平成20年2月29日判決言渡・同日原本領収裁判所 書記官
平成17年(ワ)第367号 自衛隊のイラク派兵差止等請求事件(甲事件)
平成18年(ワ)第9号 自衛隊のイラク派兵差止等請求事件(乙事件)
平成19年(ワ)第479号 自衛隊のイラク派兵差止等請求事(丙事件)
口頭弁論終結日 平成19年l1月30日
判 決
主 文
1 甲,乙及ぴ丙事件の原告らの請求の趣旨第1項及び第2項にかかる訴えをいずれも却下する。
2 甲,乙及び丙事件の原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は甲乙及び丙事件を通じ甲乙及び丙事件の原告らの負担とする
事 実 及 び 理 由
第1 請求の趣旨(甲,乙及び丙事件の原告ら。以下「原告ら」という。)
1 被告が「イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法」により,閣議決定した基本計画中,自衛隊をイラク及びその周辺地域に派遣する計画は違憲であることを確認する。
2 被告は「イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に,関する特別措置法」により,航空自衛隊をイラク並びにその周辺地域及び周辺海域に派遣してはならない。
3 被告は,原告らに対し,各金1万円を支払え。
4 訴訟費用は被告の負担とする。
第2 事案の概要
1 本件は,原告らが,被告が「イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法」(平成15年法律第137号。以下「イラク特措怯」という。)及び同法4条に基づいて定められた基本計画中,自衛隊をイラク共和国(以下「イラク」という。)並びにその周辺地域及び海域 (以下「イラク等」という。)に派遣する計画は,原告らの 「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」として捉えられる平和的生存権等(憲法前文,9条,13条等)を違憲,違法に侵害するものであることを前提に,被告に対し,@イラク特措法に甚づき自衛隊をイラク及びその周辺地域に派遣する計画は違憲であることの確認を求め (以下 「本件違憲確認請求」という。),A平和的生存権ないし人格権に基づき,航空自衛隊のイラク等への派遣禁止を求め (以下「本件差止請求」という。),B国家賠償法1条1項に基づき,平和的生存権を侵害された精神的苦痛に対する慰謝料としてそれぞれ1万円の支払を求めた(以下「本件損害賠償請求」という。)事案である。
2 当裁判所に顕著な事実
(1)イラク特措法は,平成15年8月1日,公布,施行されたところ,同法には,大要,次のような規定がある。
ア 内閣総理大臣は,イラク特措法所定の人道復興支援活動又は安全確保支援活動 (以下 「対応措置」という。)のいずれかを実施することが必要であると認めるときは・当該対応措置を実施すること及び当該対応措置に関する基本計画
(@対応措置に関する基本方針,A当該対応措置に係る基本的事項,当該対応措置の種類及び内容,当該対応措置を実施する区域の範囲及び当該区域の指定に関する事項,当該対応措置を自衛隊が外国の領域で実施する場合には,当該対応措置を外国の領域で実施する自衛隊の部隊等の規模及び構成並びに装備並びに派遣期間等,B対応措置の実施のための関係行政機関の連絡調整に関する事項)の案につき閣議の決定を求めなければならない(同法4条1項,2項。基本計画の変更も同様。同条3項)。
イ 内閣総理大臣は,基本計画の決定又は変更があった場合にはその内容を遅滞なく国会に報告しなければならず (同法5条1項),基本計画に定められた自衛隊の部隊等が実施する対応措置については,当該対応措置を開始した日から20日以内に国会に付議して,当該対応措置の実施につき国会の承認を求めなければならない
(同法6条1項)。ウ 防衛大臣は,基本計画に従い対応措置として実施される業務としての役務の提供について実施要領を定め,これについて内閣総理大臣の承認を得て,自衛隊の部隊等にその実施を命ずるものとずる(同法8条2項。実施要領の変更も同様。同条9項)。
