自衛隊イラク派兵違憲訴訟の会・熊本
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資料 2007.01.19

第8準備書面

第1 航空自衛隊の派遣延長は違憲・違法である。

第2 最近のイラク戦争の経緯

第3 自衛隊イラク派兵延長決定は憲法及びイラク特措法に反する違憲・違法な処分である。

第4 防衛省設置法・改正自衛隊法と自衛隊イラク派遣

第5 イラクにおける近時の治安状況について



平成17年(ワ)第367号
自衛隊イラク派遣差止等請求事件
原 告    藤 岡 崇 信    外45名
被 告    国    
       
               

原告ら第8準備書面

2007年1月19日  

               原告ら訴訟代理人         
                      弁護士  加 藤 修 外   
熊本地方裁判所第2民事部 御 中
    頭書事件につき,原告らは,以下のとおり,弁論を準備する。
                                      
 



第1 航空自衛隊の派遣延長は違憲・違法である。


2006年12月8日、政府はイラク特措法に基づく航空自衛隊のイラ
ク派遣を延長する閣議決定を行った。原告らは、これまで自衛隊のイラク派遣は違憲・違法であるとしてその差止めを求めて本訴を継続してきた。

これに対して、被告国は、イラクの再生・復興のために自衛隊をイラクのサマワに派遣しているとの立場を取ってきた。しかしながら、その中心にいたはずの陸上自衛隊は06年7月17日サマワを撤退し、クウェートに到着した。この間、派遣された隊員は約5000人で道路の補修、医療給付、給水活動(1100万人)などの人道復興支援をしたと被告国は主張してきた。しかし、自衛隊のイラク派遣は米軍を中心とする多国籍軍のイラク侵略戦争に加担したものでしかなく、しかも米国が当初指摘していたフセイン政権と9・11事件との関係はなく、大量破壊兵器も存在しないことが明らかになった後には、この戦争が全く大義のない嘘で固めた不正義の侵略戦争でしかないことは一層明らかとなった。憲法9条1項は、@国権の発動たる戦争、A武力による威嚇、およびB武力の行使の3つを「放棄」の対象にあげている。したがって、この条項で、国際法上の戦争はもとより、戦争に至らない実質上の戦争行為や武力行使をほのめかして相手国を威嚇する行為の全てが、広く禁止しているものである。

憲法前文は、「諸国民との協調」「諸国民の公正と信義に信頼」することを前提にしているのであり、「国際紛争を解決する手段として」として上記@・A・Bのいずれも放棄しているものである。

したがって、イラクにおいて、日本政府が自らは武力を行使しなくても、米英軍の武力行使に共同して行動したのであれば、本規定に反することは明らかである。米軍のなかで食事を提供する輜重部隊が直接戦闘に参加しないからといって、米軍として組織的に戦争行為に加担していないということはありえないからである。
憲法9条2項前段は、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と規定する。この規定により、日本国が戦力を持つことは禁じられることになる。

そして、日本国憲法が国民に認めている平和的生存権は、被告国による自衛隊イラク派遣により現に侵害されているものである。

また、サマワはもちろんイラクも「戦闘地域」であり、イラク特措法からしても自衛隊の派遣は違反しているものである。また、イラク特措法は、日本政府が勝手に自衛隊をイラクに派遣できるのではなく、相手国の政府の同意が必要であり、イラクに関して言えば、国連決議に従ってイラクにおいて施政を行う機関の同意が必要である。問題は、派遣の当初からそのような同意はなく、さらに内戦の場合にその同意をする機関も存在しないのである。

したがって、陸上自衛隊が撤退した今、航空自衛隊が居座っているのは、憲法はもちろんイラク特措法からみても違法でしかない。
   

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第2 最近のイラク戦争の経緯

1 もはや「内戦」でしかないイラクの現状

米3大ネットワークの一つ、NBCテレビは27日、宗派間の武力抗争が激しくなる一方のイラクの現状を『内戦』と表現することを決定したと発表した。・・・ブッシュ政権は、イラクの現状を内戦とは認めていない」しかしながら、「イラン国営テレビによると、同国訪問中のタラバニ大統領は28日、『イラクの治安状況は政府の手に負えないところに来ている』と述べ」た(06年11月29日熊日10面)。

「ヨルダン国営ぺトラ放送によると、アンマンを訪問中のイラクのハシミ副大統領は28日、宗派間抗争によるテロ、攻撃が続く現在のイラクの治安情勢について『内戦に発展する可能性があり、周辺国に好ましくない影響を及ぼしかねない』との強い懸念を表明した。・・イラクの現状については、米NBCテレビが内戦と表現することを決定、アナン国連事務総長も内戦に近づいているとの認識を示し、・・・イラク指導部が『ほぼ内戦状態』で一致していることを示している」(06年11月30日熊日5面)

2 国連安保理決議
「国連安全保障理事会は(06年10月)28日、15万人規模を上回る米軍主体のイラクの多国籍軍駐留の期限を今年12月31日からさらに1年延長、来年末までとする日米英など提出の決議案を全会一致で採択した」(06年11月3日熊日5面)

しかしながら、この決議で自衛隊のイラク派遣が合憲・合法化されるものではない。これは、多国籍軍の駐留を認めたにすぎず、多国籍軍に属しないとする自衛隊の駐留を認めたものではないからである。しかも、現在の内戦状態の中ではイラクを実効支配している政府はないのであるから自衛隊の派遣に同意する機関はないことになる。少なくとも、イラン全土が戦闘状態にある以上、自衛隊のイラク派遣は二重の意味でイラク特措法にも反することになるのである。

