自衛隊イラク派兵違憲訴訟の会・熊本
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訴 状

2
請求の原因 
第2 イラク戦争の実態と日本の関与

「自衛隊のイラク派兵差し止め等請求事件」訴状(2005年3月18日)を
 4ページに分けて掲載します。

1 請求の趣旨
   請求の原因 第1 この訴訟の意義


2 請求の原因 第2 イラク戦争の実態と日本の関与 

3 請求の原因 第3 自衛隊派兵は「侵略」への加担に他ならない
         第4 自衛隊派遣の違憲性・違法性


4 請求の原因 第5 原告らの被侵害利益
         第6 原告らの請求



 請求の原因  第2 イラク戦争の実態と日本の関与


1 イラク戦争の発生と終結・占領統治の経過

[1] 1990(平成2)年8月2日,イラク軍がクウェートに侵攻した。

[2] 同年11月29日国連安保理で対イラク武力行使容認決議がなされ(決議678),1991(平成3)年1月17日から多国籍軍による武力行使がなされた(湾岸戦争)。ここではアメリカによってイラク全土に500〜800トンの劣化ウラン弾と大量のクラスター爆弾が投下された。戦後も劣化ウラン弾はその放射能汚染により,クラスター爆弾は放置された子爆弾により,多数のイラク国民を死に至らしめている。

[3] 同年4月3日,国連安保理で対イラク停戦決議(決議687)がなされ,同月9日,国連イラク・クウェート監視団(UNIKOM)設立が決議された(決議689)。

[4] 米軍は,更に1993(平成5)年6月26日ブッシュ元大統領の暗殺未遂事件の報復として,1996(平成8)年9月3日イラク軍の北イラク・クルド地域侵攻の報復として,2度にわたってイラクを巡航ミサイルで攻撃した。

[5] 1998(平成10)年11月5日,安保理はイラクによる査察拒否に対し,安保理決議に対する重大な違反であるとして,UNSCOM(国連イラク特別委員会)及びIAEA(国際原子力機関)との協力の即時,無条件再開をイラクに要求する決議1205を採択したが,同年12月17日,米英軍はイラク攻撃を行った(砂漠の狐作戦)。

[6] 1999(平成11)年12月17日,国連安保理は,国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)の設置,査察を決議し(決議1284),UNMOVICは2000(平成12)年8月30日,イラクで作業を開始しうる状況になったと報告したが,2001(平成13)年2月16日,米英軍はバグダッド近郊を爆撃した。

[7]  同年9月11日米国で同時多発テロが発生した。米英軍はテロリストを匿っているとして同年10月7日アフガニスタンを攻撃し,同年12月22日にはアフガニスタン暫定行政機構が発足した。   

[8] 2002(平成14)年1月29日,ブッシュ米国大統領は一般教書演説において北朝鮮,イラン及びイラクを「悪の枢軸」と名指しする発言をした。
  
[9] 同年10月1日,イラクの大量破壊兵器査察再開に向けた国連とイラクの実務協議で,イラク側は大統領関連8施設を除くすべての施設の即時,無条件,無制限査察を受け入れることで合意したが,さらに国連安保理公式協議では,査察の全面受け入れを迫る決議1441を全会一致で採択した。イラクの受諾により同年11月27日査察が再開され,同年12月7日イラク政府が大量破壊兵器に関する申告書を提出,2003(平成15)年1月9日,イラクの申告書に関する報告がなされたが,査察官からは迅速なアクセスを得ることができていると報告された。
  
[10] しかしながら2002(平成14)年10月11日,米国議会はイラクに対する武力行使容認決議を可決し,ブッシュ大統領は,2003(平成15)年1月28日の一般教書演説で,安保理でパウエル国務長官がイラクの大量破壊兵器をめぐる証拠隠しやテロ組織アルカイダなどとの関係を証明する機密情報を提示すると明言し,新たな安保理決議抜きでも武力行使に踏み切る考えを示した。同年2月5日,米国パウエル国務長官が演説でイラク機密情報を開示したが,決定的な証拠は明らかにされず,仏,独,露等の国々は査察を継続すべきとの立場をとった。

[11] 米国はさらにイギリス,スペインとともに同年2月24日,国連安保理非公式会合で対イラク武力行使を容認する新決議案を提示した。しかしそれに反対する仏・独・露の3国はイラクに対する武力行使の正当性を否定し,国連による査察を継続すべきとする立場を鮮明にし,他の多くの国々も武力行使を支持せず修正決議案可決の見込みもなかったため,同年3月17日,米英両国はイラクに関する安保理修正決議案の採択を断念した。

[12] そして同日ブッシュ米国大統領は,フセイン大統領とその息子の48時間以内の国外退去がなされなければ武力紛争は避けられないとの最後通告を行い,同月20日,米英両軍は,安保理決議のないままイラク侵攻を開始した。イラクが国際社会の平和と安全に与えている脅威を取り除くための最後の手段だとして,仏,独,露などの反対,世界的に広がった反対世論を押し切ってなされたものであった。米英は,イラクの「脅威」の内容について,2001(平成13)年9月11日のアメリカ同時多発テロを実行した国際テロ組織に援助を与えていること,生物化学兵器などの大量破壊兵器を開発・保有していることなどを挙げた。

[13] 小泉総理大臣は,即時に米英の攻撃の支持を表明したが,記者会見等を開くことはなかった。

[14] 米英軍は表面的には順調に侵攻を進め,2003(平成15)年4月9日には首都バグダッドが事実上陥落し,同年5月1日,ブッシュ米国大統領は戦争終結宣言を行った。

[15] 同月22日,イラクの復旧・復興等に関する安保理決議1483が採択され,同年6月1日には連合国暫定施政当局(CPA)が発足,同年7月22日には統治評議会が発足した。

[16] 米軍はなおも武力行使を進め,同年7月22日にはフセイン元大統領の長男ウダイ氏及び次男クサイ氏を攻撃により殺害し,同年12月13日にはフセイン元大統領を拘束した。

[17] 2004(平成16)年6月28日,イラク暫定政権に主権が移譲され た。

[18] 米英らが根拠とした大量破壊兵器については,現在に至るまで発見されていない。同年1月28日,イラクの大量破壊兵器に関する米調査団の団長を辞任したデービッド・ケイ氏が米上院軍事委員会の公聴会で証言し,大量破壊兵器の有無について「私を含めほぼ全員が間違っていた」と述べ,イラクが大量破壊兵器を保有していると信じ込んだのは米政府の情報収集の誤りだったと指摘し,同年7月9日の米上院情報特別委員会はCIAが「イラクの大量破壊兵器の脅威」を誇張したと批判する報告書を発表した。同年9月13日には,米国パウエル国務長官が議会証言でイラクでの大量破壊兵器発見を断念する考えを示し,さらに同年10月1日,記者会見で「我々は今,彼が備蓄を持っていなかったことを知った」と述べた。

2 「戦闘終結宣言」以降のイラク情勢

以下は日本国内で報道されたものの一部のみである。なお各項目の後に付した記号は,A:米英軍に対する攻撃,B:米英軍以外の軍に対する攻撃,C:非武装の文民や,国連・国際人道機関等軍以外に対する攻撃,D:復興に協力するイラク人に対する攻撃,E:イラク国外における攻撃を表す。F:攻撃を受けるなどしてなされた退去等各国の措置,G:米軍等の軍事攻撃,J:日本,ないし日本人が受けた攻撃等である。

 ア 2003(平成15)年5月〜7月
  米軍は戦争終結宣言後,西部での反米勢力掃討作戦を開始し,フセイ ン元大統領の息子を殺害した。

 1)  2003(平成15)年5月1日,ブッシュ米国大統領は,戦争終結宣言を行い,「イラクでの主要な戦闘は終結した。イラクでの戦闘で米国と同盟国は勝利した。そして今,我々同盟はイラクの治安確保と再建に取り組んでいる。」と述べた(G)。
 2)  同年6月15日,米軍はファルージャなど西部で反米勢力掃討作戦を展開した(G)。
 3)  同月18日,バグダッドの軍人デモにおける米軍の発砲で,イラク人2名が死亡した(G)。
 4) 同年7月22日,米軍はフセイン元大統領の長男ウダイ氏及び次男クサイ氏を攻撃により殺害した(G)。

