自衛隊イラク派兵違憲訴訟の会・熊本
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資料 2006.10.10
あゆみ第7回口頭弁論参照

意見陳述一覧 参照

第7準備書面

第1 請求の趣旨の変更

第2 請求の原因の追加的変更

第3 「国際平和協力法」素案作成の背景

第4 激動する現代日本

第5 法律家の役割

第6 イラクにおける近時の治安状況について



平成17年(ワ)第367号
自衛隊イラク派遣差止等請求事件
       原  告    藤  岡  崇  信    外45名
       被  告    国    
               

原告ら第7準備書面

2006(平成18)年10月10日  
   
熊本地方裁判所
    第2民事部 御 中
                                       原告ら訴訟代理人          
                                           弁 護 士    加  藤    修  
   外 

 
頭書事件につき,原告らは,以下のとおり,弁論を準備する。




第1 請求の趣旨の変更

原告らは,以下のとおり,請求の趣旨を変更する。

被告が「イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法」により,閣議決定した基本計画中,自衛隊をイラク及びその周辺地域に派遣する計画は違憲であることを確認する。

被告は,「イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法」により,航空自衛隊をイラク及びその周辺地域並びに周辺海域に派遣してはならない。

被告は,原告らに対し,各金1万円を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

   

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第2 請求の原因の追加的変更

被告は,本年6月20日,安全保障会議を開き,イラク南部サマワに駐留する陸上自衛隊の撤退を決定した。小泉純一郎首相はその後,首相官邸で記者会見し,航空自衛隊がクウェート−イラク間で行っている空輸活動の継続・拡大とともに,陸自撤退を表明した。額賀福志郎防衛庁長官は同日午後,陸自に撤退命令を出し,現在陸上自衛隊は撤退が完了した。しかし,航空自衛隊は,現在でも空輸活動の継続拡大を行っている。

よって,原告らは,この現状にかんがみ,請求の原因を以下のとおり追加する。

1  イラク復興支援派遣輸送航空隊による輸送活動実績

航空自衛隊の資料によれば,「イラク復興支援特別措置法に基づき派遣されている航空自衛隊の部隊は,平成16年3月3日,クウェート国内の飛行場を拠点とし,イラク国内の飛行場との間で,C−130機による人道復興関連物資等の輸送活動を開始した。

平成16年3月3日から18年9月7日まで輸送を実施した日数は370回,輸送物資重量479,975トンの我が国からの人道復興関連の物資,陸上自衛隊の人員・生活物資その他の補給物資,関係各国・関係機関等の物資・人員を輸送したとされている。

2  航空自衛隊の活動範囲の拡大

本年6月20日,日本政府は,陸上自衛隊をイラクから撤退する決定をし,その後,陸上自衛隊は全て撤収が終了した。

しかしながら,陸上自衛隊が撤収する代わりに,航空自衛隊は活動の範囲を拡げている。

すなわち,政府は,本年7月18日,イラク復興支援特別措置法に基づき,クウェートを拠点に活動している航空自衛隊の輸送業務について,7月末から新たにイラクの首都バグダッドとアルビルの2か所とクウェート間で,国連の人員・物資輸送を行うことを決めた。イラク南部のサマワからの陸上自衛隊の撤収が完了したことを受けたものである。国連の人員・物資については,5月にアナン事務総長が小泉首相との会談で,航空自衛隊の協力を要請し,首相は陸上自衛隊撤収を正式決定した際,今後のイラク復興支援の柱として,航空自衛隊の輸送業務を拡大する方針を打ち出していた。ただ,陸上自衛隊の撤収には航空自衛隊輸送機が必要となるため,全部隊の撤収が完了するまで業務拡大を先送りしていたのである。

航空自衛隊はC130輸送機3機と隊員約200人の態勢で,クウェートのアリ・アル・サーレム空軍基地を拠点に,陸上自衛隊や多国籍軍の人員・物資をサマワ近郊のタリルとバスラに輸送してきたが,バグダッドとアルビルについても,治安など安全確保ができると判断したのである。