3 米中間選挙とラムズフェルド解任劇

(1)中間選挙までの「イラク政策の経過」(2006年11月9日熊日夕刊4面)
2001年9月11日 米中枢同時テロ
02年6月 1日 ブッシュ大統領が対テロ戦争で先制攻撃が必要と演説
 03年3月20日 イラク戦争開戦
    4月9日 バグダッド陥落、フセイン政権崩壊
    5月1日 ブッシュ大統領、大規模戦闘終結を宣言
    7月13日 イラク人の暫定統治機関、統治評議会発足
   12月13日 米軍がイラクのフセイン元大統領を拘束
 04年6月28日 占領当局が暫定政府に主権委譲
 05年1月30日 国民議会選挙
    4月28日 移行政府発足
   10月15日 新憲法案問う国民投票、25日に承認
   12月15日 連邦議会選挙。シーア派会派が第一党
 06年3月16日 連邦議会が初召集
    5月20日 正当政府発足
    6月8日 米軍、ザルカウィ容疑者死亡と発表
      15日 イラクでの米兵死者が開戦以来2500人突破
   10月30日 10月のイラクでの米兵死者100人に
    11月7日 米中間選挙

(2)米中間選挙の結果
2006年11月7日に開票が行われた米中間選挙は、上院が定数100人に対し民主党が12年ぶりに51人と過半数を制し、下院でも定数435人に対し民主党が過半数を制し、さらに同時に行われた36州の知事選でも民主党が20州で勝利し非改選とあわせ全米50州のうち過半数を占めた(2006年11月9日熊日)。
この中間選挙の結果を受け、下院の議長には民主党の女性議員ペロシ氏が就任する見通しとなった。

(3)ラムズフェルド国防長官解任
米中間選挙開票後の2006年11月8日、ブッシュ大統領は、ホワイトハウスで記者会見し、ラムズフェルド国防長官が辞任し、後任にゲーツ元中央情報局(CIA)長官を指名すると発表した。「記者会見でブッシュ大統領は結果について『失望している』とし、イラク混迷が敗因となっていることを認めた。・・・また、大統領は5日にはゲーツ氏と7日の中間選挙当日にはラムズフェルドと直接会って『新しいリーダーシップが必要な時だ』との認識で一致したと説明、決断は選挙前で敗北とは無関係と強調した」(2006年11月9日熊日夕刊1面)。

「ラムズフェルド氏は2001年9月の米中枢同時テロ後、『対テロ戦争』を主導。アフガニスタン攻撃で旧タリバン政権は崩壊したが、同時テロの主謀者、国際テロ組織アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディン容疑者の行方は依然つかめないままだ。イラク戦争前には、穏健派のパウエル国務長官(当時)や大規模な米軍派遣を求めるシンセキ陸軍参謀総長(同)との確執が表面化した。しかし、ハイテク兵器を駆使し、少ない兵力で勝利は可能と主張した。03年3月のイラク開戦から短期間でフセイン政権を倒したが、その後の武装勢力の攻撃や宗派対立が激化。投入兵力が不十分で占領政策も杜撰だったと批判を浴びることになった」(2006年11月9日熊日夕刊4面)。

ところで、解任されたラムズフェルド米国務長官(当時)は、選挙前日の2006年11月6日機密メモを作成していたことが、同年12月2日のニューヨーク・タイムズ紙(電子版)で報じられた。それによると、メモには、[1]駐留米軍は機能していない、[2]従来のイラク政策を大幅修正をすべき時期などとの記述がある(2006年12月4日熊日)。

 4「イラク研究グループ」報告書

2006年12月6日、ベーカー元米国務長官ら超党派の「イラク研究グル ープ」がブッシュ大統領と議会に対し、「2008年初めを目標にイラク駐留米軍の大部分の戦闘部隊が役割を終えることや、イラン、シリアとの直接対話実現を求める報告書を提出した」なお、報告書は「米軍の任務を従来の治安維持、戦闘主体からイラク軍、警察訓練などにシフトする」ことにも触れている(2006年12月7日熊日5面)。この点について、「駐留米軍について、超党派の『イラク研究グループ』は6日の報告書で、イラク軍の訓練に当る現在3千―4千の米兵を1万−2万まで増強すること」(06年12月7日熊日夕刊4面)、「イラク軍訓練も08年3月末に終了目指す」、「イラク国際支援グループ創設の項に日本も含まれている」
(06年12月8日熊日10面)との詳細報道もある。

ちなみに、同グループは、ブッシュ大統領の父親であるブッシュ元大統領の下で国務長官を務めたベーカー氏とハミルトン民主党元下院議員が共同委員長となり、06年3月に発足した組織である(2006年11月10日熊日3面)。また、ゲーツ米新国防長官もメンバーの一人である(2006年11月9日熊日夕刊4面)。

しかし、この「報告書」に関しては、すでに次のような疑問があることを指摘せざるを得ない。

すなわち、イラクのマリキ首相は、06年11月30日米ABCテレビとのインタビューで07年6月までに多国籍軍からイラク軍への治安権限委譲を全面的に実施出来ると具体的時期を初めて明言した。そして、その上で、イスラム教シーア派を含む全ての民兵組織を含む民兵組織の武装解除を約束した(2006年12月1日熊日夕刊4面)。また、06年12月1日付けのワシントンポストは、米政府当局者の話として、ブッシュ政権がイスラム教スンニ派の反米勢力をイラクの現体制に取り組むことを断念し、イラク政府を主導するシーア派とクルド人を重視する政策の変更を検討していると伝えている(2006年12月2日熊日10面)。

イラクの宗派間が内戦状態となっていることは公然の事実であり、かつイラク軍や警察をマリキ政権が頼りに出来る状態でない以上、マリキ首相がイスラム教シーア派の指導者サドル師派の民兵組織マハディ軍を「後ろ盾」にしていることは公然の秘密である。ブッシュ政権がスンニ派を重視しない政策を取るという中で米軍が治安権限を委譲するということになれば、内戦が一層激化することは明らかである。しかも、イランがシーア派の民兵組織を支援し、シリアがスンニ派を支援しているという構図の中で、特にブッシュ政権が「悪の枢軸」と呼んでいるイラン(シーア派政権)を容認することはブッシュ政権の自己矛盾でしかない。かつて、アフガンに侵攻したソビエト軍と闘うウサマ・ビンラディンをアメリカを支援したことを繰り返すだけで、そこには何らの大義もない(2006年12月2日熊日10面参照)。

