訴訟または公法上の当事者訴訟によって解決されるべきことが当然だといわなければならない。そうして、本件(大阪空港訴訟)の場合は、その前者にあたる。

イ 裁判官環昌一の反対意見

本件(大阪空港訴訟)差止請求において、被上告人らは、人格権、環境権という私法上の権利の存在を主張し、この権利の侵害者としての国に対し私法上の妨害排除、予防の請求をしているのであって、何らの行政処分を求めるものではないとする原判決摘示の被上告人らの主張が単なる言葉のうえだけのものということはできず、右請求は、私法上の請求としての実質を具えたもので、構成において欠けるところはないと考えられる。そして、他に本件差止請求につき本案の判断に立ち入ることを妨げるような点は認められないから、右請求の当否の判断は、本質的に裁判所によってされるべきものに属し、かつ、本案に立ち入つてすべきものと思われる。そうすると、もし差止請求が認容されると、その内容を実現するためには航空行政権の行使の取消変更ないしその発動が不可避であるとの理由によって被上告人らの請求を本案の判断に立ち入ることなく却下すべきものとする見解は、実質的に行政権の優越を容認するものとのそしりを免れないのではないかと考えられる。

ウ 裁判官中村治朗の反対意見

公企業の遂行が一般第三者に被害を生ぜしめる可能性がある場合に、両者の間の調整をはかるためには、その間に行政的な判断とこれに基づく措置を介在せしめるのが合理的であり、できる限りそのような線に沿つた具体的な立法上の手当がなされることが望ましいこと自体については異論はなく、航空輸送事業及びこれに関連する公共用飛行場施設の設置・供用事業の遂行と一般第三者との間の利害の調整の問題も、同様である。

しかし、このことから、現に航空法その他の関係法律がこのような趣旨の立法をしたものであると解することには飛躍があり、航空法その他の関係法律の中には、どこにもそのような規定が見あたらない。
 
本件空港の航空機離着陸への供用行為と右離着陸を含む飛行に対する許容処分との間のいわゆる密接不可分性、及び前者の差止請求が必然的に後者の処分の取消変更ないしはその権限行使に関する義務づけ等の請求を含むこととなるとの論を根拠づける理由を見出すことができない。
 
本件差止請求は、運輸大臣の航空行政権の行使としての規制措置等によって被害発生原因の解消をはかることを排除するものではなく、上告人国においてこのような手段をとることはもとより自由であり、これによって現実に被害原因がなくなれば、本件空港主体として格別の供用中止措置をとる必要も消滅するというだけのことにすぎないのであるから、本訴請求をもつて所論のように行政上の裁量権に対する司法権の不当な制限、侵害として三権分立の原則に反するものということはできない。なお、本件空港の供用が国の航空行政全体の中に組み込まれ、他の航空行政作用と密接な関係を有しており、本件空港の供用の一部差止めが他の航空行政にさまざまな影響を及ぼすことは否定できないが、このような関係があり、また、このような影響を生ずるということから直ちに、本訴請求をもつて司法の行政に対する不当な介入を求めるものとして三権分立の原則に反するとするのも、理由のない議論である。

エ 裁判官木下忠良の反対意見

本件差止請求において、被上告人らが本件空港の設置・管理上の瑕疵を原因とする違法な権利侵害を主張して、国に対し本件空港の使用禁止を訴求するものである以上、本件空港の管理主体である国が、これを不適法と主張することは許されないと解される。

したがって、被上告人らの本件差止請求は、国と被上告人らとの間の前記のような私法上の違法な権利侵害を前提として、被侵害者である被上告人らが侵害者である、空港の設置・管理主体である国に対し、侵害の排除ないし予防として、国自身の前記のような使用禁止の不作為給付を対象とする請求をなすものであるから、その請求は私法的規制に親しむものとして、民事上の請求と解して間然するところはない。

以上により、私は、本件差止請求は民事上の請求として適法である、との結論に至ったものであり、これを不適法とする多数意見には同調することができない。結局、本件差止請求を適法とした原審の判断は正当として是認すべきであって、原判決には所論の違法はなく、論旨は排斥されるべきものと考える。

(3)同最高裁判決に対する批判の存在

人格権に代表される個人の権利侵害に基づく行政権の差止を不適法と判じた同最高裁判決は、学者や実務家から強く批判されている。例えば、中央大学教授(神戸大学名誉教授)の阿部泰隆は同最高裁判決を、権利救済を阻害する先例を作った裁判などとして厳しく批判している(阿部泰隆「民事訴訟と行政訴訟─大阪国際空港事件」民事訴訟法判例百選I(有斐閣、1998年)8頁) 。

(4)小 括

個人の権利が強度に侵害された場合においても行政行為に対する差止請求を非常に困難にする上記最高裁判決は妥当でない。大阪高裁判決や最高裁反対意見こそが人権擁護という憲法理念に合致するものであることは明らかである。


4 上記最高裁判決後の判決の趨勢

上記最高裁判決後にも、行政行為に対する民事上の差止を容認する判決が相次いでいる。

(1)尼崎公害訴訟

平成12年1月21日、神戸地裁は、いわゆる尼崎公害訴訟において、身体権の侵害に基づく道路使用の差止を認めた(判時1726号20頁)。

被告である国らは、行政行為の差止請求は不適法であると主張したが退けられた。

(2)名古屋公害訴訟

平成12年11月27日、名古屋地裁は、いわゆる名古屋南部大気汚染公害訴訟において、人格権の侵害に基づく道路使用の差止を認めた(判時1746号3頁)。

やはり、被告である国らの、差止請求は不適法であるという主張は退けられた。

(3)自衛隊イラク派遣違憲確認等大阪訴訟(イラク大阪訴訟)

差止請求の適法性が争われていた、本訴訟と同種の訴訟である自衛隊イラク派遣違憲確認等大阪訴訟の地裁判決(大阪地裁平成18年7月20日判決)において、人格権に基づく差止請求自体は適法と認定された。そして、争訟性についても認められた(ただし、人格権の具体的侵害が無いとして請求自体は棄却された)。


5 結 論

既述したとおり、原告の平和的生存権及び生命、身体、自由、幸福追求に対する権利は、個人の尊厳に関わる最も根源的な権利であり、人格権そのものである。したがって、何人もみだりにこれを侵害することは許されず、その侵害に対しては、これを排除することができなければならない。

大阪空港控訴審判決、同最高裁判決反対意見、その後の尼崎及び名古屋の公害訴訟判決、イラク大阪訴訟判決は、この当然の理を当然のこととして認めた正当な判決である(ただし、イラク大阪訴訟判決は、具体的当てはめについて誤っている)。

本件訴訟において原告らが主張立証したとおり、原告らが主張する平和的生存権ないし人格権は具体的権利性を有していることは明らかである。そして、自衛隊のイラクへの派遣行為により、原告らの平和的生存権ないし人格権は現実的に、重大かつ深刻に侵害された。

したがって、形式的に行政行為であるからという理由のみで差止が不適法とされてはならず、本件訴訟において自衛隊派遣の差止が認められるべきである。


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第5章違憲確認


1 憲法9条の歴史的意義

憲法第9条は、日本がかつて“国益”と“自衛”を理由にアジア諸国を侵略し、世界中を戦渦に巻き込んだ反省から、二度と武力によって人々の命を奪うことのないよう設けられたものである。

日本は、20世紀はじめに無謀な戦争により、2000万に及ぶアジアの人々を殺し、300万にのぼる日本の人々を犠牲にした。他国を武力で支配しようとしたために、他国のみならず自国に住む国民の命と尊厳を奪った。この反省から、二度と武力の行使によって人々の命を奪わないことを誓ったものである。

しかし、今回の自衛隊のイラクへの派遣により、二度と加害者にならないという誓いを放棄しようとしている。


2 イラク特措法に基づくイラク派兵は「戦力」を持つことを禁止している憲法9条に違反すること

原告らは、本件イラク派兵行為の根拠となる「イラクにおける任同復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法」により、閣議決定した基本計画中、自衛隊をイラク及びその周辺地域に派遣する計画が憲法に違反すると主張してきたが、まず最初に指摘しなければならないのは憲法9条に違反するということである。

(1)憲法9条は、その第1項で、「戦争を放棄」し、戦争に至らない「武力の行使」や「武力による威嚇」もしないことを定めた。また、第2項では、戦争をしないために、「陸海空軍その他の戦力」を保持しないこと、戦争のときに交戦国に与えられる権利(交戦権)を認めないことを定めた。国に対して戦争のための実力を持つことも、戦争を行う法的な権利も禁止したのである。

(2)しかし、日本政府は、時々の政治的状況の中で、「解釈」によって「自衛隊は憲法9条に反しない」としてきた。政府は、「自衛隊は憲法に違反しない」という理由として“自衛権は国家にとって自然権だから、「自衛」のための「必要最小限度の実力」を持つことは許される”という解釈をとった。そして、憲法9条を前提としても、自衛隊が「自衛」の目的であること、「必要最小限度の実力」という2つの要件がみたされる限り、憲法9条に違反しないとの論理を国会で説明してきた。

(3)このような政府の憲法解釈を前提としても、[1]「自衛」のためであること、[2]「必要最小限度の実力」であることは、自衛隊が憲法9条に違反しないというための絶対条件だったのである。
 
自衛隊は、「自衛」のための存在であるから、日本が武力攻撃を加えられたわけでもないのに、自衛隊を海外に派遣することは、政府の従来の見解からしても憲法9条が禁ずる「戦力」に該当することになり、当然違憲として許されない行為である。実力部隊が他国に踏み入ることは、一般にその国の(一部あるいは全部の)国民を「武力」によって抑圧することにつながるからである。
 
1954年6月2日の参議院本会議で、「自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議」がなされたが、これは海外出動の目的や性格の如何を問わず、一切の自衛隊の海外出動を禁止したものであった。
 
イラク特措法は「人道復興支援活動及び安全確保支援活動」を「派遣」の目的としている(同法第1条)。しかし、「自衛」の目的を超えて自衛隊が海外出動をした時点で、もはや自衛隊は「軍隊」に他ならなくなる。
 
したがって、イラク特措法が「戦力」を持つことを禁止する憲法9条に反することは明らかなのである。


3 イラク特措法に基づくイラク派兵は国民の平和的生存権を侵害すること

次に、第2でも述べたように、憲法9条違反の公権力行使は、国民の平和的生存権を侵害するのであるから(小林18項ないし23項)、本件イラク派兵を定める基本計画は、平和的生存権にも違反している。


4 人格権


さらに、上記と同様、本件基本計画は、原告らの人格権も侵害することが明らかである(小林43項ないし48項)。


5 本件が法律上の争訟に該当すること

以上に対し、本件基本計画及びこれに基づくイラク派遣が、自衛隊員ではない原告らに対して何らかの直接的な義務を課したり効果を及ぼしたりする性質のものではないから、本件違憲確認請求が、原告らの法律上の利益に係わらない資格で具体的な事件を離れて、抽象的に本件派遣という政府の行為について司法審査を求める訴えであるとして、結局、本件が裁判所法3条1項の法律上の争訟に当たらないとの反論も考えられる。

しかし、そもそも、当該法律行為が直接義務を課したり効果を及ぼす対象以外の者においても、権利侵害は被害の発生が生じることは当然認められており、具体的な事件としての当事者適格は十分に認められている。
原告らは、本訴訟において、まさに各原告自身の権利の侵害を主張してきたのであり、具体的事件を離れて抽象的に本件の訴訟を提起しているのではない。
 
また、仮にこのような解釈を取るとすれば、憲法の下位規範である裁判所法の「法律上の争訟」の解釈によって、上位規範である司法権及び違憲立法審査権の範囲を制限することとなる以上、司法権自身がその「法律上の争訟」の判断を自ら狭めることになり、誤った法解釈となることが明らかである。


6 確認の利益

具体的紛争解決制度である訴訟制度の下においては、法律関係を確認することが現在の紛争の直接的かつ抜本的な解決手段として最も有効かつ適切と認められるときに限って許されるものであるとされる。
 
しかし、本件イラク派兵行為は、これまでも行われてきたいわゆるPKO活動や後方支援を行うという自衛隊の活動に止まらず、アメリカ国軍自らが「戦闘地域」すなわち、実質的に戦場(コンバットゾーン)であると認める(甲第38号証、同39号証、小林38項))地域において、大規模かつ長期間にわたり活動している点で、現行憲法上、史上最大の違憲行為であることは明白である(小林53、54項)。のみならず、同派兵行為は、自衛隊法及びイラク特措法自体にも反するものであり、このような行為が事実として存在する場合に、事後的な損害賠償のみで被害が回復されることは有り得ない。
 
日本国民は、明らかに違憲・違法であるイラク派兵行為により、将来における平和を失うか否かという歴史上重大な局面におかれているのであり、それは、事後的な損害賠償では補うことはできない。このような状況を適切かつ抜本的に解決するには、直裁に、現に行われているイラク派兵行為が、憲法に違反することを明言すべきなのである。 

 
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第6章自衛隊のイラク派遣の違憲・違法性

  第1 イラク戦争の実態と日本の関与


1 イラク戦争の発生と終結・占領統治の経過

[1] 1990(平成2)年8月2日、イラク軍がクウェートに侵攻した。

[2] 同年11月29日国連安保理で対イラク武力行使容認決議がなされ(決議678)、1991(平成3)年1月17日から多国籍軍による武力行使がなされた(湾岸戦争)。ここではアメリカによってイラク全土に500〜800トンの劣化ウラン弾と大量のクラスター爆弾が投下された。戦後も劣化ウラン弾はその放射能汚染により、クラスター爆弾は放置された子爆弾により、多数のイラク国民を死に至らしめている。

[3] 同年4月3日、国連安保理で対イラク停戦決議(決議687)がなされ、同月9日、国連イラク・クウェート監視団(UNIKOM)設立が決議された(決議689)。

[4] 米軍は、更に1993(平成5)年6月26日ブッシュ元大統領の暗殺未遂事件の報復として、1996(平成8)年9月3日イラク軍の北イラク・クルド地域侵攻の報復として、2度にわたってイラクを巡航ミサイルで攻撃した。

[5] 1998(平成10)年11月5日、安保理はイラクによる査察拒否に対し、安保理決議に対する重大な違反であるとして、UNSCOM(国連イラク特別委員会)及びIAEA(国際原子力機関)との協力の即時、無条件再開をイラクに要求する決議1205を採択したが、同年12月17日、米英軍はイラク攻撃を行った(砂漠の狐作戦)。

[6] 1999(平成11)年12月17日、国連安保理は、国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)の設置、査察を決議し(決議1284)、UNMOVICは2000(平成12)年8月30日、イラクで作業を開始しうる状況になったと報告したが、2001(平成13)年2月16日、米英軍はバグダッド近郊を爆撃した。

[7] 同年9月11日米国で同時多発テロが発生した。米英軍はテロリストを匿っているとして同年10月7日アフガニスタンを攻撃し、同年12月22日にはアフガニスタン暫定行政機構が発足した。

[8] 2002(平成14)年1月29日、ブッシュ米国大統領は一般教書演説において北朝鮮、イラン及びイラクを「悪の枢軸」と名指しする発言をした。

[9] 同年10月1日、イラクの大量破壊兵器査察再開に向けた国連とイラクの実務協議で、イラク側は大統領関連8施設を除くすべての施設の即時、無条件、無制限査察を受け入れることで合意したが、さらに国連安保理公式協議では、査察の全面受け入れを迫る決議1441を全会一致で採択した。イラクの受諾により同年11月27日査察が再開され、同年12月7日イラク政府が大量破壊兵器に関する申告書を提出、2003(平成15)年1月9日、イラクの申告書に関する報告がなされたが、査察官からは迅速なアクセスを得ることができていると報告された。

[10] しかしながら2002(平成14)年10月11日、米国議会はイラクに対する武力行使容認決議を可決し、ブッシュ大統領は、2003(平成15)年1月28日の一般教書演説で、安保理でパウエル国務長官がイラクの大量破壊兵器をめぐる証拠隠しやテロ組織アルカイダなどとの関係を証明する機密情報を提示すると明言し、新たな安保理決議抜きでも武力行使に踏み切る考えを示した。同年2月5日、米国パウエル国務長官が演説でイラク機密情報を開示したが、決定的な証拠は明らかにされず、仏、独、露等の国々は査察を継続すべきとの立場をとった。

[11] 米国はさらにイギリス、スペインとともに同年2月24日、国連安保理非公式会合で対イラク武力行使を容認する新決議案を提示した。しかしそれに反対する仏・独・露の3国はイラクに対する武力行使の正当性を否定し、国連による査察を継続すべきとする立場を鮮明にし、他の多くの国々も武力行使を支持せず修正決議案可決の見込みもなかったため、同年3月17日、米英両国はイラクに関する安保理修正決議案の採択を断念した。

[12] そして同日ブッシュ米国大統領は、フセイン大統領とその息子の48時間以内の国外退去がなされなければ武力紛争は避けられないとの最後通告を行い、同月20日、米英両軍は、安保理決議のないままイラク侵攻を開始した。イラクが国際社会の平和と安全に与えている脅威を取り除くための最後の手段だとして、仏、独、露などの反対、世界的に広がった反対世論を押し切ってなされたものであった。米英は、イラクの「脅威」の内容について、2001(平成13)年9月11日のアメリカ同時多発テロを実行した国際テロ組織に援助を与えていること、生物化学兵器などの大量破壊兵器を開発・保有していることなどを挙げた。

[13] 小泉総理大臣は、即時に米英の攻撃の支持を表明したが、記者会見等を開くことはなかった。

[14] 米英軍は表面的には順調に侵攻を進め、2003(平成15)年4月9日には首都バグダッドが事実上陥落し、同年5月1日、ブッシュ米国大統領は戦争終結宣言を行った。

[15] 同月22日、イラクの復旧・復興等に関する安保理決議1483が採択され、同年6月1日には連合国暫定施政当局(CPA)が発足、同年7月22日には統治評議会が発足した。

[16] 米軍はなおも武力行使を進め、同年7月22日にはフセイン元大統領の長男ウダイ氏及び次男クサイ氏を攻撃により殺害し、同年12月13日にはフセイン元大統領を拘束した。

[17] 2004(平成16)年6月28日、イラク暫定政権に主権が移譲された。

[18] 米英らが根拠とした大量破壊兵器については、現在に至るまで発見されていない。同年1月28日、イラクの大量破壊兵器に関する米調査団の団長を辞任したデービッド・ケイ氏が米上院軍事委員会の公聴会で証言し、大量破壊兵器の有無について「私を含めほぼ全員が間違っていた」と述べ、イラクが大量破壊兵器を保有していると信じ込んだのは米政府の情報収集の誤りだったと指摘し、同年7月9日の米上院情報特別委員会はCIAが「イラクの大量破壊兵器の脅威」を誇張したと批判する報告書を発表した。同年9月13日には、米国パウエル国務長官が議会証言でイラクでの大量破壊兵器発見を断念する考えを示し、さらに同年10月1日、記者会見で「我々は今、彼が備蓄を持っていなかったことを知った」と述べた。


2 「戦闘終結宣言」以降のイラク情勢

ア 2003(平成15)年5月〜7月
  米軍は戦争終結宣言後、西部での反米勢力掃討作戦を開始し、フセイン元大統領の息子を殺害した。

1)  2003(平成15)年5月1日、ブッシュ米国大統領は、戦争終結宣言を行い、「イラクでの主要な戦闘は終結した。イラクでの戦闘で米国と同盟国は勝利した。そして今、我々同盟はイラクの治安確保と再建に取り組んでいる。」と述べた。
   
2)  同年6月15日、米軍はファルージャなど西部で反米勢力掃討作戦を展開した。
   
3)  同月18日、バグダッドの軍人デモにおける米軍の発砲で、イラク人2名が死亡した。
   
4) 同年7月22日、米軍はフセイン元大統領の長男ウダイ氏及び次男クサイ氏を攻撃により殺害した。

イ 2003(平成15)年8月〜10月
  国連や統治を担うイラク人を狙った爆弾テロが発生し、多くの要人が殺害された。

5)  8月7日、バグダッドのヨルダン大使館前で爆弾テロが発生した。
   
6)  同月19日、バグダッドの国連本部が爆破され、セルジオ・デメロ国連事務総長イラク特別代表ら17人が死亡した。
   
7)  同月29日、イスラム教シーア派聖地ナジャフのモスクで爆弾テロが発生し、ムハンマド・ハーキル・アル・ハキームSCIRI(イラク・イスラム革命最高評議会)議長を含む100名以上が死亡した。
   
8)  9月2日、バグダッドで警察署が爆破された。
   
9)  同月18日、米兵5人が死傷する襲撃事件が発生し、石油パイプラインも破壊された。
   
10) 同月20日、アキーラ・ハーシミー統治評議会メンバーが殺害された。
   
11) 10月9日、在イラク・スペイン大使館外交官が殺害された。
   
12) 同月27日、バグダッドの国際赤十字委員会事務所等に対する連続爆破テロが発生した。
   
13) 同月30日、国連は、イラクでの活動継続に必要な安全措置再興のためとしてイラクの国連国際職員を出国させる旨発表した。

ウ 2003(平成15)年11月
  テロは激化し、トルコで2度の爆弾テロが発生、日本はテロ組織から名指しで警告を受けた。そして日本人外交官2名が殺害された。韓国の民間人らも殺害された。

14) 2日、バグダッド西で米軍ヘリが撃墜された。同日7日及び15日には中・北部で米軍ヘリが撃墜された。
  
15) 3、4日、旧政権訴追のイラク人判事などが殺害された。
   
16) 8日、国際赤十字委員会がバグダッド、バスラの事務所を一時閉鎖した。
   
17) 12日、ナーシリーヤにおいてイタリア軍警察基地を標的とした自爆テロが発生した。
   
18) 15日、トルコ・イスタンブールのシナゴーグ(ユダヤ教礼拝所)で連続爆弾テロが発生し、23人が死亡した。
   
19) 16日、国際テロ組織アルカイダ系の組織「アブハフス・アブマスリ旅団」は、ロンドン発行のアラブ圏有力紙と週刊誌に電子メールを送付し、トルコ・イスタンブールで15日起きた連続爆弾テロ、12日のイタリア軍自爆テロを認めるとともに、米国及び同盟国の日本、イギリス、イタリア、オーストラリアへのテロを計画中であることを明らかにした。日本に対しては「アラーの戦士に踏みつけにされたいのであれば、イラクに行くがよい。われわれの攻撃は東京の心臓部に届くであろう」と述べた。
   
20) 同日夜、米軍は中部ティクリート周辺で反米武装勢力の拠点と見られる施設に大規模な攻撃を行った。
  
21) 20日、トルコ・イスタンブールで英国系大手銀行HSBCのトルコ本部ビルと英国総領事館付近で自爆テロがあり、ロジャー・ショート英総領事ほか26人以上が死亡した。
   
22) 22日、警察署が爆破された。その後も警察署は繰り返しテロの標的となっている。
   
23) 29日、イラクの人道復興支援の最前線で経済協力案件の発掘・実施等に携わっていた奥克彦在英国大使館参事官及び井ノ上正盛イラク大使館三等書記官がジョルジース在イラク大使館職員とともにバグダッド北西のティクリートへ向かう途上、何者かに銃撃されて死亡した。
   
24) 同日バグダッド南郊でスペイン国家情報局員7名が殺害された。
   
25) 30日、ティクリート近郊で韓国人技師2名が殺害された。
   
26) 同日バグダッド北方サマッラで米軍の2つの車列がほぼ同時に武装勢力の攻撃を受け、米軍が戦車砲などで反撃、武装勢力側の46人が死亡した。

エ 2003(平成15)年12月
  日本国内の警備は強化された。米軍はフセイン元大統領を拘束したが、イラク各地の警察や一般人が標的となった。

27) 12日、日本政府は、イラクを中心に国際テロが頻発していることを受け、「テロ対策関係省庁会議」を開き、国内でのテロを未然に防止するための総合的な対処指針を決めた。そこでは「水際危機管理チーム」を内閣官房に設置し、空港・港湾に「空港・港湾危機管理官」を置くと明記され、警察、海上保安庁などによる原発、在日米軍基地、交通機関、在外公館の警備強化を始め、大規模イベント会場など多人数が集まる施設やライフラインの管理者に自主警備強化を促すことも盛り込んだ。
   
28) 13日、米軍は、ティクリート南方約15キロのアッドールでサダム・フセイン元大統領を拘束した。
   
29) 14日、バグダッド西部の警察署前で爆弾テロ、警察官ら17人が死亡した。
   
30) 15日、バグダッドとその北郊の警察署2箇所で自爆テロ、警察官8人が死亡した。
   
31) 17日、バグダッド南西部の警察署付近でタンクローリー1台が爆発し、近くのバス乗客ら少なくとも10人が死亡した。
   
32) 同日、フセイン元大統領拘束への抗議デモが各地で広がり、参加者の一部が暴徒化して死傷者が出た。
   
33) 24日、イラク北部クルド人自治区の主要都市アルビルにある内務省の事務所前で自爆テロがあり、犯人を含む5人が死亡した。バグダッド西部の住宅密集地でも走行中のバスが爆発した。
   
34) 27日、イラク中部カルバラで連合軍の駐屯地2か所と県庁舎を標的に自動車爆弾や迫撃砲を使った大規模な連続攻撃があり、タイ軍兵士2人を含む6人が死亡した。

オ 2004(平成16)年1月
  陸上自衛隊先遣隊がイラクで活動を始めたが、各地でテロが続いた。

35) 3日、陸上自衛隊派遣予定地のサマワで職を求めて県施設前に集まった市民ら約300人が暴徒化、5人が負傷した。
   
36) 8日、バグダッドの西約50キロのファルージャ近郊で米軍ヘリコプターが攻撃を受け墜落、米兵9人全員が死亡した。
   
37) 16日、日本の全国の警察本部は、陸上自衛隊先遣隊出発を前に空港や駅、原子力発電所など650か所の重要施設でのテロ警戒態勢を強化した。
   
38) 18日、バグダッドCPA管理区域正門近くで自爆テロがあり、20人以上が死亡した。
   
39) 25日、エジプト最大のイスラム政治勢力でイスラム世界にネットワークを持つ「ムスリム同胞団」の最高指導者、ムハンマド・アキフ団長が、同月24日までに朝日新聞社の会見に応じ、日本がイラクに自衛隊を派遣したことを「この時期に米国の占領に協力するのは、誤った決定」と語り、自衛隊を含む外国の軍隊に対するイラク民衆による攻撃はイスラム教が認める「聖戦」との考え方を示した。またアキフ団長は日本が自衛隊の任務は戦闘ではなく、復興支援としていることについて、「日本が占領軍であることに変わりはない。日本の主張は政府間では通用するかもしれないが、民衆にとっては日本であれ、他国の軍隊であれ区別はない」と言い切った。
   
40) 25日、陸上自衛隊用のコンテナハウスを積んだトレーラーが搬送中に何者かに襲われ、ヨルダン人運転手1人が死亡した。
   
41) 31日、北部モスルの警察署前で爆弾テロ、警察官2人含むイラク人9人が死亡した。
   
42) 同日北部キルクークと中部ティクリート間を移動中の米軍車列が爆弾攻撃を受け、米兵3人が死亡した。

カ 2004(平成16)年2月
  陸上自衛隊はサマワで活動を開始したが、武装勢力による反撃は続き、サマワでも迫撃砲による攻撃があった。

43) 1日、北部アルビルでクルド人2大政党の事務所を狙った連続自爆テロがあり、少なくとも56人が死亡した。
   
44) 8日、陸上自衛隊本隊約60人がサマワに到着した。
 
45) 10日、バグダッド南方50キロのイスカンダリヤの警察署で自爆テロ、約50人が死亡した。
   
46) 11日、バグダッド南東部イラク国軍新兵募集センターで自爆テロがあり、46人が死亡した。
   
47) 12日、サマワ市中心部で迫撃砲による攻撃があり、迫撃弾は日本のメディアなどが拠点を置くホテル近くの路上と、サマワ警察署に近い民家の屋根に落下した。サマワでの火砲を使った攻撃は初めてであった。
   
48) 同日、ファルージャでイラク訪問中のジョン・アビザイド米中央軍司令官が乗った米軍車列がロケット弾による攻撃を受けた。
   
49) 14日、ファルージャで警察とイラク民間防衛隊が入る建物などが武装グループに襲撃され、22人が死亡した。
   
50) 16日、バグダッドの小学校で爆発があり、児童2人が死亡した。

キ 2004(平成16)年3月
  宗教行事中のテロでイラク人が多数死亡した。米軍に対する攻撃も激しさを増した。スペインで列車爆破テロが発生し、多数が死亡、再び日本も名指しで警告された。日本国内では警戒が強まった。

