自衛隊イラク派兵違憲訴訟の会・熊本
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資料  2005.08.01
あゆみ第2回口頭弁論参照

意見陳述一覧 参照

長迫玲子 意見陳述




第2回口頭弁論 

2005年8月1日 熊本地裁

原告 長迫玲子

原告の一人の長迫玲子です。
私は1952年生まれで、現在52歳です。
4人の子どもを生み育てました。主婦です。

(1)子どもの頃

私が育ったのは、高度経済成長の明るい時代でしたが、一方で、幼い頃から、祖父母からは戦死した伯父のこと、父からは軍隊の経験、母からは疎開生活の話しなどを聞いていました。実際、街では白衣をまとった傷痍軍人の方が義足を晒してアコーディオンを演奏し、寄付を集めておられました。少し田舎に行くと山肌に掘られた防空壕を眼にすることもありました。学校でも、ことある毎に、戦争の悲惨さ、平和の大切さを教えられました。
 
また、家が健軍の陸上自衛隊西部方面総監部の近くにありましたので、学校の遠足でたびたび訪れたものです。私にとって自衛隊は身近な存在でした。「自衛隊は日本を守るためにあるけれど、軍隊ではなく、自衛隊の人は絶対に外国に行くことはない」と教えられていましたから、強く戦争を憎みながらも、自衛隊と戦争を結びつけて心配することはありませんでした。

「生まれる前に戦争があって、今はそこから立ち上がって、みんなで頑張っている。だから、未来は平和で誰もが幸せな世界になる」という確信を持っていました。

ある時母に向かって、「戦争なんて悪いことなのに、どうしてみんなで反対しなかったのか」と、問いただしました。母は、軍国主義教育を受けて正義の戦争と思っていたこと、また、戦争に批判的な人は逮捕されてひどい目にあったことなどを話してくれました。

この時私は、「私たちは絶対に戦争はしない。みんなで、戦争反対って言うから」と母に宣言しました。

(2)親になって

そのようにして育った私は、若い頃から平和運動への関心はありましたが、特にグループに所属して積極的に活動することはありませんでした。

結婚し、最初の子どもを授かったときから、子育てを通して、必然的に、それまで漠然と捉えていた「命」というものに向きあうようになりました。 

そして、3人目の子どもが生まれた1980年代のはじめ、中曽根政権が誕生し軍拡が叫ばれました。私は日本の平和にひどく不安を感じるようになり、その時から、子どもを背負って「核兵器廃絶」の署名を集めたりする行動を始めました。幼い頃の「必ず、戦争に反対する」という母への誓いが、私を動かしたのです。
 
特に1991年の湾岸戦争以来、朝も晩も、平和のことを考え続けるようになりました。母たちは戦争に反対できなかったが、私たちは発言する自由を持っている。子どもたちの将来を、戦争の時代にするわけにはいかないという想いで、過ごしてきました。

子どもたちには、「自分が納得できないことを命令されても従わないように」ということを言ってきました。戦争は、戦争で利益を得る権力者と、自分の意見を持たず流されていく国民の双方によって引きおこされると思うからです。


(3)イラク戦争・占領・自衛隊派兵

そして、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件の報復として、アフガニスタン侵攻が強行され、イラク戦争に繋がっていきました。日本政府は多くの国民の反対を押し切り、「人道支援に行く」と言って武装した自衛隊をイラクに派遣しました。
 
「いったいいつから日本はこんな国になってしまったの?」
先日、自衛隊のイラク派遣一年間を取材したNHK番組のビデオを見た人が思わず発した言葉です。

ビデオでは、自衛隊の幹部たちが、サマワ派遣の目的が人道復興支援であったことなど忘れたかのように、 海外派兵の実績作りのために奔走しているようすが映されていました。アメリカ軍と一体化する方向であることも否定していませんでした。

そのアメリカ軍はイラクで何をしましたか?一方的な先制攻撃による占領です。また、多くの民間人を殺害しました。 

2004年11月7日のファルージャ総攻撃は、街を包囲しての殺戮作戦でした。この時「囚われのファルージャ」と題する「バグダッド市民からの緊急メール」を日本語訳したものが送られてきました。それは、「誰もが、全てのものがファルージャで囚われの身になっている。女性、子ども、家族、歴史、人間性、そして平和が。そして世界は米陸軍部隊が市民を殺す様子、どんな軍用機が使われるのか、どんな兵器がファルージャで試されるのかをただ見ているだけだ。世界は死に体になっていて、いかなる感情も、反応も示さない。」という文章で始まっていました。

実際、アメリカ軍はまず病院を攻撃し、動くものは何でも撃つというやり方で、民間人を殺しました。
 
私は、このアメリカ軍の協力者としての自衛隊をイラクに派遣している国の国民です。私が払った税金が、イラクの市民を殺す占領軍のために使われています。私は、この野蛮な攻撃をただ見まもっているかのような世界のありように驚き、恐怖に駆られると同時に、日本国民としての加害者意識に苦しみ、打ちのめされました。

結局、イラク攻撃の理由とされた大量破壊兵器はなかったのに、小泉政権は、アメリカへの追従をやめません。
サマワの自衛隊宿営地への砲撃が続いても、サマワは非戦闘地域と言い張っています。

このような政府の態度は、与えられた権限を逸脱して、主権者である私の「戦争放棄の国の国民であるという誇り」を傷つけ、幼い頃から育んできた人格そのものを侵害するものです。

(4)国内

加えて国内では有事法制の整備が進み、国民保護の名前で、平時から国民を戦争態勢に協力させる方向が明らかになってきました。

まるで治安維持法の時代に逆戻りしたかのように、戦争反対を訴えるチラシを配布した人たちを住居侵入罪で逮捕するような弾圧事件も起きています。

教育の場でも、日の丸・君が代の強制や、戦争肯定の歴史・公民教科書の出現など大変なことになっています。
靖国問題では、小泉首相は身内からの反対の声にも耳を貸さず、参拝を続ける気配です。
 
戦争反対と自由に言えなくなる日が目前に迫ってくる恐怖に、目をおおい耳をふさぎたくなることもあります。
しかしながら、憲法を遵守する義務を負う政府の方が間違っているのであり、この憲法がある限り、私たちは恐れる必要はないはずです。

(5)平和的生存権

私は、これまでの経験で、平和でなければ自分の人生を築いていくことができないと感じています。

「平和的生存権」は根源的な人権であり、日本国民だけの権利ではなく、全世界の人びとの権利です。国家に対して戦争を禁止するという理念は、私個人が戦争から逃げるということではなく、私にもイラクの市民にもある「平和的生存権」を、世界中の人びとと共に行使しようというものです。
 
地球規模の環境破壊が進行する中で、この上、戦争で他の生物まで滅ぼすようなことは、許されることではありません。平和憲法を活かした判決をいただきますようお願いして、意見陳述を終わります。




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