イ 2003(平成15)年8月〜10月
     国連や統治を担うイラク人を狙った爆弾テロが発生し,多くの要人が    殺害された。

 5)  8月7日,バグダッドのヨルダン大使館前で爆弾テロが発生した(C)。
 6)  同月19日,バグダッドの国連本部が爆破され,セルジオ・デメロ国連事務総長イラク特別代表ら17人が死亡した(C)。
 7)  同月29日,イスラム教シーア派聖地ナジャフのモスクで爆弾テロが発生し,ムハンマド・ハーキル・アル・ハキームSCIRI(イラク・イスラム革命最高評議会)議長を含む100名以上が死亡した(D)。
 8)  9月2日,バグダッドで警察署が爆破された(D)。
 9)  同月18日,米兵5人が死傷する襲撃事件が発生し,石油パイプラインも破壊された(A)。
 10) 同月20日,アキーラ・ハーシミー統治評議会メンバーが殺害された(D)。
 11) 10月9日,在イラク・スペイン大使館外交官が殺害された(C)。
 12) 同月27日,バグダッドの国際赤十字委員会事務所等に対する連続爆破テロが発生した(C)。
 13) 同月30日,国連は,イラクでの活動継続に必要な安全措置再興のためとしてイラクの国連国際職員を出国させる旨発表した(F)。

ウ 2003(平成15)年11月
 テロは激化し,トルコで2度の爆弾テロが発生,日本はテロ組織から名指しで警告を受けた。そして日本人外交官2名が殺害された。韓国の民間人らも殺害された。

 14) 2日,バグダッド西で米軍ヘリが撃墜された。同日7日及び15日には中・北部で米軍ヘリが撃墜された(A)。
 15) 3,4日,旧政権訴追のイラク人判事などが殺害された(D)。
 16) 8日,国際赤十字委員会がバグダッド,バスラの事務所を一時閉鎖した(F)。
 17) 12日,ナーシリーヤにおいてイタリア軍警察基地を標的とした自爆テロが発生した(B)。
 18) 15日,トルコ・イスタンブールのシナゴーグ(ユダヤ教礼拝所)で連続爆弾テロが発生し,23人が死亡した(E)。
 19) 16日,国際テロ組織アルカイダ系の組織「アブハフス・アブマスリ旅団」は,ロンドン発行のアラブ圏有力紙と週刊誌に電子メールを送付し,トルコ・イスタンブールで15日起きた連続爆弾テロ,12日のイタリア軍自爆テロを認めるとともに,米国及び同盟国の日本,イギリス,イタリア,オーストラリアへのテロを計画中であることを明らかにした。日本に対しては「アラーの戦士に踏みつけにされたいのであれば,イラクに行くがよい。われわれの攻撃は東京の心臓部に届くであろう」と述べた(E・J)。
 20) 同日夜,米軍は中部ティクリート周辺で反米武装勢力の拠点と見られる施設に大規模な攻撃を行った(G)。
 21) 20日,トルコ・イスタンブールで英国系大手銀行HSBCのトルコ本部ビルと英国総領事館付近で自爆テロがあり,ロジャー・ショート英総領事ほか26人以上が死亡した(E)。
 22) 22日,警察署が爆破された。その後も警察署は繰り返しテロの標的となっている(D)。
 23) 29日,イラクの人道復興支援の最前線で経済協力案件の発掘・実施等に携わっていた奥克彦在英国大使館参事官及び井ノ上正盛イラク大使館三等書記官がジョルジース在イラク大使館職員とともにバグダッド北西のティクリートへ向かう途上,何者かに銃撃されて死亡した(J)。
 24) 同日バグダッド南郊でスペイン国家情報局員7名が殺害された(C)。
 25) 30日,ティクリート近郊で韓国人技師2名が殺害された(C)。
 26) 同日バグダッド北方サマッラで米軍の2つの車列がほぼ同時に武装勢力の攻撃を受け,米軍が戦車砲などで反撃,武装勢力側の46人が死亡した(A・G)。

エ 2003(平成15)年12月
 日本国内の警備は強化された。米軍はフセイン元大統領を拘束したが,イラク各地の警察や一般人が標的となった。

 27) 12日,日本政府は,イラクを中心に国際テロが頻発していることを受け,「テロ対策関係省庁会議」を開き,国内でのテロを未然に防止するための総合的な対処指針を決めた。そこでは「水際危機管理チーム」を内閣官房に設置し,空港・港湾に「空港・港湾危機管理官」を置くと明記され,警察,海上保安庁などによる原発,在日米軍基地,交通機関,在外公館の警備強化を始め,大規模イベント会場など多人数が集まる施設やライフラインの管理者に自主警備強化を促すことも盛り込んだ(J)。
 28) 13日,米軍は,ティクリート南方約15キロのアッドールでサダム・フセイン元大統領を拘束した(G)。
 29) 14日,バグダッド西部の警察署前で爆弾テロ,警察官ら17人が死亡した(D)。
 30) 15日,バグダッドとその北郊の警察署2箇所で自爆テロ,警察官8人が死亡した(D)。
 31) 17日,バグダッド南西部の警察署付近でタンクローリー1台が爆発し,近くのバス乗客ら少なくとも10人が死亡した(D)。
 32) 同日,フセイン元大統領拘束への抗議デモが各地で広がり,参加者の一部が暴徒化して死傷者が出た(D・G)。
 33) 24日,イラク北部クルド人自治区の主要都市アルビルにある内務省の事務所前で自爆テロがあり,犯人を含む5人が死亡した。バグダッド西部の住宅密集地でも走行中のバスが爆発した(D)。
 34) 27日,イラク中部カルバラで連合軍の駐屯地2か所と県庁舎を標的に自動車爆弾や迫撃砲を使った大規模な連続攻撃があり,タイ軍兵士2人を含む6人が死亡した(B)。

 オ 2004(平成16)年1月
  陸上自衛隊先遣隊がイラクで活動を始めたが,各地でテロが続いた。

 35) 3日,陸上自衛隊派遣予定地のサマワで職を求めて県施設前に集まった市民ら約300人が暴徒化,5人が負傷した(D)。
 36) 8日,バグダッドの西約50キロのファルージャ近郊で米軍ヘリコプターが攻撃を受け墜落,米兵9人全員が死亡した(A)。
 37) 16日,日本の全国の警察本部は,陸上自衛隊先遣隊出発を前に空港や駅,原子力発電所など650か所の重要施設でのテロ警戒態勢を強化した(F)。
 38) 18日,バグダッドCPA管理区域正門近くで自爆テロがあり,20人以上が死亡した(C・D)。
 39) 25日,エジプト最大のイスラム政治勢力でイスラム世界にネットワークを持つ「ムスリム同胞団」の最高指導者,ムハンマド・アキフ団長が,同月24日までに朝日新聞社の会見に応じ,日本がイラクに自衛隊を派遣したことを「この時期に米国の占領に協力するのは,誤った決定」と語り,自衛隊を含む外国の軍隊に対するイラク民衆による攻撃はイスラム教が認める「聖戦」との考え方を示した。またアキフ団長は日本が自衛隊の任務は戦闘ではなく,復興支援としていることについて,「日本が占領軍であることに変わりはない。日本の主張は政府間では通用するかもしれないが,民衆にとっては日本であれ,他国の軍隊であれ区別はない」と言い切った(J)。
 40) 25日,陸上自衛隊用のコンテナハウスを積んだトレーラーが搬送中に何者かに襲われ,ヨルダン人運転手1人が死亡した(C)。
 41) 31日,北部モスルの警察署前で爆弾テロ,警察官2人含むイラク人9人が死亡した(D)。
 42) 同日北部キルクークと中部ティクリート間を移動中の米軍車列が爆弾攻撃を受け,米兵3人が死亡した(A)。

カ 2004(平成16)年2月
 陸上自衛隊はサマワで活動を開始したが,武装勢力による反撃は続き,サマワでも迫撃砲による攻撃があった。

 43) 1日,北部アルビルでクルド人2大政党の事務所を狙った連続自爆テロがあり,少なくとも56人が死亡した(D)。
 44) 8日,陸上自衛隊本隊約60人がサマワに到着した(J)。
 45) 10日,バグダッド南方50キロのイスカンダリヤの警察署で自爆テロ,約50人が死亡した(D)。
 46) 11日,バグダッド南東部イラク国軍新兵募集センターで自爆テロがあり,46人が死亡した(D)。
 47) 12日,サマワ市中心部で迫撃砲による攻撃があり,迫撃弾は日本のメディアなどが拠点を置くホテル近くの路上と,サマワ警察署に近い民家の屋根に落下した。サマワでの火砲を使った攻撃は初めてであった(C・J?)。
 48) 同日,ファルージャでイラク訪問中のジョン・アビザイド米中央軍司令官が乗った米軍車列がロケット弾による攻撃を受けた(A)。
 49) 14日,ファルージャで警察とイラク民間防衛隊が入る建物などが武装グループに襲撃され,22人が死亡した(D)。
 50) 16日,バグダッドの小学校で爆発があり,児童2人が死亡した(C)。

キ 2004(平成16)年3月
 宗教行事中のテロでイラク人が多数死亡した。米軍に対する攻撃も激しさを増した。スペインで列車爆破テロが発生し,多数が死亡,再び日本も名指しで警告された。日本国内では警戒が強まった。

