自衛隊イラク派兵違憲訴訟の会・熊本
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資料  2005.10.14
あゆみ第3回口頭弁論参照

意見陳述一覧 参照

大野進 意見陳述




第3回口頭弁論 

2005年10月14日 熊本地裁

原告 大野 進

私は原告の1人であります大野進です。1929年生まれの76才です。軍隊経験こそありませんが、戦争体験は嫌という程味わいました。今日も裁判所前に立って赤い煉瓦の上の丸い部分をじっと見つめました。そこには敗戦まで、燦然と輝く菊の紋章が付いていて、ここを通る時は、この紋章に最敬礼をしなければ通る事はできませんでした。帝国憲法、第1条で、大日本帝国は万世一系の天皇之を統治すとあり、第3条に天皇は神聖にして侵すべからずとあり、臣民としての規範ではなかったかと思います。私達は主権を有する国民ではなく、臣民すなわち天皇の家来でしかありませんでした。

私は、1935年に城山小学校に入学し、敗戦は師範学校の本科一年で迎えました。この10年間は戦争にあけ、戦争に暮れる毎日でした。低学年の頃は出征兵士の見送りと戦死者の出迎え、そして村をあげての村葬の事が眼に焼き付いています。出征兵士の見送りは在郷軍人、消防団、青年団、愛国婦人会、役場職員、小学生が道路の両側に整列し、日の丸と万歳の声で送っていました。見送りの場所は、小島道路と西回りバイパスが交差する西側の高野辺田というところです。ここでは戦死者の遺骨の出迎えも何回かやりました。この遺骨を迎えての盛大な村葬や見送り、出迎えも、戦争が厳しくなってからは無くなったような気がします。

1943年の4月、熊本師範学校に入学し、落ち着いて勉強も出来ず、農繁期の田植え、稲刈り暗渠堀りと県内のあちこちに出かけました。戦争が激しくなってきたら、健軍の飛行場拡張作業、菊池の花房飛行場のえんたい壕作りとモッコかつぎをさせられました。又、空襲による延焼を防ぐため市内の家屋破壊もやりました。この頃のひもじさは忘れる事が出来ず、昔語りとして同じ思いをした者同士で話しております。

2年生になって寮に入りましたが、準軍隊式で上級生から毎日のようにしぼられ、殴られました。暴力による支配がその時代はまかりとおっていました。

この当時、政府は次のような政策を次から次と打ち出し、戦争遂行を押し進めていたのです。国家総動員法。「青少年学徒に賜わりたる勅語」。国民を強制的に軍需工場に就労させる国民徴用令。150万人の朝鮮人強制連行、閣議で大東亜新秩序、国防国家の建設方針を決める国民精神総動員県支部誕生。内務省が部落会、町内会、隣保班など設置を通達、大政翼賛会発足、改正治安維持法公布等、戦争遂行のため法整備を進めました。

そんな中で、国民は目も口も耳も封じ込められ、必勝を信じて、戦争遂行に協力しました。「一億一心」、「鬼畜米英」、「打ちてし止まん」、の言葉を忘れることは出来ません。私達は上陸に備えて戦車爆破のためのたこつぼ訓練もやりました。体が隠れる程の穴を掘り、その中に潜んで爆薬をかかえ、戦車が5メートル以内に近づいてから、飛び出し、戦車の腹めがけて投げつけるという自爆訓練です。今のテロです。又、空爆では身の縮む思いをしました。敗戦の年の8月10日、防空監視員として寮の防火壁に居た時、京町台にある往生院の竹薮すれすれに飛んで来たグラマンによる機銃掃射を受けました。ダダダッという音と、ブスッブスッという壁や家を突き抜く音に生きた心地はしませんでした。この時の空襲で何人もの人が亡くなっています。私は、このような戦時体験を通して、戦争の悲惨さ、愚かさを知りました。

1948年に熊本師範学校を卒業し、教職に就きました。戦争を憎み、平和を守ることを信条として、子ども達と共に歩いてきました。教職についてからの事で特に印象深く残っているのは、1947年8月に文部省が、中学校社会科教科書として発行した「新しい憲法の話」を子ども達と共に学んだ事です。

戦争放棄のところには、(前略)二度とこんな恐ろしい、悲しい思いをしたくないと思いませんか、こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ、恐ろしい、悲しい事が沢山起こっただけではありませんか。戦争は人間を亡くすことです。世の中の良いものを壊すことです。

私は、子ども達と声をあげて読みました。命を大事にするのが憲法だと学びました。

私は最近つぎのような発言に接しました。

 「現行憲法は、日本人の魂を否定するための憲法であったわけで、憲法を読んでいて、一番感じることは、生きた憲法ではない、無味乾燥。そこに生きた人類の歴史がない。生きた人間の生活が本当に感じられない憲法。憲法とは何かと言えば、やはり、愛国心の一番の発露ではないか。」

 「戦争は、いろんな事が起こると、近所の神社へお祈りに行ったり、あるいは皇居に向かって天皇陛下に敬礼とか、天皇陛下に敬っていた。こういったものは元へ戻さなければいけないのではないかと思っています。」

私が体験してきた戦争を知らない発言です。歴史を無視するものは歴史によって否定されると思います。

大量破壊兵器もなく、大義のない戦争に加担し派遣される自衛官の安全も確認されない自衛隊のイラク派兵に私は反対です。それが歴史を知る私の意見です。

イラク戦争については、今すぐ徹兵を要求します。戦争は人類最大の罪悪であるという認識に立って賢明な審理をお願いします。




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