51) 2日、バグダッド及びカルバラにおいて、イスラム教の宗教行事中に大規模なテロが発生し、143人が死亡した。
   
52) 11日、スペインの首都マドリード中心部の3つの駅で4つの列車が10分間の間に次々と爆発するテロがあり、200人以上が死亡した。イギリスのアラビア語紙「アルクドウズ・アルアラビ」に同日夜、アルカイダを名乗るグループから犯行声明が届き、「我々は十字軍同盟の一翼であるスペインに厳しい一撃を与えた。アスナール(スペイン首相)よ、英国よ、日本よ、そして他の(米国の)協力者たちよ、誰がお前たちを我々から守るのか」と日本などを名指しで警告している。
   
53) 同月17日、バグダッド中心部のホテルで爆弾テロ、宿泊客ら7人が死亡した。
   
54) 同日バグダッド近郊の米軍補給基地に迫撃弾が打ち込まれ、米兵1人が死亡、またシリアとの国境近くクサイバに駐留する米海兵部隊が迫撃弾攻撃を受け1人が死亡した。
   
55) 18日、南部バスラ中心部の英軍が記者会見に使っているホテル近くで爆弾爆発、5人が死亡し、またバグダッド北方約60キロのバアクーバ近郊でも米国などが資金提供するイラクのテレビ局の取材チームを乗せたバスが走行中に銃撃を受け3人が死亡した。
   
56) 同日、ファルージャで米ヘリが墜落した。武装勢力との銃撃戦もあり、イラク人2人が死亡した。
   
57) 同日、スペイン・マドリードの列車同時爆破テロを受け、警察庁は新幹線をはじめ鉄道に対する警戒を強化するよう全国の警察本部に指示した。国土交通省もJR各社や私鉄、地下鉄など全国の鉄道事業者に警備強化を指示したことを明らかにした。駅構内は巡回を強化し、爆発物の有無を警察犬を使って調べる、列車内には鉄道警察隊員だけでなく機動隊員も動員するなどの措置とのことである。

ク 2004(平成16)年4月
  連合軍と武装勢力との戦闘は激化した。サマワの陸上自衛隊を狙った攻撃もなされた。5人の民間の日本人が拉致された。結果として5人とも解放されたが日本の裏切りへの怒りが示された。多くの民間人が拉致され、一部は殺害された。スペインは撤兵した。

58) 4日、聖地ナジャフ郊外クーファでスペイン軍を中心とする連合軍とシーア派の反米指導者ムクタダ・サドル師を支持するデモ隊が衝突し、銃撃戦となり、デモ隊ら20人が死亡し、連合軍側もエルサルバドル兵4人が死亡した。バグダッドでも数百人がCPA本部前に集まり、米軍撤退を要求した。
   
59) 同日、米軍はバグダッド北東のシーア派地区サドル・シティーを戦車で包囲し、同地区内のサドル事務所に突入、2人が死亡した。
 
60) 陸上自衛隊は、イラクで米軍とイスラム教シーア派強硬派との対立が深刻化している事態を受け、学校や道路の補修など宿営地外での活動を中断した。
   
61) 5日、各地でサドル師支持者と連合軍による衝突があり、米兵4人が死亡した。
  
 
62) 6日、中部ラマディで武装勢力が米海兵隊陣地を襲撃、海兵隊員約12人が死亡した。ファルージャでは数機の米軍ヘリコプターがロケット弾を発射し民家4軒を破壊、女性や子供を含むイラク人26人が死亡した。
   
63) 7日、サマワ周辺で数日前陸上自衛隊部隊が移動中、地元住民から駐留に抗議する投石を受けていたことを防衛庁関係者が明らかにした。陸自は防衛庁に報告をしていなかった。
   
64) 同日、サマワの陸上自衛隊宿営地近くに迫撃弾3発が着弾し、隊員は一時宿営地内の退避壕や装輪装甲車内に避難した。自衛隊を狙った攻撃は初めてである。派遣部隊は8日未明から宿営地周辺を車両で巡回するなど、これまでは実施していなかった警戒活動を開始、サマワの治安を担当するオランダ軍もその外側地域の警戒に入った。陸上自衛隊の先崎陸幕長は記者会見し、「今回の事案は我々の見積もりの範疇」と述べた。
   
65) 同日、ファルージャで米軍がモスクを空爆し、モスク内のイラク人約40人が死亡した。その他各地で衝突が続いた。
   
66) 8日、サラヤ・ムジャヒディン(戦士隊)と名乗る組織にウラン弾の廃絶などを訴える団体の代表を務める今井紀明さん、イラクで薬物中毒の子どもたちを支援していた高遠菜穂子さん、フリーライター郡山総一郎さんの日本人3人が人質となったことが明らかになった。同組織は「我々は、日本に友好的かつ親密な気持ちを持っていた。しかし、あなたたちは我々の友情を敵意で返し、強大な米軍を人的にも装備面でも支援し、我々の血を流し、我々の子どもを殺害した。このため我々も同様の方法で答えるしかなくなった。」との声明を発表した。
   
67) 同日、韓国人牧師や英国人など民間人の拉致が明らかになった。
   
68) 同日サマワの米英暫定占領当局(CPA)事務所の建物から200メートルほど離れた駐車場付近に小型ロケット砲が打ち込まれた。地元警察と武装勢力との間の銃撃戦もあった。
   
69) 9日、イラク統治評議会メンバーが、4日から9日までの6日間で、イラク人400人以上が死亡、1000人以上が負傷したと語った。
   
70) 10日付けの読売新聞で、トルコのエルドアン首相は、読売新聞の取材に対し、イラクは内戦状態になったという認識を示したと報道された。
   
71) 11日、中国人7人が武装勢力に拘束された(12日解放)。拘束されていた英国人、パキスタン、トルコ、インド、フィリピンの計8人が釈放された。ドイツ国境警備隊特殊部隊2名が殺害された。
   
72) 13日、バグダッド郊外で米国人4人の遺体が発見された。
   
73) 同日米軍はファルージャで武装勢力に対し戦闘機による攻撃を再開した。
   
74) 15日、日本人人質3人が解放されたが、14日にフリーライター安田純平さんとNGO米兵・自衛官人権ホットラインのメンバー渡辺修孝さん(栃木県足利市出身)が拉致されていたことがわかった。渡辺さんは、元自衛官で、自衛隊活動をリポートするため3月1日からイラク入りしていた。
   
75) 同日イタリア人人質1人が殺害された。
   
76) 17日、安田さんと渡辺さんが保護された。
   
77) 同日、サマワでオランダ軍とイラク人グループとの間で銃撃戦があった。
   
78) 20日、中部ディワニヤ周辺に駐留するスペイン軍兵士260人が任期終了に伴い、帰還した。スペイン国防省は交代を送らない方針である。
   
79) 21日、バスラの3か所の警察署前で同時テロが発生、郊外スバイルの警察学校でも爆弾テロが発生し、少なくとも園児17人を含む68人が死亡した。
   
80) 22日、サマワにあるオランダ軍宿営地に迫撃弾が打ち込まれ、陸上自衛隊は宿営地内の照明を落とし、退避壕や装甲車などに一次退避した。。
   
81) 25日、サマワのオランダ軍宿営地近くに迫撃弾3発が着弾した。
   
82) 26、27日、ファルージャやナジェフで米軍と武装勢力の激しい戦闘が発生した。
   
83) 27日、スペインのサバテロ首相は主要部隊が同日までにイラクから撤退したことを明らかにした。同年5月27日までには全兵士の撤退が完了する見通しである。
   
84) 28日、バグダッド郊外アブグレイブ刑務所での米兵によるイラク人捕虜への虐待が明らかになった。英軍でも同様の虐待があった。
   
85) 29日、サマワの陸上自衛隊宿営地近くに迫撃弾2発が着弾した。隊員に怪我はなく、施設にも被害はなかったが、隊員らは宿営地内の壕やコンテナなどに一時退避した。

ケ 2004(平成16)年5月
  日本人ジャーナリストら2人が殺害された。サマワでも武装集団とオランダ軍との戦闘が発生し、自衛隊宿営地付近で地雷がしかけられた。航空自衛隊使用の空港も襲われた。

86) 9日から10日にかけて米軍がバグダッド北東部のサドルシティーにあるサドル師事務所を破壊し、35人を殺害した。
   
87) 10日、サマワの中心部でパトロール中のオランダ兵に向けて手りゅう弾が投げつけられ、1人が死亡した。小泉総理大臣はサマワが非戦闘地域という認定について「変わりない」と語った。政府関係者は「オランダだけではなく、治安を担当しているところは反感を買っている。人道復興支援をしている自衛隊とは切り離して考えるべきだ。ただ、サマワの治安がよくなっているとはいえない」と語った。
   
88) 14日、サマワ中心部でイスラム教シーア派の強硬派指導者ムクタダ・サドル師支持の民兵組織マフディ軍団と、オランダ軍との間で激しい銃撃戦があった。同日朝からナジャフでもマフディ軍団と米英軍が交戦していた。
   
89) 15日、オランダ軍は、サマワ中心部にあるマフディ軍団が立てこもっていた同派事務所に突入した。
   
90) 17日、バグダッド中心部CPA管理区域入り口付近でイラク統治評議会メンバーの車列付近で自動車爆弾が炸裂、同評議会アブドルザハラ・オスマン議長を含む9人が死亡した。
  
91) 18日、サマワの自衛隊宿営地近くの自衛隊も通過する道路で2週間以内に敷設された対戦車地雷が発見され、イラク保安部隊の爆弾処理班が除去した。州警察ではこの夜、日本側の治安に対する不安を刺激するのを恐れてメディアには知らせないよう緘口令が敷かれた。
   
92) 20日、サマワから約100キロ南方のタリル飛行場付近に砲弾が着弾した。同飛行場への攻撃は初めて。航空自衛隊輸送機も利用していた。
   
93) 19日、シリアとの国境近くカイム村で米軍が民家を攻撃、45人が死亡した。結婚式場が誤爆されたとイラク警察幹部らが話した。
   
94) 25日から26日にかけてナジャフで米軍と武装勢力の戦闘、サドル派最大100人が死亡した。
   
95) 27日、サマワでCPA事務所か警察署を狙った迫撃砲による爆撃があり、3回の爆発音があった。着弾地点から1キロ離れた住宅街から発射された可能性が高いという。
   
96) 同日、バグダッド近郊マフムーティーヤ走行中の車両に乗っていたフリージャーナリストの橋田信介さん、甥の小川功太郎さんの2名が銃撃を受け死亡した。

コ 2004(平成16)年6月
  テロはますます激化し、それに応じたアメリカの攻撃も大規模化し、多くのイラク人が死亡した。韓国人民間人も殺害された。

97) 14日、バグダッド中心部タフリル広場で自爆テロ、外国人を含む16人が死亡した。
   
98) 19日、ファルージャで米軍が住宅地にミサイル2発を撃ち込み、イラク人22人が死亡した。
   
99) 22日、バグダッド西方で、韓国人民間人の遺体が発見された。
  
100) 24日、イラク5都市で爆弾テロ、死者数は約100人に達した。

101) 25日、ファルージャで米軍がヨルダン人テロリストザルカウィ一派の隠れ家を攻撃したと発表、20から25人が死亡した。

102) 27日、バグダッド国際空港でオーストリア軍所有のC130輸送機が銃撃され、米国人乗員が死亡した。また各地で連合軍が攻撃を受けた。

サ 2004(平成16)年7月
  戦闘は続き、フィリピン部隊は完全撤退した。

103) 14日、バグダッド中心部国際ゾーンで自爆テロ、市民ら11人が死亡した。

104) 18日、ファルージャで米軍が民家を空爆、12人が死亡した。

105) 19日、フィリピン部隊はイラクから完全撤退した。フィリピン人運転手が拘束され、20日までの撤退を求められていた。

106) 29日、中部バアクーバの警察署前で自爆テロ、68人が死亡した。

シ 2004(平成16)年8月
  自衛隊への砲撃が激化した。

107) 1日、バグダッド市内4カ所のキリスト教教会近くで爆弾テロ、11人が死亡した。

108) 6日、米軍は5日から6日にかけてのナジャフでの戦闘でサドル師派300人を殺害したと発表した。戦闘はさらに続き、7日から8日にかけて新たに50人が死亡した。

109) 10日、サマワの陸上自衛隊宿営地付近で迫撃砲と見られる砲弾が数発着弾した。2発は宿営地内に着弾したとの情報もあった。

110) 各地で米軍と武装勢力の衝突、中部サマッラでは米軍が50人を殺害、中部ヒッラでは民兵40人とイラク人警察官3人が死亡した。

111) 21日、サマワの陸上自衛隊宿営地付近に砲弾1発が宿営地付近の上空を通過して南方に着弾した。最も近い場所から発射された。

112) 22日、米軍がナジャフの聖地イマーム・アリー廟周辺を空爆、49人が死亡した。

113) 23日、サマワの陸上自衛隊宿営地付近で大きな爆撃音が数回聞こえた。300から500メートル離れた地点に着弾した。

114) 24日、サマワの陸上自衛隊宿営地付近数キロ地点に砲弾1発が着弾した。

115) 同月26日、中部シーア派聖地クーファでモスクに迫撃砲が撃ち込まれ、信徒ら27人が死亡した。

ス 2004(平成16)年9月
  米軍らと武装勢力の大規模な交戦が続き、イラク民間人も多数死亡した。

116) 4日、北部クルクークの警察学校付近で爆弾テロ、少なくとも20人が死亡した。

117) 同日バグダッド北方タルアファルで米軍と武装勢力が交戦、13人が死亡した。南方ラティフィヤでも交戦があり、イラク人警察12人が死亡した。

118) 7日、米国はイラク開戦以来の米軍の死者が1000人に達したことを明らかにした。

119) 8日、コスタリカの最高裁憲法法廷は、米国のイラク侵攻に際し、コスタリカ政府が米国を支持した行為は、平和を求める同国憲法や国際法などの精神に反し、違憲だとする判決を下した。
  
120) 30日、バグダッド南西部で米軍車列を狙った爆弾テロ、子ども37人を含む42人が死亡した。北部タルアファルなのでも爆弾テロがあり、米兵1人、イラク人6人が死亡した。

121) 30日から10月1日にかけ米・イラク両国軍と武装勢力が交戦、武装勢力109人が死亡、女性や子ども、老人23人が死亡した。

セ 2004(平成16)年10月
  自衛隊宿営地内にロケット弾が打ち込まれ、拉致された日本人は無惨に殺された。

122) 4日、バグダッドのイラク軍施設入口と高級ホテル付近で爆弾テロ、14人が死亡した。北部モスルでも爆弾テロで子ども2人を含む7人が死亡した。またバグダッドでイラク暫定政府の科学技術省局長が、中部バアクーバ近郊バラドルズで地元警察署長が銃撃を受け死亡した。

123) 8日、サマワに建立された日本イラク友好記念碑が爆破された。

124) 22日、サマワの陸上自衛隊宿営地内に初めてロケット弾が着弾した。隊員が寝泊りするコンテナが並ぶ一角のすぐ近くであった。防衛庁は、度重なる砲撃の結果、駐留に反発する武装勢力の攻撃精度が上がったとみて、現地の治安維持を担当するオランダ軍などと連絡を密にし、犯行グループや発射地点の特定を急ぐことにした。

125) 26日、イラクの聖戦アル・カイーダ組織とみられる武装組織が日本人香田証生さんを拉致し、48時間以内に自衛隊を撤退させなければ殺害することを表明した。解放の願いもむなしく、同月31日、バグダッドで遺体が発見された。同年11月2日には殺害場面を映したビデオ映像が公表され、声明文で「日本政府が数百万ドルの身代金を出すと申出たが、我々は聖戦を着実に遂行する。日本が安全を望むなら、軍隊を撤退させることだ」と改めて自衛隊の撤退を要求した。

126) 29日、英国の有力医学誌ランセットの電子版で、昨年3月の米英軍のイラク侵攻以来、イラクの一般市民の死者は推計10万人以上という米公衆衛生学者グループの論文が発表された。

127) 31日、サマワの自衛隊宿営地にロケット弾と見られる砲弾が着弾、倉庫として使用している鉄製コンテナを貫通した。大野防衛庁長官は、同年11月1日の衆議院イラク復興支援特別委員会で、「サマワの治安状態は予断を許さない。治安の問題を重く受け止めている」と述べた。

ソ 2004(平成16)年11月
  イラク全土に非常事態宣言が発令された。米軍らはファルージャに総攻撃をかけた。

128) 4日、バグダッド北方約74キロドゥジャイルの市議会庁舎前で自動車爆弾が爆発、3人死亡した。南方約50キロのイスカンダリヤでも3人が死亡した。

129) 6日、サマッラで4か所の爆弾テロ、少なくとも37人が死亡した。

130) 7日、バグダッド北西200キロハディーサ周辺、南方ラヒフィヤで警官が襲われ、警官ら33人が死亡した。バグダッドでは米軍車両への攻撃で米兵1人、南方マフムーディーヤでは県知事側近ら3人が殺害された。

131) 同日、イラク暫定政府は、北部クルド地域を除くイラク全土に初の非常事態宣言を発令した。

132) 同月8日、米軍とイラク軍はファルージャに総攻撃をかけた。バグダッド陥落後の戦闘では最大規模の市街戦となった。米・イラク軍は、同月14日、市全域を支配し、武装勢力1200人以上を殺害したが、武装組織は戦いをイラク全土に拡大させると宣言した。

133) 同月12日、サマワを含むムサンナ県の治安維持を担当しているオランダ軍1350人が2005年3月当初の予定通りに撤退することを決めたことが報道された。

134) 同月24日、サマワのオランダ軍宿営地付近に着弾し、オランダ軍が打ち上げた照明弾で民家が破損した。

タ 2004(平成16)年12月
  ファルージャ制圧後も戦闘は続いているが、日本政府は自衛隊派遣の延長を決めた。

135) 4日、バグダッド中心部警察署前で爆弾テロ、イラク人警察官7人が死亡した。バグダッド東部と中部バアクーバ付近で爆弾でそれぞれ米兵1人が死亡した。

136) 6日、サマワを大野功統防衛庁長官が視察したが、その東約25キロのワルカ近郊で同日夜、地元住民と武装グループが銃撃戦を展開、付近から破壊力の強い高性能のTNT火薬約100キロを含む約200キロの爆発物が見つかった。武装グループは10から12人で、バイクなどに乗りワルカ東方の砂漠地帯に出没。銃撃戦の後、グループは逃走した。その後住民が地中に隠された5キロの爆発物を20個、50キロのTNT火薬が入った袋を2つ発見した。導火線や起爆装置も付いていた。

137) 7日、バグダッドで、米軍のパトロール隊が襲撃され、米兵1人が死亡した。11月のイラクでの米軍死者数が、イラク戦争開始後、月間では最高の136人に上り、昨年3月20日のイラク戦争開戦以降、米兵の戦闘による死者数はこれで1、000人に達した。事故や自殺など戦闘以外での死者を含めると1、275人が死亡し、負傷者は9、765人に達している。イラク人の死者の総数については、公式に統計が取られていないが、イラク市民の死者の数を集計しているIRAQ BODY COUNT(http://www.iraqbodycount.net/)によると、12月9日現在14、619〜16、804人である。ただし10万人以上とする論文があること既述のとおりである。

138) 7日、アナン国連事務総長は記者会見で「治安の悪化は選挙実施を危うくしている。選挙のためイラクに派遣する国連スタッフは35人に制限する」と明らかにした。

139) 8日、クウェートを拠点に3月から、C130輸送機でイラクへ兵員や物資の空輸をしている航空自衛隊の輸送実績の全容が8日わかり、空輸した外国兵は延べ約1、200人で、ほとんどが武装米兵で、イラクの前線へ配置される兵士と、イラクから帰任する兵士がほぼ半数ずつで、2国間を往復輸送していた。運ばれる米兵らが戦闘参加目的だった場合、憲法が禁じる他国の武力行使との一体化とみなされる恐れがあり、9日に予定されている自衛隊派遣延長に絡んで論議を呼ぶのは必至だ、と報道された。

140) 9日、自衛隊派遣の1年間の延長が決定された。
  
141)9日、陸上自衛隊が駐留するサマワ市南部で大きな爆発音が聞こえた。地元警察当局はTNT火薬による爆発だったことを明らかにした。付近は住宅地で、駐車中の車2台のガラスが割れた。地元警察当局者によると、住宅街の空き地にロケット弾が着弾したという。

142)10日、細田官房長官は記者会見で、陸上自衛隊が駐留するイラク・サマワの治安維持に関して、英国政府が8日、「(3月に)オランダ軍が撤退する際には(サマワを含む)ムサンナ州の治安及び安定を確保すべく、英国政府が責任を持って多国籍軍の中の調整を行うことを保証する」と日本政府に伝えてきたことを明らかにした。

143) 10日、新たな「防衛計画の大綱」と次期中期防衛力整備計画が閣議決定され、国際テロ組織の活動や大量破壊兵器の拡散など「新たな脅威」に対抗するため自衛隊と米軍の一体化を進める政府方針が鮮明に示された。

144) 10日、イスラム教シーア派の反米指導者ムクタダ・サドル師系の宗教指導者アブドルラザク師は、アルグレイブ・モスク(礼拝所)で行われた金曜礼拝で、日本政府が自衛隊派遣の1年延長を決めたことについて、「当初は1年だけと聞いていた。多国籍軍である以上、占領軍であり、町から撤退すべきだ」と語った。

145) 13日、衆院イラク人道復興支援活動特別委員会で、細田博之官房長官は「イラクの政治プロセスが終了すれば、自衛隊の任務は終了する」と述べ、05年12月予定の恒久政権発足までは自衛隊の活動が必要との考えを示した。また基本計画に「必要に応じ適切な措置を講じる」との条項を追加したことについて「(撤退は)可能性として排除していない」と述べ、状況次第で撤退を検討する可能性がありうるとの見方を示した。

146) 13日、バグダッド中心部の検問所で自動車爆弾による自爆テロがあり、7人が死亡、19人が負傷した。

147) 14日、バグダッド中心部の検問所で自動車爆弾が爆発し、市民7人が死亡、13人が負傷した。北部モスルでは13日から14日にかけて、墓地など2カ所で、頭部を銃で撃ち抜かれた男性計14人の遺体が見つかった。

148) 14日、ポーランドのシュマイジンスキ国防相は、イラク派遣軍の3分の1にあたる800人を来年2月から削減し1700人とすると正式に発表した。ポーランドでは世論の7割以上がイラク派遣に反対しており、来春にも予定される総選挙を控え、部隊規模の削減が政府公約となっていた。

149) 15日、イラク中部カルバラで爆発が起き、8人が死亡、32人が負傷した。負傷者にはイスラム教シーア派の聖職者で、最高権威シスタニ師の代理人とされるアブドル・マハディ・カルバライ師が含まれている。

150) 15日、国連はイラク移行国民議会選挙に向け、イラク南部バスラと北部アルビルに新たに事務所を開設することを明らかにした。米国などからの強い要請にもかかわらず、選挙支援の国連国際要員は現行の20人から、25人と最小限度の増員にとどめる方針も示した。

151) 16日、バグダッドで出勤しようとしたカシム・イムハウィ通信省次官が銃撃され死亡した。

152) 16日、自衛隊のイラク派遣に反対するビラを配るため今年1から2月にかけて、東京都立川市の防衛庁官舎の通路などに立ち入ったとして住居侵入罪に問われた市民団体メンバー男女3人に、東京地裁八王子支部は無罪を言い渡した。

153) 17日、夜から18日にかけ、議会選挙の有権者登録などを行う選挙事務所3カ所が相次いで攻撃を受けた。

154) 17日、米国防総省の集計によると、イラク戦争開戦以来の米軍死者が1300人に達した。死者数は11月17日に1200人を突破したばかりで、1日3人以上の犠牲が出るハイペースとなっている。11月の死者数は過去最多の136人だった。

155) 19日、イラク中部のイスラム教シーア派聖地ナジャフとカルバラで、自動車に積まれた爆弾が相次いで爆発し、少なくとも計62人が死亡、123人が負傷した。

156) 21日、イラク北部モスルの米軍基地で同日昼にあった爆発で米兵14人など米国人18人を含む22人が死亡、72人が負傷。米軍を直接狙った攻撃としては03年3月のイラク戦争開戦後最大の被害。

157) 21日、イラク駐留米軍はバグダッド西方170キロにある中部ヒートを空爆、地元病院によると、6人が死亡、女性と子供ら7人が負傷した。

158) 23日、陸上自衛隊の第5次イラク派遣部隊の物資輸送を巡り、岡山県が貨物取扱業者から岡山空港(岡山市日応寺)の大型輸送機の使用について打診を受けたが、物資に弾薬などが含まれることから使用を断っていたことが分かった。県などによると、打診があったのは先月。県は爆発物の運搬を禁じた県岡山空港条例に抵触すると判断し、今月上旬に断ったという。

159) 24日、バグダッド西部の高級住宅街マンスール地区で大きな爆発があり、米軍によると20人が死傷。

160) 25日、イラク中部ナジャフとカルバラを結ぶ道路で自動車爆弾が爆発し、イラク人3人が死亡、2人が負傷した。

161) 27日、イラクの首都バグダッドにあるイスラム教シーア派の主要政党イラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)の指導者アブドルアジズ・ハキム師の自宅前で車による自爆テロがあり、13人が死亡、53人が負傷した。

162) 27日、イスラム教スンニ派の最大政党「イラク・イスラム党」はバグダッドで記者会見し、治安悪化などを理由に、来月30日に予定されている移行国民議会選挙から撤退すると表明した。

163) 28日、イラク北部のティクリートやモスルなどで、警察署や検問所を狙ったテロ事件が相次ぎ、イラク人警官ら治安当局者19人を含む計24人が死亡した。

164) 28日、バグダッド西部ガザリヤ地区の民家で大きな爆発が起き、少なくとも警官7人を含む計29人が死亡した。

165) 29日、イラク北部モスルで米軍施設が武装勢力に襲撃され、米兵1人が死亡、米軍側は武装勢力側25人を殺害した。

166) 30日、サマワ陸自宿営地近くで迫撃弾5発が発見された。

167) 30日、AP通信イラク駐留米軍に対する抵抗勢力の武装闘争のデータをまとめ、04年夏以降、情勢が悪化し続けていると総括した。同通信によると、米軍は9月からの4カ月間に少なくとも348人の死者を出し、03年3月のイラク戦争開戦以来、最悪のペースとなった。累計で1万人を超えた負傷者の4分の1以上も、最近4カ月間の戦闘や仕掛け爆弾、自爆攻撃によるもの。ブッシュ大統領が「大規模戦闘の終結」を宣言した03年5月1日までの負傷者が542人だったのと比べ状況の悪化が際立つ。

168) 31日、韓国国会がイラク派兵1年延長を可決。

チ 2005年1月
  国民議会選挙を控え、ますます悪化する治安。

169) 3日、首都バグダッドや北部ティクリートなどで自動車爆弾などのテロが相次ぎ、イラク軍兵士ら22人が死亡した。

170) 4日、イラク暫定政府のヤワル大統領はロイター通信との会見で、30日に予定されている国民議会選挙について、「実施可能かどうかの見極めは国連に責任と義務がある」と述べ、国連の判断次第では延期もあり得るとの認識を示した。

171) 4日、バグダッド北部でバグダッド県のハイダリ知事の車列が武装勢力に襲撃され、知事と護衛6人の計7人が死亡した。またバグダッド中心部にある国家防衛隊駐屯地付近では、自動車爆弾による自爆テロがあり、イラク兵8人と民間人3人の少なくとも11人が死亡、約60人が負傷。一方、4日は米軍に対する襲撃も相次ぎ、米兵計5人が死亡した。

172) 4日、イラクのイスラム教スンニ派の各組織がバグダッド市内のモスクで会合を開き、30日に迫ったイラク国民議会選挙の延期を求め、共同歩調を取ることで一致した。

173) 4日、03年3月のイラク戦争開戦以来の戦闘で負傷した米兵が4日までに、1万人を突破したことが米国防総省の集計で明らかになった。米軍の死者数は1335人に達している。集計によると、負傷者は計10252人で、うち72時間以内に原復帰できなかった重傷者が5396人いた。

174) 5日、イラク中部ヒッラの警察学校近くで自動車爆弾が爆発し、警察官ら少なくとも22人が死亡、多数が負傷した。またバグダッド北方のバクバでも同日、検問所で自動車爆弾による自爆攻撃があり、少なくとも6人が死亡した。