 51) 2日,バグダッド及びカルバラにおいて,イスラム教の宗教行事中に大規模なテロが発生し,143人が死亡した(C)。
 52) 11日,スペインの首都マドリード中心部の3つの駅で4つの列車が10分間の間に次々と爆発するテロがあり,200人以上が死亡した。イギリスのアラビア語紙「アルクドウズ・アルアラビ」に同日夜,アルカイダを名乗るグループから犯行声明が届き,「我々は十字軍同盟の一翼であるスペインに厳しい一撃を与えた。アスナール(スペイン首相)よ,英国よ,日本よ,そして他の(米国の)協力者たちよ,誰がお前たちを我々から守るのか」と日本などを名指しで警告している(E,J)。
 53) 同月17日,バグダッド中心部のホテルで爆弾テロ,宿泊客ら7人が死亡した(C)。
 54) 同日バグダッド近郊の米軍補給基地に迫撃弾が打ち込まれ,米兵1人が死亡,またシリアとの国境近くクサイバに駐留する米海兵部隊が迫撃弾攻撃を受け1人が死亡した(A)。
 55) 18日,南部バスラ中心部の英軍が記者会見に使っているホテル近くで爆弾爆発,5人が死亡し,またバグダッド北方約60キロのバアクーバ近郊でも米国などが資金提供するイラクのテレビ局の取材チームを乗せたバスが走行中に銃撃を受け3人が死亡した(D)。
 56) 同日,ファルージャで米ヘリが墜落した。武装勢力との銃撃戦もあり,イラク人2人が死亡した(A・G)。
 57) 同日,スペイン・マドリードの列車同時爆破テロを受け,警察庁は新幹線をはじめ鉄道に対する警戒を強化するよう全国の警察本部に指示した。国土交通省もJR各社や私鉄,地下鉄など全国の鉄道事業者に警備強化を指示したことを明らかにした。駅構内は巡回を強化し,爆発物の有無を警察犬を使って調べる,列車内には鉄道警察隊員だけでなく機動隊員も動員するなどの措置とのことである(J)。

ク 2004(平成16)年4月
 連合軍と武装勢力との戦闘は激化した。サマワの陸上自衛隊を狙った攻撃もなされた。5人の民間の日本人が拉致された。結果として5人とも解放されたが日本の裏切りへの怒りが示された。多くの民間人が拉致され,一部は殺害された。スペインは撤兵した。

 58) 4日,聖地ナジャフ郊外クーファでスペイン軍を中心とする連合軍とシーア派の反米指導者ムクタダ・サドル師を支持するデモ隊が衝突し,銃撃戦となり,デモ隊ら20人が死亡し,連合軍側もエルサルバドル兵4人が死亡した。バグダッドでも数百人がCPA本部前に集まり,米軍撤退を要求した(B,G)。
 59) 同日,米軍はバグダッド北東のシーア派地区サドル・シティーを戦車で包囲し,同地区内のサドル事務所に突入,2人が死亡した(G)。
 60) 陸上自衛隊は,イラクで米軍とイスラム教シーア派強硬派との対立が深刻化している事態を受け,学校や道路の補修など宿営地外での活動を中断した(J)。
 61) 5日,各地でサドル師支持者と連合軍による衝突があり,米兵4人が死亡した(A・G)。
 62) 6日,中部ラマディで武装勢力が米海兵隊陣地を襲撃,海兵隊員約12人が死亡した。ファルージャでは数機の米軍ヘリコプターがロケット弾を発射し民家4軒を破壊,女性や子供を含むイラク人26人が死亡した(A・G)。
 63) 7日,サマワ周辺で数日前陸上自衛隊部隊が移動中,地元住民から駐留に抗議する投石を受けていたことを防衛庁関係者が明らかにした。陸自は防衛庁に報告をしていなかった(J)。
 64) 同日,サマワの陸上自衛隊宿営地近くに迫撃弾3発が着弾し,隊員は一時宿営地内の退避壕や装輪装甲車内に避難した。自衛隊を狙った攻撃は初めてである。派遣部隊は8日未明から宿営地周辺を車両で巡回するなど,これまでは実施していなかった警戒活動を開始,サマワの治安を担当するオランダ軍もその外側地域の警戒に入った。陸上自衛隊の先崎陸幕長は記者会見し,「今回の事案は我々の見積もりの範疇」と述べた(J)。
 65) 同日,ファルージャで米軍がモスクを空爆し,モスク内のイラク人約40人が死亡した。その他各地で衝突が続いた(G)。
 66) 8日,サラヤ・ムジャヒディン(戦士隊)と名乗る組織にウラン弾の廃絶などを訴える団体の代表を務める今井紀明さん,イラクで薬物中毒の子どもたちを支援していた高遠菜穂子さん,フリーライター郡山総一郎さんの日本人3人が人質となったことが明らかになった。同組織は「我々は,日本に友好的かつ親密な気持ちを持っていた。しかし,あなたたちは我々の友情を敵意で返し,強大な米軍を人的にも装備面でも支援し,我々の血を流し,我々の子どもを殺害した。このため我々も同様の方法で答えるしかなくなった。」との声明を発表した(J)。
 67) 同日,韓国人牧師や英国人など民間人の拉致が明らかになった(C)。
 68) 同日サマワの米英暫定占領当局(CPA)事務所の建物から200メートルほど離れた駐車場付近に小型ロケット砲が打ち込まれた。地元警察と武装勢力との間の銃撃戦もあった(A)。
 69) 9日,イラク統治評議会メンバーが,4日から9日までの6日間で,イラク人400人以上が死亡,1000人以上が負傷したと語った(G)。
 70) 10日付けの読売新聞で,トルコのエルドアン首相は,読売新聞の取材に対し,イラクは内戦状態になったという認識を示したと報道された。
 71) 11日,中国人7人が武装勢力に拘束された(12日解放)。拘束されていた英国人,パキスタン,トルコ,インド,フィリピンの計8人が釈放された。ドイツ国境警備隊特殊部隊2名が殺害された。(C)。
 72) 13日,バグダッド郊外で米国人4人の遺体が発見された(D)。
 73) 同日米軍はファルージャで武装勢力に対し戦闘機による攻撃を再開した(G)。
 74) 15日,日本人人質3人が解放されたが,14日にフリーライター安田純平さんとNGO米兵・自衛官人権ホットラインのメンバー渡辺修孝さん(栃木県足利市出身)が拉致されていたことがわかった。渡辺さんは,元自衛官で,自衛隊活動をリポートするため3月1日からイラク入りしていた(J)。
 75) 同日イタリア人人質1人が殺害された(C)。
 76) 17日,安田さんと渡辺さんが保護された(J)。
 77) 同日,サマワでオランダ軍とイラク人グループとの間で銃撃戦があった(B)。
 78) 20日,中部ディワニヤ周辺に駐留するスペイン軍兵士260人が任期終了に伴い,帰還した。スペイン国防省は交代を送らない方針である(F)。
 79) 21日,バスラの3か所の警察署前で同時テロが発生,郊外スバイルの警察学校でも爆弾テロが発生し,少なくとも園児17人を含む68人が死亡した(C,D)。
 80) 22日,サマワにあるオランダ軍宿営地に迫撃弾が打ち込まれ,陸上自衛隊は宿営地内の照明を落とし,退避壕や装甲車などに一次退避した。(B,J)。
 81) 25日,サマワのオランダ軍宿営地近くに迫撃弾3発が着弾した(B,J)。
 82) 26,27日,ファルージャやナジェフで米軍と武装勢力の激しい戦闘が発生した(A,G)。
 83) 27日,スペインのサバテロ首相は主要部隊が同日までにイラクから撤退したことを明らかにした。同年5月27日までには全兵士の撤退が完了する見通しである(F)。
 84) 28日,バグダッド郊外アブグレイブ刑務所での米兵によるイラク人捕虜への虐待が明らかになった。英軍でも同様の虐待があった(G)。
 85) 29日,サマワの陸上自衛隊宿営地近くに迫撃弾2発が着弾した。隊員に怪我はなく,施設にも被害はなかったが,隊員らは宿営地内の壕やコンテナなどに一時退避した(J)。

ケ 2004(平成16)年5月
 日本人ジャーナリストら2人が殺害された。サマワでも武装集団とオランダ軍との戦闘が発生し,自衛隊宿営地付近で地雷がしかけられた。航空自衛隊使用の空港も襲われた。

