自衛隊イラク派兵違憲訴訟の会・熊本
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資料 2005.12.28

第3準備書面

第1 自衛隊派遣の延長
第2 最近のイラク情勢
第3 イラクにおける近時の治安状況
第4 平和的生存権の憲法的意義
第5 イラク戦争と国際法違反
第6 国際条約における人権条項のイラク戦争による侵犯



平成17年(ワ)第367号
自衛隊イラク派遣差止等請求事件
 原  告    藤  岡  崇  信
                              外45名
                被  告    国

原告ら第3準備書面

 2005年12月28日
熊本地方裁判所
    民事第2部 御中
原告ら訴訟代理人
                   弁 護 士   加  藤    修
   外
はじめに

本準備書面は,これまで原告が主張してきた自衛隊のイラク派遣の違憲性,違法性に関して,最近の情勢を主張するとともに,憲法論的な要約と国際法の観点からその派遣が違法であることを主張するものである。



第1 自衛隊派遣の延長

1 政府の延長決定

政府は2005年12月8日,イラクへの自衛隊の派遣を2006年12月14日までの1年間延長する旨の決定をした。これは,自衛隊イラク派遣の基本計画を変更したものである。

具体的な変更計画の骨子としては,1年間の延長のほかに,人道復興支援活動は,@イラク国民議会選挙や新政府樹立などイラクの政治プロセスの進展,Aイラク治安部隊への権限移譲など現地の治安,Bムサンナ州で任務に就く英豪軍など多国籍軍の活動をよく見極めつつ,復興の進展も勘案し適切に対応するとされている。

延長の理由は必ずしも明確ではないが,自衛隊の活動がイラク政府や住民から評価されているとして,国連安保理におけるイラクへの多国籍軍派遣延長を決議したこと及び2005年11月に,イラクのイブラヒーム・アル・ジャフアリ首相が小泉総理と会ったときに,イラクへの自衛隊派遣を続けてもらいたいという話があったことが挙げられている。

しかし政府は,自衛隊を武器を携行しながら海外で展開することについてまともな説明責任を果たしたとはとうてい言えないし,説明責任を果たそうともしていない。なぜ1年間イラクの自衛隊派遣を延長するのかという国民の率直な疑問に対して答えが出ていたとは思えない。

小泉総理は「1年延長する中でも,治安状況,イギリス軍,オーストラリア軍をはじめとする多国籍軍の活動状況と構成の変化など諸事情を見極めながら,現地の復興の進展状況等を勘案して適切に対応する」と述べている。しかし,「適切に対応する」ということは何も語っていないに等しい。

国連安保理決議で多国籍軍の派遣延長が認められたということであるが,自衛隊は多国籍軍ではない。そしてイラク首相から言われたからということも,どのような任務を求められたのかについて,小泉総理は具体的には答えず,ただイラク首相から言われたから必要だと言うばかりで,何を行うために自衛隊の存在が必要なのかについては,明確な答弁も出来ていない。

2 国会軽視

そもそもこのような大きな物事を決めるにあたっては,国会閉会中に行うのではなく,国民への説明責任を果たすためにも国会を開いて議論すべきである。国会では,特別国会が11月1日で終了し,その後野党が一致して臨時国会の開会を要求しているもののこれが無視されたままとなっている。

もともとイラク戦争自体に反対するのが大多数の国民世論であり,そしてアメリカをはじめ派遣した国々からも「戦争の大義」について大きな疑問が示されている。アメリカが攻撃の根拠とした大量破壊兵器はついに見つからなかったし,同時多発テロとイラクとの関連もなかった。この点は,最近ブッシュ大統領でも認めざるをえなくなっている。

このような事態を踏まえ,なぜ1年間の派遣延長を決めるのか,これについては国民に正確な情報を提供するとともに平和憲法を有する日本としてどのような国際貢献がふさわしいかなどについて,国会での開かれた議論こそが望まれるところであるが,これも無視された格好である。今回の派遣延長には,従来よりまして問題が多いと言わざるを得ない。

 3 不当な延長決定

第1に,自衛隊の任務・役割は終了しているということである。給水活動は基本的には終わっており,建物の修繕などは本来イラク人自身が行うべきで,任務を終えているのに1年間延長というのはおかしい。例えば,陸上自衛隊による給水活動は,2005年2月4日,ODAにより宿営地近傍に設置した浄水設備が稼働したことから給水支援活動は終了しており,このことは政府も認めている。

第2に既に再三にわたって指摘されていることではあるが,「戦闘地域」「非戦闘地域」とイラク国内を分けること自体が誤っている。「非戦闘地域だから安全だ」と言いながら,額賀防衛庁長官が2005年12月に現地を訪れた直後に「ノージャパン」などと言われて投石騒ぎがあったように,決して治安は安定している状況ではない。派遣延長を決めて自衛隊が安心して活動できるという状態では決してない。

政府は,イラク移行政府のジャファリ首相から派遣延長を要請されたとしているものの,他方,カイロで開催されたアラブ連盟主催の復興会議ではイスラム教シーア派,スンニ派,クルド人勢力からなるイラク代表団が,一致して外国軍の撤退を求める声明を発表していることを重視すべきである。

当たり前のことであろうが,外国部隊が居座ることを快く思うイラク人はほとんどいないであろう。

第3に,イギリス軍,オーストラリア軍が2006年5月にも撤退を考えている時に,自衛隊が延長決定するというアンバランスが指摘される。しかも自衛隊は他の国に守られながらでないと活動できないと言いながらであるから,なおさらであろう。額賀防衛庁長官自らも,自衛隊は他の国に守られないと活動できないことを最近でも認めている。

自衛隊撤退についても,行政調整に3ヵ月,物理的な撤退に3ヵ月,つまり政治的決断から撤退完了までに6ヵ月かかるのであり,そのくらい先を見る必要があり,イギリス軍,オーストラリア軍が来年5月に撤退するならば,その前であるまさに今こそ自衛隊撤退が必要である。