06年12月5日、「米上院軍治委員会は解任が決まったラムズフェルド国防長官の後任に指名されたゲーツ元中央情報局(CIA)長官の指名承認公聴会を開き、全会一致で指名に賛成した」「公聴会でゲーツ氏は、超党派の『イラク研究グループ』が6日の提言に盛り込む段階的撤退に関し、『戦場の状況による』とし、現場の軍司令官の意見をまず聞きたいと主張。撤退日時の明示については『(武装勢力に)どれくらい待てばよいことになる』と」退けた。ただ、イラクで『米国が勝利しつつあるとは思わない』とも述べ、イラク政策の見直しに『あらゆる選択肢を排除しない』と表明。」(07年1月6日熊日4面)

06年12月7日熊日5面「核心評論」は「戦犯次々と更迭」「ベトナム戦争以上の泥沼」として、現時点での米国のイラク戦争を論評している。また、「イラク戦争の経費は累計3000億ドルを(約34兆円)を突破、アフガニスタン攻撃と合わせると5000億円を超え、米紙クリスチャン・サイエンス・モニターによると来年にはベトナム戦争を上回る見込みだ」(06年12月6日熊日5面)。

要するに、今や、米国のイラク侵略戦争は米国民すらも支持しない戦争であることが明確になったのである。ブッシュ米政権がすべきことは、大量破壊兵器もなく、9・11とも無関係であったイラクへの侵攻の誤りを素直に認めてイラクから米軍を無条件に撤退させることである。


5 米軍兵士の戦死者数の推移(07年1月3日熊日)

 戦 死  戦傷者  米軍数  イラク内戦死者
03年03月  イラク開戦
04年09月  1,000人  −    −      −
05年10月  2,000人  −    −      −
06年12月  3,000人  22,000人 14万人   5万人

上記から明らかなように、01年9月11日同時テロの犠牲者数は
2,973人で、米兵の戦死者はそれを上回っている。しかし、もう既に数十万単位でイラク人がこの戦争の犠牲となっているのである。
 
米軍を中心とする自衛隊をも含む多国籍軍をこのままイラクに派遣することは、イラクの民衆をますます混乱に陥れ死傷者を増やし財産を破壊するものであり、直ちに米軍を撤退することが何よりも求められているのである。少なくとも、被告国は自衛隊のイラク派遣が違憲・違法である以上、自衛隊を直ちに撤退させるべきである。


6 フセイン元イラク大統領の死刑執行

イラク高等法院は、06年11月5日、フセイン元大統領につき、1982年の中部ドジャイルでのシーア派住民虐殺を「人道に対する罪」として絞首刑を言渡され、判決は同年12月26日に上訴が棄却されたので確定し、そのわずか4日後の同月30日午前6時絞首刑による死刑が執行され、フセイン元大統領は同月31日埋葬された。

ところで、フセイン元大統領の死刑直前の映像が携帯電話で撮影され放映されるという事件が起こり、次のように報道されている。「 関係者らは、首都バクダットの米軍管理区域から同市内の処刑場へ移動する米軍ヘリコプター」へ搭乗、その内容は「立ち会った中の少なくとも一人が処刑直前の元大統領に対し『地獄に落ちろ』とののしる声や、旧フセイン政権下で処刑されたシーア派指導者の息子であるサドル師の名前を連呼する声が収められていた」「アラブ紙アルクッズ・アルアビ紙は元大統領を『侵略者への降伏を潔しとせず、抵抗を選択した愛国者』と称賛、処刑は事実上の内戦状態にあるイラクの治安を悪化させると論評した。元大統領が埋葬されたイラク北部アウジャ村には多数の人が墓参りに訪れている。元大統領はスンニ派が多いアラブ社会で『殉教者』『英雄』化し始めている」(2007年1月4日熊日)。

フセイン元大統領の死刑執行がブッシュ政権による軍事占領下の中で行われ、ブッシュ政権の意図を体現したものであるといえる。そして、死刑が事実上シーア派によるスンニ派に対する報復の様相を帯びていたことは疑いのない事実と言えよう。イラク内戦の危機はそこまで来ているのである。

これが、米軍を中心とする多国籍軍のイラク侵攻の結果なのである。そこから起こる事はブッシュ政権とこれを支持してきたわが国の政権の責任でもある。

 7 ブッシュ米政権、イラクに2万人増派方針

2007年1月10日、ブッシュ米大統領は次の内容のイラク新政策を打ち出した(2007年1月12日熊日4面)。その前に、ブッシュ米大統領はイラクでの誤りについて「過ちの責任は私にある」と認めた。

  (米軍増派)
[1]陸軍5旅団バグダッドへ(17500人)
[2]海兵隊1連隊アンバル州へ(4000人)
[3]米軍増派経費56億ドル
[4]イラク軍3旅団バグダッドへ

  (経済支援)
[1]復興と雇用創出に米国は12億ドル
[2]イラク政府は100億ドル支出
  
  (外交)
[1]イラン、シリアに建設的役割呼びかけ
[2]ライス米国務長官が中東和平交渉へ

ブッシュ米大統領のイラク新政策は、「ゲーツ米国防長官は11日の記者会見で、2万2千人のイラク駐留米軍の増派期間について、明確には分からないと述べ、長期化する可能性を示した」(2007年1月12日熊日1面)とあるもので、超党派の「イラク研究グループ」の勧告を却下し、イラク駐留多国籍軍司令官に任命されたペトロース米陸軍中将が作成した報告書を採用したものである(同4面)。これに対しては与党共和党からも「第2のベトナム戦争化」ということも含めて厳しい批判が続いている。
 
米軍の増派方針は、イラクにおける内戦や米軍のイラク侵略戦争がイラク全土、とくにバグダッドで深刻な戦闘状態になっていることを誰の目にも明らかにしたものである。

 

 

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第3 自衛隊イラク派兵延長決定は憲法及びイラク特措法に反する違憲・違法な処分である。