 86) 9日から10日にかけて米軍がバグダッド北東部のサドルシティーにあるサドル師事務所を破壊し,35人を殺害した(G)。
 87) 10日,サマワの中心部でパトロール中のオランダ兵に向けて手りゅう弾が投げつけられ,1人が死亡した。小泉総理大臣はサマワが非戦闘地域という認定について「変わりない」と語った。政府関係者は「オランダだけではなく,治安を担当しているところは反感を買っている。人道復興支援をしている自衛隊とは切り離して考えるべきだ。ただ,サマワの治安がよくなっているとはいえない」と語った(B,J)。
 88) 14日,サマワ中心部でイスラム教シーア派の強硬派指導者ムクタダ・サドル師支持の民兵組織マフディ軍団と,オランダ軍との間で激しい銃撃戦があった。同日朝からナジャフでもマフディ軍団と米英軍が交戦していた(B,G)。
 89) 15日,オランダ軍は,サマワ中心部にあるマフディ軍団が立てこもっていた同派事務所に突入した(G)。
 90) 17日,バグダッド中心部CPA管理区域入り口付近でイラク統治評議会メンバーの車列付近で自動車爆弾が炸裂,同評議会アブドルザハラ・オスマン議長を含む9人が死亡した(D)。
 91) 18日,サマワの自衛隊宿営地近くの自衛隊も通過する道路で2週間以内に敷設された対戦車地雷が発見され,イラク保安部隊の爆弾処理班が除去した。州警察ではこの夜,日本側の治安に対する不安を刺激するのを恐れてメディアには知らせないよう緘口令が敷かれた(J)。
 92) 20日,サマワから約100キロ南方のタリル飛行場付近に砲弾が着弾した。同飛行場への攻撃は初めて。航空自衛隊輸送機も利用していた(J)。
 93) 19日,シリアとの国境近くカイム村で米軍が民家を攻撃,45人が死亡した。結婚式場が誤爆されたとイラク警察幹部らが話した(G)。
 94) 25日から26日にかけてナジャフで米軍と武装勢力の戦闘,サドル派最大100人が死亡した(A,G)。
 95) 27日,サマワでCPA事務所か警察署を狙った迫撃砲による爆撃があり,3回の爆発音があった。着弾地点から1キロ離れた住宅街から発射された可能性が高いという(D)。
 96) 同日,バグダッド近郊マフムーティーヤ走行中の車両に乗っていたフリージャーナリストの橋田信介さん,甥の小川功太郎さんの2名が銃撃を受け死亡した(J)。

コ 2004(平成16)年6月
 テロはますます激化し,それに応じたアメリカの攻撃も大規模化し,多くのイラク人が死亡した。韓国人民間人も殺害された。

 97) 14日,バグダッド中心部タフリル広場で自爆テロ,外国人を含む16人が死亡した(C)。
 98) 19日,ファルージャで米軍が住宅地にミサイル2発を撃ち込み,イラク人22人が死亡した(G)。
 99) 22日,バグダッド西方で,韓国人民間人の遺体が発見された(C)。
100)  24日,イラク5都市で爆弾テロ,死者数は約100人に達した(C,D)。
101)  25日,ファルージャで米軍がヨルダン人テロリストザルカウィ一派の隠れ家を攻撃したと発表,20から25人が死亡した(G)。
102)  27日,バグダッド国際空港でオーストリア軍所有のC130輸送機が銃撃され,米国人乗員が死亡した。また各地で連合軍が攻撃を受けた(A・B)。

サ 2004(平成16)年7月
 戦闘は続き,フィリピン部隊は完全撤退した。

103)  14日,バグダッド中心部国際ゾーンで自爆テロ,市民ら11人が死亡した(C)。
104)  18日,ファルージャで米軍が民家を空爆,12人が死亡した(G)。
105)  19日,フィリピン部隊はイラクから完全撤退した。フィリピン人運転手が拘束され,20日までの撤退を求められていた(E)。
106)  29日,中部バアクーバの警察署前で自爆テロ,68人が死亡した(D)。

シ 2004(平成16)年8月
 自衛隊への砲撃が激化した。

107)  1日,バグダッド市内4カ所のキリスト教教会近くで爆弾テロ,11人が死亡した(D)。
108)  6日,米軍は5日から6日にかけてのナジャフでの戦闘でサドル師派300人を殺害したと発表した。戦闘はさらに続き,7日から8日にかけて新たに50人が死亡した(G)。
109)  10日,サマワの陸上自衛隊宿営地付近で迫撃砲と見られる砲弾が数発着弾した。2発は宿営地内に着弾したとの情報もあった(J)。
110)  各地で米軍と武装勢力の衝突,中部サマッラでは米軍が50人を殺害,中部ヒッラでは民兵40人とイラク人警察官3人が死亡した(A,G)。
111)  21日,サマワの陸上自衛隊宿営地付近に砲弾1発が宿営地付近の上空を通過して南方に着弾した。最も近い場所から発射された(J)。
112)  22日,米軍がナジャフの聖地イマーム・アリー廟周辺を空爆,49人が死亡した(G)。
113)  23日,サマワの陸上自衛隊宿営地付近で大きな爆撃音が数回聞こえた。300から500メートル離れた地点に着弾した(J)。
114)  24日,サマワの陸上自衛隊宿営地付近数キロ地点に砲弾1発が着弾した(J)。
115)  同月26日,中部シーア派聖地クーファでモスクに迫撃砲が撃ち込まれ,信徒ら27人が死亡した(D)。

ス 2004(平成16)年9月
 米軍らと武装勢力の大規模な交戦が続き,イラク民間人も多数死亡し    た。

116)  4日,北部クルクークの警察学校付近で爆弾テロ,少なくとも20人が死亡した(D)。
117)  同日バグダッド北方タルアファルで米軍と武装勢力が交戦,13人が死亡した(A,G)。南方ラティフィヤでも交戦があり,イラク人警察12人が死亡した(A,D,G)
118)  7日,米国はイラク開戦以来の米軍の死者が1000人に達したことを明らかにした(A)。
119) 8日,コスタリカの最高裁憲法法廷は,米国のイラク侵攻に際し,コスタリカ政府が米国を支持した行為は,平和を求める同国憲法や国際法などの精神に反し,違憲だとする判決を下した(F)。
120)  30日,バグダッド南西部で米軍車列を狙った爆弾テロ,子ども37人を含む42人が死亡した。北部タルアファルなのでも爆弾テロがあり,米兵1人,イラク人6人が死亡した(A,D)。
121)  30日から10月1日にかけ米・イラク両国軍と武装勢力が交戦,武装勢力109人が死亡,女性や子ども,老人23人が死亡した(A,G)。

セ 2004(平成16)年10月
 自衛隊宿営地内にロケット弾が打ち込まれ,拉致された日本人は無惨に殺された。

122)  4日,バグダッドのイラク軍施設入口と高級ホテル付近で爆弾テロ,14人が死亡した。北部モスルでも爆弾テロで子ども2人を含む7人が死亡した。またバグダッドでイラク暫定政府の科学技術省局長が,中部バアクーバ近郊バラドルズで地元警察署長が銃撃を受け死亡した(C,D)。
123)  8日,サマワに建立された日本イラク友好記念碑が爆破された(J)。
124)  22日,サマワの陸上自衛隊宿営地内に初めてロケット弾が着弾した。隊員が寝泊りするコンテナが並ぶ一角のすぐ近くであった。防衛庁は,度重なる砲撃の結果,駐留に反発する武装勢力の攻撃精度が上がったとみて,現地の治安維持を担当するオランダ軍などと連絡を密にし,犯行グループや発射地点の特定を急ぐことにした(J)。
125)  26日,イラクの聖戦アル・カイーダ組織とみられる武装組織が日本人香田証生さんを拉致し,48時間以内に自衛隊を撤退させなければ殺害することを表明した。解放の願いもむなしく,同月31日,バグダッドで遺体が発見された。同年11月2日には殺害場面を映したビデオ映像が公表され,声明文で「日本政府が数百万ドルの身代金を出すと申出たが,我々は聖戦を着実に遂行する。日本が安全を望むなら,軍隊を撤退させることだ」と改めて自衛隊の撤退を要求した(J)。
126)  29日,英国の有力医学誌ランセットの電子版で,昨年3月の米英軍のイラク侵攻以来,イラクの一般市民の死者は推計10万人以上という米公衆衛生学者グループの論文が発表された。
127)  31日,サマワの自衛隊宿営地にロケット弾と見られる砲弾が着弾,倉庫として使用している鉄製コンテナを貫通した。大野防衛庁長官は,同年11月1日の衆議院イラク復興支援特別委員会で,「サマワの治安状態は予断を許さない。治安の問題を重く受け止めている」と述べた(J)。