(2) 政府は,平成15年12月9日,「イラク特措法に基づく対応措置に関する基本計画」(以下 「基本計画」という。)を閣議決定し,防衛庁は,同月18日,「イラク特措法における実施要項」を策定し,自衛隊をイラク及びその周辺地域に派遣するものとした。
(3) 平成16年1月9日,防衛庁長官は,陸上自衛隊先遣隊に派遣命令を発し,同隊は,同月19日,イラク南部のムサンナ州に位置するサマワに入った。同月26日には,陸上自衛隊本隊に派遣命令が発せられ,同年2月8日から同隊がサマワに入った。また,これに先立ち,平成15年12月26日ころから航空自衛隊がクウェート等に派遣されている。
(4) 政府は,平成18年6月20日,陸上自衛隊をイラクから撤退させることを決定したが,イラク特措法に基づく航空自衛隊の派遣については,イラク特措法改正を経て,現在も実施されている(以下,自衛隊のイラク等への派遣を総称して
「本件派遣」という。)。
3 原告らの主張
(1) 本件派遣によって侵害きれる原告らの権利等について
本件派遣により,原告らの平和的生存権が著しく侵害されている。平和的生存権とは,戦争をせず武力による威嚇をせず,武力行使をせず,そして戦力を保有しない日本に生存する権利である。憲法前文は,「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやぅにすることを決意」したことを受けて,「全世界の国民が,ひとしく恐怖と欠乏から免かれ,平和のうちに生存する権利」を有することを確認している。このように,平和的生存権は,我が国の国民を初めとする全世界の国民に認められる基本的な人権である。
二度にわたる世界大戦を経て,戦争はそれ自体が違法とされ,国民主権の原理と人権保障の原理の確保による平和の実現が求められるよぅになった。日本国憲法の平和的生存権の保障は,平和のぅちに生存する権利が国際的,政治的レベルで確認されていくという国際動向の中で成立したものであり,普遍的な性格を持つものである。
日本国憲法の平和主義の体系的構造は,9条が戦争及び戦争準備と軍備とを全面的に否認する法的制度を設け,それに対応する形で前文において主観的権利としての平和的生存権が定められ,これらが二つの側面となっている。しかも,この権利は,13条を媒介にして第3章の諸権利の中で具体化されており,憲法上完結した形で保障されている。
そして,世界の全ての市民が享有する権利である平和的生存権は,憲法9条により国が戦争や武力の行使,武力による威嚇をすることを禁止することによって,制度面から保証され,「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」として具体化された。
平和的生存権は,明白な憲法9条違反の国家行為がなされたときに侵害されたことになる。そして,被告の最大の責務は原告ら国民の生命・身体の安全を確保することであるにもかかわらず,被告が自衛隊をイラクに派遣したことにより,日本がテロ行為の標的となり,国民の一人一人の生命に対する重大な危害が及ぶ危険性が迫っている。それだけでなく,国民一人一人の財産及び居住移転の自由・表現の自由等の諸権利が既に侵害され,これは原告本人らのみならず,その家族,友人及び知人にまで及んでいる。このように,本件で問題となっている被侵害利益は,原告らの生命・身体の安全という極めて重要かつ具体的な権利であり,この権利は平和的生存権の内容に包摂されるのみならず,それ自体独立の人格権を構成するものである。
被告は,平和的生存権は具体的権利ではない旨主張するが,原告らは,被告が自衛隊をイラクに派遣していることにより,原告ら個々人としての深い悲しみや,戦争への恐怖を強く抱いており,このことは原告らの権利が具体的に侵害されていることのあらわれである。
(2) 平和的生存権の裁判規範性
平和的生存権は,上記のとおり,歴史的・世界的動向の中で成立したものである。憲法前文に法規範性があることは制定当初から学説上争いがなく,加えて前文と本文の抽象性の相違は相対的なものにすぎないこと,前文の憲法原則が本文に具体化されていることをもって,それだけで前文に裁判規範性がないとすることは正しくないこと,本文に欠映があるときは前文が直接適用され,また平和的生存権のような根本原則に違反する国家行為は直接前文を適用して違法と判断すべきであることなどから,前文の裁判規範性も肯定されるべきである。以上のことからすれば,前文が前文であるがゆえに裁判規範性をもちえないとすることは正しくなく,憲法前文の裁判規範性については,前文を形造っている個別の規定に即して,それぞれの内容に特定性具体性を備えている場合,裁判規範性が肯定されることになる。