175) 5日、イラク北部のモスル近郊でイラク人男性18人の射殺体が見つかった。

176) 5日、自衛隊が駐留するイラク南部サマワのオランダ軍兵士から「危険な所で活動しているのに、払われる手当の額が低すぎる」との不満が上がり、軍労組は国防省と初めて交渉を持ち、支払額を増やすよう求めたが、結論は出なかった。

177) 6日、イラク暫定政府のアラウィ首相は、昨年11月7日に宣言した北部クルド人自治区を除く全土への60日間の非常事態をさらに30日間延長するとの声明を出した。

178) 6日、バグダッドで道路脇に仕掛けられた爆弾が爆発し、米軍のブラッドレー装甲兵員輸送車1台が破壊され、乗っていた米兵7人全員が死亡した。また、バグダッド西方アンバル州でも米海兵隊員が少なくとも1人死亡した。

179) 6日、防衛庁は自衛隊の海外活動を「付随的任務」から「本来任務」に格上げする自衛隊法改正案を21日召集予定の通常国会に提出する方針を固めた。

180) 6日、陸上自衛隊中部方面総監部(兵庫県伊丹市)は6日までに、近くイラク・サマワに派遣されるイラク復興業務支援隊第3次要員(約100人)に、中部方面隊から約60人を参加させることを決めた。

181) 6日、中国地方五県を管轄する陸上自衛隊第一三旅団(司令部・広島県海田町)から第三次イラク復興業務支援隊に加わる隊員十人が六日午前までに、それぞれの駐屯地などから出発した。海田市駐屯地(海田町)からはこの日朝、同駐屯地所属の男性三佐(45)と日本原駐屯地(岡山県奈義町)所属の男性三佐(36)が制服姿で出発した。
 
一三旅団から三次隊に加わるのは、海田市、日本原、山口、米子、出雲の各駐屯地の隊員。三次隊は、一三旅団を含む中部方面隊(総監部・兵庫県伊丹市)を中心に要員約百人。今月下旬から二月上旬にかけて中部方面隊からサマワに派遣される見通しの第五次イラク復興支援群の受け入れ業務や物資輸送などに当たる。

182) 7日、ブッシュ米大統領はイラクで30日に予定される移行国民議会選挙を予定通り実施する方針を明示し、「歴史的瞬間になる」などと楽観的な展望を示した。しかし、イラク駐留米軍の指揮官は同国人口の半分近くが住む4県について必ずしも投票の安全を保証できないと公言し、スコウクロフト元大統領補佐官は選挙が内戦を招く危険を指摘している。

183) 7日、バグダッド南方で。イラク・サラハディン県の県議会議長と同県副知事がイスラム過激派とみられるグループに誘拐された。

184) 7日、イラク南部サマワに駐留する自衛隊の活動について、反米運動を続けるイスラム教シーア派のムクタダ・サドル師派がこのほど、住民へのアンケートを行った。その結果、86%の住民が「自衛隊の活動に満足していない」と答えた。

185) 8日、イラク駐留米軍は北部モスル近郊で米軍のF16戦闘機が民家を誤爆し、住民5人が死亡したと発表した。AP通信は、住民側の話として14人が死亡し、うち7人が子供だったと伝えている。

186) 8日、イラク復興業務支援隊第3次要員が羽田空港から出国した。約90人の隊員は、同空港としては初めて、全員迷彩服を着用してチャーター機に乗り込んだ。

187) 10日、ウクライナのクチマ大統領は、イラク中部に派遣中のウクライナ軍部隊約1600人を今年前半に撤退させる方針を決め、クジムク国防相とグリシェンコ外相に計画策定を命じた。イラクでは9日、爆発でウクライナ兵8人が死亡しており、クチマ大統領は、これを受け、撤退を急がせたとみられる。

188) 10日、選挙妨害へ爆破続発、バグダッド警察副本部長射殺。

189) 10日、フーン英国防相はイラク駐留英軍に近く400人を増派する方針を明らかにした。今月30日の移行国民議会選挙に向けた治安維持態勢強化が目的。イラクの英軍は9000人規模となる。

190) 11日、イラク北部ティクリートの警察署近くで11日、自動車が爆発し、少なくとも7人の警官が死亡、8人が負傷。バグダッド南方で走行中のミニバスが武装集団に襲撃され、乗っていた8人が死亡、3人が誘拐された。中部のサマラでは道路脇の爆弾2発が爆発し、イラク国家警備隊員2人と警官1人の計3人が死亡。

191) 10〜11日、バグダッドでアラウィ暫定首相が率いる政党「イラク国民合意(INA)」のメンバーを狙ったテロがあり、2人が死亡、1人が大けがをした。INAによると、最近2カ月で同党のメンバー22人が殺害されており、アラウィ首相は11日「移行国民議会選挙(30日)実施のための安全を確保できない地域がある」と改めて認めた。

192) 11日、イラク南部サマワの陸上自衛隊宿営地にロケット弾が着弾、宿営地内の空き地から信管付きのロケット弾1発が見つかった。宿営地内に信管を装着した砲弾が着弾したのは初めて。これまで迫撃砲やロケット弾で陸自宿営地を狙った攻撃は8回で、今回が9回目となる。うち7回目以降は宿営地内に着弾。

193) 12日、イラク北部モスルで、米、イラク両国部隊の車列付近で自動車爆弾が爆発し、イラク兵2人が死亡した。中部アンバル県では、米兵1人が攻撃を受けて死亡した。

194) 12日、米紙ワシントン・ポストは、イラクで大量破壊兵器を捜索していた米中央情報局(CIA)主導の調査団が先月で調査活動をこっそり打ち切ったと報じた。調査団は昨年10月、大量破壊兵器が存在しなかったとの結論をまとめた。マクレラン米大統領報道官も報道を追認した。

195) 12日、バグダッド南東部のサルマン・パク地区で、イラクのイスラム教シーア派最高権威、シスタニ師の代理人、マハムード・マダヘイニ師が武装集団に襲撃され死亡した。

196) 13日、イラク南部サマワで13日午後7時(日本時間14日午前1時)すぎ、オランダ軍宿営地の近くで大きな爆発音が少なくとも1回聞こえた。3回との情報もある。死傷者は確認されていない。

197) 13日、国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチ(本部ニューヨーク)のケネス・ロス代表は13日、ワシントンで記者会見し、60カ国以上の昨年の人権状況に関する年次報告書を発表、イラクのアブグレイブ刑務所などでの米軍による収容者虐待事件とスーダン西部ダルフール地方での残虐行為を厳しく批判した。

198) 14日、イラクのアブグレイブ刑務所で起きた米軍兵士によるイラク人収容者への虐待事件で、米軍事法廷は、チャールズ・グレーナー技術兵を有罪とする評決を下した。

199) 16〜17日、中部バクバなどイスラム教スンニ派が強い地域で、治安部隊や米軍に対する攻撃が相次ぎ、少なくとも計21人が死亡した。また、選挙に前向きなシーア派が多い南部バスラでは投票所になる予定の学校が迫撃砲攻撃を受けた。

200) 17日、バチカン(ローマ法王庁)に入った情報によると、イラク北部モスルで、キリスト教のカトリックに属するアッシリア派のバジーレ・ジョルジュ・カスムーサ大司教(66)が武装グループに拉致された。

201) 17日、オランダのバルケネンデ首相は、自衛隊の駐留するイラク南部サマワ一帯で活動するオランダ軍の駐留延長を米英両国が求めている問題で、3月中旬で撤退させるという従来の政府方針を変更しない考えを改めて示した。

202) 17日、選挙の妨害とみられる攻撃が相次ぎ、イラク軍兵士ら少なくとも16人が死亡。中部ラマディではイラク兵ら6人の遺体が見つかった。イラク中部アンバル県では米兵1人が死亡。

203) 17日、のアナン事務総長は30日に予定される移行国民議会選挙について「状況は理想からはほど遠い」と述べ、テロの頻発などで治安悪化が続いていることに懸念を示した。

204) 18日、中国人8人がイラク国内で武装グループに拉致、拘束された。

205) 19日、グダッドでオーストラリア大使館などを狙った自爆テロなど少なくとも5カ所で爆発があり、27人が死亡した。

206) 19日、イラク南部サマワを州都とするムサンナ県のサルマン近郊で、駐留オランダ軍の検問所からの停止命令を無視した車がオランダ兵の発砲を受け、イラク人1人が死亡した。

207) 20日、ストロー英外相は町村外相との階段で「自衛隊の安全に対する日本国内の懸念は十分理解している」と述べたものの、英軍の対応については「統括する立場として責任を認識している」と述べるにとどめた。

208) 21日、イラクの首都バグダッドにあるイスラム教シーア派のモスク付近で自動車爆弾が爆発し、金曜礼拝のため集まっていた市民ら14人が死亡、約40人がけがをした。

209) 21日、イラク南部ナシリヤで偵察活動中のイタリア軍ヘリコプターが武装勢力の攻撃を受け、搭乗していた兵士1人が死亡した。ナシリヤは、陸上自衛隊が展開しているサマワから約100キロ東方。

210) 21日、バグダッド南方約20キロの村ユスフィア近郊でイスラム教シーア派教徒の結婚式会場の庭に、爆弾を積んだ救急車が突入して爆発する自爆テロがあり、少なくとも7人が死亡した。式場には数十人の来客が居合わせ、AFP通信によると、40人以上が負傷した。

211) 22日、ロイター通信によると、イラクの武装組織「アンサール・スンナ軍」は22日、同組織が今月中旬、同国西部で拉致した国家警備隊兵士15人を射殺したとする声明をウェブサイトに流した。

212) AFP通信によると、イラクで行われる暫定国民議会選挙の投票所10か所が24日夜から25日にかけて攻撃された。アブムサブ・ザルカウィ容疑者派の武装組織「イラク聖戦アル・カーイダ組織」が犯行声明を出した。

212)28日イラク駐留米軍によると、バグダッドで28日、米軍に対する攻撃が3件あり、米兵計5人が死亡したと報じた。

213)29日バグダッド中心部の多国籍軍管理区域「グリーンゾーン」にある米国大使館に、ロケット弾が撃ち込まれ、米国人2人が死亡、4人が負傷した。AFP通信によると、死亡したのは米軍兵士と文民と報じている。

214)30日暫定国民議会選挙投票が行われた。

   

ツ 2005年2月

215)3日バグダッド西部アブグレイブ地区で、イラク人警察官の車列が武装勢力に襲撃され、2人が死亡、14人が負傷した。このほか少なくとも36人が行方不明となっている。

216)11日、バグダッド東部のシーア派居住地区にあるパン屋に、武装勢力が押し入って銃を乱射し、11人が死亡した。イラクではこの直前に、バグダッド北東部にあるイスラム教シーア派モスク(礼拝所)の前でトラックが爆発し、金曜礼拝のため訪れていた信者ら少なくとも12人が死亡している。

217)13日イラク各地で、武装勢力による襲撃事件が相次いで発生した。バグダッドではカジミヤ地区でイラク軍幹部が武装勢力の襲撃を受け、准将ら3人が死亡したほか、アラウィ首相の政党関係者2人が遺体で見つかった。首都北方バアクーバでも共産党の地元メンバーが何者かに射殺された。北部モスルでは知事庁舎がロケット砲攻撃を受け、イラク人2人が死亡、4人が負傷した。モスル空港近くの道路で、国家警備隊が仕掛け爆弾を処理中に爆弾がさく裂、警備兵2人が死亡した。

218)18日バグダッドで、イスラム教シーア派モスク(礼拝所)などを狙った爆破攻撃が4件あった。死者は少なくとも23人にのぼると報じられた。

219)21日、イラク南部ムサンナ県に駐留するオランダ軍が撤退を開始した。

220)28日イラク中部バビル県都ヒッラ(バグダッド南約100キロ)で、警察・国家警備隊への就職を求めて、医療センター前に並んでいた市民の列に爆弾を積んだ車が突っ込み爆発した。同県警察本部は、反米武装勢力による自爆テロと断定、CNNテレビによると、この爆発で少なくとも125人が死亡、150人が負傷したと報道した。

221)28日ロイター通信は、国際テロ組織アル・カーイダの最高指導者ウサマ・ビンラーディンがヨルダン人テロリスト、アブムサブ・ザルカウィ容疑者に対し、米本土をテロ攻撃の標的にすることを考慮するよう求めたと報じた。

テ 2005年3月

222)1日、イラクのフセイン元大統領ら旧政権幹部を裁く特別法廷の判事と、判事の息子で、特別法廷で働いている弁護士が自宅近くで同日銃撃され、死亡したと報じられた。

223)4日AP通信によると、イラク駐留米軍は、中西部アンバル州で同日、米兵4人が作戦中に死亡したと発表した。

224)5日イラク中・北部のイスラム教スンニ派武装勢力が多い地域では、首都バグダッド北方のドゥルイヤの国軍基地に対する迫撃弾攻撃などで計7人の国軍兵士が死亡した。

225)7日陸上自衛隊が活動するイラク南部サマワのオランダ軍宿営地キャンプ・スミッティで、オランダ軍の撤退に伴い、サマワを中心とするムサンナ州の治安維持権限を英軍に移管する引き継ぎ式が行われた。

226)7日イラク中部バクバやバラドで7日、武装勢力が自動車爆弾や路上爆弾、銃撃で治安当局の検問所などを攻撃、ロイター通信などによると計31人が死亡した。バクバやその周辺では検問所3カ所が攻撃され、兵士と警官計12人が死亡し、26人が負傷。バグダッド周辺でも警官2人を含む4人が路上爆弾などで死亡した。バラドではイラク軍幹部の自宅を標的に自動車爆弾による自爆テロがあり、周辺の住民ら15人が死亡した。

227)8日、イラクの首都バグダッド西部で、内務省幹部ガジ・モハメド少将が銃撃により暗殺された。同国での多くのテロの黒幕とされるザルカウィ容疑者率いる「イラク聖戦アルカイダ組織」を名乗る組織が犯行を認める声明をウェブサイトに掲載した。中部サルマンパクでは同日、貿易省へ食料を運ぶ車列が武装勢力に襲撃され、民間人3人が死亡。首都西部の病院次長も暗殺された。

 

3 イラク移行政府発足後

2005年4月28日のイラク移行政府発足後も、以下のとおり、イラク全土、そしてサマーワで、武装組織と米軍との戦闘や、テロ行為が無数に起こっているのである。

4月27日   イラク国民議会の女性議員ラミア・アベドハドリがバグダッド北東部の自宅で、武装グループと見られる何者かに暗殺された。 28日  イラク移行政府発足

  29日  バグダッド及びバグダッド近郊で、イラク治安部隊や警察署を狙い、計9台の自動車爆弾によるテロが相次ぎ、24人が死亡、約90人が負傷した。

  29日〜5月1日   イラク各地で反米武装勢力による攻撃が相次ぎ、3日間で少なくとも74人が死亡した。30日にはバグダッドで5件、北部モスルで6件の自動車爆弾攻撃があり、イラク人少なくとも17人と米兵1人が死亡し、1日には、バグダッド付近で武装勢力の銃撃により警官5人が射殺された。

5月2日   バグダッドで、治安部隊の車列や商店街の一般人を狙った自動車爆弾テロが3件連続して起こり、少なくとも8人が死亡した。

  3日   イラク中部ラマディで戦闘が発生し14人が死亡した。

  4日   イラク北部クルド人自治区で、警官の募集窓口に集まっていた志願者を狙った自爆テロが発生し、60人以上が死亡した。

  6日   バグダッド南方スウェイラの市場で自動車爆弾を使った自爆テロがあり、少なくとも14人が死亡(ロイターは22人と報道)、43人が負傷した。また、北部ティクリートの軍検問所付近でも警官を狙ったと見られる自爆攻撃があり、少なくとも8人が死亡、7人が負傷した。さらに、同日、バグダッド郊外のゴミ廃棄場で、イラク人と見られる射殺体が12体が見つかった。

  7日   バグダッド中心部で自動車爆弾によるテロがあり、少なくともイラク人13人と外国人4人の計17人が死亡、30人以上が負傷した。また、同日、中東の衛星テレビ放送アルジャジーラは、イラクでオーストラリア人男性ダグラス・ウッドを拉致した武装勢力が、72時間以内にオーストラリア軍をイラクから撤退させるよう要求するビデオを放映した。

  8日   同日までに、イラク戦争開始以来の米軍死者が1600人を超えた。

  9日   イラク駐留米軍が、イラク西部アンバル州で武装勢力に対する大規模な掃討作戦を実施、24時間で75人を殺害した。また、同日、バグダッド南部で自動車テロが発生し、3人が死亡、9人が負傷した。

なお、この日、イラク西部ヒートで、日本人斎藤昭彦を拉致したと、イラクの武装勢力「アンサール・スンナ軍」が犯行声明を出した。斎藤は、前年12月より警備会社ハート・セキュリティー社に籍を置き、イラクで米国の車列警護等の業務についていたところ、同勢力の襲撃に遭い、銃撃を受け、瀕死の状態で連れ去られたものであった。

  10日  イラク中西部アンバル州のラジャ・ナワフ知事が、4人のボディガードとともに武装勢力に拉致された。

  11日  バグダッド、ティクリート等で連続爆弾テロがあり、少なくとも71人が死亡した。
また、同日、イラク西部で武装勢力掃討作戦に参加していた米海兵隊員が地雷に触れ、2人が死亡、14人が負傷した。

  12日  バグダッド東部で自動車爆弾テロがあり少なくとも12人が死亡、56人が負傷した。

  13日  イラク各地で爆弾テロが起き7人が死亡。前年11月よりクルド人自治区を除いたイラク全土に出されている非常事態宣言が30日間延長された。

  14日  バグダッドで自動車爆弾テロ、5人が死亡。
また、米軍はイラク中西部アンバル州で7日から14日にかけ大規模な掃討作戦を実施、武装勢力125人以上を殺害した。

  15日  バグダッド東北部でシーア派と見られる13人の射殺体が見つかったほか、15日から翌16日にかけ、約50体のイラク人の惨殺体が見つかった。
また、アンサール・スンナ軍が、インターネット上で、斎藤昭彦らを襲撃したときの映像を公表した。

  17日  バグダッドでシーア派の聖職者が車で移動中に射殺されたほか、同日までに、スンニ派聖職者2人の遺体も発見された。

  24日  イラク北部タルアファルで連続爆弾テロが起き20人が死亡、20人が負傷したのを含め、バグダッド等イラク各地でテロが起き、少なくとも49人が死亡した。

  25日  イラク中部ハディーサでの掃討作戦で、米軍が武装勢力少なくとも10人を殺害した。

  29日  イラク治安部隊4万人以上と米軍約1万人が、バグダッドで武装勢力の大規模掃討作戦を開始した。

  30日  イラク中部の2箇所で自爆テロが起き、27人が死亡、100人以上が負傷した。

6月1日   バグダッド郊外の検問所で自爆テロがあり、民間人15人が負傷した。

  2日   イラク北部と中部で計5件のテロが起き、ディヤラ州評議会副議長を含む少なくとも34人が死亡、数十人が負傷した。

  3日   同日付の米紙ワシントン・ポストは、過去1年半の間でイラク民間人1万2000人がテロや戦闘行為により死亡したと報じた。

  11日  バグダッド所在のイラク内務省特殊部隊本部内で自爆テロが起き、少なくとも3人が死亡したほか、バグダッド市内のスロバキア大使館付近でも自爆テロが起き、数人が負傷した。その他、同日には各地で武装勢力の攻撃があり、10人以上が死亡した。

  13日  イラク西部で米軍が大規模な掃討作戦を実施し、武装勢力40人以上を殺害した。

  15日  イラク中部バクバ近郊のイラク軍基地で自爆テロがあり、少なくとも26人が死亡、26人が負傷した。また、バグダッド東部でもイラク警察の車列に対して自爆テロが起き少なくとも10人が死亡するなど、各地で武装勢力の攻撃が相次いだ。

  18日  イラク西部カイムにおける米軍の掃討作戦で、17日未明から18日にかけ、武装勢力50人以上が殺害された。
このほか、同日、バグダッドで自動車爆弾テロが起き2人が死亡するなど、各地で武装勢力の攻撃が相次いだ。

  20日  イラク北部のクルド人自治州と首都バグダッドで、警察署などを狙った自爆攻撃やロケット砲を使った攻撃が相次ぎ、合わせて少なくとも24人が死亡、120人以上が負傷した。また、中部ファルージャ近郊では米軍が武装勢力15人を殺害した。

  23日  サマーワの陸上自衛隊宿営地近くで、走行中の陸上自衛隊車両4両の車列から約1.5ないし2メートルの至近距離に埋められていた爆発物2個のうち1つが爆発し、うち1両のフロントガラスにヒビが入った。

  26日  イラク北部モスルで警察署等を狙った3件の自爆テロがおきたほか、バグダッド等でも自爆テロが相次ぎ、計47人が死亡した。

  27日  バグダッド近郊で米軍ヘリが墜落し、米兵2人が死亡した。また、同日までに、サマーワで陸上自衛隊が修復した道路に立てられた看板の日の丸が黒く塗りつぶされているのが見つかった。

  28日  サマーワで失業者のデモ隊と警察官が衝突、投石するデモ隊に警察官が発砲するなどし、12人が負傷した。この際、爆弾を身につけた男が拘束された。後に重傷者のうち2人が死亡した。

  30日  サマーワ中心部のムサンナ州評議会庁舎付近で複数回の砲撃が起きた。

7月4日   バグダッド近郊で米軍とイラク軍による掃討作戦が行なわれ、武装勢力の少なくとも100人が拘束された。また、バグダッドで自動車爆弾テロが起き2人が死亡したほか、北部モスルでは州知事やクルド民主党幹部4人が射殺された。

  7日   「イラク聖戦アルカイダ組織」を名乗る武装勢力が、イラクで拉致したエジプトのシェリフ次期大使を殺害したとウェブサイト上で発表した。

  10日  バグダッド等各地で爆弾テロが相次ぎ、計33人が死亡した。

  13日  バグダッドで13日、子供らに菓子を与えていた米兵を狙った自動車爆弾テロがあり、子供10人以上を含む27人が死亡し、20人以上が負傷したほか、バグダッドの別の場所でも爆弾テロにより1人が死亡、1人が負傷した。

  15日  バグダッド市内各地で7件の自爆テロが相次ぎ、20人以上が死亡したほか、ヨルダン国境近くでも米兵2人が死亡した。

  16日  イラク南部アマラで路上に仕掛けられた爆弾が英軍車両の近くで爆発し、英兵3人が死亡、2人が負傷した。

  17日  イラク中部ムサイブで燃料輸送車を狙った自爆テロが起き、98人が死亡、約100人が負傷したほか、バグダッドでも4件の爆弾テロが相次ぎ、19人が死亡した。

  19日  イラク各地で武装勢力による襲撃事件が相次ぎ、少なくとも37人が死亡した。

  22日  バグダッドや中部サマラなどで武装勢力の攻撃が相次ぎ、16人が死亡した。

  24日  サマーワで日本友好協会のアンマル・ヒデル前会長が経営する商店が爆破された。

  29日  サマーワで、日本政府が経済支援している職業訓練の作業所が、2発の爆弾で爆破された。また、北部ラビアでは、イラク軍の採用施設で自爆テロが起き52人が死亡した。

  30日  イラク南部バスラで英総領事館の車列の近くで爆弾が爆発し、2人が死亡した。同日、バグダッド中心部の警察検問所でも自爆テロが起き少なくとも7人が死亡したほか、バグダッド市内の2箇所に仕掛けられた爆弾が相次いで爆発し米兵5人が死亡した。

  31日  バグダッド南方で自動車爆弾が爆発し7人が死亡、12人が負傷した。

8月1日   バグダッド南西部で、銃殺されたり首を切り落とされた20人の遺体が見つかった。また、バグダッド東部では、内務省幹部の車が武装勢力に襲われ、幹部1人が死亡、警備担当者2人が負
傷した。

  3日   イラク西部ハディーサ近郊で米軍車両が爆弾攻撃を受け米兵ら15人が死亡したほか、南部バスラでは米国人フリージャーナリストが射殺体で見つかった。

  4日   サマーワ近郊で市街地に電力を供給する送電塔近くに爆弾が仕掛けられているのが発見された。また同日深夜、サマーワ中心部の商店で小規模の爆発が起きた。

  7日   サマーワで大規模デモが起き一部が暴徒化して警官隊と衝突、1人死亡。また、サマーワの州政府庁舎近くでロケット弾による爆発も起きた。

  8日   サマーワで、地元テレビ局と地元紙に対し、陸上自衛隊の活動を報道しないよう警告し、従わねば社員を殺害する旨の脅迫状が送りつけられていたことが明らかになった。また、サマーワでパトロール中の警官が武装勢力の銃撃を受け1人が死亡した。

  10日  サマーワで地元ムサンナ州評議会のアブドラ・シェヌン議員宅に銃撃があり市民2人が負傷した。

  11日  サマーワで、憲法承認国民投票の準備を進める選挙管理委員会事務所に男4人が訪れ、イラク人警官やイラク軍への警備依頼をやめなければ同事務所を爆弾攻撃すると脅迫した。

  15日  北部モスルで米軍部隊が銃撃を受け米兵1人が死亡した。

  17日  バグダッド中心部で車3台による連続爆弾テロが起き、少なくとも46人が死亡、76人が負傷した。また、北部キルクークではイラク軍車両が武装勢力の攻撃を受け6人が死亡した。

  18日  イラク中部サマラで爆弾攻撃により米兵4人が死亡した。

  24日  イラク中部ナジャフでイスラム教シーア派の内紛と見られる衝突があり少なくとも4人が死亡したほか、25日未明にかけ、サマーワなど南部数か所で衝突が続いた。

  25日  バグダッド南方で男性36人の射殺体が見つかったほか、バグダッド北方では飲食店に武装集団が押し入り民間人6人が死亡した。また、北部キルクーク近郊では、移行政府のタラバニ大統領の所有する車が襲われ護衛2人が死亡した。

  26日  サマーワで反米指導者サドル師の支持者ら約2000人が大規模デモを行なった。

  29日  米軍がバグダッドでロイターテレビのイラク人職員を射殺した。

  31日  バグダッド北部でイスラム教シーア派の聖地カドミア・モスクに向かっていた多数の巡礼者が、「テロリストが自爆しようとしている」との叫び声でパニックに陥り、965人が死亡、475人が負傷した。

9月3日   イラク北部キルクークとバイジとの間で、石油パイプラインが爆破され、日量150万バレルの輸出が停止する事態となった。

  7日   南部バスラで米国の民間警備業者の車列付近に仕掛けられた爆弾が爆発し4人が死亡した。

  8日   南部バスラで爆弾テロが続発し、16人が死亡、20人が負傷した。

  10日  イラク北部タルアファルで米軍とイラク軍が大規模な掃討作戦を実施し、10日までに武装勢力141人を殺害した。

  14日  バグダッド北部で自動車爆弾テロが起き114人が死亡、156人が負傷した。この事件を含めバグダッド市内及び近郊でテロや攻撃が10件相次ぎ、合計で153人が死亡した。

  15日  バグダッドで警察を狙った車爆弾による自爆攻撃と路上に仕掛けられた爆弾による攻撃が相次ぎ、警察官31人が死亡、多数が負傷した。また、この他にも、南部イスカンダリヤで武装勢力が公務員宅を銃撃し5人が死亡するなど、同日から16日にかけ、爆弾や銃撃で少なくとも16人が死亡した。

  17日  サマーワでパトロール中の英軍部隊が武装勢力に銃撃され、英兵1人が負傷した。また、バグダッド東部郊外で自動車爆弾テロが起き、少なくとも30人が死亡、38人が負傷した。

  19日  イラク南部バスラで英兵2人とイラク警官との間で銃撃戦が生じてイラク人2人が死亡する事件が起き、英兵2人が刑務所に連行された後、英軍部隊が複数の戦車で刑務所に突入し、イラク当局の拘置下にあった英軍兵士2名を奪還した。

  24日  サマーワで治安維持にあたっている英軍・オーストラリア軍がいずれも来年5月にサマーワから撤退する意向を日本政府に打診していることが明らかになった。

  25日  バグダッドで警察の車列に対し自動車爆弾テロが起き警官13人が死亡したほか、シーア派反米指導者サドル師の民兵組織と米軍との間で交戦があり10人が死亡、中部ヒッラーの市場では自爆テロが起き5人が死亡、36人が負傷した。さらに、同日夜にはサマーワ中心部の州庁舎近くに迫撃弾が撃ち込まれ、その直後、付近の警察施設を数人の武装集団が襲撃し、警官と銃撃戦となった。