4 マスコミも批判

政府の延長決定については,マスコミ各社から厳しい批判が相次いでいる。

朝日新聞は,その社説のなかでこの延長を批判し,「速やかに撤退の準備を」と訴えている。またその理由として,治安は改善されていないことや当初の目的は果たしたことを指摘している。その他,毎日新聞,熊日新聞なども同様の論調である。

国民世論も同様であり,朝日新聞社が11月26,27日に実施した世論調査で,12月に期限が切れるイラクへの自衛隊派遣の延長について賛否を聞いたところ,「反対」が69%で過去最多となった。内閣や自民支持層でも,反対は6割近くに達した。それに対し「賛成」は22%に止まっている。

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第2 最近のイラク情勢

1 悪化している治安情勢

すでにブッシュ大統領の戦闘終結宣言から2年が経過しているにもかかわらず,イラク国内では連日のように米軍やイラク治安当局に対する攻撃,そしてこれに対するイラク市民をも巻き込んだ米軍の攻撃が続いている。すでに戦争が始まった2003年3月19日以降の米軍の死者は2100名を超えており,その他の多国籍軍の例えばイギリス軍が65名,イタリア軍が24名など多数にのぼっている。

他方罪もないイラクの子どもも含めて大量のイラク市民が殺害されており,その数は10万名を超えると推定されている。最近,ブッシュ大統領でも約3万人のイラク市民が犠牲になっていることを認めている。

自爆テロに怯えた米軍が味方を誤まって射殺するという事件も発生している。まさに泥沼化しているのが現実であり,改善の兆しすらない。

自衛隊が派兵されているサマーワ周辺の治安情勢は,最近でも手榴弾が投げ込まれたり,パトロール中のイギリス軍兵士が銃撃を受けたり,爆発物が爆発したりと枚挙にいとまがない。

その他,イラク全土における事件も頻発しており,一度に数十人の人が毎日のように殺戮される状況である。ちなみに最近2ヶ月程度でも以下のような事件が報道されている。

2 最近の主な治安事件

2005年9月中旬から11月中旬分について記述する。
9月14日 バグダッドのカーディミーヤ地区でのテロを含め11件の連続テロが発生,少なくとも150人死亡。
9月19日 南部バスラで発生した英軍兵士2名の拘留事案に関し,英軍が突入作戦を実施し,同兵士2名を救出した。
9月29日 中部バラドで自動車による自爆テロが3件連続し,約100人が死亡
10月11日 バグダッド及び北部タルアファルで自爆テロが発生,イラク内務省によると計60人死亡。
10月12日 北部タルアファルで自爆テロが発生,少なくとも31人死亡。
10月24日 バグダッド中心部で自爆テロが連続して発生し,少なくとも10人死亡。
10月29日 中部バークーバ近郊の市場で車爆弾が爆発,内務省報道官によれば少なくとも30人死亡。
10月30日 バグダッドでイラク政府高官に対する襲撃が2件発生,首相補佐官ら4人死亡。
10月31日 南部バスラで自動車爆弾が爆発,20人死亡。
  11月2日  バグダッド南方ムサイブのシーア派モスク付近で自動車爆弾が爆発,少なくとも23人死亡。
  11月7日  サマーワの陸自宿営地にて,発射音及び飛翔音を確認。宿営地外に砲弾が着弾した可能性あり。
  11月10日  バグダッド中心部の食堂で自爆テロが発生し,35人死亡。
  11月18日  イラン国境に近い中部ハナキンにあるモスクで連続自爆テロ発生,77人死亡。
  11月19日  バグダッド北東の町で自爆テロ発生,少なくとも35人死亡。バグダッド南部のディヤラでも15人死亡。

3 多国籍軍の動向

イラクに派兵された多国籍軍も次々に撤退をしており,例えば以下の通りとなっている。

サイジアラビア (2003年12月)
ニカラグア(2004年3月)
スペイン,ホンジュラス,ドミニカ(2004年4月)
フィリピン(2004年8月)
タイ,ニュージーランド(2004年9月)
ハンガリー,トンガ(2004年12月)
ポルトガル,モルドバ(2005年2月)
オランダ(2005年4月)

その他,イタリアは2005年9月から大幅な段階的撤退を行い,韓国も1000人削減を打ち出し,イギリス,オーストラリアも2006年5月には撤退すると言われている。まさに撤退が世界の流れである。

国内でも撤退を求める声が日増しに大きくなり,民主党も2005年10月6日にはイラク特措法廃止法案を国会に提出している。

4 自衛隊の活動

自衛隊がイラクで実際に何をしているか,これも問題であり,人道復興支援活動という名目で,実際は米英軍との事実上の戦闘共同行動訓練をも行っている。結局,イラク国民の期待には全く応えるものにはなっていないことも明らかになってきている。現に,2005年6月にはサマーワで自衛隊車両4台が通行中,道路脇に仕掛けられた爆弾が遠隔操作により破裂したり,同年12月には「ノージャパン」と叫ぶ住民からの投石行為も発生しており,不満は鬱積している。

特に航空自衛隊は,陸上自衛隊が撤退した後も米軍の要請を受けて物資輸送業務に従事するため存続するのではないかと危ぶまれている。この点についても,政府は,現地の状況を勘案しながら決めるという曖昧な態度に終始している。

5 イラク戦争反対の動き

もともと9・11事件に端を発したイラク戦争は「イラクに大量破壊兵器が存在する」という虚偽の情報を前提に起こしたもので,国際的にはすでに大義なき戦争,国際法に違反したものであったことが明らかになってきている。

アメリカでさえイラク戦争反対のデモが繰り広げられ,この動きは全米各地に拡がっている。反戦の母シンディ−・シ−ハンらを中心として反戦運動の高まりはかってないほどであり,2005年9月24日ワシントンではイラク戦争開始以来最大となる30万人規模の反戦行動が実施され,「米軍を今すぐ帰還させよ」とのスローガンのもとにブッシュ大統領に強い抗議行動を行っている。