3 活動範囲拡大の真相はアメリカ軍支援であること

イラク特措法に基づいて派兵されている航空自衛隊部隊のC130輸送機が,武装勢力による攻撃が続くバグダッド空港に初めて乗り入れたが,これはアメリカ軍が「掃討作戦」と称して展開している軍事作戦への支援としか考えられない。政府は,航空自衛隊の活動拡大について「国連及び多国籍軍への支援を行うため(6月20日小泉純一郎首相談話)」としてきたが,国連関連の空輸も行うが「国連支援は建前で,実際は多国籍軍の中核である米軍の支援にほかならない」というべきである。

もともと航空自衛隊の活動範囲拡大は,アメリカ側がかねてからイラクからの陸上自衛隊撤退を認める代わりに要求していたものであり,2006年6月の日米軍事首脳会談でもラムズフェルド米国防長官が改めて要求し,額賀福志郎防衛庁長官が「ニーズに応じて考えていきたい」と表明していたことなのである。

 4 「戦闘地域」で活動していること

現在のバグダッド空港周辺も,「予断を許さない状況」で「地対空ミサイルなどによる航空機に対する攻撃が発生する可能性も排除されない」(守屋武昌防衛庁事務次官,7月27日)というのが実情であり,まさに戦闘地域というべきである。

バグダッドへの航空自衛隊の活動拡大は,アメリカ軍の「掃討作戦」を直接支援することであり,戦闘行動と一体化した活動といわざるを得ず,憲法9条に違反することは明らかである。
 

5 米空軍ホームページも「戦闘地域」該当性を認めていること

アメリカ軍と一体化した活動をしていることは,アメリカ空軍の公式ウェブサイト「エアフォースリンク」においても認めている。即ち,「1954年の創設以来初めて,航空自衛隊の部隊が積極的に戦闘地域に配備された。」とし,また「サマーワにおける復興が順調に進行しているので,陸上自衛隊は7月に撤退予定である。しかしながら,航空自衛隊イラク復興支援空輸部隊の隊員はイラクに留まり,連合軍の一部として支援を続ける予定である。」「航空自衛隊の部隊はまた人道支援活動のための物資を日本から輸送すること,そして,イラクの多国籍軍や周辺地域の他の軍隊を輸送することに責任を負う。」と記載している。

6 現在でも違憲・違法状態が継続していること

 陸上自衛隊がイラクから撤退し,航空自衛隊がイラク全土に活動を広げたことは,現時点においても違憲,違法状態が継続しているというべきである。従って,この違憲状態,違法な状態を脱けるためには航空自衛隊の撤退以外にないのである。
以下,航空自衛隊との関係でも違憲性及び違法性について今一度述べる。

[1] イラク特措法は「戦力」を持つことを禁止している憲法9条に違反する(法律自体の違憲性)ことは,従前のとおりである。

自衛隊は,「自衛」のための存在であるから,日本が武力攻撃を加えられたわけでもないのに,自衛隊を海外に派遣することは,政府の従来の見解からも違憲として許されない行為である。実力部隊が他国に踏み入ることは,一般にその国の(一部あるいは全部の)国民を「武力」によって抑圧することにつながるからである。

イラク特措法は「人道復興支援活動及び安全確保支援活動」を「派遣」の目的としてはいる(1条)。しかし,「自衛」の目的を超えて自衛隊が海外出動をした時点で,もはや自衛隊は「軍隊」に他ならなくなる。このことは航空自衛隊においても何ら変わらない。

したがって,イラク特措法が「戦力」を持つことを禁止する憲法9条に反することは明らかである。

[2] 自衛隊のイラク派遣を定めたイラク特措法は,「交戦権」の行使を禁止している憲法9条に違反している(法律自体の違憲性)

憲法が禁ずる「交戦権」の意味について,政府は「戦時国際法における,交戦国が国際法上有する種々の権利の総称」と理解している。その中には「相手国兵力の殺傷及び破壊,相手国の領土の占領,そこにおける占領行政など」も含まれている。それ故,「相手国の領土の占領,そこにおける占領行政」に加担することは,「交戦権」の行使となり,憲法9条に違反する。