  27日  中部バクバで自爆テロが起き、12人が死亡、31人が負傷した。

  28日  北部タルアファルでイラク軍採用希望者の列で女性が自爆テロを起こし、少なくとも7人が死亡、38人が負傷したほか、中部ナジャフのサドル師の警護員宅で爆発が起き、2人が死亡、5人が負傷した。また、サマーワで、旧フセイン政権時代の支配政党旧バース党の党員宅が爆破された。

  30日  中部バラドの繁華街で自爆テロが3件発生し、子供と女性多数を含む少なくとも85人が死亡、100人以上が負傷した。また、中部ラマディでは爆弾攻撃で米兵5人が死亡した。
 
10月1日  イラク移行政府のジャビル内相の兄弟であるジャバル氏が、バグダッド市内を車で走行中に武装勢力拉致された。

10月5日  イラク中部ヒッラーで爆弾テロが起き、少なくとも25人が死亡、80人が負傷した。(98)

  10日  英国のリード国防相が、イラク駐留英軍を500人削減し、サマワ撤退の可能性についても触れる内容の議会報告を行なった。(100)

  11日  イラク北部タルアファルの商店街で自動車爆弾テロがあり少なくとも33人が死亡するなど各地でテロが続発し、少なくとも43人が死亡、106人が負傷した。(101)

  12日  イラク北部の新兵採用施設でテロが起き、少なくとも31人が死亡、35人が負傷した。また、サマワ郊外でオーストラリア軍部隊の軽装甲車3台が銃撃を受けた。(102, 103)

  14日  サマワの陸上自衛隊宿営地付近で爆発音がしたとの情報が警察に寄せられた。(105)

  15日  新憲法案の是非を問う国民投票が開始されたが、前日からイラク全土で投票所への攻撃や選管職員の拉致など妨害が相次いだ。また、中西部ラマディでは武装勢力が駐留米軍を路上爆弾で攻撃し、米兵5人が死亡した。(106)

  16日  サマワでイラク軍警察の車両2台が武装勢力に機関銃で攻撃され銃撃戦となった。また、サマワ郊外で警察官一人が銃撃を受け死亡した。(106)

  17日  米軍がイラク中西部ラマディ付近で空爆を行ない、武装勢力約70人を殺害した。(107)

  19日  英紙ガーディアンの記者がバグダッド近郊で誘拐され行方不明になった。(108)

  20日  旧フセイン政権幹部の戦争犯罪を裁く特別法廷にフセイン元大統領らと共に起訴されたバンダル元革命裁判所所長の弁護士がバグダッド市内で武装勢力により拉致され、射殺体で見つかった。(109, 110)

  21日  サマワで反米指導者サドル師派の代表が「サマワ駐在の陸上自衛隊に自爆攻撃を仕掛ける」旨警告した。また、中部ファルージャ近郊で米軍車両が爆弾攻撃を受け米兵2名が死亡した。(111, 113)

  22日  陸上自衛隊第八師団を主力とする部隊が、治安が過去最悪の状況となっているとされるイラク・サマワへ派遣された。(112)

  24日  バグダッド中心部の、外国人が多数宿泊しているホテルが武装勢力による、ロケット弾2発と自動車爆弾3台による攻撃を受け、少なくとも17人が死亡した。(114, 115, 116)

  25日  イラク戦争開戦後の米兵死者が2000人に達した。また、負傷者は1万5000人に達し、うち7100人以上は軍務復帰が困難な状態となった。(117, 119)

  27日  バグダッド近郊でシーア派の反米指導者サドル師の民兵組織とスンニ派武装勢力及び警察との間で銃撃戦があり25人が死亡した。(120)

  29日  バグダッド北東部で車爆弾が爆発し、少なくとも12人が死亡、20人が負傷した。また同日、AP通信は、2004年1月以降、武装勢力の攻撃で死傷したイラク人が2万6000人に上ると報じた。(121, 122)

  31日  イラク南部バスラの繁華街で車爆弾テロがあり、20人以上が死亡、約40人が負傷した。(123)

11月7日  サマワの陸上自衛隊宿営地に砲撃があるなどサマワで陸自や警察等への攻撃が3件続き、警官とタクシー運転手が負傷した。(126)

  10日  バグダッド中心部で自爆テロが起き、36人が死亡し多数が負傷した。また、北部ティクリートでもイラク軍の募集に集まっていた人々を狙って車爆弾が爆発、10人が死亡した。(127)

  11日  バグダッドのオマーン大使館が銃撃され2名が死亡、2名が負傷した。(128)

  15日  サマワの英軍司令官が、2006年春にも英軍及び豪軍がサマワより撤退するとの見通しを示した。(129)

  18日  イラク中部ハナキンのモスクで自爆テロが起き少なくとも65人が死亡、75人が負傷した。(131)

  19日  中部ハディーサで武装勢力が米軍・イラク軍と交戦し米兵1人と武装勢力8人が死亡、一般市民も15人が死亡した。また、北部バイジ付近でも米軍部隊が2箇所で攻撃を受け、米兵5人が死亡、5人が負傷したほか、中部バクバ近郊でも葬列に自動車爆弾が突っ込み自爆して50人が死亡した。バグダッドの市場でも車爆弾テロが起き少なくとも13人が死亡、21人が負傷した。北部モスルではパトロール中の米兵2人が小火器による攻撃を受け死亡した。(132、134、136)

  20日  イラク中部で、日本のイラク復興支援に関する機材の輸送を終え走行していたトラックの車列で爆弾が爆発し、車一両が破損してイラク人警備員1人が死亡した。(135)

  21日  バグダッド西方ハバニヤ付近で米軍車両が爆弾攻撃を受け米兵1人が死亡した。(136)

  22日  北部キルクークで警官を狙った自爆攻撃があり、少なくとも21人が死亡、24人が負傷した。(136)

  24日  バグダッド南方マハムディヤで自爆攻撃があり、32人が死亡、38人が負傷した。(137)

12月3日  イラク中部オダイムで武装勢力の攻撃によりイラク兵11人が死亡、少なくとも2人が負傷した。(138)

  4日  サマワ近郊で陸上自衛隊の車列にデモ隊が投石し、車両が破損するという被害が生じた。(138)

  6日  バグダッド東部の警察学校で男2人が自爆し、警官ら38人が死亡、76人が負傷した。(139)

  8日  バグダッド中心部で満員のバス内で自爆テロが起き30人が死亡、20人が負傷した。(140)

  12日  サマワの陸上自衛隊宿営地付近で、陸上自衛隊に対する砲撃と思われる爆発音が聞こえた。(141)

  13日  2004年4月に起こった日本人人質事件で解放交渉の仲介役を申出た人物で、15日投票のイラク総選挙に立候補していたドレイミ氏が銃殺された。(142)

  15日  イラク連邦議会選挙が行なわれた15日、イラク各地で投票所等を狙った攻撃が起き3人が死亡した。(143)

  17日  17日夜から18日にかけ、バグダッドなどで武装勢力による、警察官や政党幹部の親族を狙った襲撃事件が相次ぎ、少なくとも17人が死亡した。(144)

  21日  陸上自衛隊が駐留するサマワ市内で英軍の車列が手榴弾による攻撃を受けた。(145)

12月23日  同日付の英紙タイムズは、英軍が、サマワを州都とするムサンナ州等2州で日常パトロールを中止する当撤退に向けて活動態勢を変更したと報じた(146)

  27日  米軍がイラク北部の村を爆撃し、イラク人10人を殺害した(147)

  30日  サマワで反米指導者サドル師派の礼拝があり、「占領軍」に対し、同派事務所に近寄るなと警告した(148)


2006年
1月1日〜2日 バグダッドで3時間のうちに計13台の自動車爆弾攻撃があるなど、イラク各地で武装勢力による攻撃が相次ぎ、計27人が死亡した(149)
 
  3日  ジャーナリストの権利を守るために活動する非営利団体「ジャーナリスト保護委員会」は、同日、2005年の1年間で、イラク戦争で死亡したジャーナリストは22人、2003年の開戦からの累計では60人に達し、過去四半世紀の紛争で最もジャーナリストの死亡者の多い戦争となったと発表した(150)
 
 4日  イラク中部バクバ近郊で自爆テロがあり、36人が死亡、40人が負傷した。また、同日、バグダッドでも2件の自動車爆弾で計11人が死亡し、バグダッド北方でも燃料輸送車の車列が襲撃され車両20台が破壊された(151)

  5日  イラク各地で自爆テロが続発し、合計110人以上が死亡、100人以上が負傷した

  7日  同日深夜、イラク北部で米軍ヘリが墜落し、乗員12人全員が死亡した。また、中西部では、7日及び8日の2日間で武装勢力の攻撃によって米兵計8名が死亡した(153)

  16日  バグダッド北方で米軍ヘリが墜落し、乗員二名の安否が不明となった。ロイター通信は、この件につき、武装勢力のロケット弾で撃墜されたとの目撃情報もあると報じた(155)

   19日  バグダッド中心部で爆弾テロが相次いで起こり、少なくとも計25人が死亡、36人が負傷した。また、同日、イラク警察は、17日にバグダッド北方で24人が武装勢力に殺害された可能性があるという情報を明らかにした(156)

  21日  サマワで英軍とイラク警察が武装勢力と銃撃戦となり、市民1名が死亡した(157)

  30日  同日、政府筋が、サマワ駐留陸自が3月中旬から撤退を開始する方針であると明らかにした(
159)
2月2日  バグダッドの市場などで2台の車爆弾が爆発、少なくとも10人が死亡、50人以上が負傷した。同日、バグダッド南方で米軍兵士3人が路上爆弾攻撃で死亡するなど、1日で米軍兵士5名が死亡した。また、同日、バグダッド東部で米軍ヘリが銃撃を受けたのに対抗してロケット弾を発射し、20歳のイラク人女性が死亡した(160)

  5日  同日付の英紙は、英政府筋の話として、サマワ駐留英軍が5月に撤退完了と報じた(161)

  9日  同日、クウェートのテレビが、イラクで拉致された米国人記者の映像を放映した(162)

  20日  サマワの陸自宿営地から数キロ離れた地点で爆発音がした(163) 

  21日  バグダッド南部で車爆弾により市民ら少なくとも22人が死亡、30人が負傷した(164)

  22日  中部サマラでイスラム教シーア派の聖地「アスカリ聖廟」が爆破され崩壊した。その後、イラク各地で大規模デモやスンニ派モスクへの襲撃が連発した(165)

  23日  前日のシーア派聖廟爆破事件以後、イラク各地で宗派間の争いが多発し、同日までに130人以上が死亡した(166)。このように治安が悪化していることを受けて、23日夜、バグダッド及び近郊3州において24日午後4時まで昼夜問わず外出を禁止する旨の外出禁止令が発令された(168)。
また、同日、サマワの陸自宿営地近くで迫撃砲弾やTNT火薬が「イスラム軍」と記された箱に入っているのが発見されたほか、サマワ中心部の州政府庁舎付近にロケット弾が打ち込まれた(167)

  26日  同日朝、サマワのムサンナ州政府庁舎近くにロケット弾が撃ち込まれた(169)。同日、バグダッド南部の人口密集地区で迫撃弾少なくとも11発が撃ち込まれ15人が死亡するなど、各地で銃撃等が連発し、イラク人及び米兵の計29人が死亡した(170)

  27日  バグダッドのスンニ派モスク近くで爆弾二個が爆発し、4人が死亡、15人が負傷した(171)。また、同日、米紙ワシントンポスト(電子版)は、22日にイラク中部サマラで発生したシーア派聖廟爆破事件以降の衝突や拉致による死者は1300人以上に上ると報じた(172)

  28日  バグダッド北部のシーア派モスクと聖廟で車爆弾による爆発が相次ぎ、24人が死亡、65人が負傷するなど、イラク各地でテロが頻発し、一日で少なくとも68人が死亡した(173、174)

3月1日  バグダッドで少なくとも23人が死亡する車爆弾テロが発生するなど、各地でテロが相次ぎ、少なくとも29人が死亡した(175)

  2日  同日、イラク警察幹部は、内務省が拘束した男が、2004年10月にイラクで日本人の幸田証生さんが拉致殺害された事件の実行犯であり、陸自撤退拒否が殺害動機であると自供したと明らかにした(176)

  6日  イラク中部バクバで車爆弾により6人が死亡20人が負傷するなど各地でテロや攻撃が相次ぎ、合計14人が死亡した(178)。また、同日夜、サマワ所在の、日本友好協会の元会長の兄弟宅に手投げ弾が投げ込まれた(179)

  8日  7日から8日にかけて、バグダッド周辺で、24人の絞殺体及び射殺体が発見された。また、8日、バグダッド及びその近郊で爆弾テロにより計4人が死亡した。さらに、同日、バグダッド東部で武装勢力が警備会社に押し入り、従業員約50人を人質にした(181)

  10日  イラク中部ファルージャで自爆テロが発生し11人が死亡したほか、サマラでも2件の車爆弾テロで3名が死亡した(183)

  12日  バグダッド北東部サドルシティーの市場2カ所で車爆弾6台による同時テロが発生し46人が死亡、200人以上が負傷した。バグダッドでは同日、この他にも複数のテロがあり少なくとも10人が死亡した(184)

  15日  13日から15日にかけて、バグダッドなどで、殺害・遺棄された少なくとも85体の遺体が発見された(185)。また、同日、イラク中部バラド近郊で、米軍が過激はに対する摘発作戦を実行した際、民家にいた子供5人を含む一家11人を殺害したと報じられた(186)

  16日  米軍が中部サマラ近郊で大規模作戦を行ない、17日までに武装勢力約50人を拘束した(187、190)。また、バグダッドでは15日から16日にかけて、殺害・遺棄された27体の遺体が発見された(187)

  23日  バグダッド中心部の警察施設に車爆弾攻撃があり少なくとも25人が死亡、35人以上が負傷するなど、イラク各地で車爆弾等によるテロや攻撃が相次ぎ、少なくとも56人が死亡した(192)

  26日  中部ナジャフでイスラム教シーア派の反米指導者サドル師宅付近に迫撃砲が撃ち込まれ、付近の護衛と子供の2人が負傷した。また、同日、南部バスラの学校前で爆弾が爆発し13歳の少年が死亡したほか、同日までに首を切断された多数の遺体が発見されるなど、新たに53人が死亡した(193)

  29日  サマワ中心部の州政府庁舎近くにロケット弾2発が撃ち込まれた(194)

4月6日  中部ナジャフでシーア派聖廟付近での車爆弾攻撃で13人が死亡した(196)

  7日  バグダッド北部のシーア派モスクで連続自爆テロがあり、69人が死亡、130人が負傷した(196)

4月12日  中部バクバ近郊のシーア派モスク近くで、車爆弾が爆発し、少なくとも26人が死亡、70人が負傷した(200)

  13日  13日から14日にかけ爆弾テロ・拉致・殺人事件などが相次ぎ、両日で50人以上が死亡した(202)

  16日  バグダッドなどで爆弾の爆発が2件あり、少なくとも計13人が死亡したほか、イラク各地で16日、爆弾の爆発やバスなどの襲撃が相次ぎ、少なくとも25人が死亡した(204、205)

  22日  同日、バグダッド南方の2か所で仕掛け爆弾が爆発し、米兵5人が死亡、また、殺害、遺棄された遺体の発見も相次ぎ、首都などで拷問を受けて殺された12遺体が見つかった、一方、中部ラマディでは、同日、米軍とイラク軍が武装勢力4人を殺害、中部ムクダディヤでは連続爆弾テロで2人が死亡、首都では警官と市民が射殺された(211)

  23日  バグダッド北西の道路に仕掛けられた爆弾で米兵3人が死亡した。同日、首都中心部で迫撃弾かロケット弾によると見られる爆発が11件あり、7人が死亡、8人が負傷した。また、首都の2か所で計8遺体がみつかった(211)

  26日  武装勢力「アンサール・スンナ軍」を名乗るグループは、同日、米軍と関係のある会社で働いていたとして、アラブ系男性3名を殺害した映像をウェブサイト上で公開した(213)

  27日  イラク副大統領の妹がバグダッド南西部で銃撃され、殺害されたほか、同日、サマワ南東約100キロの南部ナシリヤのイタリア軍基地近くで爆弾が爆発し、イタリア兵3人とルーマニア兵1人が死亡した。また、イラク中部バクバでは、武装勢力が警察やイラク軍施設を襲撃してイラク軍との間で戦闘となり、30人が死亡した(214, 215)

5月2日〜3日 ファルージャの警察署で自爆テロが起き15人が死亡、30人が負傷するなど、2日から3日にかけてのイラク国内でのテロ等の死者が52人に達した(221)

  6日   イラク南部バスラ中心部で英軍ヘリが墜落して英兵5人が死亡した(222、226)

  7日   バグダッドとシーア派聖地カルバラで相次いで車爆弾が爆発し計30人が死亡した。カルバラでは同日午前にも車爆弾で21人が死亡、バグダッドのスンニ派地区でも車爆弾でイラク兵8人死亡、首都北部でも同様の爆発でイラク兵1名死亡、負傷者は上記3件で70人を超えた。また、首都では6日から7日にかけて、拷問の末に銃殺されるなどした42遺体が見つかった。さらに、同日、首都北部のモスクの地下で爆発があり、武装勢力と見られる1人が死亡、2人が負傷した(222、223)

  8日   イラクで爆弾事件や殺害されたと見られる遺体の発見が相次ぎ、少なくとも34人の死亡が確認された(226)

  9日   イラク北部タルアファルの市場で、トラックを使った自爆テロがあり、買い物客ら少なくとも17人が死亡、35人が負傷した。また、このほかにもイラク各地で計17人の遺体が見つかったほか、銃撃爆弾で計7人の死亡が確認された(227)

  12日  サマワで、警備会社の警備員が運転する陸自契約車両が、道路脇の爆発物の爆破で破損した(228)

  13日  同日未明、サマワで、ロケット弾や自動小銃等で武装した武装グループが警察の建物や検問所、パトカーなどを一斉に襲撃、応戦した警察と銃撃戦となり、流れ弾で子供1人が負傷した(229)

   14日  13日から14日にかけ、イラク各地で少なくとも13件のテロがあり、少なくとも41人が死亡した。また、14日、バグダッド南西で米軍ヘリが武装勢力に撃墜され米兵2人が死亡したほか、首都と中西部アンバル州で米兵4人が殺害された(230, 231)

  18日  イラク各地で爆弾テロや襲撃が相次ぎ、少なくとも23人が死亡したほか、中部バクバでは、スンニ派聖廟が爆破された(232)

  20日  バグダッド北東部サドルシティーで爆弾テロがあり19人が死亡、58人が負傷した。また、西部カイムでも同日、警察署内で自爆テロがあり、警官5人が死亡、10人が負傷した(234)

  24日  サマワのあるムサンナ州で電力省事務所職員が誘拐された(236)

   29日  バグダッド中心部で車爆弾が爆発し、米軍に同行していた米テレビ局スタッフ2人が死亡、1人が重体となったほか、米兵1人と米軍に雇われたイラク人1人も死亡、米兵6人が負傷した。また、この他にも、イラク各地で爆弾テロなどが相次ぎ、計37人が殺害された(240, 241)

  30日  イラク各地で、市場での爆弾テロなどが相次ぎ、計54人が死亡した(242)

  31日  サマワ中心部で移動中の陸自・豪軍の車列近くで爆発があり、豪軍車両1台が破損した。また、中部サマラで、車で病院に向かっていた女性2人が米軍の発砲で殺害された(245, 246)

6月3日   バグダッドでロシア人外交官らが武装集団に襲撃され、1人が殺害され、4人が拉致された(250)

  4日   バグダッド北方で武装勢力がバスに乗っていた民間人24人を射殺した。また、同日、バスラのスンニ派組織は、治安当局がモスク内で非武装の12人を殺害したと発表した。サマワ中心部では、市民デモが暴徒化し、17人が負傷した(251, 252)

  5日   バグダッド中心部で、武装集団が複数の旅行代理店などを一斉に襲撃し従業員ら約50人を拉致し逃走した。また、各地でバスなどを狙った銃撃事件などが相次ぎ、26人が死亡したほか、バグダッド南部では武装集団が通学バスを停車させて銃撃し、学生ら11人が死亡、西部ラマディでは迫撃弾が民家を直撃し、5人が死亡した(253)

  6日   首都北方バクバ近郊で9人の遺体(頭部)が見つかったほか、全土で少なくとも計30人の死亡が確認された(254)

  13日  車爆弾テロや自爆テロが相次ぎ、警官ら少なくとも16人が死亡した(262)

  16日  バグダッドで、イスラム教シーア派のモスクで礼拝中に自爆テロがあり、少なくとも10人が死亡、25人が負傷したほか、首都で、迫撃砲が民家を直撃、3人が死亡した(264)。また、イラク中部で米兵2人が武装勢力に拉致され、19日に遺体で発見された(268, 272)

  18日  サマワの英豪軍宿営地近くに迫撃弾1発が着弾した。また、首都周辺では、パン屋から10人が武装勢力に拉致されたほか、迫撃弾攻撃で4人が死亡、また、女性を含む17人の射殺体も見つかった(267、268)

  19日  バグダッドで、イラク軍が車爆弾で狙われ5人が死亡、9人が負傷したほか、中部カルバラや北部モスルなどでも警官やイラク兵ら計5人が射殺された(269)

  20日  イラク各地で市場などを狙った爆弾テロが相次ぎ、少なくとも計20人が死亡した(272)

  21日  イラクのフセイン元大統領の弁護士が殺害された(276)

  23日  イラク中部タージで、労働者少なくとも80人が武装勢力に拉致された(277)

  25日  サマワ中心部で、25日、州評議会元議長宅に爆弾が投げ込まれた(282)

  26日  武装勢力に拉致されたロシア大使館員4人が殺害されたとの声明がだされ、一部の殺害場面のビデオ映像も公開された。また、中部バクバ近郊等で2件の爆弾テロがあり計25人が死亡した。この他に各地で武装勢力の攻撃があり32人が死亡し、合計57人が死亡した(282, 283)

  29日  サマワで、陸自の無人ヘリが墜落した(285)

7月1日  バグダッド北東部サドルシティーで、車爆弾によるテロがあり、少なくとも71人が死亡、125人が負傷した(286)

  2日   サマワの英豪宿営地で大きな爆発音があり、警察当局者は、ロケット弾少なくとも3発の着弾の可能性があると発表した(289)

7月3日  サマワの中心部のスンニ派モスクと地元ムサンナ州評議会議員の自宅で相次いで爆発があった(290)

7月4日  サマワを州都とするムサンナ州のハッサン知事が、相次ぐデモの暴徒化を誘発した責任をとって辞任を発表した。また、同日、バグダッド東部で電力副大臣を含む20人が武装勢力に拉致された(291)

7月7日  サマワの英豪軍宿営地付近で迫撃砲弾3発が着弾し爆発した(293)

7月9日  バグダッド西部の住宅地で、シーア派武装勢力がスンニ派住民を銃撃し、女性や子供を含む42人を殺害した。この数時間後には、首都北東部のシーア派モスク付近で2台の車爆弾が爆発し19名が死亡した(294)

7月12日 深夜、サマワで迫撃砲1発と見られる爆発音が起き、陸自宿営地近くでも爆発音が聞こえた(296)

7月16日 北部キルクーク近郊でシーア派モスク近くで自爆テロがありシーア派住民ら26人が死亡した(300)

7月17日 バグダッド南方にあるマハムディヤの市場で車爆弾や銃撃によるテロがあり50人以上が死亡した(300)

7月18日 イラク中部クーファでシーア派の労働者らをねらった自爆テロがあり、59人が死亡、130人以上が負傷した(301)

7月23日 バグダッド北東部のシーア派地区サドルシティーの市場で車爆弾テロがあり、買い物客ら40人が死亡、80人以上が負傷した。また、同日、北部キルクークでも車爆弾テロがあり、20人が死亡した(302)

7月27日 バグダッド中心部で複数の迫撃弾と自動車爆弾によるテロが起き、少なくとも31人が死亡、150人以上が負傷した。また、首都西部のスンニ派モスクでは武装集団が車の中から発砲し警備担当者4人が死亡した(304)

7月31日  バグダッドで武装集団がイラク人26人を拉致したほか、全土で少なくとも30人が殺害された(306)。また、同日、航空自衛隊は、陸自撤退後の任務拡大で、C130輸送機を治安が不安定なバグダッドに初めて乗り入れさせ、多国籍軍兵士らを輸送した(305)

8月1日  イラク北部バイジ近郊で、イラク軍兵士らの乗ったバスが路上爆弾で爆破され24人が死亡、バグダッドでも車爆弾で14人が死亡するなど各地で攻撃やテロが相次ぎ、各地で少なくとも合計70人が死亡した(307, 308)。また、同日、中部ナジャフ州知事は、スンニ派地域で45人の住民が拉致されたと述べた(308)

8月2日  バグダッド西部シーア派地区のサッカー場で、爆弾2発が爆発し、選手や観客計11人が死亡した。同日、別のシーア派地域では迫撃弾2発が着弾し、15歳以下の3人が死亡した。この他、同日、イラク全土で、米兵2人を含む42人が死亡した(309)

8月3日  同日、中東などを担当する米中央軍の司令官は、上院公聴会で、イラクの宗派対立の悪化により内戦のおそれがあると証言した(310)

8月8日  バグダッド中心部で道路に仕掛けられた計5発の爆弾が爆発し少なくとも20人が死亡、50人以上が負傷した(314)

8月10日 イラク中部ナジャフのシーア派聖地、イマーム・アリ廟の入口付近で自爆テロがあり少なくとも35人が死亡、90人以上が負傷した。また同日バグダッド南部の食堂で爆弾が爆発し6人が死亡、4人が負傷した(315)

8月13日 同日夜、バグダッド南部でシーア派地区を狙ったロケット弾と車爆弾などによる連続テロがあり、アパートが崩壊するなどして少なくとも47人が死亡、140人以上が負傷した(316)

8月20日 バグダッド北部の複数の場所でシーア派巡礼者が銃撃され少なくとも20人以上が死亡、パニック状態に陥った人々が転倒するなどして300人以上が負傷した(317)

8月26日 首都バグダッド各地で、拷問の跡が残る計20人の銃殺体が発見された(318)

8月27日 バグダッド中心部で小型バスに仕掛けられた爆弾が爆発し9人が死亡するなど、首都で2件の爆弾テロがあり、合計16人が死亡した。バグダッド北方でも武装勢力が市場で銃を乱射し少なくとも16人が死亡、25人が負傷した。北部キルクークと南部バスラでも爆弾テロが相次ぎ16人が死亡、29人が負傷した。ロイター通信の集計では同日の死者は約60人に達した(318, 319)

8月28日 イラク中部で油送管が爆発し、少なくとも34人が死亡40人以上が負傷した(320)

8月29日 バグダッドで拷問の跡がある計24遺体が発見された(320)

8月30日 バグダッド中心部の市場で爆発があり24人が死亡、35人が負傷するなど各地でテロが相次ぎ、全土で少なくとも52人が死亡した。またサマワでは同日、失業者のデモが暴徒化し州政府庁舎に投石するなどして多数が負傷した(321)

8月31日 バグダッドのシーア派地区にロケット弾が打ち込まれるなどして67人が死亡、負傷者は300人に達した(322、323)

9月1日  米国防総省は、1日までに、イラクが内戦の危機にある旨の報告書を議会に提出した(324)

9月2日  イラク中部にあるシーア派聖地へ巡礼に向かっていたパキスタン人ら14人が武装勢力に殺害された(325)

9月3日  バグダッド西部で、サッカー選手がイラク軍の制服を着たグループに拉致された(326)

9月4日  バグダッド市内数カ所で、両手足を縛られた拷問の跡がある計33遺体が発見された。また、南部バスラ近郊では同日、英軍部隊が爆弾攻撃を受け英兵2人が死亡、1人が負傷した。3日から4日にかけては、中西部アンバル州と首都北方で米兵4人が爆弾などで死亡した。中部クートでも頭と胸を打ち抜かれた2人の遺体が発見された(327)

9月8日  2004年9月にサマワ中心部に建設され同年10月に爆破された日本との友好記念碑に、8日までにシーア派反米指導者サドル師の肖像の大看板が掲げられた(328)

9月13日 13日には首都で警察官などを狙った爆弾テロが相次ぎ少なくとも32人が死亡した。中部ファルージャでは米軍と武装勢力の交戦に通行人が巻き込まれ2人が死亡した。また、12日から13日にかけて、バグダッド近郊で拷問後殺害されたと見られる計65体の遺体が見つかった(329)