アメリカの最近の世論調査の結果では,ブッシュ大統領の支持率も次第に低下し,支持率は30%台まで落ち込み,共和党内からもイラク戦争の失敗を突き上げられる有様となっている。またアメリカの世論調査では,米国は自国のことに専念すべきだという意見の割合はベトナム戦争直後よりも多いとされている。

こうした動きを受けてブッシュ大統領も2006年度中に在イラクの米軍兵力を10万人まで減らすとの「出口戦略」を打ち出さざるを得なくなってきている。また最近,ブッシュ大統領はイラク戦争が誤った情報,すなわちイラクが大量破壊兵器を有しているとかテロリストをかくまっているなどということによってもたらされたものであり,その責任は自分にあることを認める発言をしている。

イラク戦争に傾注するあまり,カトリーナなど相次ぐハリケーンでは,ニューオーリンズ市らを中心にして黒人の冷遇,防災の弱体化も指摘されている。アメリカにおける矛盾もますます激化してきている。

6 小括

以上のような現地イラクの情勢や世界情勢を見るにつけて,自衛隊イラク派遣延長によって,ますます日本の平和憲法とはかけ離れた事態を生み出している。一刻も早い撤退こそ日本のとるべき道である。

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第3 イラクにおける近時の治安状況


以下のように,近時もイラク国内の治安は安定するどころか不安定さを増し,陸上自衛隊が駐留するサマワにおいては治安状況が過去最悪になったとすら報じられている。
 (末尾の括弧内の数字は,対応する甲3号証(新聞記事)の枝番号)
2005年
10月5日 イラク中部ヒッラーで爆弾テロが起き,少なくとも25人が死亡,80人が負傷した。(98)
    10日 英国のリード国防相が,イラク駐留英軍を500人削減し,サマワ撤退の可能性についても触れる内容の議会報告を行なった。(100)
11日 イラク北部タルアファルの商店街で自動車爆弾テロがあり少なくとも33人が死亡するなど各地でテロが続発し,少なくとも43人が死亡,106人が負傷した。(101)
12日 イラク北部の新兵採用施設でテロが起き,少なくとも31人が死亡,35人が負傷した。また,サマワ郊外でオーストラリア軍部隊の軽装甲車3台が銃撃を受けた。(102,103)
14日 サマワの陸上自衛隊宿営地付近で爆発音がしたとの情報が警察に寄せられた。(105)
15日 新憲法案の是非を問う国民投票が開始されたが,前日からイラク全土で投票所への攻撃や選管職員の拉致など妨害が相次いだ。また,中西部ラマディでは武装勢力が駐留米軍を路上爆弾で攻撃し,米兵5人が死亡した。(106)
16日 サマワでイラク軍警察の車両2台が武装勢力に機関銃で攻撃され銃撃戦となった。また,サマワ郊外で警察官一人が銃撃を受け死亡した。(106)
17日 米軍がイラク中西部ラマディ付近で空爆を行ない,武装勢力約70人を殺害した。(107)
19日 英紙ガーディアンの記者がバグダッド近郊で誘拐され行方不明になった。(108)
20日 旧フセイン政権幹部の戦争犯罪を裁く特別法廷にフセイン元大統領らと共に起訴されたバンダル元革命裁判所所長の弁護士がバグダッド市内で武装勢力により拉致され,射殺体で見つかった。(109,110)
21日 サマワで反米指導者サドル師派の代表が「サマワ駐在の陸上自衛隊に自爆攻撃を仕掛ける」旨警告した。また,中部ファルージャ近郊で米軍車両が爆弾攻撃を受け米兵2名が死亡した。(111,113)
22日 陸上自衛隊第八師団を主力とする部隊が,治安が過去最悪の状況となっているとされるイラク・サマワへ派遣された。(112)
24日 バグダッド中心部の,外国人が多数宿泊しているホテルが武装勢力による,ロケット弾2発と自動車爆弾3台による攻撃を受け,少なくとも17人が死亡した。(114,115,116)
25日 イラク戦争開戦後の米兵死者が2000人に達した。また,負傷者は1万5000人に達し,うち7100人以上は軍務復帰が困難な状態となった。(117,119)
27日 バグダッド近郊でシーア派の反米指導者サドル師の民兵組織とスンニ派武装勢力及び警察との間で銃撃戦があり25人が死亡した。(120)
29日 バグダッド北東部で車爆弾が爆発し,少なくとも12人が死亡,20人が負傷した。また同日,AP通信は,2004年1月以降,武装勢力の攻撃で死傷したイラク人が2万6000人に上ると報じた。(121,122)
31日 イラク南部バスラの繁華街で車爆弾テロがあり,20人以上が死亡,約40人が負傷した。(123)
11月7日 サマワの陸上自衛隊宿営地に砲撃があるなどサマワで陸自や警察等への攻撃が3件続き,警官とタクシー運転手が負傷した。(126)
10日 バグダッド中心部で自爆テロが起き,36人が死亡し多数が負傷した。また,北部ティクリートでもイラク軍の募集に集まっていた人々を狙って車爆弾が爆発,10人が死亡した。(127)
11日 バグダッドのオマーン大使館が銃撃され2名が死亡,2名が負傷した。(128)
15日 サマワの英軍司令官が,2006年春にも英軍及び豪軍がサマワより撤退するとの見通しを示した。(129)
18日 イラク中部ハナキンのモスクで自爆テロが起き少なくとも65人が死亡,75人が負傷した。(131)
19日 中部ハディーサで武装勢力が米軍・イラク軍と交戦し米兵1人と武装勢力8人が死亡,一般市民も15人が死亡した。また,北部バイジ付近でも米軍部隊が2箇所で攻撃を受け,米兵5人が死亡,5人が負傷したほか,中部バクバ近郊でも葬列に自動車爆弾が突っ込み自爆して50人が死亡した。バグダッドの市場でも車爆弾テロが起き少なくとも13人が死亡,21人が負傷した。北部モスルではパトロール中の米兵2人が小火器による攻撃を受け死亡した。(132,134,136)
20日 イラク中部で,日本のイラク復興支援に関する機材の輸送を終え走行していたトラックの車列で爆弾が爆発し,車一両が破損してイラク人警備員1人が死亡した。(135)
21日 バグダッド西方ハバニヤ付近で米軍車両が爆弾攻撃を受け米兵1人が死亡した。(136)
22日 北部キルクークで警官を狙った自爆攻撃があり,少なくとも21人が死亡,24人が負傷した。(136)
24日 バグダッド南方マハムディヤで自爆攻撃があり,32人が死亡,38人が負傷した。(137)
12月3日 イラク中部オダイムで武装勢力の攻撃によりイラク兵11人が死亡,少なくとも2人が負傷した。(138)
4日 サマワ近郊で陸上自衛隊の車列にデモ隊が投石し,車両が破損するという被害が生じた。(138)
6日 バグダッド東部の警察学校で男2人が自爆し,警官ら38人が死亡,76人が負傷した。(139)
8日  バグダッド中心部で満員のバス内で自爆テロが起き30人が死亡,20人が負傷した。(140)
12日 サマワの陸上自衛隊宿営地付近で,陸上自衛隊に対する砲撃と思われる爆発音が聞こえた。(141)
13日 2004年4月に起こった日本人人質事件で解放交渉の仲介役を申出た人物で,15日投票のイラク総選挙に立候補していたドレイミ氏が銃殺された。(142)
15日 イラク連邦議会選挙が行なわれた15日,イラク各地で投票所等を狙った攻撃が起き3人が死亡した。(143)
17日 17日夜から18日にかけ,バグダッドなどで武装勢力による,警察官や政党幹部の親族を狙った襲撃事件が相次ぎ,少なくとも17人が死亡した。(144)
21日  陸上自衛隊が駐留するサマワ市内で英軍の車列が手榴弾による攻撃を受けた。(145)
以上のように,イラク(サマワも含む)の治安は依然として極めて悪く,武装勢力による襲撃・テロや,米英軍・イラク軍と武装勢力との交戦も頻発しており,安易にサマワを「非戦闘地域」と判断することは許されない。