1 イラク特措法に基づく航空自衛隊の派遣延長決定
政府は、平成18年12月8日午前の閣議で、イラク特措法に基づく航空
自衛隊の派遣期間を07年7月31日まで延長することを決定した。その理由として、政府は「国連及び多国籍軍がイラクに支援を継続している中で、我が国としては、イラクの再建と復興のため、我が国の地位に相応しい債務を果たしていくことが必要であります。イラクの治安情勢や米国を始めとする関係国の動向等の諸事情をよく見極めつつ、空自による対応措置を継続したものであります」と述べている(首相官邸官房長官記者発表)。
 
なお、イラク特措法に基づき派遣されている航空自衛隊の部隊は、04年3月3日から07年1月9日現在、クウェート国内の飛行場を拠点とし、イラク国内との飛行場の間で、C-130機による輸送活動をしているが、ホームページで公表されている実績は次のとおりである。
輸送回数 432回(輸送を実施した日数)
輸送物資の重量 501.079トン
物資等の区分 [1] 我が国からの人道復興関連の物資
[2] 陸上自衛隊の人員・生活物資その他の補給物資
[3] 関係各国・関係機関等の物資・人員
(http://www.mod.go./jasdf/iraq/jisseki.htm 2007・01・09)
しかし、航空自衛隊は、人道復興支援を担う陸上自衛隊が撤退してからの、任務が関係各国・関係機関(その実質は多国籍軍)の物資・人員の輸送が航空自衛隊の主要な任務であり、人道復興は目的ではなく、多国籍軍の目的ために存在する航空隊に過ぎない。

2 航空自衛隊の派遣延期は違法である。
2006年12月12日付け熊本日日新聞は「イラク特措法の検証が必要」と題して空自派遣延長を批判した。まさに、そこに指摘されているとおり、航空自衛隊の派遣延長は、イラク侵略が大量破壊兵器、9・11事件への関与などとは無関係な侵略であり、航空自衛隊のみの派遣延長は最早人道復興援助とも無関係な占領軍としての多国籍軍の軍事行動の一貫でしかない。
  
既に述べたように、イラクの治安状況は『内戦』と言われるほど最悪である。米軍へのテロに加え、宗派間の対立が激化している。日本政府がこれまでの米国の政策に追随するように派遣延長を決めたのは、疑問を残したままの見切り発車といえる。

イラクでの空自の活動は、隣国クウェートの空軍基地を拠点にC−130輸送機三機約200人体制で実施している。輸送回数は現在までに432回に上るが、活動の詳細は隊員の安全確保を理由に明かされていない。
昨年7月に陸上自衛隊が南部サマワを撤収するまでは、陸自の交代要員や物資の輸送が中心だった。しかし、陸上自衛隊撤収後は、クウェートからバグダッド、北部のクルド人地域アルビルへと活動範囲を広げた。医療品などの人道救援物資だけでなく、多国籍軍兵士の輸送もできるというのが日本政府の立場である。

そもそもイラク特措法は、小泉政権が『テロとの闘い』を大義名分に掲げてフセイン政権を打倒した米国に追随し、国内の反対論を押し切って制定したものである。政府は、目的はイラクの復興支援であり、活動範囲は『非戦闘地域』に限られると繰り返し述べてきた。

幸いサマワでは、自衛隊員が戦火にさらされ、劣化ウラン弾による放射線汚染、PTSDは別にして砲弾や銃弾で生命・身体を傷つけられることはなかったとされている。だが、毎日のようにテロが繰り返されるバグダッドは『非戦闘地域』ではなく、戦闘地域でしかない。多国籍軍兵士の輸送が復興支援というのも、全くの虚構である。この点は、被告国が争うのであれば現地検証によって確認すべきことである。

防衛省は『バグダッド空港は非戦闘地域』と主張する。まさに、『自衛隊が活動している地域が非戦闘地域だ』という小泉流解釈でしかない。これまでにも述べたようにアナン国連事務総長(当時)もイラクの現状について、内戦に近づいている、との危機感を表明している。状況がさらに悪化すれば、航空自衛隊の輸送機が攻撃を受ける可能性も当然高くなる。
   
イラクの現在の状態はまさに内戦であり、内戦にあっては少なくともイラクを実効支配する正統政府は存在しないのであって、自衛隊がイラク特措法に基づいてイラクに駐留できるイラク国内の正統政府は存在しないこととなる。その意味で、今イラクが内戦状態であるかどうかは、自衛隊派遣がイラク特措法に反するかどうかの重要な判断要素である。この点も現地検証で確認すべきことである。

米中間選挙で共和党が敗北した結果、ブッシュ政権は政策転換に着手した。米議会では、イラクからの撤退論が日増しに強くなっている。
米国のイラク政策の失敗が当の米国も含め誰の目にも明らかになった今、日本政府は主体的に航空自衛隊の撤収時期を決めるべき時に来ている。にもかかわらず、今回の派遣延長の閣議決定に当っては政府は国民に十分な説明もせず、米国ですら検討しているイラクからの『出口戦略』を検討した形跡さえもうかがえない。

イラク特措法は07年7月に期限が切れる。しかし、同法を期限延長する改正案も取りざたされている。

わが国が自衛隊派遣以外の方法でイラク復興に貢献するのは、国際社会の一員として当然であろう。しかし、自衛隊の海外派遣をなし崩し的に拡大するのは危険であり、憲法を完全に崩してしまうものに過ぎない。現在の自衛隊のイラク派遣は、イラク特措法はもちろん憲法にも反するものである。

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第4 防衛省設置法・改正自衛隊法と自衛隊イラク派遣

  2007年1月9日、昨年成立したいわゆる防衛省設置法に基づき、防衛庁は防衛省に昇格した。もともと防衛庁は内閣府外局であり、内閣の一員ではなかった。しかし、防衛省となった現在、防衛相は、省所管閣僚と同様の権限を持ち、国の防衛にかんする重要案件や法案に対する閣議開催、財務相への予算要求を直接できることになる。
  
