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より 2007.09.10
9月10日熊本地裁でこの訴訟のクライマックスとも言える原告本人尋問が行われました。11名の原告たちがそれぞれの平和的生存権にもとづく自衛隊派兵の違憲性、被侵害利益について詳しく陳述しました。これに対して被告側からの反対尋問は一切行われず、予定した時間内で11名が充分時間を取って意見表明することが出来ました。これにより熊本訴訟は次回の最終弁論をもって結審することとなります。
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証言を前に集会で紹介される原告のみなさん |
原告 | 主な証言内容(管理人独断) | 弁護士 | |
1 | 荒木正信 | 情報保全隊に監視された。 | 加藤修 |
2 | 本多香織 | イラクで殺害された香田証生さんのご家族との関わり(牧師) | 板井俊介 |
3 | 藤岡崇信 | 宗教が戦争遂行のため国に利用されてはならない(僧侶) | 塩田直司 |
4 | 上村文男 | 空襲体験。戦後教師として教えた憲法9条が守られていない | 塩田直司 |
5 | F・T | 師範学校を経て戦後教師になるが教育が逆転。孫が自衛隊。 | 吉井秀広 |
6 | 山本あや | 戦前教師として軍国教育。戦後平和運動。非核都市宣言運動 | 板井優 |
7 | 田中信幸 | 父が3回徴兵。今また、言論の自由が脅かされている。 | 板井優 |
8 | N・K | 小学生の息子や他の子どもたちの将来が心配。 | 河口大輔 |
9 | 中山清隆 | 疎開。兄が長崎で被爆。今日本は戦争政策で高齢者に被害 | 加藤修 |
10 | 楳本光男 | 自衛隊隣接の学校でPTA活動。子どもに説明できる判決を | 河口大輔 |
11 | 吉本悦子 | 旧満州国で敗戦を迎えた。 | 板井俊介 |
※数字のリンクはこのページの記事へ 原告名のリンク先は先に提出された意見陳述書又は本人調書です。 |
最初に陳述したのは原告の荒木正信さんです。荒木さんは労働組合の役員をしながら、平和運動にも積極的に参加してきた方です。荒木さんは加藤弁護士の質問に答えながら、自身は戦争体験はないが、お姉さんたちから戦時中のことを聞かされ、自分が生まれた小倉に原爆が投下されるはずだったことを知り衝撃を受けたことや、労働組合運動を通じて平和でなければ労働者の生活と権利は守れないことに気づき、組合のなかでも平和運動に力を入れてきたと話しました。そして自身が参加する「戦争を許さない!熊本県民連絡会」でのイラク戦争に反対する活動が自衛隊の情報保全隊の監視対象になっていたことに話は及び、自分の名前がはっきりと記録されていることを知り怖くなったと話しました。最後に情報保全隊の監視活動が平和のうちに生きる権利を侵害したことになると証言しました。
福岡県直方教会の牧師をしている本多香織さんは、自分の教会の信徒である香田証生さんのご両親とともに、2004年10月末に起きたイラクでの証生さんの誘拐・殺害事件に立ち会いました。10月27日東京出張中に事件発生を知り、直ちに政府への働きかけや中東メディアの「アルジャジーラ」を通じた救出へのアピールなどに取り組み、香田さん一家への「自己責任」を口実にしたひどい嫌がらせ電話、心ないマスコミの取材攻撃に対して牧師たちと必死になって対決し家族を支えたことなどが語られました。小泉首相の「テロには屈しない、自衛隊は撤退させない」という発生直後の声明はまさに証生さんへの死刑宣告に等しいものでした。私達はすでに戦時に生きているのだということを痛感したと語りました。そして証生さんの葬儀でお母さんが「証生の体は戻ってきたけど証生の魂はまだイラクの空をさまよっている」という言葉を紹介し自分の息子がむごい殺され方をした深い悲しみと同時に、自分たちの国がこの戦争の加害者として加担しているという苦しみを他方で抱えざるを得ない両親の心の痛みを分かっていただきたいとのべました。