9月15日 14日から15日にかけて、バグダッド各地で拷問後殺害されたとみられる計49遺体が見つかった(330)

9月17日 北部キルクークでトラックに積んだ爆弾によるテロなどで少なくとも23人が死亡、60人以上が負傷した(331)

9月18日 イラク北部の市場で爆弾テロが起こるなど全土でテロが相次ぎ合計の死者数は少なくとも54人に達した。同日、国連のアナン事務総長は国連本部で演説し、「イラクは全面的内戦に突入し瓦解する危機にある」と警告した(332)

9月19日 中部ラマディで19日までにイラク人記者1名が殺害された。ニューヨークに本部を置く非営利団体によると、2003年3月のイラク戦争開戦後にイラクで死亡した記者は80人に達した(333)

9月20日 中部サマラで自爆テロがあり少なくとも10人が死亡し、30人以上が負傷、バグダッド南方の警察施設でも、同日、爆弾テロが起き7人が死亡した。これらを含め前日からイラク各地でのテロで合計60人以上が死亡した(335)

9月23日 バグダッドのシーア派地区サドルシティーで爆弾テロがあり少なくとも33人が死亡、40人が負傷した(336)

9月24日 武装勢力「イラク・イスラム戦士評議会」は24日までに、イラク中部で拉致し殺害した米兵2人の遺体に火を放つ映像をウェブサイト上で公開した(337)

9月28日 フセイン元大統領を裁くイラク高等法廷の裁判長の親族がバグダッドで殺害された(339)

10月2日  バグダッド北西部で米兵8人が爆弾などによる攻撃で死亡した(340)

10月3日  イラク全土で民間人ら30人以上が自爆テロ等で死亡した(340)。また、3日、サマワで警察の内紛が起き警察署や検問所が襲撃された。さらに、同日、イラクのイスラム教スンニ派武装勢力アンサール・スンナ軍が、シーア派反米指導者サドル師のいとこを殺害したと発表した(341)

10月4日  サマワで4日夜、武装集団が民家を襲撃し、女児ら4人を殺害した(343)

10月5日  米国のライス国務長官がバグダッドを予告無く訪問し、マリ記首相らと治安情勢について会談した。米報道官によれば、バグダッド空港周辺に砲撃があり、長官らを乗せた輸送機の到着が約35分遅れた(342)

10月13日 13日夜、バグダッド南部のテレビ局職員が走行中の車から銃撃されて死亡するなど、13日から14日午前にかけ、各地で相次いだ襲撃等により計20人以上が死亡した。まら、同日、バグダッド北方では、首を切断された約20人の遺体が相次いで見つかった (346)

10月16日 バグダッド北方でシーア派の葬儀会場で、宗派対立によると見られる2台の車爆弾が爆発し、15人が死亡、数十人が負傷した。中部ラティフィヤでは同日早朝、軍の制服を着た集団が民家を襲撃、シーア派の家族8人を射殺した。また首都西部ではフセイン元大統領の公判の主任検察官の兄弟が射殺された(348)。また、同日付の米CNNの報道によると、イラク駐留多国籍軍の死者が16日で3000人に達したと報じた(349)

10月17日 バグダッドなどでの武装勢力による攻撃で17日だけで米兵9人が死亡した(350)

10月19日 北部モスルの警察署近くで燃料を積んだタンクローリーを使った自爆テロがあり、市民ら少なくとも11人が死亡した。また、同市内の別の警察署を狙った迫撃弾攻撃でも計9人が死亡、北部キルクークでも爆弾テロがあり8人が死亡した(351)

10月20日 南部アマラでイスラム教シーア派反米指導者サドル師派の民兵が警察署などを襲撃、市街地を一時占拠した。その際の戦闘で民兵や警官ら少なくとも15人が死亡、警察署3箇所が倒壊した(352)

10月21日 中西部アンバル州で21日米軍と武装勢力が戦闘になり米兵3人が死亡、同月の米兵死者は78人となった。また、中部マハムディヤの市場では同日、多数の迫撃弾等による攻撃があり、少なくとも18人が死亡、70人が負傷した(354)

10月22日 イラク中部バクバ付近で警察の新規採用者を乗せたバスを武装集団が襲撃し、少なくとも
15人が死亡し25人が負傷したほか、全土でテロが続き、同日中に殺害された遺体で発見されたイラク人は44人に達した。また、イラク駐留米軍は同日、中西部アンバル州での戦闘などで米兵5人が死亡し、同月の米兵死者が83人に達したと発表した(355)

10月23日 バグダッド中心部で米兵1人が行方不明になり、米軍は拉致されたとみて捜索を開始した(356)

10月24日 中西部アンバル州での戦闘で海兵隊員2名が死亡し、同月の米兵死者は89人となった。また、同日、南部アマラでは警官2人が殺害された(356)

10月25日 中西部アンバル州で起きた戦闘により米兵5人が死亡した(359)

10月26日 バクバ近郊で武装集団が警察の車列を襲撃、警官8人が死亡したほか、少なくとも警官50人が行方不明となった。また、バクバ近郊の別の場所で警察特殊部隊の拠点が攻撃され、6人が死亡、10人が負傷した(359)

10月29日 イラク南部バスラで警官らを乗せたバスが襲われ17人が殺害されたほかテロ等が続発し、同日の死者は33人に上り、その他24人が遺体で見つかった(360)。また、中西部アンバル州での作戦中に負傷した米兵1人が29日に死亡し、駐留米軍の10月の死者は100人に達した(361)

10月31日 バグダッド北方で小型バスが武装集団に襲撃され、40人以上が行方不明となった。また、同日、バグダッドで結婚式の会場を狙った自爆テロがあり、子供4人を含む10人が死亡した(363)

11月5日  同日、バグダッドのイラク高等法廷で、人道に対する罪で起訴されていたフセイン元大統領に対し死刑判決が言い渡された(364-367)。イラク政府はフセイン元大統領の判決公判に対する妨害テロ対策として首都に外出禁止令を敷いた。同日、首都2箇所で迫撃弾攻撃があり計5人が死亡した(368)。フセイン元大統領に死刑判決が言い渡された後中部バクバで元大統領派と治安部隊が衝突し2人が死亡6人が負傷した。また、4日から5日にかけ中西部アンバル州で米兵3人が死亡した(369)

11月6日  イラク北部で米軍ヘリが墜落し2名が死亡した(369)

11月9日  バグダッドで爆弾テロが2件あり計16人が死亡したほか、各地でテロが相次ぎ同日だけで38人が死亡した。バグダッドの遺体安置所責任者はAP通信に対し、連日60人前後の遺体が運び込まれ、うち多数は身元が判明しないまま埋葬されていると語った(370)。また、同日、イラクのシャンマリ保健相は、2003年3月のイラク戦争開始後に死亡したイラク人が少なくとも15万人に上ると述べた(371)

11月11日 11日夜、首都南方の幹線道路でスンニ派武装組織がシーア派住民のマイクロバスを襲撃し10人を殺害、約50人を拉致した(372)

11月12日 バグダッドで警察の新規採用施設を狙った自爆テロがあり少なくとも35人が死亡50人が負傷した(372)

11月13日 13日夜までの24時間にバグダッドで46の遺体が発見された。また、同日、バグダッド東部の幹線道路に仕掛けられた爆弾で米兵2人が死亡するなどイラクで米兵4人が死亡した(374)

11月14日 バグダッドで武装集団が高等教育省の建物を襲撃し、幹部や研究員ら100〜150人が拉致された。また、中部ラマディでは13日夜から14日にかけての戦闘で少なくとも30人が死亡、バグダッド中心部では車爆弾の爆発で10人が死亡25人が負傷した(375)

11月15日 首都中心部のガソリンスタンドで車爆弾が爆発し9人が死亡33人が負傷した(376)

11月19日 イラク中部ヒッラーで自爆テロが起き22人が死亡44人が負傷するなど、イラク全土で同日に続発したテロで計約50人が死亡した(378)

11月23日 バグダッドでシーア派地区を狙った3件の連続爆弾テロがあり200人以上が死亡し、250人以上が負傷した。この後、同事件に対するシーア派の報復によりスンニ派住民が30人以上殺害された(380-382)

11月24日 中部ディヤラ州でシーア派住民の住宅が武装勢力に襲われ計21人が殺害されるなど、同日のイラク全土での宗派対立による死者数は87人に達した(383)

11月26日 ヨルダンのアブドラ国王は米ABCテレビの番組で、2007年にもイラク、レバノン、パレスチナの3地域が内戦に陥る可能性が高いと語った(385)

11月27日 米NBCテレビのニュース司会者は、治安悪化が加速するイラクの現状を「内戦」と表現した(390)

11月28日 イラン訪問中のイラクのタラバニ大統領は、イランの最高指導者ハメネイ師に対し、イラクの治安状況は政府の手に負えないところに来ていると述べた(389)。また、イラク副大統領は、イラクの治安状況につき、内戦に発展する可能性があると語り、イラク指導部の認識が「ほぼ内戦状態」との認識で一致していることが示された(393)。同日、ニューヨークタイムズ等の米主要紙がイラクの現状を「内戦」と位置づけていることが明らかとなった(391)。同日、中部ラマディで、米軍と武装勢力とが交戦し、イラク人男性1人と女性5人の遺体が発見された(393)

12月2日  バグダッド中心部のシーア派地区に近い商店街でで3件の連続爆弾テロが起こり51人が死亡、約90人が負傷した(395)

12月3日  同日付のアラブ紙は、陸自・英軍撤収後のサマワが民兵組織と治安部隊との衝突でゴーストタウン化したと報じた(396)。同日、中西部アンバル州で米軍ヘリが湖に緊急着水し米兵1人が死亡3人が行方不明になった他、2日から3日にかけイラクで米兵計9人が死亡した。また、3日、バグダッド各地で拷問の後がある計約50人の遺体が見つかった(397)

12月5日  バグダッド南部で3台の車爆弾が立て続けに爆発、16人が死亡、25人が負傷したほか、バグダッドでシーア派の宗教関係者が乗ったバスが武装集団の襲撃を受け15人が殺害された(398)

12月12日 朝、バグダッド中心部で同時爆弾テロが発生し、少なくとも71人が死亡、約150人が負傷した(401)。また米軍は12日、イラクで米兵5人が死亡したと発表した(403)

12月14日 バグダッド中心部で武装集団が商店主ら数十人を一斉に拉致した。また、首都西部のスンニ派地区では同日、シーア派の副大統領の車列が武装集団に襲撃された(404)

12月16日 バグダッド各地で16日、男性53人の銃殺体が発見された。また同日、首都南方の住宅地に3発の迫撃弾が着弾し4歳の女の子が死亡したほか同じ地区で路上の爆弾が爆発し1人が死亡した。さらに首都北方バクバでは民間人ら5人が武装勢力の銃撃で死亡、バクバ近郊では警察官1人が武装勢力の銃撃で死亡した(407)

12月17日 バグダッドで、武装集団がイラク赤新月社の事務所を襲撃、20〜30人が拉致された(406)

12月18日 同日のAP通信によると、米国防総省が治安悪化が極めて深刻化しているイラクで、同年8月中旬から11月までの米軍・イラク治安部隊・民間人に対する攻撃がイラク政府の主権回復後最悪レベルになったとする報告書を米議会に提出した(408)

12月24日 サマワ近郊でシーア派民兵組織マハディ軍と警察部隊が銃撃戦を展開、警官3人が死亡した。サマワでは22日から警察とマハディ軍とが衝突し断続的に銃声などが聞こえている(411)

12月25日 イラク駐留英軍は25日、南部バスラの警察署の被拘束者が数日中に所携されるとの情報を得て処刑阻止のため同署を急襲し拘束中の76人全員を別施設に移し同署を破壊した。バグダッドでは複数の自爆テロで12人が死亡35人が負傷した。中部ラマディの警察検問所付近でも自爆テロがあり、警察官3人が死亡、3人が負傷した(412)

12月26日 26日、フセイン元大統領の死刑が確定した(413)。バグダッド西部で3台の自動車爆弾による連続テロが起き、少なくとも25人が死亡55人が負傷した。また首都東部近郊で道路に仕掛けられた爆弾により警察官4人が死亡12人が負傷した。北部キルクークでも同様の爆弾攻撃で民間人3人が死亡6人が負傷した(415)。また、AP通信は26日、独自集計の結果として、2003年3月のイラク戦争開戦以来のイラクでの米兵死者数が2978人となり9.11同時多発テロの犠牲者数を超えたと報じた(414)

12月28日 イラク駐留米軍は28日、米兵2名が死亡し、イラクでの12月の米兵死者数が100人に達したと発表した(417)

12月30日 死刑判決が確定してからわずか4日でフセイン元大統領の死刑が執行された(418-420)。フセイン大統領の死刑執行後、イスラム教シーア派の聖地の一つである中部クーファの市場で爆弾テロがあり、31人が死亡し少なくとも58人が負傷した。バグダッドでも車爆弾テロで15人が死亡した。いずれも死刑執行の数時間後に起きた。また、30日までに中西部アンバル州の戦闘などで海兵隊員ら計5人の米兵が死亡し、122月の米兵死者は108人になった(421)


2007年

1月5日   バグダッド在住のAP通信スタッフが射殺体で発見された(423)

1月6日 イラク軍は6日夜、バグダッドでスンニ派武装勢力の拠点を急襲、銃撃戦で武装勢力30人を殺害し8人を拘束した。また7日、バグダッド中心部への迫撃弾攻撃により民間人4人が死亡するなど全土で14人が死亡、6日にも同市内で拷問の跡が残る27人の遺体が見つかるなど宗派対立によると見られる殺戮が続いた。またイラク軍はスンニ派武装勢力の拠点を急襲、30人を殺害した(424)

1月8日 8日のワシントンポストは、イラクの内戦状態の激化により、2006年下半期のイラク市民や警察官の死者が1万7310人になり、上半期の5640人に比べて3倍以上に増えたと報じた(425)

1月9日   バグダッド北方バラド近郊の空港で輸送機が墜落、トルコの建設会社から派遣された労働者約30人が死亡した。また、バグダッド中心部スンニ派地域での掃討作戦で駐留米軍の支援を受けたイラク軍が武装勢力約50人を殺害、21人を拘束した(426)

1月10日  中西部アンバル州で巡礼帰りのシーア派教徒が乗ったバス列に向けて武装勢力が銃撃、少なくとも11人が死亡14人が負傷した(427)。また、同日夜、ブッシュ大統領は、テレビ演説で、イラクに2万2000人の兵力を増派し、同年11月までにイラク全土の治安権限をイラク側に委譲することを目標とすることなどを含めた新政策を発表した(428)

1月16日  バグダッド中心部のオートバイ市場と首都東部の大学近くで車爆弾によるテロが相次ぎ、124人が死亡、180人以上が負傷した。(430、431、433)

1月17日  バグダッドで5件の自動車爆弾テロが起きたほか銃撃事件も発生し、合計19人が死亡、50人以上が負傷した。また、イラクのマリキ首相は、民兵組織マハディ軍のメンバー400人を拘束したと述べた。(434)

1月20日  バグダッド北東部で米軍ヘリコプラーが墜落し搭乗していた12人が死亡するなど、同日の米兵の死者が19人にのぼり、一日の死者数としては増派後最悪となった。(435)

1月22日  バグダッド中心部の市場でほぼ同時に2台の自動車爆弾が爆発するテロがあり、少なくとも78人が死亡、150人以上が負傷し、ブッシュ大統領がイラク新政策を発表して以来、一カ所のテロとしては最悪の犠牲者数になった。イラク中部ディヤラ州の州都バクバのサンジャリ市長が、イスラム教スンニ派とみられれる武装勢力に事務所から拉致され、事務所も爆破された。(437、438)

1月25日  25日夕、バグダッド中心部体地区の市場や首都の道路脇などで爆発が相次ぎ、28人が死亡した。(443)

1月26日  バクダッドの動物市場で爆発があり15人が死亡、55人が負傷した。北部モスル郊外のイスラム教シーア派のモスクでも自爆テロがあり、7人が死亡、17人以上が負傷した。(444)

1月28日  ナジャフ近郊で、イラク軍と駐留米軍の合同部隊が武装勢力と激しい戦闘を展開し、ロイター通信は、イラク治安当局らが武装勢力側の約250人を殺害したと述べたと報じた。米軍ヘリ1機も墜落し、米兵2人が死亡した。同戦闘については、29日、イラク国防省報道官が、武装勢力の戦闘員200人を殺害し、120人を拘束したと発表した。(446、448)

1月30日  イスラム教シーア派最大の宗教行事アシュラが最高潮に達したイラク各地のシーア派モスク付近でシーア派住民を狙ったとみられるテロが相次ぎ、合計40人以上が死亡した。(449)

2月1日   1日、ロイター通信は、イラク国内のテロなどで犠牲になった一月の民間人死者が1971人に達したと報じた。昨年12月の1930人を上回り過去最悪。この日も、バグダッドなどで自爆テロや住宅地を狙った迫撃弾攻撃が相次ぎ、少なくとも15人の死亡が新たに確認された。また、イラク中部ヒッラーの市場で、少なくとも2件の自爆テロがほぼ同時に起き、付近にいた買い物客ら61人が死亡、約150人が負傷した。イラク国内では、同日、路上などに放置された30人の遺体も新たに見つかった。(450、452)

2月2日   バグダッド北方のタジ近郊で、米軍ヘリコプターが墜落、搭乗していた2人が死亡した。同日、米政府は、CIAなど16の情報機関がイラク情勢についてまとめた機密報告書の要約を公表した。同報告書は、現状を「内戦」と表現することが的確だと初めて認定した。(453, 454) 

2月3日   バグダッドの中心部の市場で、トラックを使った自爆テロがあり、135人が死亡、負傷者は300人を超えた。(455、456)

2月5日   バグダッドで、爆弾テロなどで少なくとも29人が死亡した。(458)

2月7日   首都バグダッドの北西で米軍の輸送用ヘリが墜落、乗っていた7人全員が死亡した。米国のヘリの墜落は過去3週間で5機目。(464)

2月8日   8日、米軍とイラク治安部隊は、イラク保険省を捜索し、イスラム教シーア派反米指導者サドル師派のハキム・ザミリ次官を拘束した。同日、首都南方のシーア派地区にある野菜市場で自動車爆弾が爆発し17人が死亡、27人が負傷した。また、首都東部でも自動車爆弾で6人が死亡した。(466)

2月9日   米誤爆でクルド人民兵8人が死亡、6人が負傷した。(467)

2月11日  11日朝、イラク北部ティクリートの南東ダウルにある警察署でトラックを使った自爆テロがあり、警官ら少なくとも30人が死亡、50人が負傷した。(469)

2月12日  バグダッドで自動車爆弾などによるテロがあり、少なくとも90人が死亡、190人以上が負傷した。(470)

2月13日  バグダッド西部でトラックを使った自爆テロがあり、18人が死亡、40人が負傷した。(473)

2月18日  バグダッド東部で爆弾を積んだ車2台によるテロがあり、少なくとも55人が死亡、128人が死亡したほか、首都北東部のシーア派地区サドルシティーでも車爆弾が爆発し、少なくとも1人が死亡した。(477)

2月19日  バグダッド北方の米軍拠点に車爆弾などによる攻撃があり、米兵2人が死亡、17人が負傷した。また、同日、首都や中部ラマディなどでも車爆弾などによるテロや攻撃が相次ぎ、パトロール中の警官など26人が死亡した。(478)

2月20日  首都北方で塩素ガスを積んだトラックが爆発し少なくとも5人が死亡、140人が負傷した。(486)

2月21日  バグダッドで爆弾を積んだ車によるテロが2件続き、少なくとも11人が死亡した。南西部では、給油所に並んだ車の列近くで、自動車爆弾が爆発し、6人が死亡、14人が負傷した。南部では、野菜市場近くで車を使ったテロがあり5人が犠牲となった。首都北方では、路上に仕掛けられた爆弾が爆発、塩素系の薬剤を積んだトラックが被害を受け、2人が死亡、流出した薬剤の影響で住民ら150人が負うなどの症状を示し、病院で治療を受けた。さらに、中部ナジャフでも警察の検問所で自動車を使った自爆テロがあり、13人が死亡、40人以上が負傷した。(479, 484)

2月24日  首都西方スンニ派モスク近くの市場で燃料タンク車を使った爆弾テロがあり、女性や子供を含む52人が死亡、110人が負傷した。(488)

2月25日  バグダッドのシーア派地区にあるムスタンシリヤ大学で自爆テロがあり、学生ら40人が死亡、35人が負傷したほか、首都中心部の商業地区でも車爆弾テロがあり少なくとも1人が死亡した。また、AP通信によると、25日には首都のシーア派地区にも2発のロケット弾が撃ち込まれ、少なくとも10人が死亡した。(488)

2月26日  バグダッドにある公共事業省近くで自動車爆弾が爆発し、少なくとも10人が死亡、18人が負傷した。当時同省で会合に出席していたアブドルマハディ副大統領が軽傷を負い、病院に運ばれた。AP通信によると、爆発物はアブドルマハディ副大統領のいた場所からわずか2メートルの場所に仕掛けられていた。(490, 492)

2月27日  イラク中西部ラマディの遊び場で爆弾テロが発生し、子供12人と女性6人が死亡、30人が負傷した。ただし、イラク駐留米軍報道官はこれを否定した。(493、494)

3月5日   バグダッド中心部で自動車爆弾による自爆テロがあり、少なくとも26人が死亡、54人が負傷した。同日、バクダッド南部では、シーア派聖地カルバラに向かう巡礼者を武装集団が銃撃し、5人が死亡した。バグダッド西部では4日、銃撃を受けて死亡した20人の遺体が見つかった。一部の遺体には拷問を受けた痕跡があった。(495)

3月6日   イラク中部ヒッラーでシーア派巡礼者を標的にした自爆テロがあり、115人が死亡した。同日、バクダッド北方サラハディン州と東方ディヤラ州で作戦行動中の米兵が攻撃を受け、計9人が死亡した。イラク戦争開戦以来の米兵死者数は、3170人以上に上った。(496、497)

3月11日  バグダッドでシーア派巡礼者を乗せたトラックを狙った自爆テロがあり、少なくとも32人が死亡、20人以上が負傷した。このほかにも各地でテロが相次ぎ、同日計58人が死亡した。(502)

3月14日  イラク北部キルクーク近郊の市場で、自爆テロがあり少なくとも8人が死亡、25人が負傷した。バグダッド西部ではイラク軍の検問所に車を使った自爆攻撃があり、市民2人が死亡、4人が負傷した。(505)
また、同日、 米国防総省は、イラクの治安情勢に関する報告書を公表し、民間人などに対する攻撃回数や犠牲者が2003年以来最悪レベルとなり、宗派対立や難民発生などは「内戦」に相当すると指摘した。(506)

3月16日  イラク中部ファルージャ郊外などで塩素ガスを積んだトラックによる自爆テロが3件発生し、警官2人が死亡、子供を含む市民計350人と米兵6人が負傷した。(509)

3月19日  イラク北部キルクークの数カ所で車爆弾などによる同時テロが発生。少なくとも12人が死亡、30人以上が負傷した。また、バグダッド中心のシーア派モスクでも、爆弾テロがあり、少なくとも8人が死亡、32人が負傷した。(513)

3月20日  バグダッド各地で、銃殺されるなどした32人の遺体が見つかった。(515) 
また、前年3月からの1年間で、テロなどにより死亡した民間のイラク人は26540人に達し、イラク戦争開戦以来最悪だったと報じられた。(512)

3月21日  イラク中西部ハディーサでイラク警察の車3台が12-14歳のイラク人少年の自転車を追い越そうとした際、少年が背負っていたリュックサックが爆発。少年は即死した。(525)

3月22日  藩基文国連事務総長とマリキ首相が共同記者会見を行っている最中、会場の首相府近くにロケット弾が着弾した。(516)

3月23日  自宅敷地内のモスクで金曜礼拝に参加していたイラクのゾバイ副首相が自爆テロ攻撃を受け、腹部や肩を負傷した。
イラク北部タルアファルの2カ所の市場で自動車爆弾が同時に爆発するテロがあり、少なくとも63人が死亡、約150人が負傷した。ほかにも各地でテロが相次ぎ、25人が死亡した。(517, 519)

3月28日  同日朝までに、武装集団がイラク北部タルアファルのスンニ派地区を襲撃し、50人以上が殺害された。(520)

3月29日  夕方、バグダッド北部の市場で犯人が自爆し、買い物をしていた女性や子供ら76人が死亡した。バグダッド北方のディヤラ州ハリスでは自動車を使った自爆テロが3件相次ぎ53人が死亡、103人が負傷した。(523)

4月2日   ロイター通信は、3月に宗派間の暴力やテロで死亡したイラクの民間人は2月より200人余り増え、1861人に上ったと報じた。(527)

4月5日   イラク南部バスラ西部で、道路に仕掛けられた爆弾で英兵4人とクウェート人の通訳1人が死亡した。同日、バグダッドで攻撃を受けた米兵3人が死亡した。また、バグダッド南方では、米軍のヘリコプターが武装勢力の銃撃を受け墜落し、乗員9人のうち4人が負傷した。(529)

4月7日   イラク中部ディヤラ州で米軍車両近くで爆発があり、米兵4人が死亡した。(532)

4月8日   イラク中部マハムディヤで、車爆弾が爆発し、付近の作業所などにいた少なくとも17人が死亡、20人以上が負傷した。(532)

4月12日  バグダッドにあるイラク連邦議会内の食堂で爆発があり、議員1人が死亡、議員やジャーナリストを含む約30人が負傷した。首都中心部の警備が厳重な米軍管理区域(グリーンゾーン)内に自爆犯が入り込んだのは極めて異例。(534、535、536)同日、イラク北部モスルで地元ラジオ局の女性ニュースキャスターが夫とともに遺体で見つかった。バグダッドでは爆弾により橋が破壊され、少なくとも10人が死亡した。また、バグダッド南部の米軍基地が攻撃を受け、米兵2人とイラク通訳2人が死亡した。(537、538)

4月13日  バグダッド南部で米兵1人が道路に仕掛けられた爆弾で死亡した。(538)

4月14日  シーア派聖地カルバラのバスターミナルで車爆弾テロがあり、33人が死亡、168人が負傷した。同日、バグダッド中心部のチグリス川に架かる橋でも車爆弾による自爆テロがあり、少なくとも10人が死亡、15人が負傷した。中部ファルージャでも路上爆弾攻撃を受けた米兵2人が死亡した。(538、541)

4月15日  バグダッド南部のシーア派地区にある市場で2台の車爆弾がほぼ同時に爆発するテロがあり、少なくとも18人が死亡、50人が負傷した。同日、バグダッド北西部など2カ所でバスの中での自爆テロなどで少なくとも計19人が死亡、26人が負傷した。(539)

4月16日  バグダッドとイラク中西部アンバル州での戦闘などで米兵計5人が死亡した。(541)

4月18日  グダッド中心部のシーア派地区にある商店街で停車中の車が爆発し、140人が死亡するなど、バグダッドで爆弾テロが続発し、合計約200人が死亡、100人以上が負傷した。(542, 543)

4月23日  バグダッドで警備が厳重な米軍管理区域(グリーンゾーン)近くのレストランで自爆テロがあり、少なくとも7人が死亡した。同日、イラン大使館近くで自動車爆弾が爆発、市民1人が死亡した。ディヤラ州の首都バグバの警察署で自動車爆弾が爆発、少なくとも10人が死亡した。北部モスル近郊のクルド民主党事務所前で車爆弾テロがあり、少なくとも10人が死亡した。ディヤラ州では駐留米軍のパトロール基地に対する自動車による自爆攻撃もあり、米兵9人が死亡、住民1人を含む21人が負傷した。(546, 547)

4月24日  イラク中部ラマディ郊外の警察の検問所で自爆犯がトラックを爆発させ、市民や警察ら少なくとも25人が死亡、44人が負傷した。同日、バクバ近郊のシーア派、スンニ派が混在する農村でも従を持ちイラク軍兵士を装った男ら約70人が5軒の民家を襲撃し、6人を射殺、15人を負傷させた。(550)

4月28日  イラク中部カルバラでシーア派の聖地イマーム・フセイン廟近くの商店街を狙ったとみられる自動車爆弾テロがあり、68人が死亡、180人が負傷した。(551)

4月30日  バグダッド北方ディヤラ州ハリスでシーア派の葬儀の参列者を狙ったとみられる自爆テロがあり、20人以上が死亡、35人以上が負傷した。(552)