昨年成立した改正自衛隊法では、国連平和維持活動(PKO)や周辺事態法に基づく後方地域支援活動などを「付随的任務」から本来任務に格上げされた。

防衛省昇格記念式典での安部晋三首相の訓示要旨は次のとおりである。
  「 『美しい国、日本』を作っていくためには『戦後体制は普遍不易』とのドグマから決別し、21世紀にふさわしい日本の姿、新たな理想を追求していくことが求められる。集団的自衛権の問題も国民の安全を第一義とし、いかなる場合が憲法で禁止されている集団的自衛権の行使に該当するのか、個別的具体的事例に即して研究を進める。今回の法改正は戦後レジーム(体制)から脱却し、新たな国づくりを行うための基礎、大きな第一歩となる 」(2007年1月9日熊日夕刊1面)。
  
自衛隊の規模は、06年3月末現在で、陸上自衛隊14万8302人、海上自衛隊4万4528人、航空自衛隊4万5913人、統合幕僚監部など2069人、海上兵力150隻、航空兵力440機(作戦機)である(同上)。

陸上自衛隊の活動実績については、次の分析結果がある。
「 インド洋派兵関連(約523億円)
     海自 約10000人
     空自  約2560人*
    イラク派兵関連(約851億円)
     陸自 約5700人
     海自  約330人
     空自 約2010人
    PKO(国連平和維持活動)(約432億円)
     合計5419人
    国際緊急援助関連(約29億円)
     合計3092人

(注)人数はのべ。防衛庁が日本共産党の赤嶺政権衆議院議員に提出した資料から。隊員数は、2006年11月8日まで。インド洋・イラク派兵関連の経費は、06年9月末まで。
    
* 在日米軍基地間や同基地とグァム間で米軍物資の輸送活動を実施している隊員数 」(2007年1月8日赤旗1面)
要するに、防衛省の発足に伴い、自衛隊の海外派遣が本来任務となり、海外派遣が増えていくものと考えられ、自衛隊の随時派遣を可能にする恒久法制や政府の憲法解釈で禁じられている集団的自衛権の行使の論議が加速することとなる。
 
そして、こうした動きは2007年1月12日ブリュッセルのNATO理事会での安部首相のスピーチからしてもますます加速していると言える。
 
「新しい防衛省の下、国際平和協力活動が国土防衛に準ずる本来任務になった。自衛隊と文民の活動に関する一般的な法的枠組みを含め、最適な在り方を議論している。憲法の諸原則を順守しつつも、日本人は国際的な平和と安定のためなら自衛隊の海外活動をためらわない」(2007年1月13日熊日1面、2面)。


久間章生防衛相は、2007年1月9日の防衛省昇格記念「式典終了後の記者会見で防衛参事官制度について「50年を経てきた今日、従来のままで行くのが果たしていいか。検討して行こうと思う」と述べた。久間氏は約10年前の長官時、教育訓練局(当時)の局長に制服を当てようと したが、局長は参事官を充てることが防衛庁設置法で定められているため登用できなかった経緯がある。

同制度は戦時中の軍部独走の反省から、国会と内閣の文民統制(シビリアンコントロール)に加え、内部でも背広組が自衛隊制服組を統制する仕組みとして設けられた。そのため、省内では自衛隊の海外活動の本格任務化をきっかけに、制服組から『文官優位の制度』として見直しを求める声が強まるのは確実だ」(2007年1月10日朝日1面)。
3 今、自衛隊のイラク派遣は、米国のイラク戦争、イラクの内戦という中で、戦争当事者の一方である米国の戦争に加担する形で行われている。わが国には憲法9条があり、軍隊を保持しないことはもちろん、国際紛争を解決する手段として武力を用いないことも定められている。憲法99条は公務員の憲法擁護尊重義務を定めており、憲法を厳格に解釈することは司法に与えられた崇高な使命である。特に、憲法76条3項は「全て裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律のみに拘束される」と規定する。2001年5月11日ハンセン病国家賠償訴訟熊本地裁判決はこうした立場から下された判決であり、小泉首相(当時)の控訴断念は、憲法99条に従い、司法の判断に行政が歴史上初めて任意に従ったという意味で、まさに「明治以来の司法の快挙」であった。
  
原告らはこれまで憲法だけでなくイラク特措法も厳格に解釈すべきことを主張してきた。それは、再び戦争への道を歩まないためには、戦争へとつながる法の解釈をあいまいにしてはならないと考えるからである。
   
今日こうした立場は、次の見解からも支持されるものである。
 
すなわち、最高裁判所藤田宙靖判事は、その著「第4版行政法T(総論)」の中の「新しい救済原理への諸動向」の項で、
「 国家賠償法1条で定めるいずれの要件についても、近時では、判例・学説によって、これを緩和する方向での多くの試みが行われている。それは、被害者保護の拡大という見地からのものであることは言うまでもないが、その背後には、何よりも、行政活動と私人との相互関係が、国家賠償法制定当初に考えられていたよりも一層密接なものとなり、また複雑化している、という社会状況の変化があることに注意しなければならない。すなわち、先にも触れたように私人の行政活動への依存は、今日ますます深いものとなっているのであって、それだけに、行政活動に基づき私人が損害を被る機会もより多く、また、その程度もより大きいものとなっていること、また、とりわけ、右の、権限不行使に対する損害賠償請求の例に見られるように、私的行為の自由と市民生活に対する行政の不介入を基本原則とする伝統的な行政法の制度と理論とは原理的に対立しさえするような、行政の積極介入への要請が強くなっている 」
と指摘する(同上497頁)。

またそうした状況の変化の下でのあるべき「法の解釈」について、
「 法の解釈という作業が、常に実践的な判断・主張を伴うものであっ て、現実の立法者の真意がどうであったかを認識するに止まるのではない、ということも、今日広く認められているところである。要するに、あるべき法の解釈は、時の推移そして社会の実情の変動に応じて変遷しうるのであって、問題は、実践的な判断の変化のどこまでを法解釈として許容されるものと考え、どこから先を立法政策論と性格付けるべきか、というところにある 」
と指摘されたうえで(同上471、472頁)、

