自衛隊イラク派兵違憲訴訟の会・熊本
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ニュースレター9号 より 2006.10.07

「ニュースレター9号」で発表された香田証生さんに関する特集記事を掲載します



                           


小泉政権の「自己責任」を検証する!

−香田証生さんを殺したのは誰だ?−


田中信幸(「自衛隊イラク派兵違憲訴訟の会・熊本」事務局長)
                                   2006年10月7日



●5人の青年たちが人質に!

2004年4月、イラク戦争突入から1年後、イラクの子どもたちを救いたい、劣化ウラン弾被害の実態を調査したいなどと決心した日本の若者たちが戦争下のイラクへ入った。ちょうど米軍がバクダッド西方のファルージャで住民への無差別攻撃で大虐殺を行った直後であり、今井さん、高遠さん、郡山さん、更に安田さん、渡辺さんの5人が地元レジスタンス勢力に拘束された。しかし、日本の反戦運動勢力だけでなく、世界中のNGOや宗教者などが彼らの救出に動き、「アルジャジーラ」(中東の衛星放送)などを通じて地元勢力への働きかけが功を奏し、この5名は無事解放された。政府は外務副大臣を隣国へ派遣したが、何も出来なかった。

●「自己責任」の集団ヒステリー

ところが政府与党、読売、産経、「文春」「新潮」はいうに及ばず、メディアが一斉に「自己責任だ」「救出費用を負担せよ」「税金泥棒」「自業自得」「わがまま」「自分勝手」「みんなに迷惑をかけたことを謝罪せよ」「渡航自粛の法的措置が必要だ」等々、ありとあらゆる罵詈雑言を浴びせ、一切の責任をこの5人に全面的に転嫁するキャンペーンを張った。特に右翼系新聞・雑誌はプライバシーを暴き、脅迫まがいのキャンペーンを張り、彼ら5人の人格をおとしめようとした。

このキャンペーンを仕掛けたのは官邸、警察などの政府機関であった事は明白である。国民の命と安全を保障し保護する義務がある政府が、その責任を果たさないどころか、逆に開き直って、拘束された人質とその家族を攻撃したのだ。被害者の家族が自衛隊のイラクからの撤退を問題にしたとたん、一斉に家族への攻撃が始まり、政府・与党幹部、御用マスコミ、右翼勢力は一緒になって「非国民」「村八分」の集団ヒステリーを組織することに成功したのである。


●問われるメディアの責任

本来なら自衛隊派兵とイラクでの邦人拘束に対する「責任論」が噴出しかねない小泉政権を、踊らされた世論が逆に後押ししたのだ。フランスの「ルモンド」や「ニューヨークタイムス」などの欧米のメディアや政治家などが「勇気ある青年たち」への罵倒を繰り広げる日本の状況に憂慮を示すなど、「民主主義とはほど遠い」ファシズムに国全体が転げ落ちたかのような集団ヒステリー状況が生まれたのだ。

小泉政権(当時)は憲法順守、派兵反対を言う「反政府分子」「反日分子」は、保護の対象としないというメッセージを国民に分からせたかったのではないか。ところが「自己責任」攻撃の急先鋒だった福田官房長官(当時)が、年金未納問題で大恥をかき辞任したのである。他人に対しては「自己責任」を追及しながら自分は最後まで「プライバシーだから答える必要がない」と突っぱねた張本人が、説明責任も年金に対する「自己責任」も果たさず、突然の辞任。「自己責任」がいかに国民をだます手口として利用されたか、この時点でメディアの責任も含めて問われるべきであった。


●香田証生さん殺害事件発生

2004年10月に事件は起きた。27日未明、「イラクの聖戦アル・カーイダ組織」が、福岡県出身の香田証生さんと見られる青年を拘束したとインターネットで映像を公表した。彼らはイラク駐留の自衛隊を48時間以内に撤退させなければ青年を殺害するとの声明を出した。そして30日ティクリートで香田証生さんとみられる遺体が発見されたという情報が報じられたのだ。