5月6日   バグダッド西部の食料品市場近くで自動車爆弾を使ったテロがあり、35人が死亡、80人以上が負傷した。同日、イラクではテロが相次ぎ、全土で少なくともイラク人95人が殺害されたり、遺体でみつかった。(556)

5月7日   イラク中部ラマディ近郊で自動車爆弾を使った自爆テロが2件あり、女性や子供を含む計20人が死亡、40人以上が負傷した。(557)

5月9日   イラク北部キルクーク近郊で武装した男らが、車にのったイラク人ジャーナリスト3人と運転手の計4人を引きずり出し射殺した。同日、駐留米軍のヘリコプターが武装勢力を標的に空爆し2人を殺害したが、子供2人を含む市民5人が巻き添えで死亡した。また、クルド人自治区の中心都市アルビルでトラックによる自爆テロがあり、19人が死亡、80人が負傷した。(558, 559)

5月11日  バグダッドと近郊で橋を狙った爆弾テロ相次ぎ、計26人が死亡し60人以上が負傷した。10日、バグダッドと北部モスルでは銃で撃たれるなどした26人の遺体が見つかった。また、首都や近郊で攻撃を受けた駐留米軍兵士4人が死亡した。(561)

5月12日  バグダッドの南方マハムディヤ近郊でパトロール中の米兵7人とイラク人通訳1人の計8人が武装勢力の攻撃を受け、5人が死亡、3人が行方不明となっており、拉致された可能性がある。(562)

5月13日  イラク北部マハムールで、クルド自治政府のバルザニ議長率いるクルド民主党の事務所などが入った施設を狙った自爆テロがあり、50人が死亡、70人が負傷した。同日、バグダッドの市場近くでも自動車爆弾が爆発し、少なくとも17人が死亡、46人が負傷した。(563)

5月15日  イラク中部ディヤラ州のシーア派地区の市場で塩素ガスを積んだトラックが爆発し、45人が死亡、60人が負傷した。(569)

5月17日  駐留米軍のバグダッド南部でパトロール中の部隊が道路脇に仕掛けられた爆弾による攻撃を受け、米兵3人が死亡、1人が負傷した。2003年3月のイラク戦争開始以来、米兵の死者数は3400人を超えた。同日午後、バグダッドでは米ABCテレビのイラク人ジャーナリスト2人が乗った車が武装勢力の攻撃を受け、2人とも死亡した。(571)

5月19日  バグダッドでは19日から20日にかけ、爆弾を積んだ車によるテロが相次ぎ、少なくとも市民5人が死亡した。また、バグダッド西部では19日、路上に仕掛けた爆弾による攻撃で米兵ら7人が死亡した。(572)

5月20日  ラマディ北部でも警察の検問所付近で自爆犯が塩素ガスを積んだタンク車を爆発させ警官2人が死亡した。(572)

5月22日  イラク各地で起きた爆弾攻撃などで米兵9人が死亡した。(573)

5月23日  イラン国境に近いマンダリで爆発物を体に巻き付けた男が喫茶店に入り込んで自爆し、少なくとも20人が死亡、30人が負傷した。(573)

5月24日  ファルージャで武装勢力に射殺された男性の葬列を狙った爆弾テロがあり、少なくとも27人が死亡、30人以上が負傷した。同日、バグダッド北部のシーア派地区では、武装勢力が偽の検問所を設置して小型バスを停止させ、乗客11人を殺害、さらに犠牲者の遺体に爆弾を仕掛け、警察の現場到着後に起爆し、さらに2人が死亡した。(574)

5月28日  バグダッド中心部で自動車テロがあり24人が死亡、68人が負傷した。また、バグダッドの別の場所でも自動車爆弾テロがあり2人が死亡、9人が負傷した。さらに中部ディヤラ州で米軍ヘリが砲撃されるなどの攻撃を受け、米兵10人が死亡した。(579、580)

5月31日  中部ファルージャの警察施設で自爆テロがあり、25人が死亡、50人以上が負傷した。同日、バグダッド南西部でも武装グループが警官らを襲撃し警官1人が死亡、3人が負傷した。(581)

6月1日   ファルージャで米軍砲撃の巻添えで子供3人が死亡した。また首都バグダッド南西部の市場に迫撃弾4発が着弾、12人が死亡、40人が負傷した。バグダッド南郊でも迫撃弾で2人が死亡、4人が負傷した。(582)

6月3日   イラク駐留米軍は、3日、同月1日からの3日間で爆弾攻撃等により米兵合計14人が死亡したと発表した。(583)

6月4日   イラク過激派「イラク・イスラム国」は、4日、バグダッド南方で5月12日に拉致した米兵3人を全員殺害したと公表した。(584)

6月5日   5日深夜、ナジャフ郊外でシーア派聖職者が射殺されたほか、バグダッド北方のバイジで警察幹部が射殺された。(585)

6月6日   バグダッドで連続爆弾テロが起き少なくとも7人が死亡、25人が負傷した。(585)

6月8日   イラク各地で爆弾テロなどが相次ぎ、少なくとも計45人が死亡した。(586)

6月13日  13日午前、中部サマラでイスラム教シーア派聖地「アスカリ聖廟」が前年2月に続き再び爆破され崩壊した。政府は報復が懸念されるバグダッドに13日午後から無期限の外出禁止令を出した。(587)

6月14日  イラクで2月から5月の民間人犠牲者の数が一日平均100人を超え、2004年以来最悪の水準に達していることが判明した(588)。また、同日、前年5月に武装勢力に拉致されたテコンドーイラク代表チーム選手団43人の遺体が発見された。(589)

6月18日  イラク南部アマラなどでイスラム教シーア派民兵組織と駐留英軍・イラク警察との間で激しい戦闘があり、計44人が死亡、多数が負傷した。(590)

6月19日  午後、バグダッド中心部のシーア派モスク近くでトラックを使った車爆弾テロがあり、少なくとも78人が死亡、218人が負傷した。また、駐留米軍は19日未明、中部バクバ周辺でアルカイダ系のスンニ派外国人武装勢力を大将に1万人規模の兵力による軍事作戦を開始し、22人を殺害したと発表した。(592)

6月20日  内務省当局者は、20日、バグダッドのシーア派モスクで19日起きた爆弾テロの死者は87人、負傷者は214人となったと述べた。AP通信によると、バグダッド南部で、同日、2つのスンニ派モスクが爆破された。報復と見られる。一方、バグダッド東部に隣接するディヤラ州のバクバで19日未明から1万人規模の兵力を投入した米軍は20日も作戦を継続し、アルカイダ系組織の戦闘員30人以上を殺害した。米兵も1人死亡した。(594)

6月25日  バグダッドや北部バイジなどでホテルなどを標的にした自爆テロや攻撃が相次ぎ、計41人が死亡、129人が負傷した。(596)

6月28日  バグダッドで自動車爆弾などによるテロが相次ぎ、少なくとも34人が死亡した。バグダッド南東部のチグリス川土手では、首を切断された20歳から40歳までの男性20人の遺体が発見された。南部バスラでは道路に仕掛けられた爆弾で英兵3人が死亡、1人が負傷した。(597)

6月30日  中部ムクダディヤの警察施設外で自爆テロがあり少なくとも23人が死亡、17人が負傷した。また、イラク駐留米軍は30日、サドルシティーを急襲し、武装勢力26人を殺害、17人を拘束した。(599)

7月4日   イラクのバグダッドテレビは4日、同テレビの記者2人が6月に拉致・殺害されたことを明らかにした。また、4日、バグダッド北方のバイジで警察官を標的にしたと見られる自爆テロがあり7人が死亡、18人が負傷した。(600)

7月6日   中部ディヤラ州のシーア派クルド人の村で自爆テロがあり、22人が死亡した。また、駐留米軍によると、5日から6日にかけ、路上爆弾などで新たに米兵9人が死亡した。(601)

7月7日   イラク北部トゥズフルマト近郊の村にある市場で爆弾を積んだトラックによる自爆テロがあり、住民ら150人が死亡、250人が負傷し、5名が行方不明となった。また、バグダッドでイラク軍兵士を狙った自爆テロがあり、兵士ら6人が死亡した。(601, 603)

7月8日   バグダッド南方の道路でイラク軍のトラックに対し別のトラックを使った自爆テロがあり23人が死亡27人が負傷した。バグダッド中心部でも同日、車爆弾テロが相次ぎ、計8人が死亡、12人が負傷した。(603)

7月13日  イラク駐留米軍は13日、シーア派民兵と連携している疑いでイラク警察の中堅幹部を拘束する作戦中に戦闘となり、警官6人と民兵7人を殺害したと発表した。また、米軍は13日、バグダッド東部でシーア派民兵と銃撃戦になり、民兵9人とロイター通信のジャーナリストら2人が死亡したと発表した。(606)

7月16日  北部キルクークで16日、車を使った爆弾テロが3箇所で相次ぎ、少なくとも計86人が死亡、186人が負傷した。また、バグダッド北東部では16日、道路脇の仕掛け爆弾が爆発しイラク軍兵士5人が死亡した。(608)

7月25日  バグダッドでサッカーの祝勝中に車爆弾テロが2件発生し、少なくとも50人が死亡、130人以上が負傷した。(610)

7月26日  バグダッド中心部の市場で、爆弾を積んだトラックが爆発し、同時にロケット弾も撃ち込まれ、少なくとも28人が死亡し、95人が負傷した。また、同日、北部キルクークで車爆弾が爆発し、7人が死亡、40人以上が負傷した。中部ヒッラーでも道路脇の仕掛け爆弾で5人が死亡した。さらに、同日、米兵7人が中部ディヤラ州での作戦中に死亡した。(611)

7月31日  バグダッド東部で米軍部隊が仕掛け爆弾攻撃などを受け米兵4人が死亡、6人が負傷した。(612)

8月1日   バグダッドで車爆弾テロが3件相次いで発生し、計77人が死亡、110人以上が負傷した。(612)

8月6日   北部タルアファルのシーア派地区住宅密集地域でトラックを使った自爆テロがあり、少なくとも33人が死亡(うち16人は女性で他に子供も多く含まれていた)、50人以上が負傷した。また、バグダッドのシーア派地区で6日、路上爆弾が爆発、民間人9人が死亡、8人が負傷した。(613)

8月10日  北部キルクークの市場で自動車爆弾が爆発し11人が死亡、45人が負傷した。負傷者の多くは重体。また、バグダッド南方約20kmで米軍ヘリが墜落、米兵2人が負傷した。(614)

8月14日  イラク北部のカハタニヤで14日夜、燃料タンク車数台を使った同時自爆テロがあり、約500人が死亡、300人以上が負傷し、少なくとも30軒の家屋が破壊されたた。(616、617、618、620、622)

8月20日  陸自が駐留したサマワを州都とするムサンナ州のハッサン州知事が路上の仕掛け爆弾で暗殺された。運転手1人も死亡、護衛ら4人が負傷した。(621)

8月22日  イラク北部バイジの警察署で、タンクローリーを使った自爆テロがあり少なくとも27人が死亡、65人が負傷した。一方、北部で同日米軍ヘリが墜落し、米兵14人が死亡した。(622)

8月23日  中部ディヤラ州でスンニ派勢力間での戦闘が起き35人が死亡した。(625)

8月28日  シーア派聖地カルバラで巡礼者と警官隊との衝突が生じ、28日夜までに死者が計52人、負傷者は206人に上った。カルバラでの衝突後、バグダッドでもシーア派・スンニ派双方の民兵組織が衝突し5人が死亡、イスラム最高評議会の事務所が焼き討ちされた。(627)

9月2日   AP通信の集計によると、イラクで8月に死亡した民間人の数は7月の1760人を上回って1809人となり、米軍増派以降二番目に多い数字となった。(629)

9月8日   国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」は8日までに、イラク戦争開戦以来のメディア関係者の死者が200人になったと発表した。(631)

9月15日  バグダッド南西部の検問所近くで自爆テロがあり8人が死亡、15人が負傷した。(633)

9月16日  バグダッドで民間警備会社ブラックウォーター社が銃を乱射しイラク市民ら11人が死亡13人が負傷した事件が発生したことで、イラクで反発が拡がっており、イラクで軍事分野の民間異存が進んでいることも浮き彫りとなった。(634)

9月20日  米政府は20日までに、イラク難民の受入れ強化方針を決めた。ロイター通信によるとイラクでは米軍侵攻以降難民や国内避難民が400万人以上発生し、うち200万人がイラク国内で避難し、約220万人が隣国のシリアやヨルダンに逃れたとしている。(635)

10月9日  北部バイジで自動車爆弾が2箇所で爆発し、少なくとも計22人が死亡した。また、バグダッド中心部で9日、オーストラリア系民間警備会社の警備員が発砲し、イラク人女性2人が死亡した。(640、642)

10月13日 中部サマラで自爆テロがあり17人が死亡、27人が負傷した。(645)

10月14日 バグダッド北方の広場ではシーア派の聖廟に向かう途中の見にバスが路上爆弾の爆発に遭い10人が死亡、18人が負傷した。同日、中部イスカンダリヤで治安部隊と武装集団の衝突に巻き込まれた民間人4人が死亡したほか、中部ヒッラーでも民間人1人が射殺された。また、バグダッド近郊で取材活動をしていたワシントンポスト紙のイラク人記者が射殺された。(645、646)

10月21日 バグダッドのシーア派地区サドルシティーで米軍が空爆を行ない、乳児や女性を含む13人が死亡、69人が負傷した。(647)

10月23日 トルコ軍の戦闘機と地上部隊が21日から23日にかけ、イラク北部のクルド労働者党の拠点を攻撃し、34人を殺害した。(650)

10月24日 バグダッド北方のサマラ付近で、米軍ヘリが誤爆し、女性6人と子供3人を含む16人が死亡した。(649)

10月29日 バグダッド北方のバクバで29日、警察施設前で自爆テロが起き、警官30人が死亡、女性や子供を含む20人が負傷した。負傷者のうち7人は重体。(651)
  
   (末尾の括弧内の数字は、対応する甲3号証(新聞記事)の枝番号である)

以上のとおり、イラク国内においてはアルカイダ系組織によるテロのみならず、シーア派とスンニ派の対立による攻撃や、あるいはシーア派民兵と米軍との戦闘も頻発し、トルコ軍も独立に向けて動き出したイラク国内のクルド人自治区に対して国境を越えて攻撃を行うようになるなど、不安定の度が増した。
テロ攻撃の方法も大規模化・巧妙化し、塩素ガスを積んだ車両を爆発させるなど、新戦術による被害も拡大した。

2007年8月14日にはイラク北部のカハタニヤで、燃料タンク車数台を使った同時自爆テロがあり、約500人が死亡、300人以上が負傷しするという、単独のテロとしては最大の被害を出すテロ攻撃も発生した。
このような状況下で、米軍は大幅増派を余儀なくされ、アメリカ政府も2007年2月以降、イラクの治安状況を「内戦」と認定するに至った(454、506)

すなわち、イラクの治安状況は全土において「内戦」状態にあるのであり、イラク特措法に基づく航空自衛隊の派遣要件を満たしていないことはもはや明らかなのである。


第2 イラク派兵行為が憲法9条に違反すること


1 自衛隊イラク派兵は「武力の行使」(憲法9条1項)に該当し違憲である

憲法9条1項は「国際紛争を解決する手段として」は「武力の行使」を絶対的に禁止することを規定する。
 
上記で述べてきたような事実関係を前提とする限り、本件イラク派兵により、陸上自衛隊がイラク国内に駐留し、現在は、航空自衛隊が、アメリカを中心とする軍隊を輸送する役割を果たしているが、これは、明らかにアメリカ軍と一体化した行動であって、同項が禁止する「武力の行使」であると言わざるを得ない。
 
この点について、政府は一貫して他国による「武力行使と一体化する行為は許されない」が、「武力行使と一体化しなければ許される」という、いわゆる一体化論を採用してきた。

「輸送の対象物に制約があるわけではございませんが、武力の行使と一体化するような輸送協力は行い得ない、こういう考えを持っておりまして、現に戦闘が行われているような場所への武器弾薬の輸送は行い得ないのが当然」(傍点(※下線)部代理人注、1990年10月25日衆議院PKO特別委員会中山太郎外相答弁)

ということである。
 
そして、今回の自衛隊イラク派遣についても日本政府はこの一体化論を採用し、自衛隊はイラクで他国の武力行使と一体化しないから海外派遣として憲法上許容されるとの解釈を試みている。
 
しかし、少なくとも上記のような事実関係に照らす限り、イラクでの自衛隊の活動が他国の武力行使と一体化しないと評価することなど有り得ない。


2 事実関係を直視すべきこと

自衛隊がイラクへ派遣されているだけではなく、在日米軍再編を通じて米軍横田基地(東京都)に航空自衛隊司令部機能が移設する、米ワシントン州の米陸軍第一軍団司令部機能がキャンプ座間(神奈川県)への移設するなど自衛隊が米軍に吸収され一体化する事態が進行する中、防衛庁を防衛省とする法案が国会に提出されたり、自衛隊の海外派遣を恒久化し治安維持任務や警備任務を担当できるとする法案が与党内で具体的に検討されている状況にある。自衛隊イラク派遣は、それと同時に進められている自衛隊の軍隊化・アメリカ軍との一体化とも無関係ではあり得ない。
 
そこで、今一度、派兵された自衛隊の活動実態を掲げる。

 

(1)陸上自衛隊の活動実態

ア 陸上自衛隊の装備は戦闘に備えたものであること

陸上自衛隊は、イラク・サマワに800メートル四方の宿営地を築き、約550人の部隊が順次交代しながら駐留を継続していた。このこと自体がまさに「武力の行使」である。
    
すなわち、陸上自衛隊がサマワに持参した装備は、弾よけのための装甲版が強化されて襲撃に備えるばかりでなく、機関銃や擲弾銃という武器を備え付けることが可能となっている。とくに96式装輪装甲車には擲弾銃備え付けることが可能であるところ、擲弾銃は小型迫撃砲に匹敵するだけの破壊力を有し(迫撃砲弾は自衛隊宿営地に砲弾が撃ち込まれた際にしばしば用いられてきた砲弾である)、目的地に擲弾銃を撃ち込んでおくことにより部隊の到着に先んじて目的地を面的に制圧することが可能となるという、極めて攻撃的な武器である。
    
このとおり、陸上自衛隊の装備は防御的なものにとどまらず、派遣先で自ら攻撃的な武力行使を行うことが可能な装備であった。

イ 陸上自衛隊がサマワに宿営地を設営していることの意味

加えて重要なことは、それだけ攻撃的な装備を具えた自衛隊が多国籍軍の一員としてムサンナ州州都サマワという責任分担地域を受け持って駐留を続けていたという歴史的事実である。
    
前提としてまず、自衛隊は、イラク暫定政府発足前には占領軍(CJTF7)の一員であり(2004.2.25参議院イラク特別委員会小泉親司質問)、イラク暫定政府発足に伴う国連安全保障理事会決議1546号に基づいて結成された多国籍軍(Multi National Force Iraq)には最初から一員として参加している。
    
占領軍及び多国籍軍への参加という形式面だけにとどまらず、実質的にも自衛隊は、アメリカ軍が自国を遠く離れたイラクで占領活動・戦闘行為を続けていることに組み込まれ、役割を担っている。
    
すなわち「陸上戦力の本質的役割の第一は、『人間の支配』であり、またその手段としての『陸地の支配』であ」り、「人間を支配するには、生活基盤を占領し、資源の使用を統制・支配して居住住民を権力下に入れなければならない。陸上戦力は、土地に張り付くこと(占領・確保)が可能な戦力であり、他の戦力では代わり得ない」(防衛大学校・防衛研究会編『軍事学入門』53頁)のであり、アメリカ軍がイラクの占領を続けるためには土地に張り付くことが不可欠である。自衛隊はサマワというイラク南部への交通の要所に駐留し、アメリカ軍の占領の穴を埋めている。たとえ直接武器を使用しないとしても、上述したような装備をもった実力部隊が駐留を続けていること自体が、アメリカ軍がイラクを占領し続けていることに不可欠な軍事行動なのである。
    
以上のとおり、陸上自衛隊の派遣・駐留自体が、武力行使と評価される実態を有している。被告は、2006年6月20日の安全保障会議において、陸上自衛隊の撤退を決定したが、この方針も、もともと陸上自衛隊が単なる人道復興支援のためでなく武力を備えた実力部隊としてイラクへ出動することに治安維持任務の意味があったことを自認しているものである。

ウ 陸上自衛隊が実施していた給水活動は軍事行動である

陸上自衛隊は、サマワ市民に対する給水活動を2004年3月26日より開始し、2005年2月4日には終了した。これまで日本政府は、陸上自衛隊はサマワで「人道復興支援」を実施しており給水活動などの「人道復興支援」によりサマワの人びとの衛生状態が改善した等、盛んに喧伝してきた。しかしながら、サマワの人々に対する給水活動を行うのであれば、日本政府が2005年にODAにより浄水器を6基導入して、陸上自衛隊によるサマワ市民への給水活動を終えたように、最初から浄水器を導入すれば良かったはずである。
    
この点、防衛庁は、平成17年版防衛白書第4章第1節4において「安全確保支援活動としてオランダ軍に約1、170トンの給水も行った」ことを明らかにしている。水は従軍する兵士の生命と健康を維持するために必要であるばかりではなく、軍隊が活動していくときに不可欠である。なぜなら、軍隊で利用される車両及び車両に装着される武器等の設備は、水冷式エンジンが通常だからである。そのため、陸上自衛隊が「安全確保支援活動」としてオランダ軍に給水したということは、オランダ軍が軍隊としてイラク市民に対する軍事行動をとること(オランダ軍はサマワ市民のデモ隊に発砲したことがある他、武装勢力から襲撃を受けるだけでなく武装勢力と4時間に及ぶ銃撃戦を展開するなど、戦闘行為を行ったこともある)を直接的に支援していたということに他ならないのである。
    
このように、陸上自衛隊はイラクで他国の軍事行動にとって不可欠の給水活動を行い、他国軍隊による武力行使と一体化していた。

エ 宿営地に対する攻撃とサマワの状況

陸上自衛隊の派遣・駐留先であったサマワでは、陸上自衛隊に対する直接的な抵抗行動が生じているばかりではなく、サマワ市内でも民兵集団(サドル師派マフディ軍団)とイラク当局との武力衝突が生じるなど、いつ陸上自衛隊が戦闘行為に巻き込まれてもおかしくない状態が続いていた。
    
陸上自衛隊がサマワに駐留してから少なくとも14回にわたり、陸上自衛隊宿営地に対する砲撃など陸上自衛隊をねらったと思われる襲撃があったのがその証左である。このうち2005年6月24日には道路脇で陸上自衛隊の車列が通過中に爆発があり、隊員輸送の高機動車1両のフロントガラスにひびが入り、ドアがゆがんだという襲撃であり、2006年5月31日には陸上自衛隊車列がオーストラリア軍車列とともに移動中、近くで爆発がありオーストラリア軍の車両1台が破損したという襲撃であった。
    
また、2004年8月にはイラク全土でサドル師派民兵マフディ軍団によるデモや占領軍に対する武力行使があったが、サマワもその例外ではなく、市内警察署の検問所・車両に対しての銃撃及びロケット弾攻撃や警察部隊との銃撃戦が行われた。2005年6月以降には、仕事や水・電気の供給の安定を求めて数百人規模のデモが頻繁に行われるようになったが、8月8日には市内一部地区を武装勢力が制圧する事態にまで至った。さらに2006年2月以降、イラク全土でサドル師派民兵マフディ軍団が復活し始めたがサマワもその例外ではなく、2月24日にはロケット弾がイラク軍・警察、イギリス軍合同オペレーションセンターに撃ち込まれた他、翌25日には同センターが襲撃されて銃撃戦となり、5月13日夜22時から14日朝5時まで夜間外出禁止令が出されるまでに至っている。

オ 小括

このように、陸上自衛隊がイラクを撤退したとしても、イラクへ派遣されたことの意味、イラクでの活動実態については実態を踏まえた評価がなされなければならない。被告が実態を国民に対して正しく説明していない上、立法を司る国会においても議論がなされていない以上(政府が通常国会閉会中に陸上自衛隊撤退の方針を決定するのは、国会での議論を回避しようとする姿勢の表れである)、陸上自衛隊の活動実態を検証することは、三権の一翼を担う司法府・裁判所に与えられた役割である。
    
この活動がアメリカ軍を始めとする多国籍軍の武力行使と一体の行動であることは明らかである。

 

(2)航空自衛隊の活動実態

ア アメリカ軍・多国籍軍の活動に完全に組み込まれ一体化した輸送活動

現在、航空自衛隊は、クウェートのアリ・アル・サーレム空港に活動拠点を置き、C130輸送機3機体制で隊員約200人態勢で、主にイラク南部・ タリル空港及びバスラ空港へ物資を輸送している。物資等の区分は「我が国からの人道復興関連の物資」、「陸上自衛隊の人員・生活物資その他補給物資」、「関係各国・関係機関等の物資・人員」である。

このうち「関係各国・関係機関等の人員」については人道支援のための人員を輸送しているわけではなく「多国籍軍の軍人、兵士等、それから国際機関の人員」である(下線部控訴人代理人、2005年3月14日参議院予算委員会大野防衛庁長官答弁)。武器を携行している米兵を輸送したことも航空自衛隊が認めている( 2004年 4月 8日津曲義光航空幕僚長記者会見 )。人数としては、航空自衛隊関係者によると2004年の1年間で約 5000人の人員を輸送したうち約1300人が陸上自衛隊員以外の他国軍隊関係者である。

さらに「関係各国・関係機関等の物資」には米軍から委託される搭載品が含まれている。委託品はラッピングされた状態で届き、隊員が自ら確かめることはできない。実際に、ある曹長が米軍から輸送を依頼された物品のリストに「部品」と書かれているのを発見した(結局、その「部品」はミサイルや武器などに用いるネジであった)ということがあったという。航空自衛隊は仮に認識がないとしても、前線にいる米軍の武力行使に不可欠な武器を輸送しているのである。

イ イラクにおける輸送活動の意味

航空自衛隊が行っている輸送活動のうち、とくに問題となるのは、アメリカ軍ほか多国籍軍に対して行っている輸送活動である。この点、「現代戦の特色は、補給および輸送の所要が極めて膨大なこと」であるところ、「輸送とは、作戦上に必要な部隊及び補給品等を適時適所に移動させることで、輸送は後方支援活動の基礎となるだけでなく、部隊の移動すなわち作戦そのものを左右する」のであり、アメリカ軍がイラク全土で自由に活動するために航空自衛隊が果たしている物資輸送の役割は絶大である。
    
今回のイラク戦争と同じく同じイラクでアメリカ軍が武力行使を行った湾岸戦争の際にも「アメリカ国防総省は、当初から砂漠という悪条件の中で、弾薬・燃料・食糧など必要物資の補給を以下に効率的に行うかが作戦成功の鍵を握ると見て」作戦上、軍事輸送を充実させていた。
   
航空自衛隊がC130輸送機を用いてアメリカ軍他に対してこれだけの物資輸送を続けているために、アメリカ軍は前線での戦闘行為を行うことが可能になっているのである。

ウ アメリカ軍に要請されて航空自衛隊が輸送活動を拡大することの意味

航空自衛隊は、これまでアメリカ軍他に人員・物資を輸送してきただけではなく、今後その活動拠点が拡大することが予定されている。まず2005年12月に日本政府がイラク復興支援特別措置法基本計画を変更した際、イラク国内の拠点空港を従来の13箇所から全土の全ての空港24箇所に増やした。
    
そして、アメリカ軍の求めにより陸上自衛隊が撤退した後も、航空自衛隊はイラク派遣を続け、バグダッド、バグダッド近郊のバラドに物資を輸送する、あるいはアメリカ中央軍前線司令部のあるカタールとクウェート基地との間でアメリカ軍等の物資を輸送することが検討されている状態である。アメリカ軍が陸上自衛隊の撤退には応じる一方で、航空自衛隊には物資輸送を継続させることだけではなく輸送拠点を拡大するよう求めているのは、それだけアメリカ軍の軍事行動について航空自衛隊の物資輸送が必要だからに他ならない。

エ 航空自衛隊の活動地域

航空自衛隊はC130輸送機で物資輸送を続けているが、航空自衛隊が物資輸送を行っているイラクの空域は決して安全ではない。2005年1月31日には、イギリス陸軍のC130輸送機が墜落し、少なくとも空軍9人、陸軍1人が行方不明となったという。時期を同じくして中東のメディアでは、バグダッド空港を占領している米軍が制空権を失い始め今後航空機撃墜の可能性が増すと指摘する米軍専門報告書について報じられていた。
    