「 連続性を持った漸次の発展・変化を法解釈論に許すところに、社会的現実からの要請への適合と、法律の安定性との妥協点が見出されなければならないものと考えるのである 」
との見解を表明されている(同上472頁)。社会状況が変化する下での、法解釈のあるべき態度・対応として、示唆に富む指摘といえる。
 
また同判事は、「不作為の違法確認訴訟」について触れた箇所で、
「 いわゆる不行為訴訟についてのわが国の現行法制度、そしてその法 思想的背景となったわが国行政法学の伝統的な考え方には、司法権の消極的性格、という考え方が抜き難く存在しているが、これをその裏側から支えているのが、いわゆる『行政庁の第一次的判断権の尊重』という考え方である 」(同上379、380頁)
と指摘されたうえで、この「司法消極」の考え方に関して、

「 この様な基本的認識ないし判断が、果たして成り立ちうるかどうか、また、妥当であるかどうかについては、様々な議論があるが、いずれにせよ、このような考え方からして行政庁の不作為に対する義務付け訴訟ないし義務確認訴訟を認めないわが国の法制度は、外国の法制度と比較するとき、かなり独自のものであることに注意しなければならない 」

「 歴史的にわが国と多くのものを共有して来たドイツの行政訴訟制度の場合には、先にも見たように行政裁判所も裁判権の一部として行政権に対立するものと考えられているにも拘らず、『行政庁の第一次的判断権の尊重』というような一般原則はなく、義務付け訴訟が制度的に法定されている。…伝統的に司法国家制度を基礎としているアメリカの場合には、いわゆる『マンディマス』という一種の義務付け訴訟が認められており行政庁に対しても適用されるが、これは、そもそも法問題については裁判所の判断が広く行政庁の判断に優先すべきである、という法思想が、その根本に存在するからである、と言えるであろう 」

「 行政裁判制度をその伝統としているドイツにあっても、逆に司法国家制度をその伝統としているアメリカにあっても、それぞれの伝統を背景にして、結果的には共に行政庁に対する義務付け訴訟を認めているのであるが、いわば混合的に受け容れたわが国においては、どちらに徹底することもできず、結局、制度が中間的であるが故に、どのような形でも義務付け訴訟が認められないという結果に終わっているもの、と見ることができるであろう。この意味において、行政事件訴訟の『不作為の違法確認訴訟』いう特異な制度は、まさにわが国行政訴訟制度の特異性を象徴的に体現している、と言うことができるのである 」
との指摘をされている(同上380、381頁)。
 
この点に関して、改正行政事件訴訟法は「義務付け訴訟」を新たに導入した。原告適格等についての改正とともに、このような行政事件訴訟法改正の方向は、行政に対する司法判断の範囲・余地を広げるもので、そうした意味では、日本に独自で特異な「司法消極」の考え方は見直され、改められるべきということができる。筑豊じん肺最高裁判決、水俣病関西訴訟最高裁判決もまたそうしたあるべき方向を指し示し、巨歩を踏み出した判決ということができる。


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第5 イラクにおける近時の治安状況について

以下のように,イラク国内においては,アルカイダ系武装組織によるテロ攻撃のみならず,イスラム教シーア派とスンニ派の宗派対立による武力抗争も激化する一途であり,治安状況は悪化を続けている。

また,フセイン元大統領の拙速な死刑執行により,宗派対立はさらに加速し,アメリカの主要メディアはイラクの現状を「内戦」と表現しており(甲3の390,391),イラク政権指導部も「ほぼ内戦に近い状態」との認識で一致しているような状況である(甲3の389および393)。

そして,米軍主体の多国籍軍の活動によっても治安が回復する様子は全く見られないどころか,イラク戦争開戦後の米兵の死者は約3000人に達しており,激しく泥沼化しているのである。


イラク国内で発生したテロ事件等
(2006年10月2日〜2007年1月10日)
なお,末尾の括弧内の数字は,対応する甲3号証(新聞記事)の枝番号である

   2006年
10月2日 

バグダッド北西部で米兵8人が爆弾などによる攻撃で死亡した(340)

10月3日
イラク全土で民間人ら30人以上が自爆テロ等で死亡した(340)。また,3日,サマワで警察の内紛が起き警察署や検問所が襲撃された。さらに,同日,イラクのイスラム教スンニ派武装勢力アンサール・スンナ軍が,シーア派反米指導者サドル師のいとこを殺害したと発表した(341)

10月4日
サマワで4日夜,武装集団が民家を襲撃し,女児ら4人を殺害した(343)

10月5日 米国のライス国務長官がバグダッドを予告無く訪問し,マリ記首相らと治安情勢について会談した。米報道官によれば,バグダッド空港周辺に砲撃があり,長官らを乗せた輸送機の到着が約35分遅れた(342)

10月13日 13日夜,バグダッド南部のテレビ局職員が走行中の車から銃撃されて死亡するなど,13日から14日午前にかけ,各地で相次いだ襲撃等により計20人以上が死亡した。まら,同日,バグダッド北方では,首を切断された約20人の遺体が相次いで見つかった (346)

10月16日 バグダッド北方でシーア派の葬儀会場で,宗派対立によると見られる2台の車爆弾が爆発し,15人が死亡,数十人が負傷した。中部ラティフィヤでは同日早朝,軍の制服を着た集団が民家を襲撃,シーア派の家族8人を射殺した。また首都西部ではフセイン元大統領の公判の主任検察官の兄弟が射殺された(348)。また,同日付の米CNNの報道によると,イラク駐留多国籍軍の死者が16日で3000人に達したと報じた(349)

10月17日 バグダッドなどでの武装勢力による攻撃で17日だけで米兵9人が死亡した(350)

10月19日 北部モスルの警察署近くで燃料を積んだタンクローリーを使った自爆テロがあり,市民ら少なくとも11人が死亡した。また,同市内の別の警察署を狙った迫撃弾攻撃でも計9人が死亡,北部キルクークでも爆弾テロがあり8人が死亡した(351)

