自衛隊イラク派兵違憲訴訟の会・熊本
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訴 状

4
請求の原因 
第5 原告らの被侵害利益
第6 原告らの請求

「自衛隊のイラク派兵差し止め等請求事件」訴状(2005年3月18日)を
 4ページに分けて掲載します。

1 請求の趣旨
   請求の原因 第1 この訴訟の意義


2 請求の原因 第2 イラク戦争の実態と日本の関与 

3 請求の原因 第3 自衛隊派兵は「侵略」への加担に他ならない
         第4 自衛隊派遣の違憲性・違法性


4 請求の原因 第5 原告らの被侵害利益
         第6 原告らの請求



第5 原告らの被侵害利益(平和的生存権)


1 平和的生存権の規定

 日本国憲法前文には、以下のように定められている。
「日本国民は(中略)、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し」(前文第1項)「日本国民は恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」(前文第2項)
 このように、私たちの憲法は、「平和のうちに生存する権利」(「平和的生存権」)が、わが国の国民をはじめとする全世界の国民に認められる基本的な人権であることを確認している。そして、力による支配が、多くの人々を苦しめ、死に至らしめた反省から、わが国と世界の人々の、「平和のうちに生存する権利」の実現を図るべく、憲法9条で、日本は二度と戦争や武力の行使をしないことを固く誓ったのである。


2 「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」

 そこで、わが国の国民には、「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」が認められていると解すべきである。すなわち、「平和的生存権」は世界の全ての市民が享有する権利であるが、「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」は、憲法9条によって具体化された権利であり、「平和的生存権」の具体的内容として捉えることができると考えるべきである。


3 平和的生存権は具体的な権利である

 被告国は,平和的生存権は具体的な権利ではないという見解を唱えている。その理由は、平和的生存権の規定は、大変、抽象的で漠然としているから具体的な権利の根拠にはならないということにある。しかし、被告国の見解は、「平和のうちに生存する」ことを明確に「権利」であると宣言していることを無視してしまうもので間違った見解である。他の人権保障の規定と比べて、平和的生存権の定め方が、特別に抽象的であるという指摘は全く見当はずれである。
 たとえば、憲法13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、(中略)最大の尊重を必要とする。」と定めているだけであるが、裁判所は、憲法13条によって、プライバシーに対する権利や肖像権などの具体的な人権が保障されていることを明らかにしている。また、憲法21条は、「(略)一切の表現の自由は、これを保障する」と定めているが、裁判所は、「表現の自由」という基本的人権の中に、国民の「知る権利」や「取材の自由」も含まれるとしている。

4 人類史の中の平和的生存権

 被告国の見解は、歴史的に見ても、誤ったものである。20世紀は戦争の世紀と呼ばれてる。人類は、2度にわたる世界大戦によって、とても多くの尊い人命を失った。現代戦争の最も大きな特徴は、戦闘員(兵隊)以上に、非戦闘員である一般の市民・民間人が犠牲を強いられたことである。
 しかし一方では、20世紀は、国際社会が、戦争の悲劇を防ぐために戦争を違法化する努力を重ねた世紀でもあった。国際連盟規約(1919年)、不戦条約(1928年)、国際連合憲章(1945年)等は、こうした努力の表れである。
 こうした国際社会の努力の中に、平和的生存権の起源を求めることができる。平和的生存権条項の参考にされたといわれる大西洋憲章(1941年)は、「ナチの暴虐を最終的に破壊した後で、あらゆる国のあらゆる人々が恐怖と欠乏から免れてその生を全うしうるという保障を与える平和が確立されることを希望する」と宣言している。「あらゆる国のあらゆる人々」に、「恐怖と欠乏から免れ」ること、「その生を全うしうる」ことを「平和」の名において保障しようとする点で、この宣言は、日本国憲法と類似している。
日本国憲法が、さらに大きく一歩を進めたのは、「平和」を客観的な状態としてではなく、一人一人の「権利」として認め、これを基本的人権のリストに加えたことである。
日本国憲法のいう「平和」は「状態」ではなく、国民一人一人が持つ「基本的人権」なのである。国民は、平和的生存権という人権に基づいて、これが侵害されたときには、その救済を求めることができ,また、平和的生存権を脅かすものを取り除くこと、より平和的な生存を可能にするように求めることも、平和的生存権の内容なのである。


6 平和的生存権の働き

(1)

 憲法前文では、平和的生存権は、全世界の国民の権利であると宣言している。これは、人類の平和のために日本が積極的な役割を果たすことを宣言するもので、日本の立法や政治、外交の基本方針となるものである。したがって、この部分では平和的生存権は、憲法の下位にある様々な法規の解釈基準となるのである。

(2)

 また、平和的生存権は、憲法第3章に定められている基本的人権の内容として具体化されている。たとえば、「意に反する苦役」を禁止する憲法18条は、徴兵制からの自由を保障している。また、良心的な兵役拒否は、憲法19条の保障する思想、良心の自由の内容として保障されると考えられる。このように平和的生存権は、基本的人権を保障する個別の条文と結びついて、平和に生きるための権利の保障として具体化されている。

(3)

  さらに、平和的生存権は、平和的生存権それ自体として、独自に権利としての役割を果たしている。したがって、この役割を平和的生存権の核心ととらえられる。憲法は、平和的生存権を保障するために、9条によって、戦争と武力の行使、武力による威嚇を永久に放棄した。憲法9条は、平和的生存権を制度面から保障するもので、平和的生存権と一対の関係にあるのである。したがって、憲法9条に違反する事態が生じた場合、直ちに、平和的生存権の侵害としてこれを排除することができるのである。
   これを「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」として捉えるの   である。
 すなわち,「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」として捉える平和的生存権は,少数者としての人権であり,戦争を行うことのない国に生存する権利である。


第6 原告らの請求


1 違憲確認

  国が自衛隊をイラクへ派遣していることが、今まで述べてきたように憲法  9条等に違反することは明らかである。
 したがって、イラクへの自衛隊の派遣することを決定した基本計画の自衛  隊の派遣に関する部分の違憲無効であることの確認を求める。


2 差止請求

 日本国民は、被告国が、自衛隊をイラクに派遣することによって、否応なく、「加害者」として加担させられることになる。「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」は、日本国民が他国の人たちを武力によって抑圧する「加害者」にならないという、生き方に深く関わることであり、「個人の尊厳」に関わる最も基本的な権利である。政府であろうと国民の「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」を侵害することは許されない。もし、ひとたび「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」が侵害された場合には、その侵害行為を排除することができなければ、この権利を回復することは不可能である。
 したがって、原告らの「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」侵害の救済にあたっては、人格権侵害の排除の場合と同様に、侵害行為の差し止めが認められるべきである。
したがって、「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」の侵害を根拠に、派遣命令を発する防衛庁長官に対して自衛隊のイラクへの派兵の差し止めを求めるものである。


3 慰謝料請求

 日本政府が自衛隊のイラク派遣を強行していることで、「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」を既に侵害されている。今後も、日本政府が自衛隊のイラク派兵を続けることにより、イラクの人たちを武力で抑圧する「加害者」となることを強いられている。このことにより、原告らは耐えることのできない精神的苦痛を受けている。
  この精神的苦痛をお金に換算することは困難であるが、敢えて換算した場  合、原告一人一人の精神的苦痛が1万円を下回ることは決してない。
したがって、原告が受ける精神的苦痛の一部として原告一人につき、1万  円の慰謝料を請求するものである。


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