また、航空自衛隊はこれまでにイラク南部タリル空港及びバスラ空港へ物資を輸送しているところ、南部バスラは駐留しているイギリス軍と現地民兵(サドル師派マフディ軍団)の武力衝突が生じるなどしている地域である。

オ 小括

航空自衛隊の物資輸送の内実については、防衛庁に対する情報開示請求において、唯一最初の1回目だけが人道復興支援物資のみの輸送であったために輸送内容が明らかにされたが、その後の輸送内容は非開示とされている。
    
この一事をもってしても、航空自衛隊がアメリカ軍はじめ多国籍軍の武力行使と密接に関わりのある輸送業務を行っていることが明らかであり、我が国の航空自衛隊がアメリカ軍を始めとする多国籍軍と一体となって行動していることは明らかである。


3 結論

以上のような事実関係からすれば、すでに撤退した陸上自衛隊と現在の航空自衛隊とが、アメリカ軍を始めとする多国籍軍と一体となって行動をしていることは明らかであり、それは、まさに我が国の自衛隊が「武力の行使」を行っていることに他ならない。
   
したがって、本件イラク派兵行為は、憲法第9条1項に違反するものである。


第3 自衛隊イラク派兵はイラク特措法違反である。


1 自衛隊イラク派遣は本来違憲である。

イラク特措法においては、自衛隊がイラクでの活動の実施主体となることを明記したうえ(法8条)、イラク派遣の目的を「イラク特別事態を受けて、国家の速やかな再建を図るためにイラクにおいて行われている国民生活の安定と向上、民主的な手段による統治組織の設立等に向けたイラクの国民による自主的な努力を支援し、及び促進しようとする国際社会の取組に関し、我が国が主体的勝つ積極的に寄与」し「我が国を含む国際社会の平和及び安全の確保に資する」と定める(法1条)。
 
従来の政府解釈に従えば、自衛隊はあくまでも「自衛のための必要最小限度」の自衛力であるから憲法9条2項に違反しないということである。それなのにイラク特措法では「自衛」の枠を最初から踏み越えている以上、イラク特措法に従って活動する自衛隊は「自衛のための必要最小限度」の部隊とはもはや言えず、従来の政府解釈に従えば「戦力」の保持を禁じた憲法9条2項に反する。
 また、イラクという海外での活動を本来的に予定している点においても海外出動する自衛隊は「戦力」と評価される以上、従来の政府解釈に従えば「戦力」の保持を禁じた憲法9条2項にやはり反する。


2 イラク特別措置法の構造

自衛隊のイラク派遣は、イラク特措法第2条第3項第1号の要件を充足していないものであって、違法である。
 
大野功統防衛庁長官2005年10月3日、陸上自衛隊のイラク南部サマーワ派遣部隊交代のため、第8師団(司令部・熊本市八景水谷)の泉一成師団長に対し、第8次イラク復興支援群の編成命令を出した。
 
この第8次イラク派遣群は次のとおりである。
 
「現在活動中の第7次群に代わり、道路、公共施設の補修や医療支援などに当たる。 同師団司令部は第43普通科連隊(宮崎県都城市)の幹部を群長に、今月半ばまでに部隊編成を完了。派遣命令を受けて下旬から3回に分け、順次出発させる。派遣期間は約3カ月間。既に訓練を積んでいる約5百人の要員候補のうち、県内隊員は2百人以上。サマーワの宿営地や活動中の隊員を警護する警備中隊に第42普通科連隊(北熊本駐屯地)を、隊員の現地生活支援には 第8後方支援連隊(同)を軸に選抜している。自衛隊熊本病院(熊本駐屯地)などの医師や看護師隊員も派遣する」
 
「イラク復興支援特別措置法に基づく基本計画で定める12月14日の期限を派遣中に迎えるが、政府は期間延長の方針を固めている。細田博之官房長官は3日の記者会見で、派遣延長について『これからの政治判断で決まってくる』と強調。今回の編成命令については『準備が途切れると、いざという時に対応できない』と述べた」(熊本日日新聞2004年10月4日)。
 
しかしながら、イラク特措法に基づく自衛隊のイラク派遣は次のとおり違法である。

 

3 イラク特措法の要件

(1)「施政を行う機関の同意」

イラクにおける人道支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法(イラク特措法)は、自衛隊の派遣に当たって同法第2条で基本原則を定めている。
 
その上で、同法第2条第1項で「この法律に基づく人道支援活動又は安全確保支援活動」を「対応措置」と規定して、同条第3項第1号で対応措置の取られる地域を「外国の領域」とした上で、(当該対応措置が行われることについては当該外国の同意がある場合に限る)と限定している。
 
そして、イラクにあっては、「国際連合安全保障理事会決議第1483号その他政令で定める国際連合の総会又は安全保障理事会の決議に従ってイラクにおいて施政を行う機関の同意によることが出来る」(下線は原告)とされている。
 
なお、イラク特措法施行令第1条は「法第2条第3項第1号の政令で定める決議は国際連合安全保障理事会決議第1483号及び1511号とする」と定めている。
 
以上は、当然のことを定めた条項である。自衛隊法に従い設置されたわが国の自衛隊が海外に派遣されるには憲法およびこれに基づく法律の定めに基づくことは当然である。しかしながら、自衛隊が海外すなわち日本の主権の範囲外であるばかりか、外国政府の支配する領域に派遣されるのであれば、当該領域を支配する外国政府の同意がなければ、自衛隊の実質が国際的には軍隊である以上武力の行使による侵略と見做されることも当然である。
 
したがって、自衛隊の外国領土への派遣にあたって当該外国政府の同意を要することは当然である。
 
ところで、イラクにあっては米英軍によってイラクを支配していたフセイン政権が崩壊させられているという事実に基づき、当該外国政府に代わる機関の同意を要することは当然である。問題はその同意をする機関は、日本国憲法の立場からすれば国際連合憲章およびこれに基づく国連の判断に正当性の根拠を持つものでなければならないことは明らかである。そうでなければ、他国を侵略した強盗国家と一緒になってその強盗国家の同意の下に火事場泥棒を働くことに等しいからである。
 
要するに、原告らは、そもそも自衛隊が憲法9条に反する軍隊であり、自衛隊の海外派兵、さらには外国領土たるイラクの派遣そのものも憲法9条に反すると考えるものであるが、今回の自衛隊のイラク派兵はイラク特措法にも反するもので違法であり、以下その理由を述べる。

(2)平成16年6月28日以前は「イラク特別代表」の同意が要件

 イラク特措法は、平成15年8月1日に法律第137号として公布の日に施行された(同法附則第1条)。
 
イラク特措法施行令(平成15年制定。平成16年改正)第1条は、法第2条第3項第1号の政令で定める決議は、国際連合安全保障理事会決議(安保理決議)第1483号及び1511号とすると規定する。
 
但し、安保理決議1511号が採択されたのは、2003(平成15)年10月16日である。そこで、同決議はイラク派遣の当初の判断に関しては同法2条3項1号の根拠とはならない。そこで、以下は同決議1483号を検討する。
 
ちなみに、同決議1511号はイラクへの権限委譲、国連の役割の明確化等についても言及している。


 安保理決議1483号(2003年5月22日)は前文で「安全保障理事会は・・・国際連合憲章第7章(平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に対する行動)下に行動して」第1項、第2項、第3項において加盟国に対しイラクに対する支援を訴えている。そして、第8項は「事務総長に対し、イラク特別代表を任命するよう要請する」とした上で、同第9項は「国際的に承認された代表政府が、イラク国民により樹立され当局の責任を引き受けるまでの間、イラク国民が、当局の支援及び代表の協力を得て、自ら運営する移行行政機関としてのイラク暫定行政機構を形成することを支援する」と規定する。
 
上記のとおり、安保理決議1483号は、・・・イラク国民により樹立され当局の責任を引き受けるまでの間、イラク国民が「当局の支援及び代表の協力」を得て・・・とある。ここでは、「当局」と「代表」とあるが、国連としては「代表」すなわち「イラク特別代表」が当然安全保障理事会の決議を執行する上で必要不可欠の機関であり、人道復興支援が国連の要請に基づくものである以上、イラク特措法の同意とは少なくとも「イラク特別代表」の同意と解するのが当然の解釈である。

(3)平成16年6月28日以降は自ら運営する移行行政機関の同意が要件

イラクにおいては2004年6月28日午前10時26分(現地時間)、それまで暫定的な施政を行ってきた連合暫定施政当局(CPA)から、イラク暫定政府に対し、統治権限の委譲が行われたとされている。
 
安保理決議第1483号第9項は「国際的に承認された代表政府が、イラク国民により樹立され当局の責任を引き受けるまでの間、イラク国民が、当局の支援及び代表の協力を得て、自ら運営する移行行政機関としてのイラク暫定行政機構を形成することを支援する」と規定する。ここでいう「イラク暫定行政機構」とは自ら運営する行政機関であることが要件である。
 
しかしながら、米軍の指揮下にある多国籍軍の支配下にあるイラク暫定移行政府は、上記の「自ら運営する移行行政機関としてのイラク暫定行政機構」ではない。そこで、被告国がイラク特措法第2条第3項第1号の同意があるとするのであれば、現在のイラク暫定政府が国連安保理決議1483号にいう「イラク暫定行政機構」であることを主張・立証すべきである。
 
以上、少なくとも、国連がイラク暫定政府をイラク暫定行政機構とすることを前提に、わが国がイラクで「対応措置」を取るにはイラク特措法上はイラク暫定政府の同意が必要となる。仮に、イラク暫定政府の同意でよいとしても、後に述べるように政府の見解のどこにも、イラク暫定政府の同意を得るとか、得たとの記載はない。

(4)同意要件のまとめ

以上、イラク特措法第2条第3項第1号の自衛隊のイラクにおける「対応措置」を取るための法律上の根拠は、安保理決議1483号によれば、[1]当初は安保理の要請とイラク特別代表の同意が、[2]次に自ら運営する移行行政機関としての暫定行政機構が、[3]最後に国際的に承認された代表政府の同意ということになる。
 
しかしながら、その同意は以下に述べるようにいずれも存在しない。

 4 自衛隊のイラク派遣につきイラク特措法第2条第3項1号の同意はない。

(1)イラク特措法第2条第3項第1号の同意はない。

自衛隊の海外派遣問題は、日本国憲法第9条で戦争の放棄が規定されている以上、法律の解釈は、厳格になされる必要がある。特に、外国への自衛隊の派遣は、その国の主権を無視すれば侵略行為であり、主権の存する外国政府の同意が法律上必要不可欠なのは当然である。イラクのように、その国に主権の存する政府が他国の戦争行為により崩壊し、これに変わる政府が樹立されていない場合、自衛隊の派遣が主権の存する政府を戦争行為により崩壊させた国家や国家連合の同意によることは出来ない。なんらの根拠もなしに、そのようなことを認めることは他国に対する戦争行為による侵略を認めることになるからである。
 
そこで、少なくとも、イラク特措法第2条第3項第1号の規定からすると国連の認めた正当な機関の同意が必要となってくる。
 
次に、イラクが正当な代表政府に移行するまでの間は、暫定移行政府が同意をすることになるであろうが、その同意は自衛隊を派遣する日本政府に直接なされることは当然である。なぜならば、イラク特措法第2条第3項第1号は明確に「日本の自衛隊が対応措置を行うこと」についての関係機関の同意であり、日本政府が勝手に「同意」があったと看做しうるかどうかという問題ではないからである。
 
したがって、被告国が、イラクへの自衛隊派遣がイラク特措法により合法だと主張するのであれば、同法の要件を充足している事実を主張・立証する責任がある。
 
以下は、原告において、被告国がイラク特措法第2条第3項第1号の要件を充足していないことを主張するものであり、被告国においてこれを充足しているというのであれば、同意に関する具体的事実を主張し、これを裏付ける同法所定の関係機関の同意書面を提出する立証責任を負う。本件は、国際関係に関することであり、被告国が関係機関の同意があったと勝手に思い込むということでは、法律上の要件を欠くことになることは明白である。そこで、以下検討する。

(2)平成16年6月28日以前に「イラク特別代表」の同意は無い。

平成15年8月2日から同16年6月28日までに、「イラク特別代表」の同意は無い。この点は、被告国も争いの無いところであろう。したがって、被告国は、今回の自衛隊派遣について、この点についての認否反論を証拠に基づいて具体的にすべきである。
 
なお、被告国が、安保理決議1483号の「当局」の同意があったとするのであれば、少なくとも国連安全保障理事会において、国連においては安保理決議1483号の「当局」の同意を持って日本政府のいうイラク特措法第2条第3項第1号の同意に当たるとの具体的主張・立証をすべきである。その際、日本国憲法、国連憲章、安保理決議第1483号、イラク特措法との関係を論理的に明確に主張すべきである。
 
ところで、外務省のホームページにおいて「各国・地域情勢」の「中東」「イラク再編に向けた動き」において次のように述べ、「当局」とはCPAとしている。すなわち、

  「 1 CPAによる施政

(1) 2003年5月22日に採択された安保理決議1438(1 483の誤記;原告代理人)は、安保占領軍としての米英の特 別の権限を認識し、『当局』(米英の統合された司令部)は国際的に承認された代表政府がイラク国民により樹立され、『当局』の責務を引き継ぐまでの間、権限を行使するとした。同決議は『当局』に対し、安全で安定した状態での回復及びイラク国民が自らの政治的将来を自由に決定できる状態の創出に向けて努力することを含め、領土の実効的な施政を通じてイラク国民の福祉を増進することを要請した。

(2) 現在、連合暫定施政当局(CPA:Coalition Provisional Authority)が同決議に言及されている『当局』を構成する機関として活動している。CPAのブレマー行政官は、イラク統治評議会の設立後すぐに、イラクの新憲法を起草するプロセスを開始する、新憲法が承認された時点でイラクの新政府がイラクの初めての民主的、自由且つ公正な選挙により選ばれることになると発言している。

 2 政治プロセスの進展

   中略

(3) 2003年11月15日、イラク統治評議会とCPAは、イ ラク人への統治権限の委譲を早期に行うことを目的にして、以 下の日程の政治プロセスに合意した。24日、統治評議会はこ れに関する書簡を安保理議長に提出した。
       
中略
 
2004年6月末まで 移行行政機構選出・承認(CPA解体、統治評議会任務終了)
 
2005年3月15日まで憲法会議選挙
(基本法で日程設定)恒久憲法の制定  」


以上からも明らかなように、被告国は「当局」すなわちCPAの同意があればイラク特措法第2条第3項第1号の同意があるかのような見解であるようである。いずれにせよ、被告国が「当局」すなわちCPAが同意をする機関というのであれば、その旨具体的に日本国憲法、国連憲章、安保理決議、イラク特措法との関係を前提に、主張・立証すべきである。ちなみに、原告は被告に対し、当局の同意がいつどのような形で行われたかも具体的に明らかにされたい、と釈明を求めたが、被告はこれに明確に答えない。
 
しかしながら、どうであろうと、イラク特措法第2条3項第1号の同意については安保理決議の関係で「イラク特別代表」しかいない。これは、CPAが米英軍の私的な機関という性格からしても明らかである。
 
ちなみに、米英軍が2003年3月20日にイラクを攻撃開始し、その直後の4月10日前後には、すでに米復興人道支援室(ORHA)が占領行政を開始した。ORHAは、米国防総省の支持の下で組織され、その代表者は元米軍司令官ジェイ・ガーナーであった。この組織は米国の占領軍そのものである。このORHAによる占領行政は、少なくともこの時点では国連安保理決議に基づかない違法なものである。
 
なお、ORHAは、2003年6月には連合暫定施政当局(CPA)に合併された。CPAは同年5月1日ころまでには存在している。米政府は米英軍がCPAを設立したというだけで、これだけでは国際法上の正当性は認められない。

 

(3)平成16年6月28日以降も自ら運営する移行政府機関の同意は無い。

原告らは、現在の暫定移行政府がイラク特措法第2条第3項第1号の「同意」をすることが出来る要件を満たしていないと考えている。しかし、被告国の以下の見解でも、暫定移行政府は多国籍軍に対し同意をしたのであり、自衛隊を派遣している被告国に同意をしたことはない。
 
しかも、政府は、自衛隊は多国籍軍の指揮下にはないといっているものであり、暫定移行政府が自衛隊のイラク派遣に同意したと擬制する根拠も全くないものである。すなわち、政府の「イラクの主権回復後の自衛隊の人道復興支援活動等について」(平成16年6月28日閣議了解)によると、次のとおりである。

「 イラクにおいては、平成16年6月28日に、完全な主権が回復されたことに伴い、『イラクの主権回復後の自衛隊の人道復興支援活動等について』(平成16年6月18日閣議了解)中『6月30日』とあるのは、『6月28日』と了解する。」

ところで、平成16年6月18日閣議了解は、次のとおりである。

「 平成16年6月8日、国際連合安全保障理事会において決議1546号が全会一致で採択された。この決議にあるとおり、イラクにおいては、同月30日をもって占領が終了し、完全な主権が回復されることになる。

 (中略)

今般、イラク暫定政府が国際社会に対し、多国籍軍の駐留を含めた支援を要請していることを踏まえたこの決議が全会一致で採択されたことを受け、イラクの復興と安定が我が国自身の安全と反映にとっても重要であるとの認識に立ち、イラクへの主権回復後も、自衛隊が引き続きこのような活動を継続することとする。その際、この新たな決議において、これまで我が国の自衛隊が行ってきたような人道復興支援活動が多国籍軍の任務に含まれることが明らかになったこと等を踏まえ、政府として十分な検討を行った上で、自衛隊は多国籍軍の中で今後とも活動を継続する。6月30日以降、自衛隊は、多国籍軍の中で、統合された司令部の下にあって、同司令部との間で連絡調整を行う。しかしながら、同司令部の指揮下に入るわけではない。自衛隊は引き続き、我が国の主体的な判断の下に、我が国の指揮に従い、イラク人道復興支援特措法及びその基本計画に基づき、イラク暫定政府に歓迎される形で人道復興支援等を行うものであり、この点については、今般の安保理決議の提案国であり、多国籍軍及びその統合された司令部の主要な構成国である米、英両政府との間で了解に達している。以下  省略 」


イラク特措法の要件は厳格に解釈されるべきであり、少なくともわが国の行政府の主観的判断で解釈されるべきでないものである。


5 以上、自衛隊のイラク派遣は、イラク特措法第2条第3項第1号の要件を充足していない。自衛隊のイラク派兵はイラク特措法上違法である。

すなわち、イラク暫定政府は、その実体から見ても自ら運営する移行行政機関とは言えず、そのイラク暫定政府の同意すらないものである。被告国は、イラク暫定政府が多国籍軍にした治安維持の要請をもって、多国籍軍の指揮下にないとする自衛隊も人道復興支援活動をすると言明し、このことは米英両政府も了解していると居直っている。しかし、これはイラク暫定政府の同意ではなく、米英両政府の了解でしかなく、イラク特措法第2条第3項第1号の要件を満たしていないことは明らかである。


6 自衛隊のイラク派兵は、イラク特措法第2条3項戦闘地域への派遣、同法2条2項の武力の威嚇・行使に該当し違法である。

(1)日本国憲法を前提にしたイラク特措法の解釈

日本国憲法の従来の政府解釈に従えば、日本政府がイラクに自衛隊を派 遣している行為は、憲法上許容される余地のない違憲行為である。
 
しかしながら、日本政府は先に指摘したように憲法上許容される事柄の範囲を拡大させる解釈をとり、自衛隊イラク派遣が憲法上許容されるとするためにイラク特別措置法を制定した。政府解釈に基づいてイラク派遣が憲法上許容されるとするために、イラク特措法では自衛隊イラク派遣について次の2つの条件が設けられている。

[1] 対応措置の実施は、武力による威嚇又は武力の行使に当たるものであってはならない(法2条2項)

[2] 対応措置については、我が国領域及び現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる次に掲げる地域において実施する(法2条3項)

これは(自衛隊派遣事態が「武力行使」とならないかどうか)、(他国軍事行動との一体化ではないかどうか)、さらには(武力行使目的の海外出動か否か)という憲法上海外出動が許容されるための各条件をクリアするために政府が定めた要件である。日本国憲法の解釈としておよそ許されないような程度にまで憲法上の限界を緩やかに解釈した場合でも、自衛隊イラク派遣を憲法上許容されるとするためにはイラク特措法の上記各要件が遵守されなければならない。
 
問題は、自衛隊のイラク派遣においてこれら要件が遵守されているかどうかである。これら要件を定めれば日本国憲法上自衛隊のイラク派遣が問題なく許容されるというものではないが、これら要件さえ守られない中での派遣は到底許容されないことは明らかだからである。

(2) 自衛隊イラク派兵は、イラク特措法違反である

 

ア 自衛隊が後方支援をしているアメリカ軍・多国籍軍の実態

自衛隊のイラク派兵の項で述べたように陸上自衛隊、航空自衛隊及び海上自衛隊はいずれもアメリカ軍ほか多国籍軍に対して物資輸送・補給業務を行っている。
 
そして、自衛隊が後方支援しているアメリカ軍・多国籍軍はイラクでまさに武力行使を行っている。そもそも、アメリカによるイラク戦争は名目上は大量破壊兵器の存在を理由としていたが当時イラクには大量破壊兵器は存在していなかったことが確かめられており、最初から「フセイン政権転覆」のため(ダウニング・ストリートメモ他)の侵略戦争であったは明らかである。
 
アメリカ軍はイラク戦争開始から現在に至るまで、バグダッド、ファルージャはじめイラク各都市に空爆を実施している。都市空爆は民家を含めて標的とする軍事行動であり、非戦闘員であるイラク市民(子ども、女性、高齢者を含む)にも被害を及ぼす、武力行使である。その他にも「掃討作戦」と称し、アメリカ軍はときにイラク治安部隊とともに都市を囲い込み、空爆を加え、病院を占拠し、橋や住居を破壊してきた(典型例が2004年11月のファルージャ掃討作戦である)。このような「掃討作戦」はイラク北部モスル、サマラ、タルアファル、東部バクバ、西部カイム、ヒート、ハディーサ、中部ラマディ、南部ナジャフなどイラク全土至る所で実行されてきた。
 
このような種種のアメリカ軍による軍事作戦の中で、アメリカ兵がイラク民間人を虐殺したり、住宅を理由なく家宅捜索している例については枚挙にいとまがなく、ついにアメリカ軍内でも西部ハディーサで数人の海兵隊員が3時間から5時間、銃による掃討を行い子どもなど非戦闘員を銃殺したことが捜査されるに至っている。
 
アメリカ軍はイラクで自由と民主主義、あるいは経済の復興と安定をもたらしているのではなく、人びとに死と絶望感を与える武力行使を行っている。

イ 自衛隊は後方支援を通じて他国の武力行使と一体化している

イラク特措法において設けられた「[1] 対応措置の実施は、武力による威嚇又武力の行使によるものであってはならない(法2条2項)」の要件については、政府の憲法解釈において「他国の武力行使と一体化する行為は許されない」という限界が設けられていることに則って解釈する必要がある。
 
航空自衛隊は、少なくとも武装したアメリカ兵を輸送するほか、アメリカ軍に依頼されて武力行使に必要な物資を輸送していることは前記訂正で述べたとおりである。陸上自衛隊は少なくともオランダ軍に対し、その武力行使に不可欠な給水活動を行った。海上自衛隊もアメリカ軍はじめ各国軍隊が武力を行使するに不可欠な燃料補給等を実施していると考えられる。自衛隊から輸送・補給を受けたアメリカ軍はじめ多国籍軍はイラクで過去にも武力行使を行ってきたし、今もなお続けている。
 
そして、現代戦における補給・輸送業務の重要性を考えた場合、日本の自衛隊が実施している各補給・輸送業務は「他国の武力行使と一体化する」行為に他ならない。
 
   したがって、イラク特措法2条2項の要件はすでに守られていない。

ウ 自衛隊派兵自体が武力行使である

すでに述べたようにイラク南部の交通の要所であるサマワに陸上自 衛隊が重装備で駐留を続けている。この駐留自体が、陸上自衛隊による武力行使に他ならず、その点においてもやはりイラク特措法2条2項の要件は既に守られていない。

エ 自衛隊の活動領域は「非戦闘地域」ではない

イラク特措法2条3項において設けられている要件([2] 対応措置については、我が国領域及び現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる次に掲げる地域において実施)もまた、遵守されていない。
 
サマワでは、陸上自衛隊がサマワに駐留している間にサドル師派民兵(マフディ軍団)とイラク治安当局及び多国籍軍との間で戦闘行為が行われている。この点、2004年4月に内閣法制局が福田官房長官(当時)に対し「イラクで反米闘争を繰り返すイスラム・シーア派のサドル師派につき『国に準じる者』である」との見解を報告している。マフディ軍団とイラク治安当局及び多国籍軍との間の戦闘は日本政府の解釈に従ってもイラク特措法2条3項に定める「戦闘行為」に当たる。サマワは「現に戦闘行為が行われていない」地域ではない。

オ 結論

自衛隊のイラク派遣は、最大限緩やかに解釈された憲法解釈に違反しないよう、イラク特措法が定めた2つの要件をいずれも満たさない状態で実行され、継続されている。
 
よって、自衛隊イラク派遣は陸上自衛隊、航空自衛隊及び海上自衛隊のどの自衛隊派遣をとっても違憲・違法である。


第4 イラク戦争と国際法違反

1 はじめに

 「法の支配」の概念は、法治国家、民主主義の根幹である。そして、政府の違法行為を止めるのは司法に与えられた尊い役割であり、義務である。
 
イラク戦争への自衛隊の参加という行為が、国民の生活に大きな影響を及ぼしている。そして、政府の派兵行為というものをあらゆる角度から検討して正しい道を指し示す義務を司法は背負っているのである。
 
本稿は、イラク戦争を国際法の観点から検討するものであるが、長年にわたる歴史の中で国際法の分野が築いてきた価値を改めて考え直してイラク戦争をみていきたい。


2 国際法の到達点

かつて「戦争」は、国際間の紛争を解決する手段として当然と考えられていた時代があった。二度にわたる世界大戦の悲惨な経験を経て、人類は戦争が違法なものであること、そして戦争を止めるために各国が共同して国際連合に結束し、紛争を平和的に解決することを原則としたのである。
 
国連憲章は、現行の国際法の基本文書である。全ての条項は、諸国家の共同体である国連の全ての加盟国を拘束する基本的な条約上の義務を具体化しており、それは憲章の文言のみあらず、その精神にも従うことを要求している。
 
国連憲章1条1項は、国連の目的と原則を明らかにしている。即ち、
「国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること、並びに国際間の紛争の調整又は解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること」としている。1957年に日本国も国会の承認を受け、国際連合に加盟しているのであり、この国の国連憲章を遵守すべき義務があり、また国連憲章に違反する行為は国内法的にも違法となるのである。


3 ウィラマントリー国際司法裁判所元判事の見解C.G.ウィラマントリー国際司法裁判所元判事は、その著書「国際法から見たイラク戦争」で次のようにイラク戦争の国際法違反性を述べている。
 
「本章で扱うテーマは、国際法を強調するために執るいかなる行動といえども、それが国際法に適合するかたちでなされなければならないということである」
 
「第1の原則は、・・戦争の違法化と、武力行使を国連の監督下の行動に限定することである」「憲章51条によって規定されるように、国連加盟国に対する武力攻撃が実際に起きたという非常に限られた例外的ケースを除き、どんな国連加盟国でも一方的に武力に訴えてもよいなどということは憲章のどこにも書かれていない。そのような一方的な行動はまた、平和と安全の維持のために必要な措置を安保理がとるまでの間だけに、極めて厳格に限定されているのである。従って、・・国連憲章が、一方的武力行使を完全に違法化している・・それは文明の進歩の過程のなかで苦労して勝ち取ったものであり、それを維持することはすべての加盟国が守るべき絶対的義務なのである」
 
「第2に、・・唯一、武力攻撃が発生した「場合」だけ、自衛行動を発動する権利があり、またそれは、国際平和の維持に必要な措置を安保理がとるまでの間に限られているのである」「この規定によれば、先制的自衛における先制攻撃もまた、違法化されている」「先制攻撃は、国連憲章に絶対的に反する行為である」
 「無視された第3の原則は、一方的行動の禁止原則である。如何なる国家も、自らの手中に法を独占し、他国に対して武力を行使することを許されない。それは国連の手続を経てのみ行うことができるのだ。こうした一方的行動は、・・国連の第1の目的を定めた国連憲章1条1項に違反する」
 