10月20日 南部アマラでイスラム教シーア派反米指導者サドル師派の民兵が警察署などを襲撃,市街地を一時占拠した。その際の戦闘で民兵や警官ら少なくとも15人が死亡,警察署3箇所が倒壊した(352)

10月21日 中西部アンバル州で21日米軍と武装勢力が戦闘になり米兵3人が死亡,同月の米兵死者は78人となった。また,中部マハムディヤの市場では同日,多数の迫撃弾等による攻撃があり,少なくとも18人が死亡,70人が負傷した(354)

10月22日 イラク中部バクバ付近で警察の新規採用者を乗せたバスを武装集団が襲撃し,少なくとも15人が死亡し25人が負傷したほか,全土でテロが続き,同日中に殺害された遺体で発見されたイラク人は44人に達した。また,イラク駐留米軍は同日,中西部アンバル州での戦闘などで米兵5人が死亡し,同月の米兵死者が83人に達したと発表した(355)

10月23日 バグダッド中心部で米兵1人が行方不明になり,米軍は拉致されたとみて捜索を開始した(356)

10月24日 中西部アンバル州での戦闘で海兵隊員2名が死亡し,同月の米兵死者は89人となった。また,同日,南部アマラでは警官2人が殺害された(356)

10月25日 中西部アンバル州で起きた戦闘により米兵5人が死亡した(359)

10月26日 バクバ近郊で武装集団が警察の車列を襲撃,警官8人が死亡したほか,少なくとも警官50人が行方不明となった。また,バクバ近郊の別の場所で警察特殊部隊の拠点が攻撃され,6人が死亡,10人が負傷した(359)

10月29日 イラク南部バスラで警官らを乗せたバスが襲われ17人が殺害されたほかテロ等が続発し,同日の死者は33人に上り,その他24人が遺体で見つかった(360)。また,中西部アンバル州での作戦中に負傷した米兵1人が29日に死亡し,駐留米軍の10月の死者は100人に達した(361)

10月31日 バグダッド北方で小型バスが武装集団に襲撃され,40人以上が行方不明となった。また,同日,バグダッドで結婚式の会場を狙った自爆テロがあり,子供4人を含む10人が死亡した(363)

11月5日 同日,バグダッドのイラク高等法廷で,人道に対する罪で起訴されていたフセイン元大統領に対し死刑判決が言い渡された(364-367)。イラク政府はフセイン元大統領の判決公判に対する妨害テロ対策として首都に外出禁止令を敷いた。同日,首都2箇所で迫撃弾攻撃があり計5人が死亡した(368)。フセイン元大統領に死刑判決が言い渡された後中部バクバで元大統領派と治安部隊が衝突し2人が死亡6人が負傷した。また,4日から5日にかけ中西部アンバル州で米兵3人が死亡した(369)

11月6日 イラク北部で米軍ヘリが墜落し2名が死亡した(369)

11月9日 バグダッドで爆弾テロが2件あり計16人が死亡したほか,各地でテロが相次ぎ同日だけで38人が死亡した。バグダッドの遺体安置所責任者はAP通信に対し,連日60人前後の遺体が運び込まれ,うち多数は身元が判明しないまま埋葬されていると語った(370)。また,同日,イラクのシャンマリ保健相は,2003年3月のイラク戦争開始後に死亡したイラク人が少なくとも15万人に上ると述べた(371)

11月11日 11日夜,首都南方の幹線道路でスンニ派武装組織がシーア派住民のマイクロバスを襲撃し10人を殺害,約50人を拉致した(372)

11月12日 バグダッドで警察の新規採用施設を狙った自爆テロがあり少なくとも35人が死亡50人が負傷した(372)

11月13日 13日夜までの24時間にバグダッドで46の遺体が発見された。また,同日,バグダッド東部の幹線道路に仕掛けられた爆弾で米兵2人が死亡するなどイラクで米兵4人が死亡した(374)

11月14日 バグダッドで武装集団が高等教育省の建物を襲撃し,幹部や研究員ら100〜150人が拉致された。また,中部ラマディでは13日夜から14日にかけての戦闘で少なくとも30人が死亡,バグダッド中心部では車爆弾の爆発で10人が死亡25人が負傷した(375)

11月15日 首都中心部のガソリンスタンドで車爆弾が爆発し9人が死亡33人が負傷した(376)

11月19日 イラク中部ヒッラーで自爆テロが起き22人が死亡44人が負傷するなど,イラク全土で同日に続発したテロで計約50人が死亡した(378)

11月23日 バグダッドでシーア派地区を狙った3件の連続爆弾テロがあり200人以上が死亡し,250人以上が負傷した。この後,同事件に対するシーア派の報復によりスンニ派住民が30人以上殺害された(380-382)

11月24日 中部ディヤラ州でシーア派住民の住宅が武装勢力に襲われ計21人が殺害されるなど,同日のイラク全土での宗派対立による死者数は87人に達した(383)

11月26日 ヨルダンのアブドラ国王は米ABCテレビの番組で,2007年にもイラク,レバノン,パレスチナの3地域が内戦に陥る可能性が高いと語った(385)

11月27日 米NBCテレビのニュース司会者は,治安悪化が加速するイラクの現状を「内戦」と表現した(390)

11月28日 イラン訪問中のイラクのタラバニ大統領は,イランの最高指導者ハメネイ師に対し,イラクの治安状況は政府の手に負えないところに来ていると述べた(389)。また,イラク副大統領は,イラクの治安状況につき,内戦に発展する可能性があると語り,イラク指導部の認識が「ほぼ内戦状態」との認識で一致していることが示された(393)。同日,ニューヨークタイムズ等の米主要紙がイラクの現状を「内戦」と位置づけていることが明らかとなった(391)。同日,中部ラマディで,米軍と武装勢力とが交戦し,イラク人男性1人と女性5人の遺体が発見された(393)

12月2日 バグダッド中心部のシーア派地区に近い商店街でで3件の連続爆弾テロが起こり51人が死亡,約90人が負傷した(395)