先に示したように,航空自衛隊は多国籍軍の一員として,多国籍軍などの軍隊の輸送を担当しており,一員として占領支配の一翼を担うことになり,イラクの領土の占領行政に加担する以上,自衛隊の派兵は「交戦権」の行使にあたり,憲法9条2項に違反する。

[3] 航空自衛隊のイラク派遣は,国際法上も明らかに違法な「侵略」にあたり,憲法9条の趣旨に反すること変わりはない(派兵行為の違憲性)

[4] 航空自衛隊のイラク派遣は,イラク特措法に違反するものであり,違法である(派兵行為の違法性)

イラク特措法では,基本原則を定める第2条の第3項で「対応措置については,我が国領域及び現に戦闘行為(国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為をいう。以下同じ。)が行われておらず,かつ,そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる次に掲げる地域において実施するものとする。」と定められている。

現在のイラクの戦闘はイラク暫定政府及び米英諸国軍に対する反対闘争とみるべきであり,まさに戦闘行為の行われている地域とみるべきである。よって,今回の航空自衛隊の活動範囲をバグダット,アルビルなどに広げていることは,これは戦闘行為の行われている地域への派遣でありイラク特措法に違反するものである。

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第3 「国際平和協力法」素案作成の背景

以上に加え,イラクでの航空自衛隊の派兵行為が違憲・違法であることを裏付けるのが,「国際平和協力法案」である。

すなわち現在,政府・与党は,自衛隊の海外派遣のための恒久的根拠法となる「国際平和協力法」の成立を目指しているが,このような法案が作成されたこと自体が,日本政府が今回の自衛隊イラク派遣を違法な行為と認識していることの証左である。
以下,この点を述べる。

1 「国際平和協力法」素案の内容

自民党防衛政策検討小委員会は,平成18年8月23日,自衛隊が海外で活動する際の恒久法となる「国際平和協力法」の素案(甲41)を了承した。

同法案は60条から成る,自衛隊が海外で活動するための根拠法となる法案であって,その最大の特徴は,「国連決議や国際機関の要請を前提とせず,日本政府の判断のみにて自衛隊の派遣を可能としている」点にある。

すなわち,同法案第2条第3項第2号は,国連等の決議もしくは要請がない場合に自衛隊を海外に派遣しうる事態を規定しており,第2号ロには「国際の平和及び安全を維持するため我が国として国際的強調の下に活動を行なうことが特に必要であると認める事態」に際しては自衛隊の海外派遣を可能としているのである。要するに,政府の判断で自由に自衛隊を海外に派遣するためのフリーパス規定なのである。

しかも,同法案は,自衛隊が海外で行ないうる「国際平和協力活動」として,人道復興支援活動,停戦監視活動,安全確保活動,警護活動,船舶検査活動及び後方支援活動を掲げているところ,例えば「安全確保活動」(第3条第3号)には「暴力を用い」る破壊活動に対しては,駐留及び巡回を行ない,必要があれば,行為の制止,予防,再発防止,その他必要な措置をとりうると定めているなど,実質上,戦闘行動を含むあらゆる行動をとりうるよう,自衛隊の権限が極めて広範に定められているのである。

そして,自衛隊の活動に際しては,「国際連合その他の国際機関及び外国の軍隊その他これに類する組織」と連携して行うものと定められており(第2条6項),米軍をはじめ,諸外国の軍隊と連携して武力活動を行なうことが可能となっている。

さらには,同法案は,自衛隊員が行動を共にしている場合でなくとも,日本人や日本と協力関係にある外国の部隊が攻撃を受けた場合,現場へ急行し救出のために武器を使用することが認められるなど,武器使用についても非常に緩やかに定められている。

以上のとおり,同法案は,事実上,政府の判断で,自衛隊が外国で他国軍と共同で戦争を行なうことを許すものであり,我が国の平和主義を根本から覆す内容なのである。

2 同法案作成の背景

上記のように,政府の判断のみを根拠として自衛隊を外国に派遣しうると定める国際平和協力法案が作成された背景として,本件イラク派遣の違法性を政府自身が認識しているという事実が存するのは明白である。