ソ 2004(平成16)年11月
 イラク全土に非常事態宣言が発令された。米軍らはファルージャに総攻撃をかけた。

128)  4日,バグダッド北方約74キロドゥジャイルの市議会庁舎前で自動車爆弾が爆発,3人死亡した。南方約50キロのイスカンダリヤでも3人が死亡した(C)。
129)  6日,サマッラで4か所の爆弾テロ,少なくとも37人が死亡した(C)。
130)  7日,バグダッド北西200キロハディーサ周辺,南方ラヒフィヤで警官が襲われ,警官ら33人が死亡した。バグダッドでは米軍車両への攻撃で米兵1人,南方マフムーディーヤでは県知事側近ら3人が殺害された(D・A)。
131)  同日,イラク暫定政府は,北部クルド地域を除くイラク全土に初の非常事態宣言を発令した。
132)  同月8日,米軍とイラク軍はファルージャに総攻撃をかけた。バグダッド陥落後の戦闘では最大規模の市街戦となった。米・イラク軍は,同月14日,市全域を支配し,武装勢力1200人以上を殺害したが,武装組織は戦いをイラク全土に拡大させると宣言した(G)。
133)  同月12日,サマワを含むムサンナ県の治安維持を担当しているオランダ軍1350人が2005年3月当初の予定通りに撤退することを決めたことが報道された(F)。
134)  同月24日,サマワのオランダ軍宿営地付近に着弾し,オランダ軍が打ち上げた照明弾で民家が破損した(B)。

タ 2004(平成16)年12月
 ファルージャ制圧後も戦闘は続いているが,日本政府は自衛隊派遣の延長を決めた。

135)  4日,バグダッド中心部警察署前で爆弾テロ,イラク人警察官7人が死亡した。バグダッド東部と中部バアクーバ付近で爆弾でそれぞれ米兵1人が死亡した(D,A)。
136)  6日,サマワを大野功統防衛庁長官が視察したが,その東約25キロのワルカ近郊で同日夜,地元住民と武装グループが銃撃戦を展開,付近から破壊力の強い高性能のTNT火薬約100キロを含む約200キロの爆発物が見つかった。武装グループは10から12人で,バイクなどに乗りワルカ東方の砂漠地帯に出没。銃撃戦の後,グループは逃走した。その後住民が地中に隠された5キロの爆発物を20個,50キロのTNT火薬が入った袋を2つ発見した。導火線や起爆装置も付いていた(J)。
137)  7日,バグダッドで,米軍のパトロール隊が襲撃され,米兵1人が死亡した。11月のイラクでの米軍死者数が,イラク戦争開始後,月間では最高の136人に上り,昨年3月20日のイラク戦争開戦以降,米兵の戦闘による死者数はこれで1,000人に達した。事故や自殺など戦闘以外での死者を含めると1,275人が死亡し,負傷者は9,765人に達している。イラク人の死者の総数については,公式に統計が取られていないが,イラク市民の死者の数を集計しているIRAQ BODY COUNT(http://www.iraqbodycount.net/)によると,12月9日現在14,619〜16,804人である。ただし10万人以上とする論文があること既述のとおりである(A,G)。
138)  7日,アナン国連事務総長は記者会見で「治安の悪化は選挙実施を危うくしている。選挙のためイラクに派遣する国連スタッフは35人に制限する」と明らかにした(F)。
139)  8日,クウェートを拠点に3月から,C130輸送機でイラクへ兵員や物資の空輸をしている航空自衛隊の輸送実績の全容が8日わかり,空輸した外国兵は延べ約1,200人で,ほとんどが武装米兵で,イラクの前線へ配置される兵士と,イラクから帰任する兵士がほぼ半数ずつで,2国間を往復輸送していた。運ばれる米兵らが戦闘参加目的だった場合,憲法が禁じる他国の武力行使との一体化とみなされる恐れがあり,9日に予定されている自衛隊派遣延長に絡んで論議を呼ぶのは必至だ,と報道された(J)。
140)  9日,自衛隊派遣の1年間の延長が決定された(J)。
141) 9日,陸上自衛隊が駐留するサマワ市南部で大きな爆発音が聞こえた。地元警察当局はTNT火薬による爆発だったことを明らかにした。付近は住宅地で,駐車中の車2台のガラスが割れた。地元警察当局者によると,住宅街の空き地にロケット弾が着弾したという(D)。
142) 10日,細田官房長官は記者会見で,陸上自衛隊が駐留するイラク・サマワの治安維持に関して,英国政府が8日,「(3月に)オランダ軍が撤退する際には(サマワを含む)ムサンナ州の治安及び安定を確保すべく,英国政府が責任を持って多国籍軍の中の調整を行うことを保証する」と日本政府に伝えてきたことを明らかにした(F)。
143)  10日,新たな「防衛計画の大綱」と次期中期防衛力整備計画が閣議決定され,国際テロ組織の活動や大量破壊兵器の拡散など「新たな脅威」に対抗するため自衛隊と米軍の一体化を進める政府方針が鮮明に示された(J)。
144)  10日,イスラム教シーア派の反米指導者ムクタダ・サドル師系の宗教指導者アブドルラザク師は,アルグレイブ・モスク(礼拝所)で行われた金曜礼拝で,日本政府が自衛隊派遣の1年延長を決めたことについて,「当初は1年だけと聞いていた。多国籍軍である以上,占領軍であり,町から撤退すべきだ」と語った(J)。
145)  13日,衆院イラク人道復興支援活動特別委員会で,細田博之官房長官は「イラクの政治プロセスが終了すれば,自衛隊の任務は終了する」と述べ,05年12月予定の恒久政権発足までは自衛隊の活動が必要との考えを示した。また基本計画に「必要に応じ適切な措置を講じる」との条項を追加したことについて「(撤退は)可能性として排除していない」と述べ,状況次第で撤退を検討する可能性がありうるとの見方を示した(J)。
146)  13日,バグダッド中心部の検問所で自動車爆弾による自爆テロがあり,7人が死亡,19人が負傷した(D)。
147)  14日,バグダッド中心部の検問所で自動車爆弾が爆発し,市民7人が死亡,13人が負傷した。北部モスルでは13日から14日にかけて,墓地など2カ所で,頭部を銃で撃ち抜かれた男性計14人の遺体が見つかった(D)。
148)  14日,ポーランドのシュマイジンスキ国防相は,イラク派遣軍の3分の1にあたる800人を来年2月から削減し1700人とすると正式に発表した。ポーランドでは世論の7割以上がイラク派遣に反対しており,来春にも予定される総選挙を控え,部隊規模の削減が政府公約となっていた(F)。
149)  15日,イラク中部カルバラで爆発が起き,8人が死亡,32人が負傷した。負傷者にはイスラム教シーア派の聖職者で,最高権威シスタニ師の代理人とされるアブドル・マハディ・カルバライ師が含まれている(D)。
150)  15日,国連はイラク移行国民議会選挙に向け,イラク南部バスラと北部アルビルに新たに事務所を開設することを明らかにした。米国などからの強い要請にもかかわらず,選挙支援の国連国際要員は現行の20人から,25人と最小限度の増員にとどめる方針も示した(F)。
151)  16日,バグダッドで出勤しようとしたカシム・イムハウィ通信省次官が銃撃され死亡した(D)。
152)  16日,自衛隊のイラク派遣に反対するビラを配るため今年1から2月にかけて,東京都立川市の防衛庁官舎の通路などに立ち入ったとして住居侵入罪に問われた市民団体メンバー男女3人に,東京地裁八王子支部は無罪を言い渡した(J)。
153)  17日,夜から18日にかけ,議会選挙の有権者登録などを行う選挙事務所3カ所が相次いで攻撃を受けた(D)。
154)  17日,米国防総省の集計によると,イラク戦争開戦以来の米軍死者が1300人に達した。死者数は11月17日に1200人を突破したばかりで,1日3人以上の犠牲が出るハイペースとなっている。11月の死者数は過去最多の136人だった(A)。
155)  19日,イラク中部のイスラム教シーア派聖地ナジャフとカルバラで,自動車に積まれた爆弾が相次いで爆発し,少なくとも計62人が死亡,123人が負傷した(D)。
156)  21日,イラク北部モスルの米軍基地で同日昼にあった爆発で米兵14人など米国人18人を含む22人が死亡,72人が負傷。米軍を直接狙った攻撃としては03年3月のイラク戦争開戦後最大の被害(A)。
157)  21日,イラク駐留米軍はバグダッド西方170キロにある中部ヒートを空爆,地元病院によると,6人が死亡,女性と子供ら7人が負傷した(G)。
158)  23日,陸上自衛隊の第5次イラク派遣部隊の物資輸送を巡り,岡山県が貨物取扱業者から岡山空港(岡山市日応寺)の大型輸送機の使用について打診を受けたが,物資に弾薬などが含まれることから使用を断っていたことが分かった。県などによると,打診があったのは先月。県は爆発物の運搬を禁じた県岡山空港条例に抵触すると判断し,今月上旬に断ったという(J)。
159)  24日,バグダッド西部の高級住宅街マンスール地区で大きな爆発があり,米軍によると20人が死傷(C)。
160)  25日,イラク中部ナジャフとカルバラを結ぶ道路で自動車爆弾が爆発し,イラク人3人が死亡,2人が負傷した(C)。
161)  27日,イラクの首都バグダッドにあるイスラム教シーア派の主要政党イラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)の指導者アブドルアジズ・ハキム師の自宅前で車による自爆テロがあり,13人が死亡,53人が負傷した(CD)。
162)  27日,イスラム教スンニ派の最大政党「イラク・イスラム党」はバグダッドで記者会見し,治安悪化などを理由に,来月30日に予定されている移行国民議会選挙から撤退すると表明した(F)。
163)  28日,イラク北部のティクリートやモスルなどで,警察署や検問所を狙ったテロ事件が相次ぎ,イラク人警官ら治安当局者19人を含む計24人が死亡した(D)。
164)  28日,バグダッド西部ガザリヤ地区の民家で大きな爆発が起き,少なくとも警官7人を含む計29人が死亡した(D)。
165)  29日,イラク北部モスルで米軍施設が武装勢力に襲撃され,米兵1人が死亡,米軍側は武装勢力側25人を殺害した(A)。
166)  30日,サマワ陸自宿営地近くで迫撃弾5発が発見された(J)。
167)  30日,AP通信イラク駐留米軍に対する抵抗勢力の武装闘争のデータをまとめ,04年夏以降,情勢が悪化し続けていると総括した。同通信によると,米軍は9月からの4カ月間に少なくとも348人の死者を出し,03年3月のイラク戦争開戦以来,最悪のペースとなった。累計で1万人を超えた負傷者の4分の1以上も,最近4カ月間の戦闘や仕掛け爆弾,自爆攻撃によるもの。ブッシュ大統領が「大規模戦闘の終結」を宣言した03年5月1日までの負傷者が542人だったのと比べ状況の悪化が際立つ(A)。
168)  31日,韓国国会がイラク派兵1年延長を可決(F)。