香田さんを拘束したグループは、自衛隊の撤退を要求していた。ところが、「拘束」発覚直後から小泉首相は「自衛隊は撤退させない」と撤退拒否を打ち出し、打開の糸口を一方的に閉ざし、人質を見殺しにすることを表明した。小泉首相は遊説先でも「テロを許すことはできない。テロに屈することはできない」と繰り返した。「政府が行くなと言っているのにイラクに行った。自己責任だ」(参院自民党幹部)等々事件の詳細も何もわからず、人質の救出のために政府自身が何をすべきかがまず検討されるべきときに、またぞろ「自己責任論」による人質への誹謗中傷が繰り返された。

読売・産経・日経が「テロに屈するな」を大合唱したことはもはや言うまでもない。加えて他紙までもが「首相の判断は当然である」(毎日新聞)「小泉首相は犯人の要求を拒否したが、やむをえまい。」(朝日新聞)と小泉を露骨に支持したのだ。「なぜイラクにいったのか、理解に苦しむ」「行くからには、それ相応の覚悟が必要だ」等々、香田さんは「愚か者」「酔狂者」との印象をマスコミは国民にばらまこうとした。


●香田さんは志を抱いてイラクへ行った

ところが、今年4月熊本地裁で開かれた自衛隊イラク派兵違憲訴訟第5回口頭弁論で、意見陳述にたった武蔵ヶ丘教会の宮川牧師は、香田証生さんがイラクに渡ったのは次のような目的からであったと証言した。(宮川牧師の意見陳述)

「つい最近彼が所持していた写真がクリフホテルで見つかり、ご両親のもとに届けられました。ホテルの使用人サーミル氏が香田証生さんからイラク入り直前に預かっていたものです。それは14枚の劣化ウラン弾による子供の被爆写真です。香田さんはこの写真を多くの人々に見せて戦争というものを、虐殺の現状を知らせて欲しいとサーミル氏に託してイラク入りしたのです。つまり香田さんは身の危険を知りつつ戦争を批判してイラクに入国したということです。」この事実は衝撃的であった。政府・マスコミによる「自己責任」キャンペーンの虚構性を完全に打ち砕くものであった。


●誰が香田さんを殺したのか!

今年3月2日には香田さん殺害の実行犯がイラクで捕まり、サマワから自衛隊を撤退せよとの要求を日本政府が拒否したことが殺害動機であったと証言したと報じられたが、これに対して日本政府は何のコメントもしていない。小泉政権の「テロには屈しない」という無分別な対応によって香田さんが殺されたことははっきりした。小泉政権はただひたすら米国のブッシュ政権への忠誠しか頭になかった。志を抱いた一人の日本人青年の生命は一顧だにされなかった。政府は国策に従わない国民の命は絶対に守らないと思い知れと言っているである。


●青年たちを誇りに思う!

小泉政権による「自己責任」キャンペーンは一時的にせよメディアを巻き込み多くの国民を「集団ヒステリー」状態に追い込む大変危険な手法であることが判明した。この犠牲になり香田さんのように志半ばで殺害された青年たちのことを思うと同時代を生きているものとして忸怩たるものがこみ上げる。

しかし、逆に今の日本で若者がダメになったといわれる昨今、ヒューマニズムにあふれ、日本国憲法が指し示すような人類の希望のためにイラクに渡り戦争を止めさせようとする若者がいることに希望を感じる。日本国憲法はこうした若者たちが目指したような活動を国際平和のために果たすことを国民に求めているのである。政府にはこうした活動を支えることこそ求められているのだ。「自己責任」攻撃をはね返し香田さんの志をこの訴訟で受け継いでいこう。



☆香田証生さんに対するメッセージや両親の言葉、ポートレートなどが掲載され、更新中のサイト
香田証生さんを偲ぶメッセージ集
宮川経範陳述書参照
本多香織陳述書参照



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