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2005.05.27
第1回口頭弁論参照
【意見陳述一覧】 第1回口頭弁論 2005年5月27日 藤岡崇信:原告 加藤修:弁護士 第2回口頭弁論 2005年8月1日 長迫玲子:原告 塩田直司:弁護士 第3回口頭弁論 2005年10月14日 大野進:原告 松野信夫:弁護士 第4回口頭弁論 2006年1月27日 松島赫子:原告 加藤修:弁護士 第5回口頭弁論 2006年4月17日 宮川経範:原告 板井優:弁護士 第6回口頭弁論 2006年7月10日 加藤修:弁護士 第7回口頭弁論 2006年10月13日 加藤修:弁護士 第8回口頭弁論 2007年1月26日 板井優:弁護士 |
【意見陳述書一覧】 田中信幸:原告 |
2005年5月27日 熊本地裁
私は父の死により、学業を終えると同時に生まれ育った真行寺の住職に就任しました。11年間病床にあった父の住職期間を考えると、久しぶりの住職としての働きのできる住職の誕生は、門徒にとって喜びであり、大きな期待でもありました。
それを強く感じていた私もまた、真の住職たらんという使命感を持ってのスタートでありました。それは1963(昭和38)年であり、ときあたかも戦死者の25回忌の法事が多くなってくる時期でありました。しかし、住職として法要をつとめる当時の私の心中は、戦死者も一般の病死者の法事もその違いを特別に意識することはなく、ただ本願寺の法式に則り、長時間の読経と他力による浄土往生の教えの法話をするというごく一般的な法要をつとめておりました。
また戦死者や空襲によるし、すなわち戦争犠牲者の法事であっても、読経・法話の後、喪主の月並みの挨拶、そしてお齋(参詣者一同の会食)をいただき、雑談というパターンが主流でしたが、ときには涙ながらに死別の悲しみ、その後の苦労をしみじみと話される場合もありました。
そのような中で、特に私の心に迫ったのは、機銃掃射をうけて即死した少女の母親が、毎年祥月命日に「娘が今生きておれば何歳になります。」と申され、しばしば嗚咽される姿。また、仏門にかけられた幼い少年の面影の残る軍服姿の写真を指さし、、「今日は17才で戦死したこの兄の33回忌です。」という言葉に始まった挨拶。戦友が持ち帰った息子の指を握りしめ「息子の最後の様子や命日も分かった」と言って泣いた両親の思いで話などでありました。
それからある時は、主人が入院中ですので、と前置きをして「今日50回忌に当たる主人の兄は、若くして出征しましたので妻もなく子どももなく、両親もなくなっておりますので、、50回忌という最後の法事ですが、義兄を汁人は一人もいないという寂しい法事になりました」と、喪主の連れ合いが挨拶された法事もありました。
50回忌の法事が済めば、この方たちはいよいよ忘れ去られていく・・、残るのは墓碑銘と寺院の過去帳の記録のみ・・、戦争さえなかったら、今この方たちは、子どもや孫に囲まれ楽しい家族の語らいがあったであろうに・・、等々、私は、戦争の犠牲になった門徒の方の法要をつとめるうちに、戦死者を出したあと、ただ法要を執行する僧侶でいいのだろうか。僧侶の使命とは、真の仏教とは何か・・、という思いが次第に強くなってきました。
折しも靖国問題が政治の課題として浮上してきた時期であり、私は、国家と宗教、戦争と宗教などノ問題をこれらの視点を通して深く考える機会を持ちました。
そしてたどり着いた結論は、我が国の宗教教団の多くがそうであったように、我が真宗教団も、特に明治以降、富国強兵の国策に追随し、さらに昭和に入ると強大な軍部の圧力を受けながら、教団存続を第1に掲げて、本来の真宗教義を捨て、皇国護持・戦意高揚の教義に改変してきたのですが、その当時はまだ戦時中の教義変更への反省も清算も十分に行われておらず、私もまだその範疇での仏教(真宗)理解であったと言うことに気付かしめられたのでした。
改めて仏教を求め直す時、釈尊は、戒律の第1に不殺生戒をとき、また仏教の目指す世界を「兵戈無用」(兵隊も武器もいらない)と説き,「生きとし生けるものは 皆暴力におびえる わが身に引きあてて 殺してはならぬ 殺さしめてはならぬ」と諭されたのでした。
このような経緯を経て、真の仏教に巡り会うことができた私は、その後、仏教の教えをこの世に於いて具現すべく歩みを進めて参りました。
この自衛隊イラク派兵差し止め訴訟の提訴がマスコミに報道された直後、私が自衛隊員を身内に持つ門徒の家にお参りした時、「住職さん、もし○○がイラクへ行き、万一のことがあればと思うと気が休まりません。さりとて自衛隊員の家族が、イラク派遣反対を叫ぶわけにもいかず、・・。住職さんなればこそ反対の声を上げていただきました。ありがとうございます。」と、家族としての真意を吐露されました。
今日のイラクへの自衛隊派遣を考えると、人道復興支援とはいうものの、それはかってのマザー・テレサ女史などの崇高な献身的な行為とは異なり、武器を携えた支援は明らかに殺戮行為への加担であります。
しかし現今のイラク情勢は、自衛隊宿営地を目標にしたと思われるロケット砲弾が何度となく着弾し、自衛隊員に死者が出る危険性はきわめて大きい現状です。こちらが殺されたら、相手を殺す。自分が殺されないためには、相手を殺す・・、この連鎖はまさに「鐶(みみがね)の端なきがごとし」であります。
私たちは60年前、悲惨な戦争の経験の下に、@武力によって、自国や世界の真の平和は実現できない。A殺され、虐待を受けたら、必ず相手に対して復讐心を燃やす、という事実をいやというほど知らされてきたはずです。しかし、これは「偽らざる、恐ろしい悲しい人間の自性」によるものであります。
しかし、我が国はその後、平和憲法の下に、日本の軍隊による殺人は一人もないという事実がありますが、これは真の人間社会・国家として誇るべきことであり、また日本の将来に向かっての大きな示唆であります。
私は、@理由の如何を問わず、殺人は最大の罪悪である。A暴力によって、物事の根本的な解決はあり得ない、という仏教の教えに従って、自衛隊のイラク派遣中止を強く訴えます。
また、私は中曽根首相及び小泉首相の靖国神社参拝に対する福岡地裁の違憲訴訟の原告となりましたが、昨年4月7日、福岡地裁に於ける小泉首相靖国神社参拝違憲九州・山口訴訟の判決に於いて、亀川清裁判長は「首相の靖国神社参拝は、公務であり、それは憲法違反である」と、私たち原告実質勝訴の判決を下し、さらに結論では、「本件参拝は、靖国神社参拝の合憲性について十分な論議も経ないままなされ、その後も靖国神社参拝は繰り返されてきたものである。こうした事情に鑑みる時、裁判所が違憲性についての判断を回避すれば、今後も同様の行為が繰り返される可能性が高いというべきであり、当裁判所は、本件参拝の違憲性を判断することを自らの責務と考え、前記の通り判示するものである」との格調高い趣旨で締めくくられました。
貴裁判所においても、3千数百万人という戦争犠牲者の遺言と言うべき平和憲法の理念に則り、人々を無限の悲嘆に追い込み、また憎悪の連鎖を生む可能性の充満したイラクへの自衛隊派遣を絶対認めないという判決をいただきますよう真実を見極めた審理をお願い申し上ます。