「第4の原則は、武力を発動する前に必ず、紛争を平和的に解決する可能性を追求し尽くすという絶対的義務である」「憲章33条は、実行すべき一連の紛争解決手続きを列挙する―つまり、交渉、審査、仲介、調停、仲裁裁判、司法的解決、地域的機構または地域的取り決めの利用その他の平和的手段である。これらの手段すべてが利用され尽くしたと言える者がいるだろうか?このうちのいくつかの手段は試みることさえもなされなかった」
 
「第5の原則は、核軍縮は義務的だということである。他国が違法行為を行うことを制止しようとする国は、自らもその法に従わなければならない」「国際法の何らかの原則に違反する国は、その国自身が反映している原則を他国には厳しく適用するように国際社会に求めることはできない」
 
「第6の原則は、統治者を退位させる権利は他国にはないということである」「誰が統治するかは、その国の人民が決めることである」
 
「第7の原則は、いわゆる「有志連合」と呼ばれるような国家の集合はそれ自体、国連憲章を侮辱するものである。それは「国際法と国連憲章を進んで無視する国々の連合」を意味するからである。
 
「第8の原則は、一貫性の原則である。国際法が何らかの信頼性を得ようとすれば、A国に適用される原則はB国にも適用されなければならない」
 
「破られた第9の原則は、侵略の非合法化の原則である。主権国家に対する侵略は、国連憲章の精神から追放されたものである」「イラクに対してなされたような国連憲章に反する一方的な武力行使は、どのカテゴリーに入るかという分類上の問題をまったく生じないものである。それは確実にかつ間違いなく侵略のカテゴリーに入るものである」
 
「蹂躙されたことが明らかな第10の原則は、文民と非戦闘員の保護の原則である」「国連は、平和の必要性を基本的人権として扱うべきことを繰り返し強調してきたことである。実際、平和に対する権利の侵害は、交戦国が犯したもう一つの国際法違反であるということができる」
 
「この議論を締めくくる前に、すべての国が国連憲章の下において平等であることが、国連機構と国際法の基本であることについても記しておくことが重要であろう」



4 米・英の国際法違反と日本

侵攻開始後数週間もたたない2003年4月上旬に、ウィラマントリー元判事は、この侵攻が国際法に基づき完全に違法であったことをきっぱりと断言し、10以上にものぼる国際法の基本原則の違反を列挙した。これは侵攻直後の余波のさなかに、軍事行動の全面的な違法性に注目した最初の出版物の一つとなった。2004年9月25日、コフィ・アナン国連事務総長(当時)は、国連総会での演説において、イラク侵攻は国際法に基づき違法であると述べている。米・英の国際法違反の数々は、許されるべきではない行為である。
 
また、日本についても同じことがいえるのである。
 
小泉純一郎首相(当時)は、開戦前後にわたり「大量破壊兵器を持っているイラク」(メールマガジン2003年3月13日)「問題の核心はイラクが自ら保有する大量破壊兵器、生物兵器、化学兵器を廃棄しようとしないこと(同年3月27日)などとイラクの大量破壊兵器保有を断言し、どの国よりも早くアメリカのイラク戦争を支持した。そして、自衛隊の派兵を行い、アメリカ軍の支援を行っている。日本政府の行為もまた国際法違反であるといわなければならない。


5 国際法違反行為の効果

それでは、一体国際法違反行為に対しては如何なる処置がとられるべきであろうか。違反行為は、速やかに是正されなければならないという原則からいうと、違法行為の停止、中止が第一に求められると考えられる。米国・英国が武力行使を中止し、兵を撤兵し、占領を停止することである。また、この占領に「有志連合」として加わっている日本やその他の国々も撤兵しなければならないということである。
 
「英国防省」がイラク人を対象に2005年8月に実施した秘密の世論調査で、82%が多国籍軍の駐留に「強く反対」していることが明らかとなった。(英紙サンデー・テレグラフ10月23日付)
 
調査によると、駐留多国籍軍部隊が治安の改善で責任を果たしていると考えているのは1%未満だった。67%が占領によって治安が悪化していると答えている。72%が多国籍軍を信頼していないとしている。
 
イラク全土で多発している米英軍を対象にした自爆攻撃には、イラク人の45%が正当化されると考えており、英軍が管轄する四州のひとつ、南部マイサン州においては65%にも達している。


6 国際条約における人権条項のイラク戦争による侵犯

(1)世界人権宣言(1948年12月10日第3回国連総会採択)は、「加盟国自身の人民の間にも、また加盟国の管轄下にある地域の人民の間にもこれらの権利と自由との尊重を指導及び教育によって促進すること。並びにそれらの普遍的かつ効果的な承認と遵守とを国内的及び国際的な漸進的措置によって確保することに努力するように、全ての人民と全ての国が達成すべき共通の基準としてこの世界人権宣言を公布する」と述べている。
 
そして、その人権宣言の中には、「すべて人は生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する」(第3条)とされている。そして第30条において、「この宣言の如何なる規定もいずれかの国、集団又は個人に対してこの宣言に揚げる権利及び自由の破壊を目的とする活動に従事し、又はそのような目的を有する行為を行う権利を認めるものと解釈してはならない」とされている。

(2)市民的及び政治的権利に関する国際規約(昭和54年8月4日 国際人権B規約)第6条は、「全ての人間は生命に対する固有の権利を有する。何人も恣意的にその生命を奪われない」とされている。

(3)児童の権利に関する条約(平成6年5月16日条約第2号)において、第6条で「締結国は、全ての児童が生命に対する固有の権利を有することを認める。締結国は児童の生存及び発達に可能な最大限の範囲において確保する」とされ、第9条で「締結国は児童がその父母の意思に反して、その父母から分離されないことを確保する」としている。さらに、第16条では、「如何なる児童も、その私生活、家族、住居若しくは通信に対して恣意的に若しくは不法に干渉され、又は名誉及び信用を不法に攻撃されない」とされている。

(4)しかし、イラク戦争の現実はどうであったか。戦争は、如何なる戦争もそうであるように、人々(市民)を殺戮し、また老人、女性、子どもらを殺戮した。以上に述べた国際的人権条項は無視されたのである。
 
イラクで起こったことは、これら人権条項の無視であった。国連加盟国であれば、これらの条項を厳格に守るべき義務があるのである。これらを全く無視した米国、英国そして日本もまたその「有志連合」の一員として、これら人権条項の侵犯者なのである。そしてこの被害に対しては、児童の権利に関する条約第39条では、「あらゆる形態の放置、搾取若しくは虐待、拷問若しくは他のあらゆる形態の残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取り扱い若しくは刑罰又は武力紛争による被害者である児童の身体的及び心理的な回復及び社会復帰を促進するための全ての適当な措置を取る」と定められている。
 
この被害の回復の措置は自衛隊の撤退をおいて外にないのである


第5 政府は安全配慮義務(イラク特措法第9条)に違反している

 1 はじめに

自衛隊をイラクに派遣するに際し、その自衛隊員の生命・身体の安全を確保することは当然必要なはずである。また、その安全の確保は、派兵期間のみのものであれば足るというものではなく、将来にわたっても確保されなければならない。

(1)イラク特措法は、その第9条において

「内閣総理大臣及び防衛庁長官は、対応措置の実施に当たっては、その円滑かつ効果的な推進に努めるとともに、イラク復興支援職員及び自衛隊の部隊等の安全の確保に配慮しなければならない。」と規定する。同規定は、自衛隊のイラク派兵が、あくまで日本国単独の発案によるものではなく、イラク戦争の当事者国家であるアメリカを始めとする多国籍軍と一体をなしての行動であり、かつ、その活動の場が日本国外である特殊性を考慮した上で、イラクに派遣された全ての我が国国民の生命・身体が、いわば常時危険にさらされることから、敢えて、内閣総理大臣及び防衛庁長官に対し、「イラク復興支援職員及び自衛隊の部隊」の他、全ての派遣職員について、安全を確保する義務を定めたものである。「等」という文言は、今回の派兵行為に携わる全ての日本国民を対象にするべきことを示すものである。

そもそも、日本政府は、憲法13条により全ての日本国民に対し、その生命身体の安全を確保する義務を負っているものであるが、同条は、イラク特措法による自衛隊のイラク派兵が、あくまで日本国単独の発案によるものではなく、イラク戦争の当事者国家であるアメリカを始めとする多国籍軍と一体をなしての行動であり、かつ、その活動の場が日本国外であり、一般に派兵された職員の生命身体への危険性が高いという特殊性を考慮したため、敢えて、同条により確認的に、内閣総理大臣及び防衛庁長官に対し、安全配慮義務を規定したものである。

(2)同条による安全義務

同条により、内閣総理大臣及び防衛庁長官は、イラク復興支援職員及び自衛隊の部隊のイラクでの活動に際し、それらの生命・身体につき、その作業時はもちろん、将来にわたっても安全な状況で作業を行わせなければならない義務を負う。

したがって、内閣総理大臣及び防衛庁長官は、自衛隊員等の生命・身体に危険が及ぶ可能性のある地域に派遣してはならないことは当然であるが、イラク国内において、兵器等の使用により、その場に止まること自体が明らかに生命・身体に危険を及ぼす場合には、速やかに自衛隊員等をイラクから撤退させる義務を負うことになる。

2 イラクにおける武器使用

(1)様々な危険な兵器の使用

イラク戦争において、アメリカ及びイギリスをはじめとする軍隊は、クラスター爆弾、サーモバリック爆弾、バンカーバスターと呼ばれる地下壕破壊爆弾を始め、様々な危険な兵器を使用してきたが、その中でも、とりわけ、あまりの人体への影響の強さから、その危険性についての指摘が国内的にも国際的にも厳しく、人道的観点からも全世界的に問題視されてきたのが、いわゆる劣化ウラン弾である。

(2)米英軍等による劣化ウラン弾の使用

ア 米軍による使用の発表

2003年3月21日に始まったイラク攻撃において、米英軍は各地の戦闘にて劣化ウラン兵器を使用したが、このうち、米軍による劣化ウラン兵器使用の事実は、同年3月26日の記者会見にてブルックス准将が「劣化ウラン弾を使用した」と自ら認めたことで明らかである。

米国防次官補佐官・保健担当のマイケル・キルパトリックは2004年3月6日にマサチューセッツ工科大の討論会で「陸軍は戦車、装甲車から24トン弱、空軍はA−10攻撃機から103トン弱の劣化ウラン弾を使った」と述べた。これらを合わると115トンの金属ウランに相当するものである。

イ その他による劣化ウラン弾使用の発表

このほか、イギリス国防省も1.9トン分の劣化ウラン兵器の使用を認めている。オランダ国防大臣も、日本の陸上自衛隊が駐留するサマーワにおいて劣化ウラン弾が使用された事実を認めている。

3 サマーワにおいて劣化ウラン兵器が使用された事実

日本の自衛隊が駐留しているのはイラク南部のサマーワである。劣化ウラン弾は、以下に述べるとおり、その駐留地であるサマーワにおいても使用されたことが明らかである。

(1) オランダ軍がサマーワで劣化ウラン弾を発見した事実

2003年12月27日、オランダ国防省は、「イラク南部のアル・ムサン州に駐留中のオランダ軍が12月10日に劣化ウラン弾の30ミリ砲弾を発見した」と発表した。国際社会問題レビュー(Review of International Social Questions)のスタッフのマーテン・「ヴァンデンバークによると、30ミリ砲弾は、イラクでは、アメリカ空軍のアパッチヘリコプターとA−10ジェット機「イボイノシシ」によってのみ用いられてきているものである。これら航空機は、「イラクの自由」作戦において、サマーワへの空襲に参加したことが知られている。従って、ヴァンデンバークは、「この地域で、同様の砲弾がもっと多く見出される可能性が極めて高い」と見なしている。

(2)オランダ国内での情報操作・反発

この時点でサマーワを含むムサンナ州に1100人の部隊を展開していたオランダでは、イラク派兵に当たり、劣化ウラン弾が兵士の健康に悪影響を及ぼすおそれがあるとして、議会で問題化した経緯がある。

また、オランダの軍要員労働組合連合は、この出来事について懸念を表明している。「先週、国防省の担当者と話をしたが、彼等は今回の出来事について何も言及しなかった」と連合議長のクレイアンは語った。別の労働組合VBMのメンバーは、情報共有に関する国防省のこれまでの合意を挙げつつ、「こうしたことは、人々から隠してはならないことだ」と述べた。さらに別の労働組合AFMPのスポークスマンは、明らかに国防省は情報共有に関して、またもや「だんまり戦術」で逃げようとしている」と感想を述べた。

4 劣化ウラン弾について

(1) 劣化ウラン弾とは

劣化ウラン弾は、徹甲弾(armor-piercing round)として、分厚い戦車の表面を覆う鉄板を貫き穴を開けて激しく燃え上がり、内部の搭乗員と機能の破壊を目的とする砲弾である。

通常の砲弾においては、内部に火薬(炸薬)が詰められ、標的に命中した際に砲弾内部の火薬が爆発することにより破壊を行う。

しかし、劣化ウラン弾は、内部に火薬は搭載されておらず、その材質である劣化ウランの重量が鉄鋼の2.4倍もあるため、鉄鋼弾と同じ重量であれば相対的に空気抵抗が少なくなり、同時に射程距離は長くなって、高速で標的に激突し、戦車等を覆う鉄板に鉄鋼弾の2倍以上の穴を開ける兵器である。

この劣化ウラン弾の材質であるウランは、空気中で熱せられれば激しく燃え、また粉末状になれば熱せられなくとも自然発火するという性質を持っているため、標的に命中する際の衝撃と発熱により激しく燃焼するのである。直撃を受けた人間は、その炎で焼かれ遺体は真っ黒に焼け焦げる。
 
つまり、劣化ウラン弾は、鉄鋼弾であると同時に焼夷弾(incendiary bomb or fire-bomb)としての性質をもつものである。
 
ウランが燃焼して微粉末になると、空気中など至る所に散布されてしまい、呼吸や水・食物の摂取を通じて、体内にも侵入することになるのである。

(2)劣化ウランの性質

ア 劣化ウランとは

ウラン鉱山から採掘した天然ウランには、核分裂を起こすウラン235が0.72%しか含まれておらず、そのほとんど(99.2746%)は核分裂を起こさないウラン238であり、残りの0.0054%がウラン234である。そのため、原子力発電所や核爆弾で使用できるようにするためには、核分裂を起こすウラン235の割合を増加させる作業である「濃縮」が必要になる。この濃縮過程で大量に生ずる残存物が劣化ウランであり、放射性廃棄物なのである。「劣化」という名称からは、害が少ない印象を受けるが、放射線量は天然ウランの60%に相当し、放射線の95%をα線として放出する。α線は透過力が弱く、空気中で数センチしか飛ばず、紙1枚でも遮断できる。したがって、直接人体に接しなければ影響は少ないのであるが、小さな粒子として体内に入ると極めて深刻な体内被曝を引き起こす。

また放射線による毒性だけでなく、重金属毒性も併せ持つ極めて危険な物質である。そして、その半減期は45億年であり、永遠に放射線を出し続けると言える。

イ 劣化ウラン兵器の特性

劣化ウランが最も大規模に利用されているのが軍事兵器であり、既に述べたように、主に貫通能力を高めるために砲弾に搭載される貫通体として、また防御力を高めるための戦車の装甲として利用されている。このウラニウム兵器には主に次の利点があるとされる。

a 金属ウランは、銀白色の金属光沢のある物質で柔らかい性質を持っているが、その重量は1立方センチメートルあたり19グラムであり、鉄の密度の2.4倍もあるものであって、自然界に存在する元素中では最大である。
 
このように、劣化ウランは比重が大変大きく(鉛の1.7倍、鉄の2.5倍)、また硬いため、砲弾の弾芯に利用すると貫通力が増し、厚い鉄板やコンクリートに穴を開けるなど絶大な威力を発揮する。

b 砲弾中に爆薬がなくても着弾の衝撃で発火し、高温で燃えるため、敵の殺傷力が高い。

 原料が放射性廃棄物なので、極めて安価である。

(3)劣化ウラン弾の危険性

ア 総論

アメリカ陸軍環境制作局によれば、劣化ウラン弾が戦車に命中すれば、弾丸の材質をなす劣化ウランの約70パーセントがエアロゾール(直径数ミクロンのセラミック状のエアロゾール、空中を浮遊する酸化微粒子、1ミクロンは1/1000ミリ)に変化し、微粒子となるとされる。
 
この微粒子となったウランを呼吸によって呼吸器内部に取り込んだり、水や食物と一緒に消化器内部に取り込んだりした場合に、人体に深刻な被害を及ぼす。ここでいう深刻な影響とは、劣化ウラン弾が炸裂した地域の周辺住民及びこれを使用した軍人の退役後、その軍人自身の配偶者及び子に、明らかな健康被害が生じるということである。

すなわち、ひとたび体内にウラン粒子を吸入すると、粒子はまず気管や肺組織に付着する。この粒子は、その殆どが不溶性であるため、血液に溶けにくく、長期間残留する。そして、残留した粒子が放つアルファ線は近傍の組織を被曝させ続ける。それにより細胞や遺伝子を変容させ、ガン、白血病、リンパ腫、先天性障害を引き起こす。そして徐々に血液、リンパ液へ吸収され、全身にわたる様々な疾病、障害を引き起こすのである。また、吸入以外にも経口摂取や傷口から血流に進入し体内に入り込む。

このような極めて恐るべき兵器を、米英軍はイラクに大量にばらまいた。戦争中のみならず、戦後も、その影響を人々は自らの体を蝕まれながら生きていかなくてはならない。米英軍は、劣化ウラン兵器が投下された瞬間にかけがえのない命を奪っただけでなく、生きている人間にも、さらなる永遠の苦しみを背負わせてしまったのである。

イ 湾岸戦争後の身体被害

劣化ウラン弾が、初めて目に見える形で出てきたのは、いわゆる湾岸戦争であるが、その後、イラク住民やイラク兵士、米軍帰還兵やその配偶者や子に対する被害が生じていることは明らかとされている。
1991年1月の湾岸戦争で、米軍は320トンの劣化ウラン兵器をイラクに投下した。
戦後イラクでは、戦前には見られなかった奇妙な現象が多発した。1家族に何人もガン患者が出たり、1人の患者が数種類のガンを発症するなど、急激な勢いでガン、白血病、再生不良性貧血および悪性腫瘍、免疫不全による感染症、大規模な発疹および帯状発疹性疼痛、エイズに似た症候群、肝臓と腎臓の機能障害による症候群、遺伝子欠陥による先天性形成異常(先天性障害)などが多発した。そして、特に胎児や抵抗力の弱い子どもたちに被害が生じた。湾岸戦争の戦場に近い南部の都市バスラでは、被害は極めて深刻であった。バスラ教育病院の医師によると、がんによる死亡者数は湾岸戦争前の1988年の34人から、2001年には603人と17倍に増加している。

具体的な被害の内容については、イラク住民、とくに若い女性や子供に、白血病、悪性リンパ腫、骨髄腫、肺ガン、甲状腺ガン、乳ガン、子宮ガン、腎臓ガン、肝臓ガン、脳腫瘍等の各種ガンが多発している。ガンだけではなく、免疫不全による感染症、腎臓や肝臓の疾病、呼吸器系疾病、関節炎、妊娠異常も多発している。

また、湾岸戦争退役兵のうち、イラクにおいて劣化ウランの粒子を吸入したりして体内に劣化ウランを残留して被曝した可能性のある元軍人の4割以上が、各種ガン、免疫不全、腎臓・肝臓の慢性疾患、気管支障害等の障害を訴えて退役軍人省に治療要求を行っている。
    
このような傾向は、イギリス軍の湾岸戦争帰還兵にも見られる。


5 劣化ウラン兵器が、イラク復興支援職員及び自衛隊の部隊に影響を及ぼすこと

(1)劣化ウランと健康被害との因果関係

この劣化ウランと各種ガン等の健康被害との因果関係については、現時点においても様々な議論があるものであり、確定的な結論は出ていない。

しかし、そもそも、この劣化ウランと各種ガン等の健康被害の被害国における科学的・医学的な立証は非常に困難であると言わざるを得ない。

ここで問題とすべきは、イラク特措法第9条が内閣総理大臣と防衛庁長官に課した、イラク復興支援職員及び自衛隊の部隊がイラクで活動するに際し、それらの生命・身体につき、安全を確保すべき義務を十分に果たしているとはいえない状況が、サマワ及びこれを含んだイラク全土に存在しているという違法状態である。
将来、サマワから帰還したイラク復興支援職員及び自衛隊員に、イラク国民及び米英をはじめとする帰還兵に見られるような各種ガン等の健康被害が生じることは当然に予見されるところである。

(2)イラク特措法第9条との関係

イラク特措法第9条が内閣総理大臣及び防衛庁長官に対して課す安全配慮義務は、このような被害が明るみに出た際に事後的に救済することを要求するものではなく、ましてや、その健康被害とイラクでの活動との因果関係を否定することでもなく、まさに、事前にそのような被害発生を食い止めるための予防の措置を取ることを要求しているものである。

そうすると、少なくとも、湾岸戦争以来、全世界的にその被害が問題視されている劣化ウラン弾の脅威にさらされているサマワにおいて、漫然とイラク復興支援職員及び自衛隊の部隊を作業に従事させる行為は、それらの生命・身体に対する事前の予防措置を取るべきことを要求するイラク特措法第9条に違反するものというべきである。

(3)政府の劣化ウランについての認識

劣化ウラン弾の問題については、従前より問題となっていたこともあり、政府も、関心を示してきたものであるが、国会においても、以下のようなやり取りがなされている。

 「第153回国会 沖縄及び北方領土問題に関する特別委員会

2001年11月21日
 ・原口一博議員

私は、国連の経済制裁、軍事行動でなければ経済制裁は許されるんだというスタンスには立ちません。経済制裁がどれほど多くの人道的な、そして罪のない子供たち影響を与えるかということを、もうここらで精査するときに来ているというふうに思います。

こういう人道に対する兵器は、国連の人権委員会の小委員会の中で、1996年、しっかりと決議しているのです。劣化ウラン弾やクラスター爆弾、核爆弾といった人道上問題がある大量無差別殺戮兵器について、国連の人権小委員会は、人権、特に命への権利の享受に不可欠な条件としての国際の平和及び安全と題して決議を出しています。そこには、核兵器、化学兵器、ナパーム、そしてクラスター爆弾、生物兵器及び劣化ウラニウムを含有する兵器などというのが、しっかりと列記をされています。

これらの兵器の使用がもたらす悲惨な死、苦痛及び傷害、人間の生活及び健康、環境に与える長期的な影響、汚染され、遺棄された装備が生命に対する深刻な危険を明確に示しています。これは国連の決議です。

さて、どうでしょうか。私たち、沖縄には劣化ウラン弾がどれくらい置いているのか、それはわからない。しかし、米軍がこれを持ち込んでいることは確認されています。

・・・外務大臣、こういう兵器に対しての基本的な認識をお伺い致します。

・田中眞紀子外務大臣

今、原口議員がご指摘になっておられますのは、1996年の人権、特に生命に対する権利の享受のための必須条件としての国際平和と安全を指すというふうに思われます。同決議は、前文の中で、今、委員がおっしゃったように、大量の非差別破壊兵器の製造、使用等は国際的な人権及び人道法と両立しないということを述べている。そして、その上で、全ての国が劣化ウラン弾やクラスター爆弾等の製造及び拡散を制限することを要請しているということであります。

これはご不満かも知れませんが、この決議というものは、個人の資格で構成されている小委員会によって作成されたものであって、法的拘束力は有するものではないということもご案内であると思いますが、それを踏まえましても、そういう劣化ウラン弾の問題、それから、今、委員がおっしゃっていませんけれども、デージーカッターの問題もありますし、今回のテロに関連しましては、そういう兵器、それからクラスター爆弾も、あらゆる委員会で指摘をされております。」

 「第155回国会 衆議院予算委員会

2002年10月24日

・海江田万里議員

イラクの攻撃の問題で、実は各議員の皆さん方に「チルドレン・オブ・ガルフウォー」という湾岸戦争の時の子供たちの写真集があるわけでございますが、この中で劣化ウランの問題ですね。これは、もう一つの別の核戦争だというような表現もございまして、私は、こういう問題を大変危惧しておりますので、日本ももっと、一部のNGOの方々はこういう支援活動をやっていますが、政府も、こういう劣化ウラン弾、間接的に被曝をしたり、あるいは直接的に被曝をした子供たちの救助のために何らかの形の救済の手を伸べることが必要ではないだろうかというふうに思うわけでございますが、総理、いかがでしょうか。

・川口順子外務大臣

劣化ウランの問題につきましては、私どもも関心を持っておりまして、きちんとそのように対応をしていきたいと思っております。」

このように、政府は、2001年あるいは2002年の段階で、劣化ウラン弾が少なくとも、世界的に人道上、あるいは極めて危険性の高い兵器として認識されていたことを認めているものである。

(4)安全配慮義務違反

内閣総理大臣及び防衛庁長官は、このような政府の認識の中で、劣化ウラン弾等の危険性を無視する形で、イラク復興支援職員及び自衛隊の部隊等をイラク本土に派兵したものである。

劣化ウラン弾の危険性については、少なくとも2002年ころまでには、その危険性が極めて大きな兵器であることが判明している。

そうすると、その後において、内閣総理大臣及び防衛庁長官が、そのような危険性著しい兵器及びこれにより害された環境に、イラク復興支援職員及び自衛隊の部隊等を漫然と派遣し、また、そこから撤退するよう積極的な行為に出なかった不作為は、同法9条に違反する違法行為であるというべきである。
ある兵器の安全性に疑惑がある限り、これにより、イラク復興支援職員及び自衛隊の部隊等の生命・身体に対する危険が消え去ったものとは評価できない以上、相手方の生命・身体を害してはならない安全配慮義務を尽くしたものとは評価できないからである。

 「要員候補の家族も不安を隠せない。幼児を抱える隊員の妻はうつむき、『何もしてやれないのが辛い。とにかく無事に帰ってきて欲しい』と、声を絞り出すのがやっとだった。」(熊本日々新聞平成17年10月4日)

 原告らの思いは、まさに自衛隊員のご家族の思いでもある。

この安全配慮義務に違反する行為は、原告らの平和的生存権を侵害し、原告らに精神的苦痛を与える内容の行為と言うべきである。

以 上


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第6章(39〜148頁) 目次

第6章 自衛隊のイラク派遣の違憲・違法性

第1 イラク戦争の実態と日本の関与
 1 イラク戦争の発生と終結・占領統治の経過
 2「戦闘終結宣言」以降のイラク情勢
 3 イラク移行政府発足後

第2 イラク派兵行為が憲法9条に違反すること
 1 自衛隊イラク派兵は「武力の行使」(憲法9条1項)に該当し違憲である
 2 事実関係を直視すべきこと
  (1)陸上自衛隊の活動実態
  (2)航空自衛隊の活動実態
 3 結論

第3 自衛隊イラク派兵はイラク特措法違反である
 1 自衛隊イラク派遣は本来違憲である。
 2 イラク特別措置法の構造
 3 イラク特措法の要件
  (1)「施政を行う機関の同意」
  (2)平成16年6月28日以前は「イラク特別代表」の同意が要件
  (3)平成16年6月28日以降は自ら運営する移行行政機関の同意が要件
  (4)同意要件のまとめ
 4 自衛隊のイラク派遣につきイラク特措法第2条第3項1号の同意はない。
  (1)イラク特措法第2条第3項第1号の同意はない
  (2)平成16年6月28日以前に「イラク特別代表」の同意は無い。
  (3)平成16年6月28日以降も自ら運営する移行政府機関の同意は無い。
 5 以上
 6 イラク特措法第2条3項戦闘地域への派遣、同法2条2項の武力の威嚇・行使に該当し違法
  (1)日本国憲法を前提にしたイラク特措法の解釈
  (2) 自衛隊イラク派兵は、イラク特措法違反である

第4 イラク戦争と国際法違反
 1 はじめに
 2 国際法の到達点
 3 ウィラマントリー国際司法裁判所元判事の見解
 4 米・英の国際法違反と日本
 5 国際法違反行為の効果
 6 国際条約における人権条項のイラク戦争による侵犯

第5 政府は安全配慮義務(イラク特措法第9条)に違反している
 1 はじめに
 2 イラクにおける武器使用
 3 サマーワにおいて劣化ウラン兵器が使用された事実
 4 劣化ウラン弾について
 5 劣化ウラン兵器が、イラク復興支援職員及び自衛隊の部隊に影響を及ぼすこと

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