 チ 2005年1月
  国民議会選挙を控え,ますます悪化する治安。

169)  3日,首都バグダッドや北部ティクリートなどで自動車爆弾などのテロが相次ぎ,イラク軍兵士ら22人が死亡した(D)。
170)  4日,イラク暫定政府のヤワル大統領はロイター通信との会見で,30日に予定されている国民議会選挙について,「実施可能かどうかの見極めは国連に責任と義務がある」と述べ,国連の判断次第では延期もあり得るとの認識を示した(F)。
171)  4日,バグダッド北部でバグダッド県のハイダリ知事の車列が武装勢力に襲撃され,知事と護衛6人の計7人が死亡した。またバグダッド中心部にある国家防衛隊駐屯地付近では,自動車爆弾による自爆テロがあり,イラク兵8人と民間人3人の少なくとも11人が死亡,約60人が負傷。一方,4日は米軍に対する襲撃も相次ぎ,米兵計5人が死亡した(D,A)。
172)  4日,イラクのイスラム教スンニ派の各組織がバグダッド市内のモスクで会合を開き,30日に迫ったイラク国民議会選挙の延期を求め,共同歩調を取ることで一致した(F)。
173)  4日,03年3月のイラク戦争開戦以来の戦闘で負傷した米兵が4日までに,1万人を突破したことが米国防総省の集計で明らかになった。米軍の死者数は1335人に達している。集計によると,負傷者は計10252人で,うち72時間以内に原復帰できなかった重傷者が5396人いた(A)。
174)  5日,イラク中部ヒッラの警察学校近くで自動車爆弾が爆発し,警察官ら少なくとも22人が死亡,多数が負傷した。またバグダッド北方のバクバでも同日,検問所で自動車爆弾による自爆攻撃があり,少なくとも6人が死亡した(D)。
175)  5日,イラク北部のモスル近郊でイラク人男性18人の射殺体が見つかった(D)。
176)  5日,自衛隊が駐留するイラク南部サマワのオランダ軍兵士から「危険な所で活動しているのに,払われる手当の額が低すぎる」との不満が上がり,軍労組は国防省と初めて交渉を持ち,支払額を増やすよう求めたが,結論は出なかった(F)。
177)  6日,イラク暫定政府のアラウィ首相は,昨年11月7日に宣言した北部クルド人自治区を除く全土への60日間の非常事態をさらに30日間延長するとの声明を出した。
178)  6日,バグダッドで道路脇に仕掛けられた爆弾が爆発し,米軍のブラッドレー装甲兵員輸送車1台が破壊され,乗っていた米兵7人全員が死亡した。また,バグダッド西方アンバル州でも米海兵隊員が少なくとも1人死亡した(A)。
179)  6日,防衛庁は自衛隊の海外活動を「付随的任務」から「本来任務」に格上げする自衛隊法改正案を21日召集予定の通常国会に提出する方針を固めた(J)。
180)  6日,陸上自衛隊中部方面総監部(兵庫県伊丹市)は6日までに,近くイラク・サマワに派遣されるイラク復興業務支援隊第3次要員(約100人)に,中部方面隊から約60人を参加させることを決めた(J)。
181)  6日,中国地方五県を管轄する陸上自衛隊第一三旅団(司令部・広島県海田町)から第三次イラク復興業務支援隊に加わる隊員十人が六日午前までに,それぞれの駐屯地などから出発した。海田市駐屯地(海田町)からはこの日朝,同駐屯地所属の男性三佐(45)と日本原駐屯地(岡山県奈義町)所属の男性三佐(36)が制服姿で出発した。
  一三旅団から三次隊に加わるのは,海田市,日本原,山口,米子,出雲の各駐屯地の隊員。三次隊は,一三旅団を含む中部方面隊(総監部・兵庫県伊丹市)を中心に要員約百人。今月下旬から二月上旬にかけて中部方面隊からサマワに派遣される見通しの第五次イラク復興支援群の受け入れ業務や物資輸送などに当たる。
182)  7日,ブッシュ米大統領はイラクで30日に予定される移行国民議会選挙を予定通り実施する方針を明示し,「歴史的瞬間になる」などと楽観的な展望を示した。しかし,イラク駐留米軍の指揮官は同国人口の半分近くが住む4県について必ずしも投票の安全を保証できないと公言し,スコウクロフト元大統領補佐官は選挙が内戦を招く危険を指摘している(F)。
183)  7日,バグダッド南方で。イラク・サラハディン県の県議会議長と同県副知事がイスラム過激派とみられるグループに誘拐された(D)。
184) 7日,イラク南部サマワに駐留する自衛隊の活動について,反米運動を続けるイスラム教シーア派のムクタダ・サドル師派がこのほど,住民へのアンケートを行った。その結果,86%の住民が「自衛隊の活動に満足していない」と答えた(J)。
185)  8日,イラク駐留米軍は北部モスル近郊で米軍のF16戦闘機が民家を誤爆し,住民5人が死亡したと発表した。AP通信は,住民側の話として14人が死亡し,うち7人が子供だったと伝えている(G)。
186)  8日,イラク復興業務支援隊第3次要員が羽田空港から出国した。約90人の隊員は,同空港としては初めて,全員迷彩服を着用してチャーター機に乗り込んだ(J)。
187)  10日,ウクライナのクチマ大統領は,イラク中部に派遣中のウクライナ軍部隊約1600人を今年前半に撤退させる方針を決め,クジムク国防相とグリシェンコ外相に計画策定を命じた。イラクでは9日,爆発でウクライナ兵8人が死亡しており,クチマ大統領は,これを受け,撤退を急がせたとみられる(F)。
188)  10日,選挙妨害へ爆破続発,バグダッド警察副本部長射殺(D)。
189)  10日,フーン英国防相はイラク駐留英軍に近く400人を増派する方針を明らかにした。今月30日の移行国民議会選挙に向けた治安維持態勢強化が目的。イラクの英軍は9000人規模となる(F)。
190)  11日,イラク北部ティクリートの警察署近くで11日,自動車が爆発し,少なくとも7人の警官が死亡,8人が負傷。バグダッド南方で走行中のミニバスが武装集団に襲撃され,乗っていた8人が死亡,3人が誘拐された。中部のサマラでは道路脇の爆弾2発が爆発し,イラク国家警備隊員2人と警官1人の計3人が死亡(D)。
191)  10〜11日,バグダッドでアラウィ暫定首相が率いる政党「イラク国民合意(INA)」のメンバーを狙ったテロがあり,2人が死亡,1人が大けがをした。INAによると,最近2カ月で同党のメンバー22人が殺害されており,アラウィ首相は11日「移行国民議会選挙(30日)実施のための安全を確保できない地域がある」と改めて認めた(D,F)。
192)  11日,イラク南部サマワの陸上自衛隊宿営地にロケット弾が着弾,宿営地内の空き地から信管付きのロケット弾1発が見つかった。宿営地内に信管を装着した砲弾が着弾したのは初めて。これまで迫撃砲やロケット弾で陸自宿営地を狙った攻撃は8回で,今回が9回目となる。うち7回目以降は宿営地内に着弾(J)。
193)  12日,イラク北部モスルで,米,イラク両国部隊の車列付近で自動車爆弾が爆発し,イラク兵2人が死亡した。中部アンバル県では,米兵1人が攻撃を受けて死亡した(D,A)。
194)  12日,米紙ワシントン・ポストは,イラクで大量破壊兵器を捜索していた米中央情報局(CIA)主導の調査団が先月で調査活動をこっそり打ち切ったと報じた。調査団は昨年10月,大量破壊兵器が存在しなかったとの結論をまとめた。マクレラン米大統領報道官も報道を追認した。
195)  12日,バグダッド南東部のサルマン・パク地区で,イラクのイスラム教シーア派最高権威,シスタニ師の代理人,マハムード・マダヘイニ師が武装集団に襲撃され死亡した(D)。
196)  13日,イラク南部サマワで13日午後7時(日本時間14日午前1時)すぎ,オランダ軍宿営地の近くで大きな爆発音が少なくとも1回聞こえた。3回との情報もある。死傷者は確認されていない(B)。
197)  13日,国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチ(本部ニューヨーク)のケネス・ロス代表は13日,ワシントンで記者会見し,60カ国以上の昨年の人権状況に関する年次報告書を発表,イラクのアブグレイブ刑務所などでの米軍による収容者虐待事件とスーダン西部ダルフール地方での残虐行為を厳しく批判した。
198)  14日,イラクのアブグレイブ刑務所で起きた米軍兵士によるイラク人収容者への虐待事件で,米軍事法廷は,チャールズ・グレーナー技術兵を有罪とする評決を下した。
199)  16〜17日,中部バクバなどイスラム教スンニ派が強い地域で,治安部隊や米軍に対する攻撃が相次ぎ,少なくとも計21人が死亡した。また,選挙に前向きなシーア派が多い南部バスラでは投票所になる予定の学校が迫撃砲攻撃を受けた(A,D)。
200) 17日,バチカン(ローマ法王庁)に入った情報によると,イラク北部モスルで,キリスト教のカトリックに属するアッシリア派のバジーレ・ジョルジュ・カスムーサ大司教(66)が武装グループに拉致された(C)。
201)  17日,オランダのバルケネンデ首相は,自衛隊の駐留するイラク南部サマワ一帯で活動するオランダ軍の駐留延長を米英両国が求めている問題で,3月中旬で撤退させるという従来の政府方針を変更しない考えを改めて示した(F)。
202)  17日,選挙の妨害とみられる攻撃が相次ぎ,イラク軍兵士ら少なくとも16人が死亡。中部ラマディではイラク兵ら6人の遺体が見つかった。イラク中部アンバル県では米兵1人が死亡(D,A)。
203)  17日,のアナン事務総長は30日に予定される移行国民議会選挙について「状況は理想からはほど遠い」と述べ,テロの頻発などで治安悪化が続いていることに懸念を示した(F)。
204)  18日,中国人8人がイラク国内で武装グループに拉致,拘束された(D)。
205)  19日,グダッドでオーストラリア大使館などを狙った自爆テロなど少なくとも5カ所で爆発があり,27人が死亡した(C)。
206)  19日,イラク南部サマワを州都とするムサンナ県のサルマン近郊で,駐留オランダ軍の検問所からの停止命令を無視した車がオランダ兵の発砲を受け,イラク人1人が死亡した(G)。
207)  20日,ストロー英外相は町村外相との階段で「自衛隊の安全に対する日本国内の懸念は十分理解している」と述べたものの,英軍の対応については「統括する立場として責任を認識している」と述べるにとどめた(F)。
208)  21日,イラクの首都バグダッドにあるイスラム教シーア派のモスク付近で自動車爆弾が爆発し,金曜礼拝のため集まっていた市民ら14人が死亡,約40人がけがをした(C)。
209)  21日,イラク南部ナシリヤで偵察活動中のイタリア軍ヘリコプターが武装勢力の攻撃を受け,搭乗していた兵士1人が死亡した。ナシリヤは,陸上自衛隊が展開しているサマワから約100キロ東方(B)。
210)  21日,バグダッド南方約20キロの村ユスフィア近郊でイスラム教シーア派教徒の結婚式会場の庭に,爆弾を積んだ救急車が突入して爆発する自爆テロがあり,少なくとも7人が死亡した。式場には数十人の来客が居合わせ,AFP通信によると,40人以上が負傷した(C)。
211)  22日,ロイター通信によると、イラクの武装組織「アンサール・スンナ軍」は22日、同組織が今月中旬、同国西部で拉致した国家警備隊兵士15人を射殺したとする声明をウェブサイトに流した(D)。
212)  AFP通信によると、イラクで行われる暫定国民議会選挙の投票所10か所が24日夜から25日にかけて攻撃された。アブムサブ・ザルカウィ容疑者派の武装組織「イラク聖戦アル・カーイダ組織」が犯行声明を出した(D)。
212) 28日イラク駐留米軍によると、バグダッドで28日、米軍に対する攻撃が3件あり、米兵計5人が死亡したと報じた(A)。
213) 29日バグダッド中心部の多国籍軍管理区域「グリーンゾーン」にある米国大使館に、ロケット弾が撃ち込まれ、米国人2人が死亡、4人が負傷した。AFP通信によると、死亡したのは米軍兵士と文民と報じている(C)。
214) 30日暫定国民議会選挙投票が行われた。 