サマワが非戦闘地域に該当するか否かは,イラク特措法による陸上自衛隊派遣の中心的な要件である以上,その判断が困難である場合は,現地に赴いて検証する等の方策を講じることが必要である。

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第4 平和的生存権の憲法的意義

1 基本的人権と平和主義
(1)日本国憲法の平和主義
ア 日本国憲法の前文及び9条の規範の内容 

日本国憲法の前文及び第9条は,平和主義を謳っているが,それは国民主権,基本的人権の保障,議会制民主主義,地方自治が実現されるための前提であるとともに,これら現代立憲主義によって支えられるべきものである。

憲法前文には次の内容が含まれている。即ち,
戦争の惨禍が過去の政府の行為によってもたらされたことの確認と,そのような戦争の惨禍がこの憲法の下で樹立される政府の行為によって将来再び起こることのないようにする決意
主権を維持し,他国と対等関係に立つ国の責務として,自国のことのみに専念して他国を無視してはならないとして国際協調主義をとり,わが国,国民の安全と生存の保障は平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼によることで軍事的中立主義をとっている。
全世界の国民が,ひとしく恐怖と欠乏から免かれ,平和のうちに生存する権利を有するとし平和的生存権の確認をしている。
イ 憲法9条と前文の関係
日本国憲法は,前文で謳った恒久平和主義を,憲法第9条で客観的制度として保障しているといえるのである。
a  9条1項の意味
憲法第9条1項は「国権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は武力の行使は,国際紛争を解決する解決する手段としては,永久にこれを放棄する」と規定しているが,これは国際法上違法とされている侵略戦争,国策遂行手段としての戦争の放棄をうたったものであるが,さらに自衛権の行使目的の戦争についても放棄していると解すべきである。
9条2項の意味
そして第1項を徹底するため,憲法第9条2項は「前項の目的に達するため,陸海空軍その他の戦力は,これは保持しない。国の交戦権は,これを認めない。」と定めている。この第1項,第2項により一切の戦争遂行,戦力保持,交戦権行使を否認したものになるのである
ウ 憲法前文の規範性
憲法前文の裁判規範性の存否は,既に第1準備書面で述べているとおり,前文を全体として一律に論じるのではなく,前文の諸規定を各別に眺めて,それぞれの具体性の有無を検討し,それによりその存否を判断すべきであると主張している。したがって,平和的生存権,すなわち,前文中の「平和のうちに生存する権利」規定についても,その具体性いかんが問題となる。

憲法典が平和のうちに生きることを「権利」と明言していることに意義があるというべきである。すなわち,法理上,実定憲法が或る事項を「権利」と定めた以上,それは,たんなる理念ないし政治宣言ではなく,公権力と国民の間の権利・義務関係の問題となる。したがって,平和のうちに生きる「権利」については,国民の側からすれば,平和のうちに生きることを,国家が平和政策を行なったことの反射的利益としてではなく,法に裏打ちされた権利として自ら積極的に主張・要求することができ,他方,国家の側は,平和政策の遂行を国民に対する関係で義務づけられるのである。そしてまた,「権利」とされた事項は,裁判所によって救済・実現されるのでなければならない。このような原則からすれば,憲法前文にわざわざ「権利性」が明記されている平和的生存権については,原則的には裁判規範性があるというべきであり,特段の理由あるいは反証がないかぎりはその裁判規範性を否定することはできないというべきである。
2 平和的生存権の憲法上の根拠
(1)平和的生存権の実定憲法上の根拠
平和的生存権の実定憲法上の根拠は,憲法規範においては,前文において「平和のうちに生存する権利」を国民の「権利」として定めていること,9条が戦争の放棄と武力の不保持を政府に命じて客観的制度として保障していること,そして第3章が「国民の権利及び義務」と題して,10条から40条にわたって個別の人権を保障していることである。
 即ち,日本国憲法が,前文で,「われらは,平和を維持し…ようと努めてゐる国際社会において,名誉ある地位を占めたいと思ふ。」,「日本国民は,国家の名誉にかけ,全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」等の,平和へのまことに強烈な決意を示した上で,戦争と戦力を全面的に放棄する徹底した平和主義の姿勢をとり,さらには,伝統的には統治機構の一部である「戦争の放棄」を第2章として,人権と統治機構に先行させているところにも示されているように,戦争の放棄を人権と民主主義の前提条件と位置づける構造をもっていることを重視しなければならない。