そこで,前文中の 「平和のうちに生存する権利」規定の具体性について検討するに,憲法は,同権利について,「権利」と明言している。法理上,実定憲法がある事項を「権利」と定めた以上,それは,単なる理念ないし政治宣言ではなく,公権力と国民との法的関係(権利=義務関係)の問題となる。したがって,平和のうちに生きる「権利」については,国民の側からすれば,平和のうちに生きることを,法に裏打ちされた資格をもって自ら積極的に主張・要求することができ,他方,国家の側は,平和政策の遂行を国民に対する関係で義務付けられるのであり,「権利」とされた事項は・裁判所によって救済,実現されるのでなければならない。そうすると,憲法前文にわざわざ「権利性」が明記されている平和的生存権については,格別の理由あるいは反証がない限りはその裁判規範性を否定することはできないというべきである。
(3) 本件違憲確認の訴えについて
上記のとおり,基本計画中,自衛隊をイラク等に派遣する計画は前記(1)のとおり原告らの平和的生存権を侵害するものとして違憲であるので,原告らは,被告に対し・同計画が憲法前文,9条及び13条に反して違憲であることの確認を求める。
被告は,本件違憲確認の訴えは,法律上の争訟ではなく,また,確認の利益もないから不適法であると主張する。しかしながら,本件違憲確認の訴えは,本件派遣が原告ら個々人の平和的生存権ないし戦争や武力行使をしない日本に生存する権利を侵害し,憲法前文,9条及び13条に反して違憲であることの確認を求める訴えであるから,法律上の争訟である。当該法律行為が直接義務を課したり効果を及はす対象以外の者においても,権利侵害や被害の発生が生じることは当然認められでおり,具体的な事件としての当事者適格は十分に認められている。
また,確認の利益については,本件イラク派兵行為は,これまで行われてきたいわゆるPKO活動や後方支援を行うという自衛隊の活動に止まらず,アメリカ国軍自らが戦闘地域であると認める地域において,大規模かつ長期間にわたり活動している点で,現行憲法上,史上最大の違憲行為であるのみならず,同派兵行為は,自衛隊法及びイラク特措法にも反するものであり,このような行為が事実として存在する場合に,事後的な損害賠償のみで被害が回復されることはあり得ず,このような状況を適切かつ抜本的に解決するには,現に行われているイラク派兵行為が憲法に違反することを明言する必要があり,確認の利益が存在する。
(4) 本件差止請求について
原告らは,本件派遣により,否応なしにイラクに対する侵略の加害者として荷担させられることになり,戦争や武力行使をしない日本に生存する権利を侵害されることになる。この場合,その侵害行為を排除することができなければ,同権利を回復することは不可能である。よって,原告らの平和的生存権すなわち戦争や武力行使をしない日本に生存する権利が侵害されていることを根拠として,航空自衛隊のイラクヘ等の派遣差止を求めるものである。
被告は,本件差止請求につき,平和的生存権は具体的権利性を欠くことから,法律上の争訟に当たらないと主張する。しかし,上記のとおり,平和的生存権等は明らかに裁判規範性まで備えた具体的権利であるから,被告の主張は失当である。
(5) 本件損害賠償請求について
原告らは,本件派遣によって,平和的生存権すなわち戦争や武力行使をしない日本に生存する権利を侵害され,イラク国民を武力で抑圧する加害者となることを強いられ,多大な精神的苦痛を被った。よって,原告らは,国家賠償法1条1項に基づき,被告に対し 本件派遣によって原告らが被った精神的苦痛に対する慰謝料として,それぞれ1万円の支払を求める。
4 被告の主張
(1) 平和的生存権について
平和的生存権が憲法上保障された具体的権利であるか否かについては,最高裁平成元年6月20日第三小法廷判決(民集43巻6号385頁)が,「上告人らが平和主義ないし平和的生存権として主張する平和とは,理念ないし目的としての抽象的概念であって,それ自体が独立して,具体的訴訟において私法上の行為の効力の判断基準になるものとはいえない。」と判示し,同様の判断が多数の裁判例によって繰り返されている。