 ツ 2005年2月

215) 3日バグダッド西部アブグレイブ地区で、イラク人警察官の車列が武装勢力に襲撃され、2人が死亡、14人が負傷した。このほか少なくとも36人が行方不明となっている(D)。
216) 11日、バグダッド東部のシーア派居住地区にあるパン屋に、武装勢力が押し入って銃を乱射し、11人が死亡した。イラクではこの直前に、バグダッド北東部にあるイスラム教シーア派モスク(礼拝所)の前でトラックが爆発し、金曜礼拝のため訪れていた信者ら少なくとも12人が死亡している(C)
217) 13日イラク各地で、武装勢力による襲撃事件が相次いで発生した。バグダッドではカジミヤ地区でイラク軍幹部が武装勢力の襲撃を受け、准将ら3人が死亡したほか、アラウィ首相の政党関係者2人が遺体で見つかった。首都北方バアクーバでも共産党の地元メンバーが何者かに射殺された。北部モスルでは知事庁舎がロケット砲攻撃を受け、イラク人2人が死亡、4人が負傷した。モスル空港近くの道路で、国家警備隊が仕掛け爆弾を処理中に爆弾がさく裂、警備兵2人が死亡した(D)。
218) 18日バグダッドで、イスラム教シーア派モスク(礼拝所)などを狙った爆破攻撃が4件あった。死者は少なくとも23人にのぼると報じられた(C)。
219) 21日、イラク南部ムサンナ県に駐留するオランダ軍が撤退を開始した(F)。
220) 28日イラク中部バビル県都ヒッラ(バグダッド南約100キロ)で、警察・国家警備隊への就職を求めて、医療センター前に並んでいた市民の列に爆弾を積んだ車が突っ込み爆発した。同県警察本部は、反米武装勢力による自爆テロと断定、CNNテレビによると、この爆発で少なくとも125人が死亡、150人が負傷したと報道した(C)。
221) 28日ロイター通信は、国際テロ組織アル・カーイダの最高指導者ウサマ・ビンラーディンがヨルダン人テロリスト、アブムサブ・ザルカウィ容疑者に対し、米本土をテロ攻撃の標的にすることを考慮するよう求めたと報じた(E)。

 テ 2005年3月

222) 1日、イラクのフセイン元大統領ら旧政権幹部を裁く特別法廷の判事と、判事の息子で、特別法廷で働いている弁護士が自宅近くで同日銃撃され、死亡したと報じられた(D)。
223) 4日AP通信によると、イラク駐留米軍は、中西部アンバル州で同日、米兵4人が作戦中に死亡したと発表した(A)。
224) 5日イラク中・北部のイスラム教スンニ派武装勢力が多い地域では、首都バグダッド北方のドゥルイヤの国軍基地に対する迫撃弾攻撃などで計7人の国軍兵士が死亡した(B)。
225) 7日陸上自衛隊が活動するイラク南部サマワのオランダ軍宿営地キャンプ・スミッティで、オランダ軍の撤退に伴い、サマワを中心とするムサンナ州の治安維持権限を英軍に移管する引き継ぎ式が行われた(F)。
226) 7日イラク中部バクバやバラドで7日、武装勢力が自動車爆弾や路上爆弾、銃撃で治安当局の検問所などを攻撃、ロイター通信などによると計31人が死亡した。バクバやその周辺では検問所3カ所が攻撃され、兵士と警官計12人が死亡し、26人が負傷。バグダッド周辺でも警官2人を含む4人が路上爆弾などで死亡した。バラドではイラク軍幹部の自宅を標的に自動車爆弾による自爆テロがあり、周辺の住民ら15人が死亡した(D)。
227) 8日、イラクの首都バグダッド西部で、内務省幹部ガジ・モハメド少将が銃撃により暗殺された。同国での多くのテロの黒幕とされるザルカウィ容疑者率いる「イラク聖戦アルカイダ組織」を名乗る組織が犯行を認める声明をウェブサイトに掲載した。中部サルマンパクでは同日、貿易省へ食料を運ぶ車列が武装勢力に襲撃され、民間人3人が死亡。首都西部の病院次長も暗殺された(D)。