そこで,「憲法前文の平和的生存権規定」,「9条」,そして「13条を主要とする第3章の人権規定」が複合的に,平和的生存権の根拠をなしていると解すべきである。
(2) 複合的権利の意味
9条は,公権力に対する命令の言明であって,公権力のする作用の方向を定め,またそれに枠をはめることを内容とする平和的生存権に対する客観的保障規定である。9条は,その文言,また権利章典たる第3章でなく第2章として,つまり第1章の主権規定の次に置かれたその位置をみても,公権力に対する命令の規定であって,客観的な制度についての条文であるといわざるをえない。他方,前文の平和的生存権規定は,文言のとおり「権利」の規定である。また,第3章各条項が,諸々の主観的権利ないし自由についての規定であることはいうまでもない。

重要なのは,上記の各要素を正しく結合させることである。9条を権利規定とみることも解釈論として妥当でなければ,だからといって,前文を9条から切り離して,前文の平和的生存権の中に過多の内容を入れ込んで解釈することも,適切な方法ではない。すなわち,9条は,それだけでは客観的制度規定としての意味しかもたないものであるが,主観的権利としての平和的生存権と結びつくことによって,9条に違反して政府が行なった行為について,それを裁判上,具体的な平和的生存権侵害であると主張しうると解すべきである。

また同時に,平和的生存権は第3章の個別の人権とも結合して理解すべきである。たとえば,平和的生存権が18条と結びつく場合には国民の「徴兵からの自由」が導かれ,また19条と結びつく場合には国民の「良心的兵役拒否の自由」が導かれ,さらに25条の生存権と結びつく場合には国民の「軍事徴用を受けない自由」が導かれることになる。

さらに,平和的生存権が3章の個別の人権と結びつかない場合,つまり9条違反の国家行為がありながら3章の個別の人権の侵害は惹起されていないため,平和的生存権を右個別人権と結びつけて主張できない場合でも,後述するように,一定の条件が充足されるなら,平和的生存権のみを援用して,これを独自で主張することができると解すべきである。

平和的生存権が前文にのみ規定されて,憲法第三章の中に「文言として」規定されなかったのは,憲法第9条で戦争を放棄して平和国家を宣言している以上,当然のことであるとして明文化されなかったにすぎず,第三章に明文がないからといって具体的権利でないとは言えないと言うべきである。
(3)平和的生存権の具体的内容
「平和的生存権」が他の人権の結びつきえない領域において,独自で主張されるものであることは,既に何度も主張しているところであるが,憲法第3章の人権ではカヴァーできない事柄について,平和的生存権を独自の人権として取り扱い,単独にその意義を主張することができると解すべきである。

そして平和的生存権は,この場合にも裁判規範としての性格をもちうると解される。もっとも,こうした場合の裁判規範の構築にあたっては,権利を硬質で確かなものとするため,謙抑的な姿勢を保持し,ある程度厳しい限定を付すべきであり,「その侵害の危険性が重大かつ根本的である場合」に,平和的生存権それ単独でこれを裁判規範とすることができるというべきである。

本件においては,国の自衛隊派遣行為によって,国民の平和に生きる環境が現実に危機にさらされ,それゆえ平和的生存権が重大かつ根本的な侵害を被っている状況の下では,この権利自体を裁判規範たる権利として扱うことが否定されてはならないのである。
民主主義の理論からすれば,民主的討論を経て決定された戦争に対して,敗れた少数派はこれに不満があっても従うべきか。本件で原告らが主張するのは極論すれば,このことに通ずるものである。即ち,全国民を代表する選挙された議員で組織された両議院で構成された国会で,民主的に議論決定された政策としての戦争行為,戦争準備行為に対して,これに反対の意見を持っている国民は,戦争により自己の生命身体の自由,安全に対しての危険が迫っている場合にも,政府の戦争行為,戦争準備行為の差し止めや違法性を訴えることができないかということである。

戦争は基本的人権の保障を危うくするものである。戦争によって国民の生命身体の自由,安全が侵される危険性があることはあきらかである。そのことは,未だ戦争準備行為段階で現実に戦闘行為がなされる場合においても当てはまると言うべきである。なぜならば,一旦戦争が開始されるや,敵対国からの反撃が,わが国国土,国民に対しても直接行われる可能性が極めて高いからである。

この場合,戦争に反対する国民は,平和的生存権の侵害を理由に裁判所に対して,違法確認はもとより,戦争準備行為の差し止めができると解すべきである。そうでなければ,一旦戦争が始まるやこれを差し止めることは,困難を極めるし,また回復困難な権利だからである。
「戦争に加担しない」権利は単なる悪感情か
原告らは平和的生存権は,憲法9条によって内容が確定された「平和」を人権としてとらえたものであり,それが第3章の個別の人権と結合しうる場合には,それら個別の人権に平和的生存権の内容を付加し,ないし充填させることになる。その場合,平和的生存権のカバーする保障範囲は,第3章の個別の人権に尽くされない。

原告が主張している「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」は9条が平和的生存権の客観的保障とみると,双方の保障範囲が対応し合っていることになる。つまり,平和的生存権を制度的に表現するものが9条であり,人権の形で表わすものが平和的生存権である,という対応関係にあると考えられる。そうであれば「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」なるものは,「日本が戦争や武力行使を行う」という政府の行為が9条違反すると,それを平和的生存権の侵害として,憲法第3章の個別の人権との対応関係がなくても主張できるのである。