12月3日 同日付のアラブ紙は,陸自・英軍撤収後のサマワが民兵組織と治安部隊との衝突でゴーストタウン化したと報じた(396)。同日,中西部アンバル州で米軍ヘリが湖に緊急着水し米兵1人が死亡3人が行方不明になった他,2日から3日にかけイラクで米兵計9人が死亡した。また,3日,バグダッド各地で拷問の後がある計約50人の遺体が見つかった(397)

12月5日 バグダッド南部で3台の車爆弾が立て続けに爆発,16人が死亡,25人が負傷したほか,バグダッドでシーア派の宗教関係者が乗ったバスが武装集団の襲撃を受け15人が殺害された(398)

12月12日 朝,バグダッド中心部で同時爆弾テロが発生し,少なくとも71人が死亡,約150人が負傷した(401)。また米軍は12日,イラクで米兵5人が死亡したと発表した(403)

12月14日 バグダッド中心部で武装集団が商店主ら数十人を一斉に拉致した。また,首都西部のスンニ派地区では同日,シーア派の副大統領の車列が武装集団に襲撃された(404)

12月16日 バグダッド各地で16日,男性53人の銃殺体が発見された。また同日,首都南方の住宅地に3発の迫撃弾が着弾し4歳の女の子が死亡したほか同じ地区で路上の爆弾が爆発し1人が死亡した。さらに首都北方バクバでは民間人ら5人が武装勢力の銃撃で死亡,バクバ近郊では警察官1人が武装勢力の銃撃で死亡した(407)

12月17日 バグダッドで,武装集団がイラク赤新月社の事務所を襲撃,20〜30人が拉致された(406)

12月18日 同日のAP通信によると,米国防総省が治安悪化が極めて深刻化しているイラクで,同年8月中旬から11月までの米軍・イラク治安部隊・民間人に対する攻撃がイラク政府の主権回復後最悪レベルになったとする報告書を米議会に提出した(408)

12月24日 サマワ近郊でシーア派民兵組織マハディ軍と警察部隊が銃撃戦を展開,警官3人が死亡した。サマワでは22日から警察とマハディ軍とが衝突し断続的に銃声などが聞こえている(411)

12月25日 イラク駐留英軍は25日,南部バスラの警察署の被拘束者が数日中に所携されるとの情報を得て処刑阻止のため同署を急襲し拘束中の76人全員を別施設に移し同署を破壊した。バグダッドでは複数の自爆テロで12人が死亡35人が負傷した。中部ラマディの警察検問所付近でも自爆テロがあり,警察官3人が死亡,3人が負傷した(412)

12月26日 26日,フセイン元大統領の死刑が確定した(413)。バグダッド西部で3台の自動車爆弾による連続テロが起き,少なくとも25人が死亡55人が負傷した。また首都東部近郊で道路に仕掛けられた爆弾により警察官4人が死亡12人が負傷した。北部キルクークでも同様の爆弾攻撃で民間人3人が死亡6人が負傷した(415)。また,AP通信は26日,独自集計の結果として,2003年3月のイラク戦争開戦以来のイラクでの米兵死者数が2978人となり9.11同時多発テロの犠牲者数を超えたと報じた(414)

12月28日 イラク駐留米軍は28日,米兵2名が死亡し,イラクでの12月の米兵死者数が100人に達したと発表した(417)

12月30日 死刑判決が確定してからわずか4日でフセイン元大統領の死刑が執行された(418-420)。フセイン大統領の死刑執行後,イスラム教シーア派の聖地の一つである中部クーファの市場で爆弾テロがあり,31人が死亡し少なくとも58人が負傷した。バグダッドでも車爆弾テロで15人が死亡した。いずれも死刑執行の数時間後に起きた。また,30日までに中西部アンバル州の戦闘などで海兵隊員ら計5人の米兵が死亡し,122月の米兵死者は108人になった(421)

2007年
1月5日 

バグダッド在住のAP通信スタッフが射殺体で発見された(423)

1月6日 イラク軍は6日夜,バグダッドでスンニ派武装勢力の拠点を急襲,銃撃戦で武装勢力30人を殺害し8人を拘束した。また7日,バグダッド中心部への迫撃弾攻撃により民間人4人が死亡するなど全土で14人が死亡,6日にも同市内で拷問の跡が残る27人の遺体が見つかるなど宗派対立によると見られる殺戮が続いた。またイラク軍はスンニ派武装勢力の拠点を急襲,30人を殺害した(424)

1月8日 8日のワシントンポストは,イラクの内戦状態の激化により,2006年下半期のイラク市民や警察官の死者が1万7310人になり,上半期の5640人に比べて3倍以上に増えたと報じた(425)

1月9日 バグダッド北方バラド近郊の空港で輸送機が墜落,トルコの建設会社から派遣された労働者約30人が死亡した。また,バグダッド中心部スンニ派地域での掃討作戦で駐留米軍の支援を受けたイラク軍が武装勢力約50人を殺害,21人を拘束した(426)

1月10日 中西部アンバル州で巡礼帰りのシーア派教徒が乗ったバス列に向けて武装勢力が銃撃,少なくとも11人が死亡14人が負傷した(427)。また,同日夜,ブッシュ大統領は,テレビ演説で,イラクに2万2000人の兵力を増派し,同年11月までにイラク全土の治安権限をイラク側に委譲することを目標とすることなどを含めた新政策を発表した(428)



以上のように,イラク国内の治安状況は全土において内戦状態に陥っているのであり,航空自衛隊のイラクへの派遣及びイラク国内での活動継続は明らかにイラク特措法の要件に違反している。

特に,平成18年8月4日付「イラク人道復興支援特措法における実施要領の概要3(2)」において航空自衛隊の活動拠点として指定されたバグダッド空港及びバラド飛行場においても,実際にテロ攻撃を受けたかテロ攻撃の可能性が高い墜落事故が発生しているのであり(甲3の342及び426),航空自衛隊の活動は明らかに違法である。

したがって,原告らの請求は認容されるべきであることはもちろん,原告らの請求している検証(正確には検証の嘱託の請求)も実施されるべきである。

   

 

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