3 イラク特措法と自衛隊の派遣に至る経緯


[1] 日本政府は,2003(平成15)年6月13日,イラク人道復興支援特別措置法(イラク特措法)案を閣議決定し,国会上程され,同法は同年7月26日可決成立,同年8月1日公布施行された。同法は,安保理決議1483を踏まえて,自衛隊を中心に人道復興支援活動及び安全確保支援活動を行い,「イラク国家の再建を通じて我が国を合む国際社会の平和及び安全の確保に資する」ことを目的とする,4年間の時限立法であった。

[2] 同年11月29日,奥克彦大使及び井ノ上書記官が襲撃を受け死亡した。

[3] 政府は,同年12月9日,「イラク特措法に基づく対応措置に関する基本計画」(以下「基本計画」という)を閣議決定した。人道復興支援活動として,自衛隊の部隊がムサンナー県を中心としたイラク南東部で医療,給水,学校等の公共施設の復旧・整備,人道復興関連物資等の輸送をすること,人道復興支援活動に支障を及ぼさない範囲での安全確保支援活動をするために派遣されることが盛り込まれた。小泉総理大臣は同月9日の記者会見において,憲法前文を引用しつつ憲法の理念に沿った活動が国際社会から求められていると説明しつつ自衛隊派遣を正当化した。

[4] 同月18日,防衛庁は,「イラク特措法における実施要項」(以下「実施要項」という)を策定し,実施期間を2004(平成16)年12月14日までの間とし,陸上自衛隊はサマワ市を中心として活動することとされた。

[5] 2004(平成16)年1月9日,防衛庁長官は,陸上自衛隊先遣隊に派遣命令を発し,同隊は同月19日イラク南部のサマワ入りした。その後自衛隊各隊が続々と派遣された。サマワで活動する陸上自衛隊本隊は同月26日に派遣命令が発せられ,同年2月8日第1陣がサマワ入りした。小泉総理大臣は,サマワ周辺の治安情勢について「他の地域と比べると比較的安定し,住民も歓迎していると報告を受けている」と語った。

[6] 同年6月8日,日本政府は国連安保理決議に基づき新たに編成される多国籍軍に自衛隊を参加させる方針を決めた。

[7] 同年9月14日,高島肇久外務報道官は,記者会見において,「イラク攻撃を支持した最大,唯一の理由は安保理の度重なる決議にイラクが一度も従わなかったことで,日本政府の決定に何ら問題はない」と述べた。

[8] 同年10月13日,小泉総理大臣は,衆院本会議の代表質問で,なおも米国のイラク戦争を支持したことについて過ちではないと述べた。

[9] 同年12月5日,大野防衛庁長官がサマワを訪問した。

[10] 同月9日,日本政府は自衛隊派遣の1年延長を閣議決定した。


4 自衛隊派遣の仕組み


[1] 自衛隊のイラク派遣は,イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法に基づくものである。この法律は、「その目的としてイラク特別事態(国際連合安全保障理事会決議第六百七十八号、第六百八十七号及び 第千四百四十一号並びにこれらに関連する同理事会決議に基づき国際連合加盟国によりイラクに対して行われた武力行使並びにこれに引き続く事態をいう。以下同じ。)を受けて、国家の速やかな再建を図るた めにイラクにおいて行われている国民生活の安定と向上、民主的な手段による統治組織の設立等に向けイラクの国民による自主的な努力を支援し、及び促進しようとする国際社会の取組に関し、我が国がこれに主体的かつ積極的に寄与するため、国際連合安全保障理事会決議第千四百八十三号を踏まえ、人道復興 支援活動及び安全確保支援活動を行うこととし、もってイラクの国家の再建を通じて我が国を含む国際社会の平和及び安全の確保に資することを目的とする」としている。

[2] そして,その目的の為の諸活動の基本原則として第2条に以下のように定めている。


 政府は、この法律に基づく人道復興支援活動又は安全確保支援活動(以下「対応措置」という。)を適切かつ迅速に実施することにより、前条に規定する国際社会の取組に我が国として主体的かつ積極的に寄与し、もってイラクの国家の再建を通じて我が国を含む国際社会の平和及び安全の確保に努めるものとする。

 対応措置の実施は、武力による威嚇又は武力の行使に当たるものであってはならない。

 対応措置については、我が国領域及び現に戦闘行為(国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為をいう。以下同じ。)が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる次に掲げる地域において実施するものとする。

一 外国の領域(当該対応措置が行われることについて当該外国の同意がある場合に限る。ただし、イラクにあっては、国際連合安全保障理事会決議第千四百八十三号その他の政令で定める国際連合の総会又は安全保障理事会の決議に従ってイラクにおいて施政を行う機関の同意によることができる。)
二 公海(海洋法に関する国際連合条約に規定する排他的経済水域を含む。第八条第五項及び第十四条第一項において同じ。)及びその上空


[3] 法律が予定する業務
 この法律は,業務として以下のものを定めている。

 人道復興支援活動として実施される業務は、次に掲げるもの(これらの業務にそれぞれ附帯する業務を含む。)とする。

 一 医療
 二 被災民の帰還の援助、被災民に対する食糧、衣料、医薬品その他の     生活関連物資の配布又は被災民の収容施設の設置
 三 被災民の生活若しくはイラクの復興を支援する上で必要な施設若しくは設備の復旧若しくは整備又はイラク特別事態によって汚染その他の被害を受けた自然環境の復旧
 四 行政事務に関する助言又は指導
 五 前各号に掲げるもののほか、人道的精神に基づいて被災民を救援し若しくはイラク特別事態によって生じた被害を復旧するため、又はイラクの復興を支援するために我が国が実施する輸送、保管(備蓄を含む。)、通信、建設、修理若しくは整備、補給又は消毒

 安全確保支援活動として実施される業務は、国際連合加盟国が行うイラクの国内における安全及び安定を回復する活動を支援するために我が国が実施する医療、輸送、保管(備蓄を含む。)、通信、建設、修理若しくは整備、補給又は消毒(これらの業務にそれぞれ附帯する業務を含む。)とする。


[4] 基本計画
    第4条において,以下の通り基本計画を定めている。

 内閣総理大臣は、対応措置のいずれかを実施することが必要であると認めるときは、当該対応措置を実施すること及び当該対応措置に関する基本計画(以下「基本計画」という。)の案につき閣議の決定を求めなければならない。

 基本計画に定める事項は、次のとおりとする。

 一 対応措置に関する基本方針
 二 対応措置を実施する場合における次に掲げる事項

 当該対応措置に係る基本的事項
 当該対応措置の種類及び内容
 当該対応措置を実施する区域の範囲及び当該区域の指定に関する      事項
 当該対応措置を自衛隊が外国の領域で実施する場合には、当該対応措置を外国の領域で実施する自衛隊の部隊等(自衛隊法(昭和二十九年法律第百六十五号)第八条に規定する部隊等をいう。以下同じ。)の規模及び構成並びに装備並びに派遣期間
 国際連合、人道復興関係国際機関又は国際連合加盟国(第十八条において「国際連合等」という。)に無償又は時価よりも低い対価で譲渡するために関係行政機関がその事務又は事業の用に供し又は供していた物品以外の物品を調達する場合には、その実施に係る重要事項
 その他当該対応措置の実施に関する重要事項

 三 対応措置の実施のための関係行政機関の連絡調整に関する事項


[5] 自衛隊の派遣

  基本計画を受けて,自衛隊の派遣は以下のような手続きをもって,実施 されている。

 内閣総理大臣又はその委任を受けた者は、基本計画に従い、対応措置として実施される業務としての物品の提供(自衛隊に属する物品の提供に限る。)を行うものとする。
 防衛庁長官は、基本計画に従い、対応措置として実施される業務としての役務の提供(自衛隊による役務の提供に限る。)について実施要項を定め、これについて内閣総理大臣の承認を得て、自衛隊の部隊等にその実施を命ずるものとする。
 防衛庁長官は、前項の実施要項において、対応措置を実施する区域(以下この条において「実施区域」という。)を指定するものとする。
 防衛庁長官は、実施区域の全部又は一部がこの法律又は基本計画に定められた要件を満たさないものとなった場合には、速やかに、その指定を変更し、又はそこで実施されている活動の中断を命じなければならない。


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