権利には極めて抽象的,一般的なものから,具体的,個別的なものまで各種,各段階のものがあるが,そのうち裁判上の救済が得られるのは具体的,個別的な権利に限られる。しかし,平和的生存権は,その概念そのものが抽象的かつ不明瞭であるばかりでなく,具体的な権利内容,根拠規定,主体,成立要件,法律効果など,どの点をとっても一義性に欠け,その外延を画することさえできない極めてあいまいなものであり,このような平和的生存権に具体的権利性を認めることはできない。憲法前文で確認されている「平和のうちに生存する権利」は,平和主義を人々の生存に結びつけて説明するものであり,その「権利」をもって直ちに基本的人権の一つとはいえず,裁判上の救済が得られる具体的権利であるということはできない。
また,生命・身体の安全は国家賠償法上保護された利益であるが,国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求においては,保護された利益が現実に侵害されたことが必要であり,侵害の危険性が発生しただけでは足りないところ,自衛隊のイラク派遣によって,原告らの生命・身体の安全が現実に侵害されていないことは明らかである。
(2) 本件違憲確認請求及び本件差止請求は法律上の争訟性を欠くこと(本案前の答弁)
ア 裁判所の審判の対象は,「法律上の争訟」でなければならないところ,「法律上の争訟」といえるためには,@当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であること,Aそれが法令の適用により終局的に解決することのできるものであること,の二つの要件を満たすことが必要であるとするのが確定した判例である。
権利には,極めて抽象的,一般的なものから,具体的,個別的なものまで各種,各段階のものがあるが,そのうち裁判上の救済が得られるのは,具体的,個別的な権利に限られる。しかし,平和的生存権は,上記のとおりその概念そのものが抽象的かつ不明確であるばかりでなく,具体的な権利内容,根拠規定,主体,成立要件,法律効果等のどの点をとってみても,一義性に欠け,その外延を画することさえできない,極めてあいまいなものであり,このような平和的生存権を具体的な権利であると認めることはできない。
イ 法律上の争訟
上記のとおり,原告らが主張する平和的生存権は,国民個々人に保障された具体的権利ということができないから,原告らと被告との間で具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争が起こり得ないことは明らかである。
原告らは,原告ら自身の主観的利益に直接かかわらない事柄に関し,国民としての一般的な資格・地位をもって本件違憲確認請求等をするものであり,本件を民事訴訟として維持するため,一見,具体的な争訟事件に当たるかのような形式をとってはいるものの,実際には,私人としての原告らと被告との間に利害の対立・紛争が現存し,その司法的解決のために本件訴訟を提起したものではない。本件訴訟の目的が,国民の一人として日本国政府の政策の転換を迫る点にあることは明らかである。
そうすると,このような訴えは,当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であることとの要件を欠き,裁判所法3条1項にいう法律上の争訟に当たらないから,不適法である。
(3) 本件違憲確認の訴えは確認の利益を欠くこと(本案前の答弁)
具体的紛争解決制度たる訴訟制度は,基本的に現在の争いを解決することを目的とするものであるから,端的に原告らの具体的な権利Xは法律関係についての紛争の解決を求めるべきものであり,単なる事実ないし過去の法律関係の存否の確認は,原則として訴訟制度の目的に沿うものではなく,事実ないし過去の法律関係の存否を確認することが現在の紛争の直接的かつ抜本的な解決手段として最も有効かつ適切と認められる場合に限って許される。