すなわち,既に原告ら第2準備書面「第3項」において主張したとおり,イラク特措法においては,イラクにおいて施政を行なう機関の同意が自衛隊派遣の要件と必要であるところ(同法第2条第3項第1号),いずれの時点においても,この同意が得られておらず,陸上自衛隊のイラク派遣は違法であった。そして,まさにこの点が,世論の強い批判を喚起することとなったのである。

このように,イラクへの自衛隊派遣が違法であることを認識しているからこそ,国連の要請も相手国の同意も必要とせず,政府の判断のみにて外国へ自衛隊を派遣しうるとする,恒久的な自衛隊派遣法としての国際平和協力法が必要となったのである。

3 まとめ

以上のように,同法案が作成されたこと自体,政府及び与党が,イラクにおける施政機関の同意を得ぬまま自衛隊をイラクに派遣したことが違法であると認識していることを明確に示しているのである。
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第4 激動する現代日本


 1 日本経済の方向

現在の日本の政治は,アメリカの言われるままに進んでいる。郵政の民営化も新自由主義を押し付けるワシントン・コンセンサスの路線の現れである。その考え方は,各国の経済政策も市場原理を重視して,貿易や資本の自由化税制や財政の改革,民営化と規制緩和を行わなければならないというものである。

このため,日本ではライブドア事件や村上ファンドなどの事件がおこった。小泉前首相や竹中平蔵らが唱えるグローバルスタンダードという言葉は,例えて言うならば,「ライオンの檻もシマウマの檻も全て取り払ってしまう」ものである。従って,小泉改革や規制緩和でもたらされるものは,弱い者はより弱く,強い者はより強くなっていく政策が推し進められ,格差社会が激しくなっていくものである。

2 新憲法の制定

1945年8月15日,日中戦争・太平洋戦争に敗れ,日本は平和国家として再出発する決意をした。憲法は戦争を放棄し,陸・海・空の軍備は持たないことを約束した。当時の政府は,自衛のための戦争も放棄したと答弁した。

「あたらしい憲法のはなし」(文部省)の中で,「戦争の放棄」の項では,次のように述べられている。

「みなさんの中には,今度の戦争に,おとうさんやにいさんをおくりだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また,くうしゅうで,家やうちの人を,なくされた人も多いでしょう。いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい,かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして,日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ,おそろしい,かなしいことがたくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから,こんどの戦争をしかけた国には,大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戦争のあとでも,もう戦争は二度とやるまいと,多くの国々ではいろいろ考えましたが,またこんな大戦争をおこしてしまったのは,まことに残念なことではありませんか。

そこでこんどの憲法では,日本の国が,けっして二度と戦争をしないように,二つのことをきめました。その一つは,兵隊も軍艦も飛行機も,およそ戦争をするためのものは,いっさいもたないということです。これからさき日本には,陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは,けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを,ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に,正しいことぐらい強いものはありません。

もう一つは,よその国と争いごとがおこったとき,けっして戦争によって,相手をまかして,じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして,きまりをつけようというのです。なぜならば,いくさをしかけることは,けっきょく,じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。また,戦争とまでゆかずとも,国の力で,相手をおどすようなことは,いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその国となかよくして,世界中の国が,よい友達になってくれるようにすれば,日本の国は,さかえてゆけるのです。
みなさん,あのおそろしい戦争が,二度とおこらないように,また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう。」

3 自衛隊の成立と日米安保条約

しかし,アメリカとソ連の冷戦構造の中でアメリカは日本の再軍備を促し,日本もそれに合わせて,警察予備隊から保安隊,そして自衛隊へと軍隊の力を備えてきた。

そしてさらに1960年には安保条約の改定がなされ,日米共同作戦が条約上の規定となった。

4 旧ガイドラインの策定(`78年)による「日米共同作戦」の本格的具体化

もともと日米安保条約は第5条で,日本あるいは日本にいる米軍が攻撃されたら日米が共同してこれにあたるという「共同作戦」の条項がある。さらに第6条には,「日本と極東の平和と安全のために」という名目で在日米軍基地をおくことができるとされている。