さらに,戦争に加担しないというのは,憲法第19条の内心の自由にか密接に関わるもの,平和的生存権,内心の自由の内容の一つとも考えられる。即ち,憲法第9条に違反し,自衛隊をイラクに派遣し,復興支援という名目で米英のイラク戦争に加担していることは,イラク国民や諸外国の国民からは,自衛隊をイラクに送り出し戦争に加担している国民と見られているのであり,そのことは戦争をしないという国に生きているという誇り,尊厳が傷つけられることなのである。このような,原告らのこれは保護にあたいする利益と言うべきである。

これに対して,甲府地方裁判所平成17年10月25日判決は次のように述べ法的保護を否定している。
「原告らの多くが本件派遣に対して激しい嫌悪感等を抱いていることは容易に推測でき,これを精神的苦痛と表現することができないわけではない。しかしながら,それは間接民主制の下において決定,実施された国家の措置,施策が自らの信条,信念,憲法解釈等に反することによる個人としての義憤の情,不快感,焦燥感,挫折感等の感情の領域の問題というべきであり,そのような精神的苦痛は,多数決原理を基礎とする決定に不可避的に伴うものである。そして,[1]本件派遣が原告らに何らかの直接的な義務を課したり効果を及ぼしたりする性質のものではないこと,また,[2]本件派遣が多数決原理によっても侵すことのできない原告らの人権を侵害するものではないことにかんがみると,本件派遣によって原告らに生じた精神的な苦痛は,間接民主制の下における政策批判や原告らの見解の正当性を広めるための活動等によって回復されるべきか,又は,間接民主制の下において不可避的に発生するものとして受忍されるべきである。したがって,本件派遣によって原告らの感じた精神的な苦痛が原告ら個々にとって主観的にはいかに深刻であろうとも,こうした個人の内心的感情が法的保護に値するものであるということはできず,本件派遣によって原告らの人格権が侵害されたとか,原告らの精神的な苦痛が社会通念上受忍すべき限度を超えたものであるということはできない。」
また,信教の自由に関してではあるが,小泉首相の靖国神社参拝に関する損害賠償訴訟において,福岡地方裁判所は次のように述べている。
「一般論として,人が他者の宗教的活動によって,例えば精神疾患にも準じるような激しい精神的苦痛を被った場合について,それが単に精神的,内心的なものにとどまるということの一事をもって不法行為による被侵害利益たり得ないと解することが相当でないことはいうまでもない。一方で,違憲又は違法な宗教的活動がされた場合であっても,その活動によって直接的物理的に干渉を受ける者でない者が自己の信条と異なることから不快感を覚え,あるいは自己の経験から過去が想起されるなどして苦痛や不安,危惧感等を抱き,又は当該宗教的活動につき甚だ不適切な行為として憤りを感じたとしても,およそそれらが一般に不法行為の被侵害利益として賠償の対象になると解することはできない(そのように解すれば,賠償の範囲が余りに広範になり過ぎ,不法行為による損害賠償ないし国家賠償制度自体が維持できなくなるものというべきである。)。したがって,原告らの主張するような人格的な利益は,それがただちに法的に保護すべき利益であってその侵害が不法行為に当たるとはいえないものの,そのような利益を主張する者の立場,当該宗教的活動による影響の程度,侵害の態様いかんにより,単なる不快感,嫌悪感等の域を超え,個々人の具体的な利益を侵害されたと認められる場合には不法行為も成立し得,それによる損害の発生も観念し得るものと解するのが相当である。」(福岡地方裁判所平成16年4月7日判決)
憲法9条に違反する重大な違法が存在しているとき,その憲法に違反する行為の影響は,日本国及び国民に対する反対勢力からの攻撃を引き起こし,直接に自己の生命身体に重大な影響を与える可能性があり,単なる不快感や嫌悪感を超えることは明らかである。この点については,後述することとする(後述(4)イ以下)。

従って,上記判決の立場は正当ではなく,原告らの平和的生存権侵害による精神的苦痛は保護に値するものなのである。
(4) 客観的な保障とは
制度的保障か
ここで,構学上でいわゆる制度的保障という概念があるが,原告らの主張しているのはいわゆる制度的保障ではない。

制度的保障とは,直接に人権を保障したものではなく,間接的に人権を保障するものであり,国民に対して直接具体的権利を保障したものではないという概念である。

しかし,平和的生存権と憲法9条の関係は,既述のように双方の保障範囲は対応しあっているものであって,いわゆる制度的保障ではないと言うべきである。

従って,憲法9条に違反する国の行為は,直接平和的生存権を侵害するものと言うべきである。
また、憲法学者の間の確立した憲法解釈によれば,国は日本国憲法下において,あらゆる戦争を開始遂行しえないのであるが,かりに日本国が,それにもかかわらずなんらかの戦争を開始したとした場合,国民は直ちに,国家の憲法上の不戦義務の履行を確保するために,当該戦争の差止めを訴求しうべきはずのものである。国家の不戦の義務の内包の量的拡大とともに,国民の側において,国家の義務違反に対して,司法的矯正を求め,違憲状態の排除を実効的に求めうる法的能力は著しく増大強化された。これは,つまり,国家の不戦義務に対応するところの,平和確保に対する国民の権利の権利性が質的に高まったということを意味するのである。司法的救済手段のないところで権利を語ることは許されないのであって,客観的保障とは,それが制度として担保されていることを意味していることを指すのである。
原告らの主張する平和的生存権と憲法第9条の関係について,原告の「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」は9条が平和的生存権の客観的保障とみると,双方の保障範囲が対応し合っていることになること,つまり,平和的生存権を制度的に表現するものが9条であり,人権の形で表わすものが平和的生存権である,という対応関係にあると主張している。そして,平和的生存権が憲法第3章に定めた基本的人権保障をも包含したさらに広い人権であるとみたときに,平和的生存権の保障を単なる具体性がないとか,単なる嫌悪感であるといって看過することは,以下のような起こりうる事象を考えれば,誤りであり,司法の自殺行為であると評されるものである。

すなわち,憲法第3章によって保障された基本的人権が国家によって侵害される危険性があったときに,侵害行為の差し止めを求めて裁判所に訴えを提起できるはずである。たとえば,表現の自由,あるいは信教の自由を侵害しようとする国家の準備行為があったときに,いったん侵害されれば回復困難な事態となり,事前差し止めを求めることが可能である。

それでは国家が憲法第9条に違反して,戦争準備行為をして戦争を始めようとした場合に,国民の代表者である国会における民主的統制以外にこれを止めることは不可能なのであろうか?憲法の保障する表現の自由や,信教の自由などの基本的人権が国家の侵害行為に対して,事前の差し止め行為ができるのに,国家が戦争をしようとしているときに,国民の生命身体の自由に密接に関連し,これら権利を守る平和的生存権に権利性が認められないのか,原告らの主張する平和的生存権侵害が単なる嫌悪感であって,保護に値しないと言ってすまされるのであろうか?

