自衛隊イラク派兵違憲訴訟の会・熊本
ホームあゆみ会員募集リンク問い合わせ


資料  2006.09.30
あゆみ第1回口頭弁論参照
あゆみ第10回口頭弁論(原告本人尋問)参照
      

意見陳述一覧 参照

藤岡崇信 意見陳述書 



熊本地方裁判所御中

陳 述 書


      原告 藤岡崇信     

私は父の死により、学業を終えると同時に真行寺の住職に就任しました。11年間病床にあった父の住職期間を考えると、久しぶりの住職としての働きの出来る若住職の誕生は、門徒にとって喜びであり、大きな期待でもありました。

それを強く感じていた私もまた、真の住職たらんという使命感をもってのスタートでありました。

それは1963(昭和38)年、時あたかも戦死者の25回忌の法事が多くなってくる時期でありました。しかし、住職として法要を勤める当時の私の心中は、戦死者も一般の病死者の法事もその違いを特別意識することはなく、ただ本願寺の法式に則り、長時間の読経と法話をするというごく一般的な法要を勤めておりました。

また戦死者や空襲による死、即ち戦争犠牲者の法事であっても、読経・法話の後、喪主の月並みの挨拶、そしてお齋(参詣者一同の会食)を頂き、雑談というパターンが主流でしたが、時には涙ながらに死別の悲しみ、その後の苦労をしみじみと話される場合もありました。

そのような中で、特に私のこころに迫ったのは、機銃掃射を受けて即死した少女の母親が、毎年祥月命日に「娘が今生きておれば、何歳になります。」と申され、しばし嗚咽される姿。また、仏間に掛けられた幼い少年の面影の残る軍服姿の写真を指差し、「今日は17歳で戦死したこの兄の33回忌です。」という言葉に始まった挨拶。戦友が持ち帰った息子の指を握りしめ「息子の最後の様子や命日も判った」と言って泣いた両親の思い出話等でありました。

それからある時は、主人が入院中ですので、と前置きをして「今日50回忌に当たる主人の兄は、若くして出征しましたので妻もなく子供もなく、両親も亡くなっておりますので、50回忌という最後の法事ですが、義兄を知る人は一人もいないという寂しい法事になりました。」と、喪主の連れ合いが挨拶された法事もありました。

50回忌の法事がすめば、この方たちはいよいよ忘れ去られていく・・、残るのは墓碑銘と寺院の過去帳の記録のみ・・、戦争さえなかったら、今この方たちは、子供や孫に囲まれ楽しい家族の語らいがあったであろうに・・、等々、私は、戦争の犠牲になった門徒の方の法要を勤めるうちに、戦死者を出した後、ただ法要を執行する僧侶でいいのだろうか。僧侶の使命とは、真の仏教とは何か・・、という思いが次第に強くなってきました。

折しも靖国問題が政治の課題として浮上してきた時期であり、私は、国家と宗教、戦争と宗教等の問題をこれらの視点を通して深く考える機会を持ちました。

わが国の宗教教団の多くがそうであったように、わが真宗教団も、特に明治以降、富国強兵の国策に追随し、更に昭和に入ると強大な軍部の圧力を受けながら、教団存続を第一に掲げて、本来の真宗教義を捨て、皇国護持・戦意昂揚の教義に改変して、多くの真宗門徒を戦場に送る役目をはたしてきたのです。その結果、小規模寺院の拙寺の過去帳にも80名余の戦争犠牲者が記されていますが、私はそれを思うと日々、靴の底に小石を入れて歩くかの如き痛みを覚えたのです。

このような反省のもと、改めて仏教を求め直す時、釈尊は、戒律の第一に不殺生戒を説き、また仏教の目指す世界を「兵戈無用」(兵隊も武器も要らない)と説き、「生きとし生けるものは みな暴力に怯える わが身に引きあてて 殺してはならぬ 殺さしめてはならぬ」と諭されたのでした。

このような経緯をへて、真の仏教にめぐり会うことの出来た私は、その後、仏教の教えをこの世において具現すべく歩みを進めて参りました。

この自衛隊イラク派遣差止め訴訟の提訴がマスコミで報道された直後、私が自衛隊員を身内に持つ門徒の家にお参りした時、「住職さん、もし○○がイラクへ行き、万一のことがあればと思うと気が休まりません。さりとて自衛隊員の家族が、イラク派遣反対を叫ぶ訳にもいかず・・。住職さんなればこそ反対の声を上げていただきました。有難うございます。」と、家族としての真意を吐露されました。

イラクから陸上自衛隊は撤退しましたが、今もなお航空自衛隊はクエートに滞在し、国連や多国籍軍の支援を続けています。また9月14日付の新聞は、陸上自衛隊のレバノン派遣を検討しているとも報じています。人道復興支援とはいえ、それはかってのマザー・テレサ女史等の崇高な献身的な行為とは異なり、現今のイラク情勢はなお、航空自衛隊員に死者が出る危険性は大きい現状です。

こちらが殺されたら、相手を殺す。自分が殺されないためには、相手を殺す・・、この連鎖はまさに「鐶(みみがね)の端なきがごとし」であります。

私たちは60年前、悲惨な戦争の経験の下に、@武力によって、自国や世界の真の平和は実現できない。A殺され、虐待を受けたら、必ず相手に対し復讐心を燃やす、という事実をいやと言う程知らされてきたはずです。しかもこれは「偽らざる、恐ろしい悲しい人間の自性」によるものであります。

しかし、わが国はその後、平和憲法のもとに、日本の軍隊による殺人は一人もないという事実がありますが、これは真の人間社会・国家として誇るべきことであり、また日本の将来に向かっての大きな示唆であります。

私は、@理由の如何を問わず、殺人は最大の罪悪である。A暴力によって、物事の根本的な解決はあり得ない、という仏教の教えに従って、紛争地域へ自衛隊を派遣しないよう強く訴えます。

また、私は中曽根首相及び小泉首相の靖国神社参拝に対する福岡地裁の違憲訴訟の原告となりましたが、一昨年の4月7日、福岡地裁における小泉首相靖国神社参拝違憲九州・山口訴訟の判決において、亀川清長裁判長は「首相の靖国神社参拝は、公務であり、それは憲法違反である」と、私たち原告の実質勝訴の判決を下し、更に結論では、「本件参拝は、靖国神社参拝の合憲性について十分な論議も経ないままなされ、その後も靖国神社参拝は繰り返されてきたものである。こうした事情に鑑みるとき、裁判所が違憲性についての判断を回避すれば、今後も同様の行為が繰り返される可能性が高いというべきであり、当裁判所は、本件参拝の違憲性を判断することを自らの責務と考え、前記のとおり判示するものである」との格調高い趣旨で締めくくられました。

貴裁判所においても、3千数百万人という戦争犠牲者の遺言というべき平和憲法を持つわが国においては、「力」の外交を基本にしたアメリカに追随して、紛争地域へ自衛隊を派遣するということは絶対認めないという判決を頂きますよう真実を見極めた審理をお願い申し上ます。

2006年9月30日






このページの上に戻る