この訴訟の原告団長でもある藤岡さんは浄土真宗の寺の住職をされています。戦時中空襲や機銃掃射などを体験し、戦後は戦死者の法要を通じて真の仏教とは、僧侶の使命とはという問題意識を持つようになり、靖国訴訟への参加、教団内では宗会議員への立候補−教団改革などに取り組んできた。そして小泉首相の靖国参拝に見られるように戦争のために国が聖戦、戦争賛美あるいは英霊の顕彰など宗教を利用してくることは明かである。こうした今日の動向を見ていて釈尊の教えの通り「殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ」という仏教徒本来の生き方に立ち返ることが問われている。真宗教団が過去国策に追随してきた愚を繰り返さないため訴訟に立ち上がったと述べました。
元教師の上村さんは戦時中学徒動員で航空機の製造に従事した経験を持っています。熊本空襲で家が焼けるなど大変な目にあったが、軍国少年として敵を討つことだけを考えていた。日本は神の国だから絶対に負けることはないと信じていたが負けてしまい、天皇はじめ軍国主義教育をした教師など誰も責任を取らないのを見てショックを受けたといいます。1949年に教師となり『新しい憲法の話』を生徒と一緒に学び、生徒にのしかかる戦争の傷跡を見せられ平和運動に目覚めたと述べました。日教組の運動に加わり「教え子を再び戦場へ送るな」という運動を進めてきた。子どもたちに憲法9条があるから日本は絶対戦争をすることはないと教えてきたが、イラクへ派兵する事態となり教え子にウソをついたことになると危機感を持ち、イラク訴訟の原告になったと述べました。
原告のF・Tさんは熊本空襲のとき熊本師範学校の寄宿舎でその恐怖を味わっことや、少年航空兵になりたいという本人の希望を知ったお母さんがある夜こっそりと「教師となって第二の国民を育てる道に進む」ことを勧められたことなどを証言。師範学校では鬼畜米英といった軍国主義教育を受けたが、戦後教師になり組合活動や同和教育に目覚めてから人を殺したり差別をすることは絶対にやってはいかんと思うようになったと話しました。現在お孫さんが自衛隊に入隊していることで、いつ海外派遣されるか不安であるなど自分が原告になった理由を述べました。現在も各学校を回り平和教育や人権教育のお手伝いをしているが、孫や曾孫に当たる子どもたちに二度と戦争の体験をさせないためにも自衛隊イラク派兵を憲法違反であるという判決を望むと訴えました。
山本さんは原告団の最高齢者です。90才を目前にしながら今日もなお平和運動の第一線で活躍されています。戦前から教師をされ、子どもたちには「日本よい国清い国、世界で一つの神の国」だから絶対に負けることはないと教えなければいけなかったと語りました。教え子ややその兄弟などを十四,五才の身で少年兵として戦場に送り出した辛い体験があります。長崎の原爆投下時のきのこ雲が熊本から見えたことや、翌日の空襲で学校の体育館が焼けた体験などを語りました。敗戦後進駐軍が来るというので教科書の墨塗りや軍国主義的な図書を全部消却したと語りました。しかし憲法施行後文部省が出した「新しい憲法の話」を喜びと感動をもって読み、教え子を再び戦場へ送らないと仲間の教師と一緒に誓ったそうです。侵略戦争を聖戦と教える教科書ではダメ、徹底した平和主義を教えてきたといいます。退職後も平和運動に取り組み、イラク戦争に自衛隊を派兵したことに対して一日も早く自衛隊を引き上げ、イラク国民自身による平和なイラクの建設を願っていると述べました。
原告の中山清隆さんは益城町の町議会議員をしています。一九三六年生まれで「軍国少年」として育ち、熊本空襲の経験や学徒動員で長崎の造船所で働いていた兄の被爆、両親がため込んだ国債が紙切れになってしまったことなど全てを奪い去る戦争の記憶が証言されました。帰郷されたお兄さんはその後原爆症による体調不良で苦しい生活を送ったこと、親戚のおじさんから中国での新兵教育時の虐殺の体験などを聞き、戦争は全てを奪い尽くす、殺し尽くす、人の命を奪い、家屋敷を奪い心まで奪うもので絶対に許せないと語りました。そして安倍内閣によるイラク特措法の延長など私達の平和的生存権が侵害され大変危険な状況であると訴えました。