否である。

いったん戦争が起これば,敵国からの反撃が予想され,しかも高度に科学技術が発達した現代戦争においては,一瞬にして多数の国民の生命が奪われることになる。個人の生命は,失われれば取り返しのつかないことになることは,表現の自由等の精神的自由権と比較にならないほどである。

従って,国家が戦争行為,あるいは戦争準備行為を行っているときに,平和的生存権を根拠に差し止めなどの訴えを提起できると考えるべきなのである。

これに対して,被告は自衛隊の派遣は,イラクの復興支援であり,戦争行為,あるいは戦争準備行為ではないと主張するかもしれない。しかし,原告が主張しているは,自衛隊の派遣が憲法第9条に違反し,平和的生存権を侵害しているというものであり,自衛隊の派遣が戦争準備行為だと言っているのではない。自衛隊のイラクへの派遣が憲法第9条に違反するか否かの判断を抜きにして,原告らの主張の判断はできないのである。

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第5 イラク戦争と国際法違反

 1 本稿の目的
「法の支配」の概念は,法治国家,民主主義の根幹である。そして,政府の違法行為を止めるのは司法に与えられた尊い役割であり,義務である。

イラク戦争への自衛隊の参加という行為が,国民の生活に大きな影響を及ぼしている。そして,この派兵の継続が再度決められた現時点こそ,政府の派兵行為というものをあらゆる角度から検討して正しい道を指し示す義務を司法は背負っているのである。

本稿は,イラク戦争を国際法の観点から検討するものであるが,長年にわたる歴史の中で国際法の分野が築いてきた価値を改めて考え直してイラク戦争をみてゆきたい。
 2 国際法の到達点
かつて「戦争」は,国際間の紛争を解決する手段として当然と考えられていた時代があった。二度にわたる世界大戦の悲惨な経験を経て,人類は戦争が違法なものであること,そして戦争を止めるために各国が共同して国際連合に結束し,紛争を平和的に解決することを原則としたのである。

国連憲章は,現行の国際法の基本文書である。全ての条項は,諸国家の共同体である国連の全ての加盟国を拘束する基本的な条約上の義務を具体化しており,それは憲章の文言のみあらず,その精神にも従うことを要求している。

国連憲章1条1項は,国連の目的と原則を明らかにしている。即ち,

「国際の平和及び安全を維持すること。そのために,平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること,並びに国際的の紛争の調整又は解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること」

1957年に日本国も国会の承認を受け,国際連合に加盟しているのであり,この国連憲章を遵守すべき義務があり,また国連憲章に違反する行為は国内法的にも違法になるのである。 
 3 ウィラマントリー国際司法裁判所元判事の見解
C.G.ウィラマントリー国際司法裁判所元判事は,その著書「国際法から見たイラク戦争」で次のようにイラク戦争の国際法違反性を述べている。

「本章で扱うテーマは,国際法を強調するために執るいかなる行動といえども,それが国際法に適合するかたちでなされなければならないということである」

「第1の原則は,・・戦争の違法化と,武力行使を国連の監督下の行動に限定することである」

「憲章51条によって規定されるように,国連加盟国に対する武力攻撃が実際に起きたという非常に限られた例外的ケースを除き,どんな国連加盟国でも一方的に武力に訴えてもよいなどということは憲章のどこにも書かれていない。そのような一方的な行動はまた,平和と安全の維持のために必要な措置を安保理がとるまでの間だけに,極めて厳格に限定されているのである。

従って,・・国連憲章が,一方的武力行使を完全に違法化している・・それは文明の進歩の過程のなかで苦労して勝ち取ったものであり,それを維持することはすべての加盟国が守るべき絶対的義務なのである」

「第2に,・・唯一,武力攻撃が発生した「場合」だけ,自衛行動を発動する権利があり,またそれは,国際平和の維持に必要な措置を安保理がとるまでの間に限られているのである」

「この規定によれば,先制的自衛における先制攻撃もまた,違法化されている」

「先制攻撃は,国連憲章に絶対的に反する行為である」

「無視された第3の原則は,一方的行動の禁止原則である。如何なる国家も,自らの手中に法を独占し,他国に対して武力を行使することを許されない。それは国連の手続を経てのみ行うことができるのだ。こうした一方的行動は,・・国連の第1の目的を定めた国連憲章1条1項に違反する」

「第4の原則は,武力を発動するまえに必ず,紛争を平和的に解決する可能性を追求し尽くすという絶対的義務である」

「憲章33条は,実行すべき一連の紛争解決手続きを列挙する―つまり,交渉,審査,仲介,調停,仲裁裁判,司法的解決,地域的機構または地域的取り決めの利用その他の平和的手段である。これらの手段すべてが利用され尽くしたと言える者がいるだろうか?このうちのいくつかの手段は試みることさえもなされなかった」

「第5の原則は,核軍縮は義務的だということである。他国が違法行為を行うことを制止しようとする国は,自らもその法に従わなければならない」

「国際法の何らかの原則に違反する国は,その国自身が反映している原則を他国には厳しく適用するように国際社会に求めることはできない」

「第6の原則は,統治者を退位させる権利は他国にはないということである」

「誰が統治するかは,その国の人民が決めることである」

「第7の原則は,いわゆる「有志連合」と呼ばれるような国家の集合はそれ自体,国連憲章を侮辱するものである。それは「国際法と国連憲章を進んで無視する国々の連合」を意味するからである。