1978年の旧ガイドラインは,この条約の取り決めを二重にのりこえる実質改定にふみだしたものであった。一つは,「日本に対する武力攻撃がなされるおそれのある事態」にも,日米共同作戦を行うことが明記され,いま一つは,「極東における事態で日本の安全に重要な影響を与える場合」に,日米両国が軍事的に協力をすることが明記された。

この第1の侵略的変質の波のなかで,日米共同演習が激増し,自衛隊の軍拡もいよいよ歯止めをなくし加速してきた。

5 新ガイドライン(`97年)と周辺事態法(`99年)―「アジア太平洋」への拡大

第2の侵略的変質は,1996年の橋本首相とクリントン大統領との間で交わされた「日米安保共同宣言」,1997年に交わされた新ガイドライン,そして1999年に策定された周辺事態法などにあらわれた動きである。

ここでは,日米の軍事共同の枠組みが一気に「アジア太平洋」全体へと広がった。「日米安保共同宣言」では,「日米同盟」を「アジア太平洋地域の平和,安定,繁栄にとり,中心的な重要性を持つと位置づけた。

6 アフガン・イラク派兵から今日まで―「世界のなかの日米同盟」

第3の侵略的変質,これは2001年のテロ特措法にもとづく海上自衛隊のイージス艦などのインド洋派遣,さらに2003年のイラク特措法にもとづくイラクへの自衛隊派兵から,今日の「米軍再編」に連なる動きであるが,ここに至ると安保条約の枠組みを完全に超えてしまった。「日米同盟」という四文字だけで,何の条約上の根拠も持たない法律をつくり,地球の果てまで米軍に付き従うというのである。

2003年の日米首脳会議で,「世界の中の日米同盟」がうたわれ,文字通り日米軍事同盟を地球的規模に広げることが宣言された。

こうして安保条約では,日本への武力攻撃の場合にだけ限定されていた「日米共同作戦」は,三段階にわたる侵略的変質を経て今や全世界へと拡大した。最初は日本の防衛,それが「極東」に拡大し,「アジア太平洋」に拡大し,今や「全世界」に拡大したのである。

7 「日米同盟の新たな段階」―その3つの要素

日米同盟の新しい段階は,以下の3つの要素で表現できる。

第一の要素は,日米が「世界における共通の戦略目標」を持つということである。その「目標」の中身とは,「テロ」・「大量破壊兵器」への対抗が揚げられ,世界のどこでも,米国がこれらへの対抗のためという名目で先制攻撃の戦争を始めたら,日米が軍事共同を行うということである。

第二の要素は,米軍と自衛隊が軍事的に一体化するということである。

第三の要素は,在日米軍基地の抜本的な強化をはかるということである。


8 日本国内に進んでいる現在の状況

問題は,日本の現状がアメリカのどういう世界侵略のもとですすめられているか,ということである。

一つは,今米国は「長い戦争」を戦っている,その最中にあるという世界認識であり,もう一つは,同盟国をこの戦争にいよいよ深く引き入れるということである。この「長い戦争」に日本を引き入れていくのである。

国内に進んでいる状況は,アメリカと一緒に戦争する上で必要な憲法改正を目指し,そのための国民投票法をつくると同時に,反対運動を押さえつけるためのビラ配りなどの弾圧を強化しさらに共謀罪を作って,物を言えない国民にする。

また,君が代・日の丸の強制を推し進めて,国民の言論・良心の自由を黙らせる。

さらに,教育基本法を変え,靖国神社の参拝を繰り返して,国のために喜んで死ぬ若者を作り出す。

そして,軍事上は敵基地への先制攻撃論をふりまき,北朝鮮・中国脅威論を大きく宣伝している。また,解釈によって集団的自衛権を認める方向も打ち出そうとしている。

また,自衛隊海外派兵のための恒久立法をし,その中では,国連決議がなくてもアメリカの希望だけで日本がアメリカの戦争に参戦できるようにする企てでされているのである。平和憲法を持つ我国が既にここまで来ているのである。

9 まとめ

以上見てきたとおり,日米同盟は今や極端なところまできており,それは,平和憲法の無視および安保条約の制約までも乗り越えているのである。

このような法治国家にあるまじき自体を前にして,私たち法律家は何をなすべきか。それを次に考えたい。

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※次章は第7回口頭弁論における 加藤弁護団長の意見陳述「法律家は何をすべきか」)