Nさんは公立高校で図書館の司書をされています。小学校5年生の息子がおり、子どもには将来世界中へ羽ばたいて欲しいと願っているとのこと。ところがイラク戦争へ日本が参戦する事態となり、日本がテロのターッゲットになるのではと不安を持っている。勤務してきた高校の生徒にも自衛隊に就職する子がいたが、彼らが戦場へ派兵されるのではないかと心配でならないという。自分はエスペラント語を学び世界中の人と交流してきた。子どもたちには世界へ羽ばたいて欲しいが、イラク戦争へ派兵して日本が戦争をする国になればこうした交流が出来なくなるのではという不安がある。イラクへの自衛隊派兵はこうした願いを踏みにじり、平和のうちに暮らしていく権利を奪うものであると述べました。
原告の田中信幸さんは父親が日中戦争から太平洋戦争にかけて三回も招集され、負傷しながら奇跡的に生還したこと、学生時代父親と戦争責任をめぐって激しく論争してきた経験などを語りました。侵略に加担した責任は許せないが、その過程で赤紙一枚で犬死にさせられた大多数の国民のことを考えるようになったと述べました。PKOで自衛隊が派兵された時は計五回にわたって熊本市内の二つの自衛隊官舎に戸別訪問してチラシ配布や説得活動を行ったことを紹介し、イラク派兵の時も同じように撒こうとしたが、直前に起きた「立川事件」で官舎へのチラシ配布が「犯罪」として取り締まられる状況になりビラ撒きを断念せざるを得なかった。これは表現の自由への侵害であると証言。情報保全隊の違法な活動が明らかになるなどイラク戦争が始まってから表現の自由が侵害されており、これが戦争への道につながる。裁判所が勇気を持って違憲立法審査権を発動するよう求めました。
楳本(うめもと)光男さんは陸自西部方面総監部に隣接する中学校でPTA会長を経験された原告です。イラク派兵が始まりPTA活動を通じて自衛隊員の子弟も含めて子どもたちに憲法のことや自衛隊のことをどう伝えるか悩んだことを証言しました。自衛隊基地へのテロ攻撃が起きた場合の対応など課題は山積みです。たとえば健軍駐屯地には弾薬庫があり、もしここがやられれば半径数キロに被害が及ぶことや、米軍との共同演習時の子どもたちへの安全対策など何も検討されていないと言います。ご自身が労働組合運動で活動し、地域ではPTA活動に参加していることから、命を生み育て平和のうちに生活することと戦争は相容れない、平和を抜きに労働運動や子どもの人権を守ることなどあり得ない。自衛隊イラク派兵で自分たちの平和的生存権が大きく侵害されたと訴えました。
最後に証言に立った吉本悦子さんは1929年生まれ、戦前旧満州に移住し、敗戦後1946年11月にやっと帰国出来た体験を持っている方です。関東軍は国民を見捨て、ソ連軍の参戦などで大混乱の中国大陸を逃げ回り、髪を切り男の身なりをしてわが身を守る生活を忘れることはできないといいます。吉本さんは旧満州の行く先々でソ連兵による暴行や虐殺で被害が続出したことを証言しました。しかし帰国した日本も平和でなかったと。戦争がなければこんな目に遭わなかったのにという気持ちが強いといいます。戦後は教師になり戦争への反省から平和教育に取り組んできました。吉本さんは最後の一人になっても戦争に反対していこうと自分に言い聞かせていると述べ、イラク戦争への加担はアメリカのためであり、自衛隊員と家族に自分が味わった体験をさせたくない、どうぞ賢明な裁断をと訴えました。
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弁論終了後の集会 |
●3次提訴含め全ての原告が併合に!
尋問に入る前に亀川裁判長は1次2次提訴原告とともに4月20日に新たに提訴した第3次原告も併合とすると述べました。これで熊本訴訟の原告は1つにまとまりました。
参照 意見陳述書又は本人調書