ところで,原告らが本件違憲確認請求の根拠として主張する平和的生存権は,憲法上保障された具体的権利ではなく,また,原告らが違憲確認の対象として主張する自衛隊イラク派遣計画は,内閣が行った行政組織内部における意思決定にすぎず,同計画が原告らの有する法的地位に何らの影響を及ぼすことはあり得ないから,同計画が違憲であることの確認を求める訴えは,確認訴訟における対象適格性を欠くというべきである。
また,本件派遣によって原告らが具体的に権利を侵害されたというのであれば,端的にそれを理由として損害賠償を求めれば足りるのであり,現に,原告らは,本件派遣が違憲・違法であるとして,本件損害賠償請求も行っている。したがって,本件損害賠償請求とは別個に本件派遣の違憲等確認判決を求めることは迂遠であって,原告らの主張する上記各権利の救済手段として有効かつ適切であるとはいえない。したがって,本件違憲確認の訴えは,確認の利益を欠き不適法である。
(4) 本件差止請求について(本案の答弁)
前記のとおり,本件差止請求は,本件派遣の差止めを民事上の請求として求めるものであるが,仮に,上記のような本件差上請求に係る訴えの適法性の問題をおくとしても,かかる請求が成り立ち得るためには,原告らが当該行為を差し上め得る私法上の権利,すなわち差止請求権を有していることが不可欠である。
しかしながら,上記のとおり,原告らが差止請求権の法的根拠として主張する平和的生存権,幸福追求権及び戦争や武力行使をしない日本に生存する権利は,いずれも国民個々人に保障された具体的権利とはいえず,また,原告らの主張する人格権も観念し得ないことは明らかであり,原告らぱ,前記各権利に基づく差止請求権を有しない。したがって,本件差止請求は,主張自体失当である。
(5) 本件損害賠償請求について
原告らが被侵害利益として主張する平和的生存権は具体的な権利ではなく,また,国家賠償法上保護された利益とも認められない。
また,本件における自衛隊のイラク派遣それ自体は,原告らに向けられたものではなく,原告らの法的利益を侵害するということはおよそあり得ない。
したがって,本件損害賠償請求は,主張自体失当である。
第3 当裁判所の判断
1 本件違憲確認請求について
(1) 裁判所がその固有の権限に基づいて審判することのできる対象は,裁判所怯3条1項にいう法律上の争訟,すなわち当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であって,かつ,それが法令の適用により終局的に解決することができるものに限られ,裁判所は,法律において特に定めるものは別として,具体的事件を離れて抽象的に法律の違憲性を判断する権限を有していない。
(2) 本件違憲確認請求において,原告らは,原告らの平和的生存権ないし戦争や武力行使をしない日本に生きる権利を侵害されたとしてイラク特措法に基づく基本計画が憲法に違反することを主張するが,イラク特措法に基づく基本計画の策定段階においては,原告らと被告との間に,具体的かつ個別の法律関係を生じさせたり,これによる紛争を生じさせたりするものということはできず,基本計画自体の違憲確認を求める訴えは,裁判所法3条1項にいう法律上の争訟に当たらないと解するべきである。
(3) したがって,このような訴えの提起を認める法律の定めはない以上,本件違憲確認請求に係る訴えは,不適法である。
2 本件差止請求
次に,本件差止請求について検討するに,上記イラク特措法の各規定に照らすと,イラク特措法による自衛隊のイラク等への派遣は,イラク特措法の規定に基づき防衛大臣に付与された行政上の権限による公権力の行使を本質的内容とするものと解されるから,航空自衛隊のイラク等への派遣禁止を求める本件差止請求は,必然的に,防衛大巨の上記行政権の行使の取消変更又はその発動を求める請求を包含するものといわなければならない。そぅすると,原告らは,被告に対し,上記のような私法上の給付請求権を有するものではないから,本件差止請求の訴えは,それが平和的生存権やその他の私法上の権利に基づくものであれ,いずれにしても不適法である (最高裁昭和56年12月16日大法廷判決・民集35巻10号1369頁参照)。
3 本件損害賠償請求について
(1) 本件損害賠償請求は,本件派遣によって原告らの平和的生存権及び人格権を中心にした人権が侵害されたとしてこれに対する慰謝料の支払を求めていると思われるので,平和的生存権の法的性質について検討する。