第5 法律家の役割

   
これまで見てきたとおり,憲法は無視され続けてきている。軍事の優先が人権の侵害をひきおこしているのである。このような事態について,「法の支配」を求める私たち法曹は何をなすべきかということである。

本件裁判について言うと,イラクへの自衛隊派兵が憲法違反であることを明らかにすることこそ我々法律家の責務ではないのか。

日本が誤った道をとり,アメリカの起こす戦争に無制限に参加する日本を作ってはならない。特に首相をはじめ,行政等も,裁判官も,憲法を尊重し擁護する義務を担っているのであるからなおさらである。(憲法99条)

そのことは全ての原告らの願いである。この今の事態について,自分の意見を述べ,その意見がどういう意味を持っているのかを是非判決によって明らかにしていただきたい。

  2 日本を,アメリカと一緒に戦争をする国にすることに,我々は絶対に反対である。しかし,憲法9条を持つ我国において,既成事実が先行し何の歯止めもなく拡大していることに我々は大きな恐怖と危惧を抱いている。子どもたちは,よりいっそう敏感な心でその不安や恐怖を感じている。そして,そのもたらすものは親殺し・子殺しであり,果てしない悪影響である。

この政府の行為を,「間違っている」と糺す声が必要なのである。我々は,武力が強いものが勝つ世界でなく,平和と協調の世界を求める。戦争は悪であり,絶対におこしてはならないものである。戦争がもたらすものは,「恐怖」であり「憎悪」であり,その結果は「悲惨」である。万が一正義の戦争というものがあるとしても,イラク戦争は大義も全くない戦争であることが明らかになったのである。そして,その結果は虐殺と混乱,内乱状態を生み出した。法に照らしてイラク戦争が誤っていることを宣言することは,この国にとって,またこの国の将来にとって限りなく必要なことなのである。

イラク戦争での米兵の死者数は,9・11事件の数を超えた。死者の数だけとっても9・11のテロが同じ規模で繰り返されたことになる。しかもイラク人の死者数は,その倍以上にのぼっている。9・11テロが10回以上繰り返されたのと同じ苦しみ,悲しみをもたらした。これが戦争の現実である。イラク戦争によって世界は安全になったのではなく,テロが増大し,より危険になったとアメリカでもイギリスでも報告されている。これを誤りと言わずして何を誤りと言えようか。

イラク人民の苦しみ,そして米兵の苦しみをも原告らは背負って,この悲劇を繰り返させないためにも本件訴訟を追行しているのである。

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第6 イラクにおける近時の治安状況について


以下のように,イラク国内においては,アルカイダ系武装組織によるテロ攻撃のみならず,イスラム教シーア派とスンニ派の宗派対立による武力抗争も激化する一途であり,治安状況は悪化を続けている。

イラク国内で発生したテロ事件等


(末尾の括弧内の数字は,対応する甲3号証(新聞記事)の枝番号)

2006年

7月3日 サマワの中心部のスンニ派モスクと地元ムサンナ州評議会議員の自宅で相次いで爆発があった(290)

7月4日 サマワを州都とするムサンナ州のハッサン知事が,相次ぐデモの暴徒化を誘発した責任をとって辞任を発表した。また,同日,バグダッド東部で電力副大臣を含む20人が武装勢力に拉致された(291)

7月7日 サマワの英豪軍宿営地付近で迫撃砲弾3発が着弾し爆発した(293)

7月9日 バグダッド西部の住宅地で,シーア派武装勢力がスンニ派住民を銃撃し,女性や子供を含む42人を殺害した。この数時間後には,首都北東部のシーア派モスク付近で2台の車爆弾が爆発し19名が死亡した(294)

7月12日 深夜,サマワで迫撃砲1発と見られる爆発音が起き,陸自宿営地近くでも爆発音が聞こえた(296)

7月16日 北部キルクーク近郊でシーア派モスク近くで自爆テロがありシーア派住民ら26人が死亡した(300)