「第8の原則は,一貫性の原則である。国際法が何らかの信頼性を得ようとすれば,A国に適用される原則はB国にも適用されなければならない」

「破られた第9の原則は,侵略の非合法化の原則である。主権国家に対する侵略は,国連憲章の精神から追放されたものである」

「イラクに対して為されたような国連憲章に反する一方的な武力行使は,どのカテゴリーに入るかという分類上の問題をまったく生じないものである。それは確実にかつ間違いなく侵略のカテゴリーに入るものである」

「蹂躙されたことが明らかな第10の原則は,文民と非戦闘員の保護の原則である」

「国連は,平和の必要性を基本的人権として扱うべきことを繰り返し強調してきたことである。実際,平和に対する権利の侵害は,交戦国が犯したもう一つの国際法違反であるということができる」

「この議論を締めくくる前に,すべての国が国連憲章の下において平等であることが,国連機構と国際法の基本であることについても記しておくことが重要であろう」
 4 米・英の国際法違反と日本
侵攻開始後数週間もたたない2003年4月上旬に,ウィラマントリー元判事は,この侵攻が国際法に基づき完全に違法であったことをきっぱりと断言し,10以上にものぼる国際法の基本原則の違反を列挙した。これは侵攻直後の余波のさなかに,軍事行動の全面的な違法性に注目した最初の出版物の一つとなった。その主張が,現在国連の上層部において支持されているのは重要なことである。2004年9月25日,コフィ・アナン国連事務総長は,国連総会での演説において,イラク侵攻は国際法に基づき違法であると述べている。

米・英の国際法違反の数々は,許されるべきではない行為である。

また,日本についても同じことがいえるのである。

小泉純一郎首相は,開戦前後にわたり「大量破壊兵器を持っているイラク」(メールマガジン2003年3月13日)「問題の核心はイラクが自ら保有する大量破壊兵器,生物兵器,化学兵器を廃棄しようとしないこと(同年3月27日)などとイラクの大量破壊兵器保有を断言し,どの国よりも早くアメリカのイラク戦争を支持した。そして,自衛隊の派兵を行い,アメリカ軍の支援を行っている。日本政府の行為もまた国際法違反であるといわなければならない。
 5 国際法違反行為の効果
それでは,一体国際法違反行為に対しては如何なる処置がとられるべきであろうか。違反行為は,速やかに是正されなければならないという原則からいうと,違法行為の停止,中止が第一に求められると考えられる。

米国・英国が武力行使を中止し,兵を撤兵し,占領を停止することである。

また,この占領に「有志連合」として加わっている日本やその他の国々も撤兵しなければならないということである。

「英国防省」がイラク人を対象に2005年8月に実施した秘密の世論調査で,82%が多国籍軍の駐留に「強く反対」していることが明らかとなった。(英紙サンデー・テレグラフ10月23日付)

調査によると,駐留多国籍軍部隊が治安の改善で責任を果たしていると考えているのは1%未満だった。67%が占領によって治安が悪化していると答えている。72%が多国籍軍を信頼していないとしている。

イラク全土で多発している米英軍を対象にした自爆攻撃には,イラク人の45%が正当化されると考えており,英軍が管轄する四州のひとつ,南部マイサン州においては65%にも達している。

国連憲章に違反する日本政府の行為は,国内法的にも違法となり,違法な行為の結果,原告らの主張する平和的生存権を侵害しているのである。

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6 国際条約における人権条項のイラク戦争による侵犯

(1) 世界人権宣言(1948年12月10日第3回国連総会採択)は,「加盟国自身の人民の間にも,また加盟国の管轄下にある地域の人民の間にもこれらの権利と自由との尊重を指導及び教育によって促進すること。並びにそれらの普遍的かつ効果的な承認と遵守とを国内的及び国際的な漸進的措置によって確保することに努力するように,全ての人民と全ての国が達成すべき共通の基準としてこの世界人権宣言を公布する」と述べている。
    そして,その人権宣言の中には,「すべて人は生命,自由及び身体の安全に対する権利を有する」(第3条)とされている。そして第30条において,「この宣言の如何なる規定もいずれかの国,集団又は個人に対してこの宣言に揚げる権利及び自由の破壊を目的とする活動に従事し,又はそのような目的を有する行為を行う権利を認めるものと解釈してはならない」とされている。
(2) 市民的及び政治的権利に関する国際規約(昭和54年8月4日 国際人権B規約)第6条は,「全ての人間は生命に対する固有の権利を有する。何人も恣意的にその生命を奪われない」とされている。
(3) 児童の権利に関する条約(平成6年5月16日条約第2号)において,第6条で「締結国は,全ての児童が生命に対する固有の権利を有することを認める。締結国は児童の生存及び発達に可能な最大限の範囲において確保する」とされ,第9条で「締結国は児童がその父母の意思に反して,その父母から分離されないことを確保する」としている。さらに,第16条では,「如何なる児童も,その私生活,家族,住居若しくは通信に対して恣意的に若しくは不法に干渉され,又は名誉及び信用を不法に攻撃されない」とされている。
(4) しかし,イラク戦争の現実はどうであったか。戦争は,如何なる戦争もそうであるように,人々(市民)を殺戮し,また老人,女性,子どもらを殺戮した。以上に述べた国際的人権条項は無視されたのである。

イラクで起こったことは,これら人権条項の無視であった。国連加盟国であれば,これらの条項を厳格に守るべき義務があるのである。これらを全く無視した米国,英国そして日本もまたその「有志連合」の一員として,これら人権条項の侵犯者なのである。そしてこの被害に対しては,児童の権利に関する条約第39条では,「あらゆる形態の放置,搾取若しくは虐待,拷問若しくは他のあらゆる形態の残虐な,非人道的な若しくは品位を傷つける取り扱い若しくは刑罰又は武力紛争による被害者である児童の身体的及び心理的な回復及び社会復帰を促進するための全ての適当な措置を取る」と定められている。

この被害の回復の措置は自衛隊の撤退をおいて外にないのである。


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