(2) まず,憲法は,前文において,全世界の国民が,ひとしく恐怖と欠乏から免かれ,平和のうちに生存する権利を有することを確認するとし,9条においで,国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使を放棄し,戦力を保持せず,国の交戦権を認めない旨規定している。しかし,原告らが,上記憲法前文及び9条を根拠として主張する平和的生存権にいう平和とは,理念ないし目的としての抽象的概念であるとともに,その解釈も個々人によって異なる多義的なものであることから,権利としてその内容を具体的に特定することができないものであって,裁判上の救済を受けることができる権利としての具体的内容を有するものとはいえず,法律上の具体的利益として保障されていると解することはできない
(最高裁平成元年6月20日第三小法廷判決,民集43巻6号385頁参照)。
原告らは,平和的生存権の具体的権利性について縷々主張し証人小林は,その証言中,あるいはその論考(甲26,75)において,平和的生存権を,「政府に対しては,軍備をもたず軍事行動をしない方法で国際平和実現の途を追求する平和政策の遂行を法的に義務づけ,そして国民には,政府が平和政策を採るよぅ要求し,また自らの生存のための平和的環境をつくり維持することを各自の権利として保障したもの」と具体的に理解し,憲法第3章の人権規定と結びつき,それぞれの人権の中に平和的生存権の趣旨が反映,あるいは意味充填されることにより,具体的な規範効果を導き出し得る旨を述べて,原告らの主張を支持している。かかる見解は,平和的生存権の具体化を試み,より積極的な憲法上の意義を付与せしめんとするものである点において,傾聴に値するものである。
しかしながら,現時点においては,先に述べたとおり,憲法が基本理念とする平和の理解もさることながら,それを実現するための手段としていかなる施策を実施すべきか,といった具体的な面に至っては,なお,個々人において多種多様な考え方が存在しており,国民的な共通認識をもって統一的に理解されているとまでは認めがたい。そのことは,原告らの主張や証人小林の証言にみられる考え方が存在する一方で,イラク特措法1条の定めるように,イラクの国家再建に積極的,主体的に寄与することが日本を含む国際社会の平和及び安全の確保に資するという理解もあることに照らせば,一層明らかである。そのような現時点における多様な認識や,議論の状況に鑑みたとき,当裁判所としては,現時点においてば,平和的生存権をもって,原告らの主張するような具体的権利性を有するものとして裁判規範性を認めるには,なお躊躇を感じざるを得ないところである。
(3) さらに,原告らは,本件派遣により,原告らの個々の生命・身体の安全,人格・財産権等の種々の権利が侵害されていると主張する。しかし,原告ら主張にかかる平和的生存権ないし「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」が具体的権利・利益とはいえないことは前記のとおりである。加えて,本件派遣により,原告らの生命・身体に対する危険が具体的に生じていると認めるに足りる証拠はないし,本件派遣によって,他に原告らの具体的権利ないし法的保護に値する利益が現実に侵害されたと認めるに足りる証拠もない。したがって,この点に関する原告らの請求は理由がない。また,本件派遣により,原告らが悲しみや恐怖感を感じたとしても,間接民主制の下においては,国家の措置・施策が個々の国民の信条,信念,憲法解釈等と相反する事態が生じることは当然に予定されているから,国家の措置・施策に対する国民の内心的感情が国家賠償法により保護に値する利益であるということもできず,このことにより原告らの権利が具体的に侵害されたと認めることはできない。
(4) したがって,平和的生存権及び人格等が侵害されたことを理由とする本件損害賠償請求は,いずれも理由がない。
4 結論
よって,主文のとおり判決する。
熊本地方裁判所民事第2部
裁判官 竹 添 明 夫
裁判官 中 島 真希子
裁判長裁判官亀川清長は転補のため署名・押印できない。
裁判官 竹 添 明 夫
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