7月17日 バグダッド南方にあるマハムディヤの市場で車爆弾や銃撃によるテロがあり50人以上が死亡した(300)

7月18日 イラク中部クーファでシーア派の労働者らをねらった自爆テロがあり,59人が死亡,130人以上が負傷した(301)

7月23日 バグダッド北東部のシーア派地区サドルシティーの市場で車爆弾テロがあり,買い物客ら40人が死亡,80人以上が負傷した。また,同日,北部キルクークでも車爆弾テロがあり,20人が死亡した(302)

7月27日 バグダッド中心部で複数の迫撃弾と自動車爆弾によるテロが起き,少なくとも31人が死亡,150人以上が負傷した。また,首都西部のスンニ派モスクでは武装集団が車の中から発砲し警備担当者4人が死亡した(304)

7月31日 バグダッドで武装集団がイラク人26人を拉致したほか,全土で少なくとも30人が殺害された(306)。また,同日,航空自衛隊は,陸自撤退後の任務拡大で,C130輸送機を治安が不安定なバグダッドに初めて乗り入れさせ,多国籍軍兵士らを輸送した(305)

8月1日 イラク北部バイジ近郊で,イラク軍兵士らの乗ったバスが路上爆弾で爆破され24人が死亡,バグダッドでも車爆弾で14人が死亡するなど各地で攻撃やテロが相次ぎ,各地で少なくとも合計70人が死亡した(307,308)。また,同日,中部ナジャフ州知事は,スンニ派地域で45人の住民が拉致されたと述べた(308)

8月2日 バグダッド西部シーア派地区のサッカー場で,爆弾2発が爆発し,選手や観客計11人が死亡した。同日,別のシーア派地域では迫撃弾2発が着弾し,15歳以下の3人が死亡した。この他,同日,イラク全土で,米兵2人を含む42人が死亡した(309)

8月3日 同日,中東などを担当する米中央軍の司令官は,上院公聴会で,イラクの宗派対立の悪化により内戦のおそれがあると証言した(310)

8月8日 バグダッド中心部で道路に仕掛けられた計5発の爆弾が爆発し少なくとも20人が死亡,50人以上が負傷した(314)

8月10日 イラク中部ナジャフのシーア派聖地,イマーム・アリ廟の入口付近で自爆テロがあり少なくとも35人が死亡,90人以上が負傷した。また同日バグダッド南部の食堂で爆弾が爆発し6人が死亡,4人が負傷した(315)

8月13日 同日夜,バグダッド南部でシーア派地区を狙ったロケット弾と車爆弾などによる連続テロがあり,アパートが崩壊するなどして少なくとも47人が死亡,140人以上が負傷した(316)

8月20日 バグダッド北部の複数の場所でシーア派巡礼者が銃撃され少なくとも20人以上が死亡,パニック状態に陥った人々が転倒するなどして300人以上が負傷した(317)

8月26日 首都バグダッド各地で,拷問の跡が残る計20人の銃殺体が発見された(318)

8月27日 バグダッド中心部で小型バスに仕掛けられた爆弾が爆発し9人が死亡するなど,首都で2件の爆弾テロがあり,合計16人が死亡した。バグダッド北方でも武装勢力が市場で銃を乱射し少なくとも16人が死亡,25人が負傷した。北部キルクークと南部バスラでも爆弾テロが相次ぎ16人が死亡,29人が負傷した。ロイター通信の集計では同日の死者は約60人に達した(318,319)

8月28日 イラク中部で油送管が爆発し,少なくとも34人が死亡40人以上が負傷した(320)

8月29日 バグダッドで拷問の跡がある計24遺体が発見された(320)

8月30日 バグダッド中心部の市場で爆発があり24人が死亡,35人が負傷するなど各地でテロが相次ぎ,全土で少なくとも52人が死亡した。またサマワでは同日,失業者のデモが暴徒化し州政府庁舎に投石するなどして多数が負傷した(321)

8月31日 バグダッドのシーア派地区にロケット弾が打ち込まれるなどして67人が死亡,負傷者は300人に達した(322,323)

9月1日 米国防総省は,1日までに,イラクが内戦の危機にある旨の報告書を議会に提出した(324)

9月2日 イラク中部にあるシーア派聖地へ巡礼に向かっていたパキスタン人ら14人が武装勢力に殺害された(325)

9月3日 バグダッド西部で,サッカー選手がイラク軍の制服を着たグループに拉致された(326)

9月4日 バグダッド市内数カ所で,両手足を縛られた拷問の跡がある計33遺体が発見された。また,南部バスラ近郊では同日,英軍部隊が爆弾攻撃を受け英兵2人が死亡,1人が負傷した。3日から4日にかけては,中西部アンバル州と首都北方で米兵4人が爆弾などで死亡した。中部クートでも頭と胸を打ち抜かれた2人の遺体が発見された(327)

9月8日 2004年9月にサマワ中心部に建設され同年10月に爆破された日本との友好記念碑に,8日までにシーア派反米指導者サドル師の肖像の大看板が掲げられた(328)

9月13日 13日には首都で警察官などを狙った爆弾テロが相次ぎ少なくとも32人が死亡した。中部ファルージャでは米軍と武装勢力の交戦に通行人が巻き込まれ2人が死亡した。また,12日から13日にかけて,バグダッド近郊で拷問後殺害されたと見られる計65体の遺体が見つかった(329)

9月15日 14日から15日にかけて,バグダッド各地で拷問後殺害されたとみられる計49遺体が見つかった(330)

9月17日 北部キルクークでトラックに積んだ爆弾によるテロなどで少なくとも23人が死亡,60人以上が負傷した(331)

9月18日 イラク北部の市場で爆弾テロが起こるなど全土でテロが相次ぎ合計の死者数は少なくとも54人に達した。同日,国連のアナン事務総長は国連本部で演説し,「イラクは全面的内戦に突入し瓦解する危機にある」と警告した(332)

9月19日 中部ラマディで19日までにイラク人記者1名が殺害された。ニューヨークに本部を置く非営利団体によると,2003年3月のイラク戦争開戦後にイラクで死亡した記者は80人に達した(333)

9月20日 中部サマラで自爆テロがあり少なくとも10人が死亡し,30人以上が負傷,バグダッド南方の警察施設でも,同日,爆弾テロが起き7人が死亡した。これらを含め前日からイラク各地でのテロで合計60人以上が死亡した(335)

9月23日 バグダッドのシーア派地区サドルシティーで爆弾テロがあり少なくとも33人が死亡,40人が負傷した(336)

9月24日 武装勢力「イラク・イスラム戦士評議会」は24日までに,イラク中部で拉致し殺害した米兵2人の遺体に火を放つ映像をウェブサイト上で公開した(337)
9月28日 フセイン元大統領を裁くイラク高等法廷の裁判長の親族がバグダッドで殺害された(339)

以上のように,イラク国内の治安状況は極めて悪化している。国連機関の集計によれば,テロや宗派抗争によるイラク国内での2006年5月から6月の2か月間の死者は5800人を超え(甲3の303),同7月から8月の2か月間の死者は6500人を超える(甲3の334)。このように治安状況は非常に悪く,しかも悪化していることが統計上も明らかである。

特に,宗派抗争はもはや内戦状況と呼ぶべきほどに深刻化しており,宗派対立による国内避難民は24万人にも上っている(甲3の338)。米軍自身ですら,イラクが内戦の深刻な危機にあることを認めている(甲3の324)のである。

そして,撤退した陸上自衛隊に代わってイラク国内での活動範囲を広げた航空自衛隊は,7月31日,初めてバグダッドに乗り入れ,多国籍軍の軍隊を輸送したが,まさにその日にも,バグダッドで大規模な拉致事件が起きており,まさに戦闘地域に乗入れていることが明らかである。航空自衛隊は,バグダッドのみならず,治安状況が特に劣悪な地域を含むイラク国内各地に物資や兵員を輸送することになっており,上記のようなイラク国内の治安状況に鑑みれば,航空自衛隊の活動が「戦闘地域」において行われていることは明白である。

そして,そのような航空自衛隊の活動は,当然に,イラク特措法の要件に違反しているのである。

以 上 

  
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